第12話 Lies and Truth(12)

(1)



 ――数週間後――



 秋もいよいよ本格的に深まり始めたある日。グレッチェンは薄手の黒いカーディガンを羽織り、広場の中を散策していた。

 茶色い絨毯を敷き詰めたように、緑の芝生の上には様々な木々の枯葉が大量に落ちている。種類によって同じ茶色でも微妙に色味が違い、形や大きさもまちまちだ。落ち葉の絨毯を踏みしめると、カサカサ、カサカサと乾いた音が聴こえてくる。

 ふと頭上を見上げてみる。まだ紅葉の時期には早いらしく、周りの木々はまだ辛子色や深緑のままだった。少しだけ残念そうに、眉尻を下げる。


 深い木々よりも更に上、空を見上げてみる。

 空は大きな灰色の雲に覆われていたが、雲の隙間からは所々青空が垣間見えている。その雲の下を、逆三角の形をした水色の凧が泳ぐように風になびいていた。あれは、確か……。

 見覚えのある凧から、それを操る者の方へと恐る恐る視線を移動させる。

 新たな視線の先には、痩せ気味の中年男性と彼の息子であろう、これまた見覚えのある少年が寄り添いながら凧を上げていた。


 遠目だったにも拘わらず、少年はグレッチェンに気付くと父の腕を叩いた。そして、凧を引き上げ、彼女の元へ急いで駆け寄っていく。

 父親もすぐに彼の後を追うが、左半身が悪いのか、左側を庇うようにひょこひょことゆっくり走っている。


「お兄さん、こんにちは!!」

 思っていた以上に元気そうな少年の姿に、グレッチェンはひどく面喰った。

 その間にも、息子に追いついてきた父親が「知り合いなのか??」と彼に尋ねる。

「父ちゃん、このお兄さんがね、前に凧を拾ってくれた人なんだよ」

「へぇ、この人が……、って……。こら、ティム、こんな別嬪に向かってお兄さんなんて失礼だぞ!!」

「えぇっ!?」

「すいませんねぇ、こいつ、そそっかしくて……」

 少年がグレッチェンを男性だと勘違いしていたことを、父親がしきりに謝罪する様子が可笑しく、思わず噴き出してしまう。

「髪も短いですし、こんな格好なのでよく男性と間違えられるんです。全然気にしてませんよ」


 くすくす笑いながら、グレッチェンは軽く受け流す。

 この街に来たばかりの頃は髪も長く、女性の服装をしていたのだが、シャロンが研究の為とはいえ独身を貫いている姿(時々、適当に女と遊ぶことはあれど)を見ている内に、自分も身体が治るまでは女性として生きることは止めよう(どちらにせよ、この特異体質では恋愛や結婚は難しいだろうし)、と、決意した。十五歳で成人して以降、決意を元に髪を切り、男装を続けている。


「おに……、お姉さん。あのね……。オレの母ちゃん、死んじゃったんだ……。オレ、いい子にして、ずっと待ってたのに……」

「そう……」

 返す言葉が見つからず、グレッチェンは言葉を詰まらせる。

「……でもね、父ちゃんと新しく約束したんだ!母ちゃんの分まで、一緒にがんばって生きていこうな、って!!」

「……そっか。ティム君は強いね……。でも、貴方は今でも充分いい子だから、そのままでいいと思うわ」


 泣きそうになりながら、少年は無理矢理明るい笑顔をグレッチェンに向ける。彼のいじらしさに胸を打たれ、少しだけ、ほんの少しだけ目頭が熱くなった。





(2)


 父子と別れた後、いつものようにグレッチェンは店に向かっていた。


 今日は安息日、本来は休日である。しかし、昨夜、閉店作業中にシャロンから『君の身体を治す手掛かりかもしれない、新しい事実が掴めそうなんだ。だから今夜中掛けて、調べようと思う。また無駄足に終わるかもしれないが……、明日来れたらでいいから店に顔を出して欲しい』と言われ、血液を始めとする体液を採取した後、アパートに帰宅したのだ。


 店に到着すると裏口の錠を開け、二階へ上がる。


「シャロンさん。昨夜言われた通り、ここへ来ました」


 返事が返ってこない。これは間違いなく、力尽きて眠っているに違いない。

 グレッチェンは音を立てないよう気を遣いながら、そーっと扉を開ける。相変わらず、部屋の中は足の踏み場がない。

 当のシャロンはベッドの中でシーツを頭まで被り、眠りこけている。


(今日は休みだし、このまま寝かしておいてあげた方がいいかしら……)


 起こすべきかどうか迷いながら、シーツに包まっているシャロンに近づいていく。次の瞬間、シャロンが突然起き上がった。

 声を上げる間もなく、ぎゅぅぅーと痛いくらい強い力で抱きすくめられ、頭の中は真っ白。言葉を発することも抵抗することもままならず、ただ硬直するしか成す術がない。


「……んー……、エミリー、君、ちょっと痩せたんじゃないかね??」


 グレッチェンの額に青筋が一本浮かび上がり、一気に現実と普段の冷静さが引き戻される。


 ドスッ!!


 シャロンの鳩尾に拳を叩きつけ、氷の如く冷え切った、蔑んだ目で彼を睨み下ろす。


「……おはようございます、シャロンさん。目は覚めましたか??」

「……あぁ、君の強烈な一発のお蔭でね……」

「でしたら、三分で支度を済ませてください」

「さ、三分だと?!」


 すかさず反論しようとしたシャロンだったが、グレッチェンの鋭い睨みに圧倒され、黙って着替えを始めた。

 きっちり三分後。シャロンは支度を終えると、グレッチェンと共に長椅子に座り、彼女の身体に関する新たな事実を報告した。


「君の身体を治す手掛かりに直接繋がるかは不明だが……、どうやら君の唾液には媚薬としての成分、血液には精力強壮剤の成分と成り得るかもしれない可能性が判明した。つまり、薬としての成分を強め、毒性を抑える方法が見つかれば……、少なくとも、人体への殺傷能力を消すのも可能かもしれない。毒物からは毒しか生まれないが、毒薬は使い方次第で薬に変えられる。君の体液は決して有害なだけではなかったみたいだ。ただし……、毒薬をどう薬に転じさせるかの方法は、これから探さなければいけない。まだまだ道のりは気が遠くなるくらいに険しいがね……」

「いえ、大いに前進したと思います。本当にありがとうございます」

「九年かかって、やっとこれだけだ。君も二十歳を超えてしまったし、最低でも十年以内には何としてもカタをつけたいものだ。私は、君には女性として人並みに幸せになって欲しいんだよ」

「……ありがとうございます。ただ、一つ言わせていただきたいことがあります」

「……何だね??」


 表情を強張らせるシャロンに向かって、グレッチェンは静かに、それでいてはっきりと告げる。


「……私は、今の自分を決して不幸などとは思っていません。今でも充分すぎるくらい、幸せです」


 グレッチェンはシャロンの隣で穏やかに微笑む。

 その控えめな笑顔はどことなく満ち足りていて、誰よりも美しかった。









(『Lies and Truth』 了)

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