第9話 Lies and Truth(9)

 マージョリーが帰った後も引き続き、シャロンはグレッチェンと店番をしていた。


「シャロンさん、仮眠をとらなくてもいいのですか??」

「うん??あの婆さんと話をしていたら、眠気がすっかり飛んでしまってね。それに……」


『傷ついた君を一人にできるものか』

 喉元まで出かかるも、すぐに「いや、何でもない」と誤魔化してみせる。グレッチェンは言葉の続きを気にしていたが、「……そうですか。でも、余り無理はしないで下さいね」と言うだけだった。それはこっちの台詞だ、と、シャロンが心中で答えたなどとは知らずに。

 マージョリーからシルビアの死を知らされたグレッチェンは、明らかに傷つき、動揺している。表面上はいつも通り、淡々と落ち着いた物腰でいるが、彼女と付き合いの長いシャロンには一目瞭然。いや、シャロンだからこそ、分かるようなものだ。

 グレッチェンは感情の起伏が乏しい。おまけに冷淡とも言える程、潔癖な態度を取りがちだが、それは彼女の繊細さと臆病さの裏返しでもある。

「グレッチェン。君は何も悪くないから」

 暇を持て余し、薬品の在庫確認を始めたグレッチェンの痩せた背中に向かってそう告げる。振り向いたグレッチェンは、複雑そうに力無く微笑んだ。

「……ありがとうございます」

 それだけ口にすると、グレッチェンは確認作業を再開した。



 時間は刻々と過ぎて行き、やがて夕方の十六時を過ぎた。


「グレッチェン、先に休憩に入るといい」

「分かりました。では、十五分後に交代しましょう」


 あと三十分程経つと娼婦達がぼちぼち来店し始める。

 忙しくなる前に、と、グレッチェンがカウンターから離れようとした時だった。

 娼婦らしき女達、五人程いる――、が、揃って店内になだれ込んできた。


「ねぇ、ここで毒を売ってるんでしょ?!そんでもって、あんたがその毒を作ってるんだってね!!」

 女達の一人が徐にグレッチェンを指差し、開口一番、きつい口調で問い質した。

「レディ。申し訳ありませんが、毒の件に関してはあまり大きな声で話されては……」

「坊やは黙ってな!用があるのはこの小娘なんだから!」


 有無を言わさず坊や呼ばわりされ、さすがに少々勘に障った。眉間に皺を寄せるシャロンを無視し、女達は全員カウンターに近づくと依然沈黙するグレッチェンに詰め寄る。


「ねぇ、お姉さん。昨日、シルビアっていう女が、ドハーティを殺したいから毒を売ってくれって、この店に来たよねぇ??なのに、あんた、すげなく断ったっていうじゃないかい??」

「はい。仰る通り、私は毒を売りませんでした。しかし、彼女は毒を買う代金をまともに持ち合わせていませんでしたし、何より毒を売るに値しない人物だと判断したからです」

「えらそうに……!上から見下してんじゃないよ!この小娘!!シルビアがどんな思いでここに来たか、知りもしない癖に!!あんたが大人しく毒を売ってくれさえすれば!!シルビアは死ななかったかもしれないのに!!」


 胸蔵を掴まんばかりの勢いででグレッチェンを激しく罵倒しながらも、女は涙目で声を震わせている。


「マーサ、落ち着きなよ。この人を責めたって仕方ないだろう??シルビアが死んだのは、この人のせいじゃなくて、ドハーティの豚野郎のせいだよ」

 我を失うマーサを見兼ねたのか、彼女の右隣に立つ、ふくよかで優しげな女が肩を抱いて宥めすかせる。

「おねえさん、悪かったね。マーサはシルビアを慕っていたから、気が動転しちまって、不安定な状態なんだ」

「いえ……」

「お姉さんから見てシルビアがどういう風に映ったのかは分かんないけど……、あの人、口は悪くても面倒見の良い人でね。同じ売春宿の仲間だから、って、アタシ達に随分良くしてくれていた。その分、ドハーティには一番殴られていたけどね……」


 ふくよかな女は一旦言葉を切る。沈痛な面持ちで俯きかけたが、マーサも含めた他の女達と目配せし合い、一斉に頷き合う。

 そして、それぞれが鞄の中から硬貨が入っているであろう小袋を取り出し、ドン!とカウンターに置いた。


「お姉さん、アタシ達からもお願いだ。あいつを……、ドハーティを殺す為に毒を売っておくれ!!」


 女達は全員でグレッチェンとシャロンに深々と頭を垂れる。カウンターには五つの小袋がきちんと一列に並べられている。

 唐突な行動に二人は大いに戸惑い、互いに顔を見合わせた。


「シルビアがあいつを殺そうとしたのは、家族にもう一度会いたいという気持ちと共に、アタシ達をあいつの暴力から解放させるためだったんだ……。だから、あいつにバレたら殺され兼ねないのを承知で、アタシ達を代表してこの店を訪れたんだ」

「えっ……。ですが、シルビアさんご自身からは、家族に会いたいから……、としか、伺ってませんが……」


 確かに昨日のシルビアの話では、『ドハーティの暴力と売春地獄から抜け出したい。もう一度、息子と一緒に暮らしたい』と、ひたすら自分の願望を並べ立てていただけで、娼婦仲間の話など一切話題にすら出てこなかったのだが。

 するとマーサが、「また、あの人はそうやって……」と、悲痛に呟く。


「多分……、毒を買おうとしたことがドハーティにバレた時を考えてたんだ……。アタシ達が酷い目に遭わないよう、自分一人で全部背負いこもうとして……。バカじゃないか!!本当にバレちまって、気を失うまで殴られた後、ヨーク河に……」


 うぅぅ、と、それきりマーサは嗚咽を漏らすばかりで喋らなくなってしまった。

 グレッチェンはこの場で最もふさわしいであろう感情をどう言葉で表そうか、ずっと思案している。シャロンもまた、グレッチェンが果たしてどうするつもりか、黙って見守っている。女達も、グレッチェンの答えを今か今かと固唾を飲んで待ち続けている。

 沈黙が途切れる様子は全く感じられない。しんと静まり返った店内、壁時計の秒針が動く音のみが響く。

 チッチッチッと音が鳴る度、少しずつ空気も張りつめて行く。それでも、グレッチェンはまだ言葉を発しようとしない。 

 次第に女達の表情が変化し始める。

 ある者は焦り、別の誰かは苛立ち、哀しみ……と。そろそろ、シャロンも痺れが切れそうになっている。グレッチェンに何かしら言葉を発するよう、促そうかと思い始めた矢先――


「……分かりました。貴女達の依頼、承りました」

 普段と変わらない静かな口調ながら、グレッチェンはその場にいる者全員にはっきりと聞き取れるように告げた。

「ですが、貴女達に毒は売りません」

「何だって!?」


 すぐさま女達はグレッチェンに批難の目を向け、シャロンも耳を疑った。

 依頼は受けるが毒は売らない、とは、どういうつもりか。


「シルビアさんの死の一因は、私の判断に落ち度があったことも含まれています。ですから、自分が犯した過失は自分自身で責を負おうと思います」

 女達はグレッチェンの言わんとする意味がいまいち掴めずにいたが、シャロンは理解した瞬間、彼にしては珍しく語調を荒げた。

「気持ちは分かるが、君が自ら手を汚さずともいいじゃないか!」

「いいえ、これはけじめなんです」


 グレッチェンは薄灰の双眸に強い決意を宿らせ、きっぱりと反論した。

 彼女の覚悟の程を感じ取ったシャロンは、それ以上言葉を発することができず、口を噤んだ。


「そういう訳なので。皆さん、ご理解いただけましたか??」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ……」

 グレッチェンが自分達に代わり、ドハーティへの復讐を遂行しようとしているとようやく女達は気づき、混乱に陥った。

「大丈夫です。何があっても成功させますし、皆さんには絶対に迷惑が掛からないようにしますから」

「い、いや、そうじゃなくて……」

「その代わりと言っては何ですが……、皆さんに一つだけ、協力していただきたいことがあります」


 異論も反論も一切受け付けない、と、有無を言わせぬ強い口調でグレッチェンは女達に向き直る。


「シルビアさんのご家族の元を訪ね、彼女が最期まで家族を想い続けていたことを伝えてください。お願いします」

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