第2話 Lies and Truth(2)

(1)


 グレッチェンの、元から乏しい表情が完全に消えてなくなる。

 その様子に気圧されたのか、女はたじろぎ、口を噤む。老け込んでいる、というより、どことなく崩れた顔を引き攣らせて。

 女を安心させようとしてか、シャロンが穏やかに微笑んでみせる。しかし、口調や物腰とは裏腹に、口にした言葉は到底穏やかな内容とは言い難かった。

 

「えぇ、レディ。その噂は本当ですよ。ただし、この毒を売るには条件がありましてね。絶大な効果をもたらす分大変貴重ですので、相応の金額が必要となります」

「い、いくらかかるんだい??」

 シャロンが値段を掲示すると、「そんな大金、私みたいな貧乏娼婦に払える訳ないじゃないか!!」と、女は憤り、大声で叫んだ。

「しっ!レディ、お静かにして頂けますか??この毒販売は秘密の裏稼業ですので」

「……どうしても、大金払わなきゃいけないのかい……??」

「時に危険を伴う裏家業ですから、相応の報酬は頂きたいものです」


 口調こそ柔らかいが、突き放した言葉に女はがくり、肩を落とす。シャロンは思案顔でふむ、と小さく頷く。


「貴女が毒を欲しがる理由次第では、破格の値段で売ることも可能ですが」

「本当かい!?」

 あからさまに顔を綻ばせる女を、シャロンはどことなく愉快そうな目で見下ろす。気を抜くと、くつくつと笑いだしそうにも見える。

「ただし、理由を話すのも、その理由を聞いて判断を下すのも私ではなく、彼女――、グレッチェンです」


 隣に立つグレッチェンの後ろに立つと、シャロンは細い肩を両手で掴み、一歩前へ押し出す。


「シャロンさん、どさくさに紛れて気安く触らないで下さい」

「君ねぇ……」

 すかさずグレッチェンに咎められ、肩からさっと手を離す。気を取り直して、女に向き直る。

「話の続きですが、彼女が判断を下す――、つまり、毒薬を作るのは私ではなく、このグレッチェンですから」


 女は訝しむように、カウンターの中で横に並ぶグレッチェンとシャロンを交互に見比べた。こんな小娘が、本当に強力な毒を作っているのか??と半信半疑なのだろう。


「……まぁ、毒が手に入るなら、この際何でもいいさ」

「……では、奥の部屋へご案内します。そこで毒を使う理由や相手の事をお訊きしましょう。その前に貴女のお名前を教えて下さい」

「アタシの名前はシルビアだ」

 女はグレッチェンを挑むように見据え、ぶっきらぼうに告げる。

「シルビアさん、ですか。では、私と共に奥へ」

 グレッチェンは女にカウンターの奥の部屋を指し示し、ついてくるよう促した。





(2)


「ごちゃごちゃと狭い部屋ですが……。あちらの席に座って下さい」


 奥の扉を開けると、ツンと鼻をつく異臭が微かに漂っていた。

 部屋の中央には二台合わせの長机があり、試験管装置、丸や四角、三角など様々な形をしたフラスコ、木箱に入った無数のルーペや薬品の小瓶、小箱に保管された古い注射器などが無造作に置かれている。

 白い壁を隠すかのように、部屋の四方には背の高い棚が置かれ、数多くの薬品、段によっては医学や薬学の本が並んでいた。

 普段目にする機会のない物で埋め尽くされた空間。戸惑うシルビアに、グレッチェンは隅の流し台付近――、簡素な丸テーブルと二脚のローバックチェアのある場所へと案内した。


「早速ですが、シルビアさん。貴女はどういった理由で毒を求めているのですか??」


 グレッチェンは音を立てないよう静かに椅子を引き、椅子に座る。対してシルビアは、ドカッと座面に尻を降ろす。ふぅーと息を吐きながらゆったりと背もたれに寄り掛かるシルビアに、グレッチェンは背筋をピンと伸ばして尋ねた。グレッチェンの事務的な質問に、シルビアも姿勢を改める。


「……うちの売春宿の店主、ドハーティを殺したい。あいつを殺して、自由になりたいんだよ」



 以下がシルビアの話だ。


 かつてのシルビアは、郵便配達人の夫と幼い一人息子と共に暮らす平凡な主婦だった。しかし、夫が馬車に牽かれて大怪我を負い、しばらく働けなくなってしまったのだ。

 彼女の夫を轢いた成金が怪我の治療費を支払ってくれる訳でもなく。家計を支えるために縫製工場で働くようになったものの、夫の治療費に加え、家族三人分の家計費となると縫製工場の給金ではとても賄えない。

 シルビアは悩んだ末、家族が寝静まったのを見計らって夜な夜な歓楽街で身を売るようになり――、そして、ドハーティと出会った。



「最初の内、あいつは他の客よりうんと優しかったし、気前も良かった。身体が弱っているせいでアタシに辛く当たる亭主や、すぐに駄々を捏ねる息子の世話に疲れていたアタシはつい……、あいつに惚れちまったんだよ。あの頃のアタシは疲れてたんだ。今じゃ、ホント、馬鹿だったと思うよ」


 その後、『金が必要なら、うちの売春宿で働くといい。縫製工場の針子と街娼のかけ持ちするよりもずっと稼げるぜ??』というドハーティの言葉を真に受けたシルビアは家を飛び出し、彼が経営する売春宿で働き始めた。

 ところが、その売春宿は街のその手の店で一、二を争う程格が低かった。娼婦の扱いも劣悪で、一晩中休む間もなく次から次へと客を取らされたり、酷い時には二人同時に相手をさせられることもあった。

 客を断ろうものなら、即座にドハーティに殴られ、稼ぎが下がればまた殴られ――、そうして得た報酬の半分以上は店の取り分だと奪われる。


「このままじゃ、アタシは売春地獄やドハーティの暴力から一生抜け出せない……。だから、あいつを殺して、家族、いや息子の許へ帰りたいんだよ……」


 弱々しい目でシルビアはグレッチェンに必死で縋りつく。しかし、グレッチェンは冷たい一瞥をくれたのみ。ほんの僅かだが、眉間に皺を寄せてさえいる。


「大体のお話は把握しました。結論から言わせてもらいますが、貴女には毒を売れません」

「何でだよ?!」

「貴女の境遇には同情するべきところが多々あります。けれど、貴女が家族を捨ててまでドハーティ氏の許へ走ったのは紛れもない事実です。つまり、貴女が今辛い状況に置かれているのは、全て貴女自身が招いたこと。ドハーティ氏の所業は人として決して許されることではありません。でも、貴女も貴女で一度捨てておいて、今更息子さんと暮らしたいだなんて、身勝手極まりない。そんな人に私の毒を売る気はありません」


 寡黙なグレッチェンにしては珍しく長く喋ったせいか、言葉を言い切ったと同時に肩で息をついた。シルビアは正論中の正論を叩きつけられ、ただただ呆気に取られるしかない。しばらくの間、気まずい沈黙が二人の間を流れる。


「……あんた、年は幾つだい??結婚は??」


 グレッチェンから視線を外しながら、シルビアが尋ねた。


「……今年で二十一になります。結婚はしていません」

「じゃ、当然、子供もまだ産んだことないだろ」

「はい」

「アタシは……、家族を捨てちまったけど、息子のことだけは一日足りとも忘れたりしなかった……。腹を立てたり、うんざりすることも多かったけど、会えなくなってからあの子の大切さが身に染みて分かったんだよ……。身勝手だ何だと言われるのだって、百も承知さ」

「…………」

「こっぴどい環境の中でどうにか生きていられるのも、息子の存在あってなんだ……」


 バン!!


 シルビアがビクッと身体を震わせる。グレッチェンが両の拳で、テーブルを思い切り叩いたのだ。


「三文芝居じみた御託は結構ですので、もうお引き取り下さい。私も本来の仕事に戻りたいですし」

 静かな怒りに気圧され、シルビアは脅えた様子ですぐに席を立つ。逃げるようにそそくさと奥の部屋から店内へ出ていく。

「あれ、もうお帰りですか??」

「あんたんとこの小娘はとんだ冷血女だよ!他で頼むことにするから!!」


 シルビアは叩きつける勢いで扉を乱暴に開け、店から出て行く。

 開け放された扉の影には、彼女と同じくらいの年頃の女達――、厚化粧に胸元を強調するドレスを着た娼婦仲間数人が心配げに待っていた。怒り心頭のシルビアは、無言でズンズン足早に帰路を突き進んでいく。慌てて仲間達が彼女の背を追いかける。


「……他じゃ無理だと思うんだけどなぁ……」

 シャロンが困ったように、呆れたように呟くと、いつの間にか彼の隣にはグレッチェンが。

「一体、君は彼女に何を言ったのかね??」

「…………」

 グレッチェンの唇の両端を、キュッと固く引き結んでいる。

「シャロンさん。どうして母親とは、異常なまでに我が子に執着するのでしょうか……」 

「それは、自らの命を賭して、死に物狂いで子を生み落すからじゃないか??」

「……私には、理解できません。ただ産むだけでなく、子供がしっかり自らの足で生きていけるようになるまで育て上げることが出来てこそ、初めて母親の資格が得られると思うのですが」

「落ち着け、グレッチェン。未熟な母親と接すると、つい感情的になってしまうのは君の悪い癖だ」


 シャロンに窘められると、グレッチェンはハッと我に返り、「……すみません」と深々と頭を下げて謝罪したのだった。

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