灰かぶりの毒薬
青月クロエ
Lies and Truth
第1話 Lies and Truth(1)
(1)
「カナビスチンキが切れたから、新しいのをおくれよ」
黒檀製の細長いカウンターに女がひとり、肘をつく。カウンターの奥には年季の入った焦げ茶色の棚が三つ。どの棚の段も五つ。段ごとに成分別もしくは効能別に薬瓶が細かく分類され、隙間なく並んでいる。
カウンター内に佇む店員は、慣れた手つきで真ん中の棚、三段目からカナビスチンキの薬瓶をサッと取り出す。代金を支払いがてら、女は疲れた顔でため息混じりにぼやく。
「最近、月のモンがくる度お腹が痛くてさぁ……。これがないと辛いんだって」
「月経時の不調は何かと身体に障りますからね。ただ、カナビスチンキは劇薬です。使い過ぎると身体に悪影響を及ぼすので乱用は絶対止めて下さい」
「あんたは親切だよねぇ。他の薬屋ならそんなこと一言も教えてくれやしないんだから。ま、これでしばらくは痛みがやわらぐし、助かるよぉ。ありがとう、グレッチェン」
女は薬瓶が入った袋を手に提げると、空いている方の手を上げて店員――、グレッチェンに礼を言い、退店した。玄関扉が閉まったのを確認しがてら、グレッチェンは扉上部の壁時計を見上げる。時刻は三時を回っている。
ここは、夕方から夜にかけて活気づく歓楽街の薬屋。営業時間は正午から夜遅くまで。その営業時間内に顔を出してくれるなら、別に問題はない。
(放っておいたらずっと寝ている可能性も大なのよね)
今度は天井を仰ぎ、ふぅ、と息をつく。アッシュブロンドの短髪が、吐き出された息で微かに揺れる。華奢な身体に真っ白なシャツ、サスペンダー付きズボン姿なので、一見すると小柄な少年にしか見えない。
そのグレッチェンが先程からしきりに気にしているのは、この店の二階に住む店主がちっとも店に降りてこないことだった。大方、酒場で飲み過ぎて二日酔いに苦しんでいるか、行きずりの女性と愉しい一夜を過ごして体力を使い切ったか。もしくは――、三番目に思いついた理由であれば、このまま寝かしておいてあげてもいい。最も、一番と二番なら問答無用で叩き起こすのみ。
店主が私室で爆睡していようが、グレッチェン自身は仕事を一通りこなせる。むしろ、店主よりも仕事の要領を得ているので、正直、彼が店頭に立とうが立っていなかろうが何の問題もない。
しかし、病気や身内の不幸、その他事前に何らかの用事とかでもないのに仕事をサボるなど、言語道断。店主に言わせれば、『君は少々堅物すぎる』とのことだが、グレッチェンに言わせれば、『貴方がだらしないだけです』なのだ。
だらしない店主を叩き起こす決意を固めると、一応の用心のため、玄関扉の内鍵をしっかりと閉める。そして、カウンター内の薬棚の横、店内奥に続く扉を開ける。扉を開けてすぐ、店主の住む二階に続く階段を静かに駆け上がっていく。
「シャロンさん、もうすぐ三時半になります。店はとっくに開いていますし、お客も何人か訪れています。いい加減、起きて下さい」
穏やかで淡々としているのに、妙に威圧感を含んだ声で呼びかけ、扉を叩く。返事は、ない。何度か同じことを繰り返した後、部屋の主に聞かせるかのようにわざと盛大に溜め息を吐き出す。
「……失礼します!」
問答無用とばかりに中に押し入ってみれば。
床の至るところに、くしゃくしゃに丸めた書き損じの紙が捨てられ。数多くの医学書や薬学書が山脈のように積み上げられている。脱ぎ散らかした衣類が散乱し、ジンやラム、エールなど安酒の瓶もあっちこっち転がっている。机の上も床と同様の物達が占拠し、大量に積み上げられていた。
確か、つい一週間前、強制的に部屋の掃除と片付けをした筈なのに。
どうして。短期間の内に殺人的な汚部屋と化してしまうのか。
これも、ある意味での才能、かもしれない。
額に手を押し当て、無言で大いに呆れ、嘆いてみせるものの、すぐに頭を切り替える。ただ嘆くだけでは何の生産性も生み出さない。とりあえず、今すぐやるべきことを。
グレッチェンは、ベッドにまだ伏している店主に向かって、さっきよりも厳しい口調で言い放った。
「シャロンさん。私が一〇数える間に起きないのでしたら、強制的にシーツを剥ぎ取ります。いいですね??いーち、にーい、さーん」
店主が起き上がる様子は微塵もない。グレッチェンはどんどん数字を数え上げて行く。
「きゅーう、じゅ……」
「……グレッチェン、私は子供じゃないんだぞ……」
ようやく被っていたシーツを捲り上げ、涼しげな顔立ちの優男、店主ことシャロンが観念したように呻いた。癖のない黒髪をがしがし掻き、よろよろと身を起こす。
「シャロンさん、早く身支度整えて店に降りてきてください」
グレッチェンは腕組みをしながら、起床したシャロンを鋭く見据える。怜悧な薄灰の瞳の鋭さに、ダークブラウンの瞳が気まずげに泳ぐ。
「反論や言い訳は結構です」
「…………」
ぐうの音も出ない、と言った体で、シャロンは渋々とベッドから抜け出した。
「私がいては着替えにくいでしょうから、先に店に戻ります。一〇分以内に来てくださいね」
「分かった、分かった……」
クローゼットの中から服を探し出しているシャロンを尻目に、グレッチェンは彼の部屋を後にした。
(2)
「シャロンさん、私は一〇分以内に来てください、と言いましたよね??一〇分どころか、十五分も経過しています」
「たかが五分の遅れくらいで、そんなに騒ぎ立てないでくれないかね」
先程のだらしない姿と打って変わり、薄茶色の三つ揃えスーツを着用するシャロンはどこからどう見ても紳士にしか見えない。
すっきりと整った目鼻立ちのシャロンは、三十過ぎとは思えない爽やかさ、異性慣れした態度から女性によくもてる。グレッチェンが彼を叩き起こした理由の一つとして、彼を目当てに店を訪れる女性客の相手をしてもらいたかったから。
この店の顧客は歓楽街で働く女性――、つまりは娼婦が大半を占めている。それというのも、この店自体が一般的な薬屋ではなく、月経痛や婦人病の薬、身体の冷えを改善する漢方、媚薬、精力剤、避妊具、性交時の潤滑剤など、女性の身体や性に関わる薬、道具を数多く販売する、少々変わった店なのだ。
案の定、夕方から夜になるにつれて、店には客引きに出向く前の娼婦達がポツポツと訪れ始める。今日は避妊具(と言うが、その実ただのスポンジで、それを膣の中に押し込むだけの、申し訳程度のものだが)と潤滑剤がよく売れる。
媚びた笑顔を浮かべ、シャロンと世間話を交わす若い娼婦を横目に、スポンジと潤滑剤を多めに仕入れておいて正解だった、などとグレッチェンが胸を撫で下ろしていた時だった。
「お兄さん、阿片チンキを一つ頂戴」
柔らかい栗毛を雑に編み込み、やけに濃い化粧を施した女がグレッチェンに呼びかけてきた。彼女もおそらく娼婦だろう。
「申し訳ありません。阿片チンキはうちの店では取り扱っていないんです」
「何だい、薬屋の癖に阿片チンキが置いていないなんて。品揃えが悪いにも程があるね」
頭を下げたグレッチェンに女はチッと舌打ちし、悪態をつく。
阿片チンキは婦人病の鎮痛剤や咳止め、むずがる幼児への気付け薬として使用されている。値段が安価なので庶民に広く愛用されている反面、副作用で阿片中毒に陥りやすく、最悪死に至る場合がある。阿片チンキの過剰摂取による死亡事故は後を絶たない。
「あのねぇ、シャロンさんが言ってたけど、阿片チンキを使い過ぎると死んじゃうんだってさ。だからこの店には置かないのよ。シャロンさんはねぇ、顔もいいけど頭もすっごくいい人なんだよ??元々は医者目指して王都の大学行ってたくらいなんだから!」
「いやいや、昔の話ですよ。お恥ずかしい」
「カナビスチンキだって似たようなもんだから、本当はお店に置きたくないんだよねー??」
「えぇ、まぁ……。だから、よく注意喚起した上で売ってるんですよ」
「そ!そういうこと!!あと、グレッチェンは男みたいな
シャロンと喋っていた若い娼婦は、訳知り顔で女に忠告し、退店していく。
女は不服そうに表情を歪めているが、店から立ち去る気配は一向にない。それどころか、若い娼婦の姿が見当たらなくなると、再びカウンターに近づき、今度はシャロンに話しかけてきた。
「あんたがこの店の店主かい??」
「ええ、そうですが」
「ふぅん、こんな坊やのような顔して」
一瞬、シャロンの笑顔がほんの僅かに固まった。いちいち一言多い女の態度に、グレッチェンは内心ハラハラしていたが、とりあえず黙って動向を窺っている。
シャロンとグレッチェンの間に流れる緊迫した空気に構わず、女はカウンターに両肘をつき、身を乗り出す。そして、シャロンに顔を近づけて、ひそひそと小声で話を切り出す。
「……噂を小耳に挟んだけどさぁ、『確実に人を殺せて、絶対に証拠が残らない毒』をこの店で売ってる、って聞いたよ。それは本当なのかい??」
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