第3話 Lies and Truth(3)
(1)
シルビアが店を去った後、何事もなかったかのようにグレッチェンとシャロンは通常業務に勤しんでいた。
「グレッチェン、たまには飲みに付き合ってくれないか」
閉店時間直前、午後八時半に近づいた頃。本日の売り上げを帳簿に書き綴っているとシャロンに誘われた。グレッチェンは顔を上げるどころか、シャロンにちらりとも目をくれず、帳簿にペンを走らせている。
「お断りします」
「つれないなぁ」
「昨夜も朝まで飲んでましたよね??」
「な、なぜ分かったんだ……」
「勘です」
「君は恐ろしい女性だな……」
「貴方の行動が分かり易いだけです。冗談はさておき、シャロンさんはもう若くないのです。お酒の飲み過ぎが原因で身体を壊しでもしたら洒落になりませんよ」
筆立てにぺンを戻し、静かに帳簿を閉じる。やはりシャロンに見向きもせず、帳簿を元の保管場所、奥の部屋の本棚に戻しに行こうとした。
「そうか、仕事であれば付き合ってくれるのだな??」
『仕事』という言葉に、自然とシャロンを振り返る。やっとこちらを見たか、と、ばかりにシャロンは意味ありげに微笑んだ。
「今日は情報収集をしに行こうと思ってね」
「情報収集……、何の、でしょうか??」
「今日、君の毒を求めた女性の身辺調査だよ」
「その必要はありません。私は彼女に毒を売る気なんてないのですから」
「そう言うと思ったよ」
言わんとする意味が掴めず、怪訝な顔するグレッチェンにシャロンの笑みは益々深まる。
「彼女、ドハーティーの売春宿の娼婦だろう??少しだけ、君達の話を盗み聞きさせてもらったよ」
「悪趣味な真似をしないでください」
グレッチェンの機嫌は明らかに傾いていく。シャロンは反論が繰り出されるよりも先に、言葉をたたみかけていく。
「ドハーティは歓楽街でも評判がすこぶる悪い男らしい。君は、あの女性の、不自然なまでの厚化粧が気にならなかったか??」
「いえ、特に。あぁ、でも……。もしかしたら、日常的に暴力を振るわれているせいで、顔に痣か怪我でも負っているのを隠す為かも知れませんね」
「それも理由の一つだろう。あの女性は年齢の割に皺が多いし、崩れた顔立ちをしていた。おそらく阿片中毒による後遺症だ。阿片チンキを欲しがっていたしね」
「だから何なのです??仮に彼女が阿片中毒者だったとしても、私が毒を売るか売らないかの判断材料にはなりません」
「自ら好んで阿片を使用しているのであれば、私も放っておくつもりだよ。ただ、もしも、ドハーティによって強制的に阿片を与えられていたとしたら……」
「その時は、彼を毒で始末するべき、とでも??」
この店の先代の店主、シャロンの父は重度の阿片中毒者で、実に三十年近くもの間、厚生施設に入所している。
父親が存命にも拘わらず、母子家庭のような状況で育ったシャロンは阿片の危険性を世に広め、後遺症に苦しむ人々を救いたいがために勉学に励み、医者を志していた。加えて、数年前、とある事件をきっかけにシャロンの父が廃人化した原因を知って以降、彼の、阿片及び阿片を悪用する者への憎悪の念は一気に増長していた。そのすべてをグレッチェンは周知し、理解している。ゆえに、神妙な面持ちながらも素直に首肯した。
「……分かりました。シャロンさんがそうまで仰るなら、私は従います」
「言っておくけれど、あくまでもそれは最終手段。私だって本当は君に人殺しなどさせたくないんだ」
「……分かっています」
涼しげなダークブラウンの双眸に、苦悩の色がちらついている。
気づいていない振りをするため、グレッチェンは微苦笑でごまかした。
(2)
閉店作業を終え、表玄関も裏口も施錠し、二人連れ立って歓楽街の雑踏へ消えていく。夜はこれからだとばかりに、通りに連なるパブや大衆食堂からは明々とした灯りと客達の笑い声が漏れてくる。科を作って誘いかけてくる娼婦達をあしらいながら、二人はとある大衆酒場へと向かう。
やがて、赤茶色の塗炭屋根と漆喰塗りの白壁、横長の造りをした一階建ての建物が見えてきた。玄関扉の前には『大衆酒場ラカンター』という立て看板が。
扉を開けると、正面のカウンターから少し枯れた低い声の男が「いらっしゃい」と呼びかけてきた。
「何だ、また来たのかよ」
「ハル、客に向かってその言い草はないだろう」
「あぁ、そういやお前は客だったっけ」
「あのなぁ……」
シャロンはカウンターの中で煙草を咥えている男――、ここの店主ハルと憎まれ口の応酬を交わしながら、カウンター席に腰掛けた。
「ん??今日はグレッチェンも一緒なのか。仕事が終わった後もシャロンのお守りとは……。ご苦労なこった。あぁ、二人とも、いつものでいいな??」
ハルは軽口を叩きながらも、二人分の『いつもの』を手際よく用意する。シャロンにはグラスに注いだスコッチを、グレッチェンにはレモネードの瓶を。
口は悪いが端正な甘い顔立ち、ジゴロ風の色男のせいか、瓶の
何せ、この二人。同い年かつ(本人達は全力で否定するが)幼なじみなのだが、若かりし頃、シャロンが当時のハルの恋人を奪い、白昼堂々乱闘騒ぎを起こした仲なのだ。十数年経った今でこそ和解しているものの、未だ二人の間には微妙な空気が残っている。
「まぁまぁ、ボス。あんまりシャロンさんをイジめちゃかわいそうっすよー」
赤毛と鳶色のどんぐり眼が特徴的な、やけに大柄な体格の従業員がすかさず二人の間に割り入ってきた。
「いいんだよ、シャロンの扱いはこれで」
「うわ、ひっでぇ」
「ランス、喋ってないでマリオンと舞台で何か弾けよ。客が退屈し始めてる」
「へーい。おーい、マリオン。ギター持って舞台に行けってよ」
「うん、わかった」
カウンターの更に奥、厨房から聞き慣れない声がしたかと思うと、中から女性と見紛う程線の細い、銀髪の青年が姿を現した。新しく雇った従業員らしく、青年は二人に軽く頭を下げると、ギターを取りに厨房の隣の部屋へランスロットと入っていった。しばらくして、二人の青年はそれぞれギターを腕に抱え、カウンターの右隣にある低い舞台に上がった。
「グレッチェン、二人の演奏が聴きたいんだろう??どうせ閉店間際になるまで、ハルに例の話を切り出すことは出来ないのだから、それまでは君の好きなようにしてればいい」
「ありがとうございます」
グレッチェンはおずおずと席を立ち、舞台に近いテーブル席に移動した。
「グレッチェンも大分変わってきたな」
姿勢よく椅子に腰掛け、少しずつレモネードを口に含みながら演奏に聴き入るグレッチェンの横顔を、シャロンと共にカウンターから眺めていたハルがしみじみと呟く。
「九年前、突如大学を辞めたお前と一緒にこの街にやって来た時なんて、悲惨な状態だったが……」
シャロンは当時のグレッチェンを思い返してみる。
病的なまでに痩せこけた身体、青白いを通り越して土気色した顔色。血の気のない青紫色の唇、死んだ魚のように虚ろで茫洋とした瞳。腰まで伸び切った髪は、本来のアッシュブロンドの艶が一切なく、灰色味ばかりが異様に目立っていた。
まるで、大量の灰を頭から被ったかのようだったし、何より彼女の本名は『アッシュ』だった。
『私が生まれたせいで母は死にました。だから、お父様とお姉様から憎まれるのも当然なんです』
高熱に魘されながら、息も絶え絶えに何度となくそう繰り返す度に、『アッシュ、それは違う。君は何も悪くない。悪くないから……!』と、小さな掌を握りしめて、一晩中言い聞かせたものだ。
(……なんて、感傷に浸っている場合じゃないけれど)
今夜はラカンターにしては珍しく客入りが少ない。
テーブル席にはグレッチェンの他に先程の女性客二人、他は隅の席で中年男性が一人静かに酒を飲んでいる。カウンター席にはシャロン以外、誰も座っていない。
これなら、閉店間際まで待たなくてもハルから情報を聞き出せるだろう。
「ハル。今日はお前に訊きたいことがあって、ラカンターに来た」
「……だろうな。グレッチェンがついてきたってことは、そうだと思ったぜ」
おどけたように眉を擡げるハルに、シャロンは四つ折りに畳んだ紙切れをベストの胸ポケットから取り出し、素早く手渡した。ハルは紙の文面に一通り目を通すと、「シャロン、書くものを何か貸してくれ」とペンを借り、渡された紙に情報を書き足した後、シャロンの手の中へ押し込む。
紙を広げ、内容を確認する内に、シャロンの表情が徐々に険しいものに変化していく。
「そういうことだ。あいつは正真正銘の屑だから、煮るなり焼くなり好きにしろ」
「…………」
ハルは咥えていた煙草を指に挟むと、わざとシャロンの顔に煙を吹きかけたのだった。
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