七輪目
私があの場所に着いた時にはまだ星羅ちゃんはいなかった。抜け出すタイミングを待っているのかもしれない。
そう思って私は座って待っていた。どんどん暗くなっていく空とひまわりを見つめたいた。綺麗な黄色は少しずつくすんだ黄色になっていった。
すると、後ろから物音がした。少し身構えて出入り口を見ていると、二つ結びの彼女が姿を現した。大きめのリュックを持って来ていた。
「ごめん、遅く、なった。」
右手を頭に当てて「えへへ」を笑う彼女は嬉しそうだった。そんな笑顔を見た私は釣られるように頬を緩ませてしまった。
「ううん、大丈夫だよ。見つからなかった?」
「うん。抜け道を、知ってたから。」
「そっか。じゃあ、覚悟は、いいね?」
「…うん。いいよ。行こう、一緒に。」
星羅ちゃんに向けて差し出した私の手を取った。彼女の柔らかくて、少し冷たい手を強くギュッと握った。すると、彼女も私の手を握り返した。恐怖ですくんでしまいそうな足に力を入れて、二人で歩き始めた。
「…ところで、どこに、行くつもり、なの?」
「うーん、私のお婆ちゃんの家に行こうかと思ってる。電車やバスはすぐにバレちゃうから、歩いて行くことになる、かな。それでも大丈夫?」
歩き始めてからの十数分間、会話がなかったが、思い出したかのように私に聞いて来たのが最初だった。
知らない土地で、知らない言語が溢れている所をたった二人で彷徨うなんて、不安になる。私は、あらかじめ考えていた案を彼女に伝えた。
「うん、大丈夫。夏輝と、一緒なら。」
私を見て微笑んでくれた彼女はキュッと繋いでいる手に力を込めた。私は、それに答えるように握り返した。
「でも、もう少し歩いたら休もう。暗い中の移動の方が見つかりにくいと思う。」
「うん、分かった。」
明るい時に歩くとすぐに見つかってしまうので、危険かもしれないけど、夜の間に動くしかない。暗い、怖い、どうしようもない不安が襲ってくる。
家を出る前とはまた違った不安だった。指先が、どんどん冷たくなって行く感覚がする。
「…夏輝、大丈夫? 休む?」
不安な私を察したのか、星羅ちゃんが眉を下げて私の顔色を見るように近づいて来た。
「…ごめん。ちょっと、休もうか。そこに、公園があるから。」
私がそう言うと黙って頷いて近くにある公園まで歩いた。緑で囲まれているその公園の奥にあるベンチへと座った。私は、持って来ていたお茶を飲んだ。
星羅ちゃんは隣でただ上を見ている。彼女が何を見ているのか気になったので同じように上を見てみた。
「うわ…キレー…」
そこには、キラキラと輝いた星々が大きな黒い幕の中で散りばめられていた。大きい星、小さい星が懸命に光っているのを見て、思わず溢れてしまった。
「今日は、月が、ないね。」
「本当だ。新月なのかな。…そういえば、この前私に言ってたこと、どんな意味だったの?」
「あー… あれ? あれはね、『月が綺麗ですね』って、英語では言うのかな? でも、直接翻訳しただけ、だから、意味が違うかも。」
一瞬、焦ったような顔をして下を向いたが、ちょっと考えてからもう一度空を見つめながら言った。私は、「へー…」とだけ言ってそのまま輝いている夜空を眺めていた。
そういえば、ゆっくり夜空を見つめたのはいつぶりだろう。こんなにも綺麗な星が見えることを私は知らなかった。すると、隣で小さく彼女が呟いた。
「…月が、綺麗ですね。」
「…? うん、そうだね。」
今日は月が見えないはずなのに、何でこんなこと言うんだろう?と思ったけど、ふと見た彼女の顔は切なそうにしていたので、私はそのまま一緒に星空を眺めていた。
「…い、…つ…ったか?」
「…だ。…こに…ん…」
二人で見つめていると、遠くから騒がしい声が聞こえて来た。彼女も気づいたようで、耳をすませた。
「…おい、見つかったか⁉︎」
「まだだ。早く探し出さないと、大変なことになるぞ!」
複数人の男性の声だった。変な汗が背中を伝った。しまった、もう探しに来たか。声が聞こえる人達が探しているのは、きっと私達だ。
それに、聞き覚えのある声。この声は、私の担任の声だ。
「星羅ちゃん、見つかっちゃう。逃げよう!」
彼女の方を見て手首を掴んだ。見た時に星羅ちゃんの顔は真っ青になっていた。私が掴んだ手首からも伝わる程震えていた。
「ほら、早く!」
私が急かすように言うと、彼女は立ち上がって一緒に走った。すると、後ろから声がした。
「見つけたぞ! 待て!」
その声が聞こえた時にはすでにこの公園を出て必死に走っていた。足が途中でもつれそうになった時もすぐに立て直してとにかく走った。今まで、こんなに走ったことがないくらい。
それでも、大人達の方が走るのが早い。どんどん声が近付いてくる。どうする、このままじゃ二人とも捕まってしまう。どうする、どうする。
頭をフル回転させて考えていると、一軒の空家が目に入った。
「星羅ちゃん、あそこに隠れよう!」
彼女は必死に走っているからなのか、首を縦に振ってそのまま一緒に走って中に入った。
中はかなりボロボロで、所々壊れているのが分かる。窓は割れており、ゴミがあちこちに捨てられている。ハァッハァッと息を切らしながら隠れる場所を探した。きっと、先生達はここに逃げ込んだのを見ていたと思う。だから、見つからない場所を探さないと。
「夏輝、ここ、どう?」
さっきまで黙っていた星羅ちゃんが私の服を掴んで指を差したのは大きめのクローゼットだった。ベタかもしれないけど、二人で隠れるならあそこが一番かもしれない。
「うん、ここにしよう」
私と星羅ちゃんはそのクローゼットの中に入ることにした。中はもちろん空になっていたので二人で星羅ちゃん、私の順番で入って静かに待つことにした。
「…!」
「…⁉︎」
もう来たのか、そう思うと震えが止まらない。見つかったら、どうしよう。退学では、済まされない。星羅ちゃんも、どうなるかなんて分からない。
嫌なことが頭の中をぐるぐると巡って、冷たくなった手を摩った。すると、彼女が私の手を包み込むように握って来た。私はビックリして少し固まってしまった。
「あ、あの、星羅、ちゃん…?」
「これで、温かい?」
目の前にある彼女の頬と鼻は少し赤くなっていた。彼女も寒いのに、私のことを考えてくれるなんて。柔らかく微笑んでいる彼女に、私も同じように微笑んだ。
「星羅、ちゃん。」
「? なぁに?」
「もし、会えなくなったら、十年後。あの場所で会おう。きっと、いや、絶対に迎えに行くから。だから…」
「うん。もちろん、だよ。」
最後まではっきり言えなかった私の言葉に対して、彼女は少し喰い気味に頷いて、私の手を強く握っていた。
ああ、神様。
この一瞬を、永遠にしてくれませんか。
私らしくないけど、こんなことを願うなんて、癪だけど。
彼女と、ずっと一緒にいたいんです。
お願いです、神様。
私は、強く、強く、そう願った。今まで神様なんてあてにしなかったくせに。いつも、サボってばっかで悪い事をいっぱいしていたくせに。
藁にもすがる思い、なんてどこかで聞いたっけ。
バカにしていたけど、今なら分かる。
そう、強く願った結果。
扉が開く音と共に、私達の願いは大きな音を立てて崩れ去っていった。
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