六輪目

二人で太陽が沈んだのを見送った後、暗くなったひまわり達を見つめていた。時間なんて考えもせず、ただひたすら見つめていた。


気付いた時にはすでに八時を回っていた。彼女もさずがに戻らないとまずいと思ったようで、「帰ろ。」と微笑んで私に言った。


それに対して少しだけ頷いて、その場所を後にした。




帰り道、彼女の言っていた言葉の意味を考えていた。日本語なんて、勉強したことないからどうしようかな、なんて呑気に考えていた。


家に入った時、リビングからお母さんが出て来て、「もー!遅い!」と軽く怒られた。「ごめんごめん。」と言いながら彼女のことを考えていた。


大丈夫かな、ちゃんと帰れたかな、なんて心配していた。


「ほんと、重症だな、私。」


「え?何か言った?」


「ううん。何でもない。」


小さく呟いた言葉は誰の耳にも届くことはなかった。




***



次の日には学校に行った。一日休んだからといって勉強が遅れるとかはないので大丈夫なのだが、この学校が自慢している天才がいないとなると話が変わってくるらしい。


そんなことは気にもとめないけどね。何だかんだで担任や校長先生に色々話された後、そのまま教室へと向かった。


教室に入ると、いつもに増して他のクラスメイトの視線が痛かった。そんなのは無視して、自分の席に着く。座ってからも彼らからの視線やヒソヒソ声は変わらなかった。


「またアイツかよ… どんだけ特別扱いされたいんだろうね。」


「そりゃ、自分の気が済むまでじゃない?」


「ほんと、図々しいよね。」


などと言った悪口が次々と聞こえて来た。悪口言うならせめて聞こえないようにしてよ、なんて心の中で毒を吐く。

そんなこと言ったら、もっと面倒なことになるのは分かっているから黙ったまま空を見つめる。


「おーい、お前ら席につけ〜」


タイミング良くか悪くか、担任が入って来た。一箇所に集まって来た生徒達はすぐにバラバラになり、各自席に着いた。教卓の所に立った先生は、今日の予定を順次話し始めた。私は、先生の話に興味が湧かなかったので、そのまま空を見続けた。


「…と言うことで、交流団の人達は明日の朝に帰るらしい。ってことで、今日はお前ら自習な〜 俺も他の先生も、そっちのおもてなしで忙しいから、問題起こすんじゃないぞ〜」


『自習』と言って他の生徒達は浮き足立っていた。先生がいないのなら、何でも出来るってことなので、何をしようか考えているようだ。

そのまま担任は出席を取り、黒板に大きな文字で『自習』と書いてそのまま出て行った。


先生がいなくなったと同時に教室が騒がしくなった。お互いにお喋りをしたり、他の事をしていたり、遊んでたりしているようだった。

私はというと、誰も話しかける人がいないので、もう一度窓から見える空を見つめていた。


「暇、だなぁ…」


ざわざわと騒がしい教室の中で呟いた私の声は誰も聞こえていない。この空間から、早く逃げ出したいのに。


ふと、昨日のことを思い出した。嫌な場所の中で、あの記憶だけが淡く光っているような気がした。


思わず出てしまったあの言葉。


あの時はかなり焦ってしまったが、今は言って良かったんじゃないか、と思っている私がいる。きっと、会うとしたら今日が最後だろう。


今日は授業が午前だけで終わる。その前に、一回あの場所へ行ってみよう。


そう決めたら動かずにいられなかった。直ぐにカバンを持って、他の子達に気づかれないようにコッソリと扉を開けて外に出た。


そこからは走った。他の先生に見つからないよう、細心の注意を払って、急いだ。あの場所に、彼女がいるか分からないのに。あと少しで玄関に出れると思った時、声が聞こえた。


「…我想休息啊。可以吗?」


「可以可以。好好休息吧。」


「谢谢老师。」


中国語、だろうか。英語ではないことは確実なので、ここにいる人達の言語を考えると、おそらく中国語なのだろう。でも、片方は聞き慣れた声だった。


パタパタと一人だけ去って行く音が聞こえたので、少しだけ顔を出して覗いて見た。すると、そこには見慣れた黒髪で二つ結びの彼女がいた。


「星羅、ちゃん?」


思わず声をかけてしまった。すると、私の声に気づいたのか直ぐに振り返った。


「あ! 夏輝!」


キラキラした笑顔で私に近づいて来た。さっきの声とは違って、いつもの優しい声だった。さっきまで少し低めの声で会話していたから、何かあったのだろうか。


「何を話していたの?」


「あ、さっきは休憩したいって、先生に、話してたの。」


「そうなんだ。中国語?だったから、全然分かんなかった。」


「ふふ。仕方ないよ。夏樹は?こんな所で、どうしたの?」


少し首を傾げて聞いてくる彼女は可愛らしい。私より少し低めの身長なので、どうしても上目遣いになる。


「ちょっと、あの場所に、行こうと思って…」


前もこんなこと言った気がするなぁ、なんて思っていると彼女が私の手を取って嬉しそうに言った。


「私も! あの場所に、行きたくて、休もうと思ったの。ほら、会えるのが、今日で最後、じゃない?」


「…そう、だね。」


相槌を打つことしか出来なかった私は、彼女の目を見ることが出来なかった。彼女は、さみしくないのだろうか。私と、これから先会えるのかも分からないのに。


「じゃ、行こう!」


変わらない笑顔で私の片手首を掴んで連れて行った。私は、釣られるようにして彼女の後を追った。掴んでいる彼女の手は、いつもより強く握られているような気がした。



***



「この時間は、暑いねぇ」


そう言って着ている服をパタパタと動かしている。私は視線を逸らして軽く頷いた。そして、少し日陰になっている所を見つけて二人で座った。

表面からジワリと汗を感じるこの時間帯はいつも一緒にいるときよりも暑く感じる。


「…明日、帰るんだよね?」


さっきの話を蒸し返すように聞いた。本当は聞きたくなかったけど、聞かずにはいられなかった。すると、彼女の雰囲気が変わった気がした。


「うん。明日の朝、帰らないと、いけないんだ。だから、今日は、ずっと夏輝と一緒に、いたいと思ったの。」


「…そっか。」


静かに話す星羅ちゃんの話に私は耳を傾けていた。この環境が一生続くわけじゃないんだ。それを考えると、また胸が苦しくなった。彼女が隣にいるのに、下を向いてしまった。


すると、彼女はいきなり立ち上がって何処かへ歩いて行った。私は、彼女の姿を見たいと思う気持ちと、見たくないと思う気持ちが両方あって顔を上げれなかった。




「この時間が、永遠に続けばいいのに。」




「ん?夏輝、何か言った?」


目の前から声がしたので顔を上げると、そこにはひまわりを一輪持った星羅ちゃんがいた。不思議そうな顔をして私を見ていた彼女は、私の目の前にひまわりを差し出した。


「え…っと、これ、千切ったの?」


「違うよ! 取ったの。夏輝に、あげたくて。」


焦っているように話す彼女の反応に思わず笑ってしまった。その笑い声にビックリしたのか、目を大きく開いてあたふたしていた。


「もう、ダメじゃん、千切ってきたら。」


「ち、違うよ⁉︎ 夏輝に、プレゼントしたかったから、だからね!」


必死に話している彼女の反応は更に私の笑い声を大きくした。こんなにも学校で笑ったのは久しぶりかもしれない。楽しくて、楽しくて、明日彼女が帰ってしまうことなんて考えられなかった。


「これ、プレゼント、だよ。私、前まで、紫にしか見えなかった。けど、今はね、綺麗な黄色に見えるよ。だから、これは、お礼のプレゼント。」


会ったばかりの時に『紫色に見える』って言っていたな。あの時にはこんなにも仲良くなるなんて思わなかったけど、星羅ちゃんと知り合って良かったと今なら思う。


「…うん、ありがと。」


悲しい気持ちと、嬉しい気持ちが入り混じって上手く笑えたのか、分からなかった。それでも、彼女のプレゼントは私の気持ちを明るくするには十分だった。


受け取った私の顔を見て彼女は少し複雑そうな顔をしたけど、直ぐに微笑んだ。そのまま彼女は私の隣に座った。


「…でも、本当は、帰りたく、ない。」


小さかったけど、私ははっきりと聴き取ることが出来た。その言葉に対して、何も言えなかった。私も、同じ気持ちだよって言いたかった。


けど、この一週間は大人たちが勝手に決めたことで、私達ではどうしようも出来ない。更に、二人で仲良くしているのがバレてしまったら、私も星羅ちゃんもタダでは済まないだろう。


ましてや、私の気持ちなんて知られたら、彼女は酷い目に遭うのは確実だ。


そんなことが頭の中をグルグルと回って、何も返す言葉がなかった。そして、やっと出てきた言葉がこれだった。


「…一緒に、逃げちゃおうか。」


「…え?」


私の言葉に驚きを隠せない彼女は私の目を見た。その目はさっきと同じように大きく見開いていた。


「一緒に、逃げよう。遠くに、遠くに。そして、一緒に暮らそう?」


自分でも言っている事にビックリしていた。それでも、スラスラと出てくるその言葉に固まっている彼女は何も言わない。

言わなければ良かったかな、と思ったがすでに遅い。何か言うのを待った。


「…うん。そうしよう。」


「…え?」


「一緒に、逃げよう。」


大きく見開いていた彼女の目は、強い眼差しへと変わっていた。私の思いつきに賛成してくれたのは本当に嬉しかった。


「分かった。じゃあ、私、一回家に帰って色々持ってくるね。だから、星羅ちゃんはここで待ってて?」


「うん。分かった。待ってるね。約束、だよ?」


そう言って彼女は小指を出してきた。私はよく分からず、首を傾げていると、彼女が説明してくれた。


「これはね、昔の日本人が、約束する時に、使ってたやつ、だよ。小指を出して?」


私は言われた通りに彼女とは反対の手の小指を出した。そして、お互いの小指を絡めて何かを歌い始めた。そして、スッと彼女の小指が離れた。


「これで、大丈夫。私も、準備するから。また、あとでね。」


そのまま星羅ちゃんは先に入口へと向かった。私は、「うん。」とだけ言って彼女の後ろ姿を見送った。これから、長い、長い旅が始まる。私と、星羅ちゃん、二人だけの旅。


そう思うと、胸がまた苦しくなった。私が、彼女を守るんだ。その強い意志を心の中に秘めて私も自分の家へと向かった。



***




「とりあえず、こんなもの、かな。」


一人で呟いた言葉は静かな家の中で響いた。お母さんも仕事だし、きっと帰ってきたら気づくだろう。心配させたくないから、置き手紙でもして行こうかな。


固定電話の隣にあるメモ用紙を千切ってお母さんへメッセージを書いた。




『お母さんへ


私は、大好きな人と一緒に遠くへ逃げます。


お母さんには、迷惑をかけません。


いつか、帰って来ます。


今まで、ありがとうございました。


夏輝』


「これで、いいかな。」


書き終わった手紙を分かりやすいように、テレビの前にある机の上に置いた。時計を見ると、すでに夕方の五時を過ぎていた。


もうこんなにも時間が過ぎていた事に気づいて、急いで玄関へと向かった。次、いつ帰ってくるか分からないから、鍵を隠しておこう。そう思い、玄関の外にある植木鉢の下に置いた。


外から自分の家を眺める。不安な気持ちと、期待している気持ちが一緒になって襲いかかってくる。

泣きそうだけど、それでもお母さんとお父さんに迷惑はかけられない。お父さんはずっと会っていないけど、私のことを心配しているのを知っている。


だからこそ、一人で、彼女と一緒に立ち向かう。



「…よし。」


気合いを入れて私は荷物を詰めたリュックを持って、もう一度あの場所へと向かった。

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