八輪目
たった数時間の逃亡劇は、あっという間に終わった。
私達は、そのまま学校へと連れて行かれた。もう一人の男の人は、星羅ちゃんの引率の先生だったらしい。彼女はそのまま中国へと戻って行った。
何も、話すことなく。
私はと言うと、今回はお母さんが呼び出される程の大ごとになっていた。校長室に呼び出され、翌日には担任にも怒られた。
見つけ出された時には、担任は何も言わなかった。
ただ一言、「…バカたれ」とだけ言われた。
私は、てっきりこっぴどく怒られるかと思ったが、そうではなかった。担任は、担任なりに心配してたらしい。
校長先生は、今回はまだ全国に広まる前に止める事が出来たから、退学はないとのこと。小学生だけど、私立だから退学くらいさせられるかと思っていた。ただ、一週間、学校を休むように言われた。
今回のことについて私のお母さんは何も言わなかった。きっと、私の心の中を察していたのかもしれない。
一週間の休学は母方のお婆ちゃんの家で過ごすことになった。昨日、星羅ちゃんと向かおうとしていた家のお婆ちゃんだ。
お婆ちゃんは会って早々、「ゆっくりしてきな〜」と言って、色々お菓子とかをたくさん出してくれた。
そして、お婆ちゃんの家に来て三日目が経とうとしていた時に彼女の言葉を思い出した。
「お婆ちゃん、お婆ちゃんって日本語分かるんだよね?」
「ん〜? そうよ〜 なんせ、今年で九十になるからねぇ。何か、聞きたいことでもあるのかい?」
丸い眼鏡をかけて何かを編んでいるのを私は見ながら聞いた。
「あの、さ。『月が綺麗ですね』って日本語、知ってる? 私の友達が何度か言ってたの。意味を聞いても、教えてくれなくて…」
畳の上にあぐらをかいて座っている私は話しながら下を向いてしまった。彼女のことを思い出すと、どうしても胸が苦しくなってしまう。すると、お婆ちゃんは正座したまま私の方へと向き直った。そして、ゆっくりと話し始めた。
「…それは、その子は、本当にロマンチストな子だねぇ。それはね、まだ日本が戦争を始める前に有名作家『夏目漱石』が言ったことだよ。日本語はね、奥かしく、洗練された言語なんだ。それを表しているようなセリフだよ。」
「それは、どう言うこと? 他の意味が、隠されているってこと?」
「ああ、そうさ。それの本当の意味は、『I love you』つまり、『貴方を愛しています。』ってことさ。」
バサッと、手に持っていた本を落としてしまった。ああ、彼女は、そんなことを言っていたのか。それを、ワザと濁して、教えなかったのか。なんてことをしてしまったのだろう。
ポタリ、ポタリと畳に落ちてくる雨が自分の涙だということに気づくのには時間はかからなかった。お婆ちゃんは、そんな私の姿を見てティッシュの箱を私の前に置いてくれた。そして、そのまま続けた。
「…きっと、その子は言えなかったんだよ。自分だけ、好きなのは辛いから。その気持ちは、きっと誰にも知られてはいけないと思ったんだよ。」
そんなのは、私も一緒だった。この想いは死ぬまで誰にも言ってはいけない物だと思ったから。だって、辞書にはそう書いてあった。だから、黙っていたのに。
「何で… 何で、こんなにも不自由なの?」
やっと出た言葉は、心からの叫びだった。
過去の出来事を変えたら、私はもっと幸せになれたのか。
自由に勉強出来たり、遊んだり、人を好きになれたのだろうか。
そんな未来があるのなら、今の私は、この国は、本物の月が見えていない。
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