ケイオスボーイ ー上ー
「熱っ!」
「短かすぎだろ、それ」スプリフのジョイントを爪の先で摘んで持ち、根っこまで吸おうとして唇を火傷した金子に、運転していた湯賀がバックミラーを覗き込んで言った。
「It's gone……」
「
「やだね。そいつは粋じゃない」とヒリつく患部を舐める。
「効率悪いだろ。もったいないし」
「茶道と同じさ」と火が消えてしまったネタの先端を見て、その燃えカスを弾いて外に捨てた。「葉を巻く手間から始まって、火をつける動作、吸い込んで、むせて肺の毛細血管を膨張させて、煙を吐き出すまでの一連の所作が作法ともいうべきで、それが美徳、様式美なのさ。儀式といってもいい。金子流なんとかって作って家元になるかな。結構なお点前なんつって。百年後には教科書に載るぜ」
「まず、違法だから無理だな」と柴がつっこむ。「でも百年後はわかんねえな。百年もあれば時代がいくつも変わる。禁酒法なんてのもあったし、
「サラブレッドの三大始祖だって、そう呼ばれたのは後世だ。『初代に名門なし』というわけさ。
「イメージ戦略ってのが大事なわけだな。近頃は合法化されてる国じゃとにかくクリーンな印象を植え付けてる。綺麗な店舗、オシャレなパッケージ、有名人によるCM。印象操作さえすれば、どんなものだって善にも悪にもなる」と湯賀も賛同する。
「そういうことさ。大衆の意識なんてそんなもんだ。こうやって煙を吸い込むたびに、人の世の不条理や愚かさを痛感すると同時に、人生の意義を悟るのさ」
「THCの摂取で侘び寂びを見出すとはな」湯賀は金子の悦に入った表情を見て笑う。「
「達成感てやつだろ?わざわざ炭をおこして河原で食うBBQ肉とか?」柴が缶ビールをあおる。「もしくは雪山を登頂して、サイフォンで淹れるコーヒーみたいなもんかな。レコードと真空管アンプで聴くプログレ音楽とか」
「どうだろうな」と金子が首を振る。「そもそもお前が言ってたことだぜ」
「ああ。茶道やら大麻道やらってな。俺には全く理解できなかったけど」と柴。湯賀も小刻みに頷く。
「効率や合理性ばかりを求めちゃ、豊かな感性は得られないということさ。ファッション性も機能性とは反比例するものだろ」と金子の持論。「しかし、どうにもハイウェイクルージングとは相性が悪いな。なんとなく落ち着かない」
「一本でやめとけよ。せっかくの遠足なのに悪い方に入っちゃ台無しだぜ」
「そうだよ。
「ふん」と金子が鼻で笑う。「光合成かよ?これからお前のことデンプンマンって呼んでやるぜ。情弱相手にソーラーパネルの営業でもしたらどうだ?」
風も強いので速度は時速七十キロでクルーズ。左車線をキープ。一行は目的地へと長距離を突っ走っていた。休み休み来たものの、事故を起こさない限りは間に合いそうで、もうすぐ到着の見通しだった。心配なのは五十年前のUS製エンジンの耐久力だけで、事故より故障が気がかりだ。
「そういや、これ、いつ買ったんだよ。何台目だ?」金子が年季の入ったシートを指で押してクッション性を確かめる。
「ああ。つい最近さ。車と草くらいしか金の使い道がなくてな」
「金のかかる趣味だ。風俗もだろ」
「そういや最近全然行ってねーな。カンヅメ状態っていうか、引き篭もりだったから」と湯賀は否定する。
「デリ呼べばいいじゃん」
「実家住みだぞ?」湯賀は苦笑い。「性欲にもバイオリズムがあるしな。無けりゃ無いで問題無いという事もわかる。なにより問題は、草と風俗は経費で落ちない」
「そりゃあ領収書を切れる
「まともに納税していない風俗店が出す
「寄付でもすればいいじゃないか。海外の
「なんで俺がそんなことしてやらなきゃいけないんだ」無責任に他人事を言う金子に反論する。「使われ方が疑問だ。どうせ中抜きされて無駄遣いされてる」
「だよな。NPOとかそういうのは胡散臭いぜ。環境ゴロとかな」
「とは思うんだがな。それでもちょっとはしてるんだぜ。寄附金控除とかあるからな。別に何か大義があってやってるわけじゃないけど、できる節税はすべてやってる。どっかの貧しい子供のワクチンや教科書やら、災害時の義援金とか。米と果物の交換にふるさと納税だってしてるし、出前の配達員にはチップを払ってる。しかもwikipediaにすら幾らか呉れてやってるぜ」
「そのうちお前の名前が付いた、メモリアルなんとかが作られて顔写真が飾られるのかもな」金子が茶化すように言う。
「まあ、やらない善よりやる偽善ってやつだ。立派なもんだぜ」と柴。「うちの団地なんか生活保護も多いけどよ、ロクな奴いねえからな。自分の稼ぎのごく何パーセントかでも、奴らのパチンコ代に消えてると思うと腹立つだろうな」
「生活保護ならまだいいんだ。いちおう権利だからな。義務も条件も伴わない。不正受給とか生保ビジネスしてるカスは死ぬべきだが、本来あれは弱者救済とかってより、治安維持の一環だから。街の平和に貢献してると思えば、まあいい」
「どういうことだよ」
「病気で働けない人や、止むに止まれぬ事情がある場合は別として、生活保護を受けなけりゃ生きていけないような、失うものなんて何も無い社会不適合の無敵の連中が、雨風を凌げる住まいもなく、飢餓に陥るまで食い詰めたとしたら、最終的にどうなると思う?他人に迷惑をかけずに、おとなしく野垂れ死んでくれればまだいいが、万引きや窃盗、それに強盗や殺人なんかを犯す犯罪者になるかもしれないんだぜ。それなら金を渡してやってさ、メシを食わせてパチンコでも打って大人しくしといてもらった方がまだマシなんだよ」
「なるほど確かに人間って追い詰められるとなにするか分かんねえもんなあ。貧すれば鈍するってやつかな」と柴が頷く。
「しかしまあ、努力もしない怠け者や、無能な政治家や公務員みたいな税金泥棒のために、なんだかんだで稼ぎの半分を持ってかれてると思うとムカつく話だ。一旦徴収された所得税や住民税がどう振り分けられて、道路になってるのか福祉に使われてるのか、議員の不倫旅行に使われてるのか分からんが、いつも言ってるけど、せめてマリファナを自由に吸えるくらいの特権は与えてくれてもバチは当たらないと思うぜ。それくらい俺は社会に貢献してると思ってる」金子はそう言う湯賀の後頭部を見つめながら、お前は有害サイトを運営して稼いでるけどな、という意見を胸に納めた。
「貧乏人ほど
「デモ起こす奴なんて、よっぽどヒマ人か、それでメシを食ってるような工作員さ。ほっときゃ飽きる。少数意見のゴリ押しがメシの種。奴らは関心を持たれないことが一番怖いのさ。それにしても、どんどん格差が広がっていってるよな。デモじゃなしに暴動とかクーデターとか起きないもんかね?」と金子が肩をすくめる。
「そういう国民性でもないもんな。みんな大人しい性格してるだろ。農耕民族だし」
「怒りを内に溜め込む人間が多いのさ。どっかのタイミングで爆発するぜ。それが自己完結タイプか、他人を巻き込むタイプかは分からねえ。勝手にくたばってくれりゃいいが、無差別テロの道連れだけは勘弁だな」
「右に倣え、の国民性だ。不景気とそれを利用して群集心理に火が点きゃ一揆みたいなことになるかもしれんけどな。安保闘争とかそういうのもあったよな?」
「あんなのは、当時の大学生のノリだよ。ファッションでやってたようなもんだってさ。悪名高き団塊の世代ってやつだろ」
「モンゴロイドであろうがコーカソイドであろうがネグロイドだろうが、侵略や略奪の歴史はどこにでもある。別にどの人種が性格的にどうってわけじゃない。どこにでも攻撃的な奴はいる。日本はまあ、平和ボケなんだろうな。敗戦国として白人コンプレックスもある。そのわりにアジアは蔑視してるもんな」
「まあ結局、何も行動しないぜ。日本人ってやつは。危機感が無いのさ。いまだに世界有数の技術国家、経済大国だなんて思ってやがる」と金子は呆れ顔で、
「労働環境が悪いのにストライキなんてのもないしな。勤勉なのに貧しいってのは社会問題だぜ。政治が悪いってことだ」柴がいつものように国が悪いと結論づける。
「いろんな意味で貧しくなっちまったもんだ。この国の民主主義と資本主義の姿勢にもうんざりだ。シンガポールとかの
「バブルの頃なんてアジアやロシアなんかから出稼ぎが多かったらしいけど、今じゃ日本のキャバ嬢が輸出されてるんだもんな。いよいよ我が国も危ないぜ。心も懐も、教育水準も貧しくなる一方だ」と柴が両腕を組んでため息をつく。
「海外移住するなら、どこがいいだろうな?中東、イスラム圏は絶対ムリだな。多分一番価値観が合わないんじゃないか?」と金子。「中国とインドも住みたくはないな。不潔だし腹壊しそうだ。あと人が多すぎる」
「そんなにマリファナ吸いたきゃ、カナダとかオランダとか、アメリカのどっかに行けばいいんじゃねえか?」と柴が二人に向かって言う。
「欧米はアジア人への差別が根強い。生卵を投げつけられたりするかもな。外出が億劫になるぜ。東欧はどうだ?物価が安くて美人も多い」金子が湯賀に提案すると、
「治安クソ悪いんだぜ?常に政情不安だし。候補には挙がらないな」
「ブラジルは?日系人が多いし、お前が移住したらリオのカーニバルを見に遊びにいくよ」柴が少し身を乗り出して言う。
「ラテン系の人種とは反りが合いそうにないな。それに暑い国はイヤだ」
「なら北欧で決まりだろ。治安もいいし幸福度は世界一らしいぜ」
「あんな寒い場所に住む人間の気がしれないぜ。凍えて気が滅入りそうだ」
「あそこは?留学?したことあるよな?浪人中に。イビザ島だっけ?」と柴が金子に尋ねる。
「マルタな。一ヶ月で飽きるぜ。世界中からパーティーモンスターが集まって、カタコトの英語で酒盛りして乱交してるだけの場所だ。青春の思い出の一ページとして行くならいいだろうけどな」三ヶ月の予定を切り上げて帰ってきた事を思い出す。「モナコは?さすがにあそこに住めるほどの資産は無いか」と金子が聞くと、湯賀はゆっくりと頷いた。
「まあ、なんだかんだ日本が一番住みよいんだと思うぜ」と柴が言うと、
「そういうことだな。慣れ親しんだ環境から離れて、気候風土や文化習慣が違うところに馴染むのは並大抵のことじゃないぜ。日本国内ですら別の土地だとそうだ。いいところだけ取り入れる。ちょっとだけ。それくらいで丁度いいのさ」と金子も賛同する。
「そうさ。温暖で好天、自然豊かで治安もいい。俺たちはキー・ペニンシュラの
「サンダーバードだよ。1960年代の」
「俺はコイツがいつ高速のど真ん中で白煙あげてぶっ壊れないかヒヤヒヤしてる」と金子。「ただでさえ外車は高温多湿な日本の夏に弱い」
「意外に頑丈なんだぜ。構造もシンプルだしな。燃費とか終わってるけど」
「そういや、サンダーバードと
「知らねえ。じゃあサンダーバードって何なんだ?」と湯賀が聞き返す。
「サンダーバードってのは、アメリカ先住民の間に伝わる空想上の鳥のことだよ。ライチョウはキジみたいな鳥だ」と金子が割って説明する。「雷鳥は英語だとグラウスっていうんだ。フェイマス・グラウスってウイスキーがあって、そのラベルに描かれてる」
「補足説明ありがとよ、雑学王。クイズ大会に出られるぜ。ニューヨークへ行きたいか、ってな」見せ場を奪われた悔し紛れを言う。
「いちおうBARで働いてるもんでな。酒にまつわるウンチクに詳しいだけさ」
「伝説の鳥か。かっこいいじゃん。そういうエピソードあると愛着が湧くよな」湯賀はそう言って、アクセルを踏み続ける。
「音楽変えてくれよ。『Salvation』な」窓枠に肘を乗せ、移りゆく景色をサングラス越しに眺めながら、遠い目でタバコをふかして金子が言った。湯賀は助手席に置いているポータブルスピーカーに向かって曲名を伝え、音楽が流れる。
「我妻と宇佐は先に来てんだよな?」車から降りて、湯賀が柴に聞いた。
「あいつらは初日から行ってる。お前が全然連絡つかねえから。本当は一緒に行くつもりだったんだぜ」
十時間弱の長い道のりを遙々やってきて、近隣の駐車場に車を停めた。様々な都道府県のナンバーが見られる。
「ものすごい軽装だけど大丈夫か?水すら持ってないぜ」
「むしろ
「荷物は見えないところにな。車上荒らしに要注意だ」湯賀がそう言い、鞄や着替え等をトランクに仕舞い込んだ。
「Tシャツだとけっこう寒いな。なんだっけ、都会は暑いみたいなやつあるじゃん。ヒートアイランドか」柴が眠そうな目つきで空を見上げ、タバコをふかし、きちんと携帯灰皿に灰を落とす。「よくないな。環境破壊と温暖化は」
会場まで徒歩で向かい、数分歩いてゲートに到着し、当日券を購入してリストバンドをはめてもらった。それから先発組と合流すべく、我妻が宿をとっているホテルへと向かった。
「たまには自然もいいもんだな。太陽の日差しを浴びてセロトニンとファックしてる気分だぜ」湯賀が歩道を歩きながら上機嫌で言う。シラフ状態でこんなに清々しい気分は久しぶりだと感じている。伸びをして、両手を広げて体を軽く左右にひねると、ポキポキと骨が鳴る。
「それはよくわかんねーが、マイナスイオンが出てる感じするよな」柴が大きく空気を吸い込む。「免許取り立ての頃に行ったさぁ、滝あるじゃん、南の方のどっか、滝壺で泳げるところ。あそこ良かったよな。また行こうぜ。地元にゃ自然豊かな観光地がけっこう多いからな。灯台下暗しだ」
「俺、紫外線アレルギーだからセロトニン不足になるのかな。そのせいで日中も出歩かないようになっちまってるし。夜型人間って心身ともに不健康になりやすいんだろうな」つば広の麦わら帽子にサングラス。マスクを装着して長袖を着用。首にはタオルを巻いて手袋まではめた完全防備に、露出した部分には日焼け止めを塗るという徹底ぶりの金子。
「どう見ても不審者か妖怪だ。日サロのカプセルに一晩ぶちこんだらショック死しそうだな」
「なんか色んなアレルギーあったよな?猫とか甲殻類とか。花粉症もあっただろ。大変そうだな。超デリケートじゃん。よくタトゥーなんか入れられたよな」
「しかもお前アルコールもアレルギーだろ。飲むと肌に斑模様ができるもんな」
金子は二人を無視して、不機嫌な顔で缶ビールをあおる。
「まあ、まったく飲めねえよりはマシだけどな」と湯賀が自嘲する。
どこからともなく聞こえてくる音楽、増えてくる人の流れ、アルコールその他の効果。三人の気分は上々だ。特にお目当てのアーティストが出演しているわけではないが、雰囲気自体を楽しもうと意気込んでいる。
「今、メインステージ誰が演ってんの?」と金子が尋ねる。「ってかトリ誰?」
「知らねえ。パンフレット捨てたしな」と柴が答えた。「よく考えると、誰が出るとか全然知らねえな」
「勢いで来たしな」
「まぁ、誰が出るとかより、クサ吸ってる可愛い女の子見つけて友達になろうぜ」湯賀が木漏れ日を浴びながら、涼しい顔でガラにもないセリフを言った。「…なんてな」
待ち合わせ場所のホテルに着いて電話をかけたが、我妻も宇佐にも繋がらない。とりあえずホテル内の喫茶店でコーヒーを飲んでいると、外に遊びに行ってる、という連絡が来た。
指示を受けてキャンプサイトに歩いて移動すると、そこにはかなりの数のテントが張られており、この中から二人を探すのは至難だった。電話をかけたが、電波が悪いのかまた繋がらない。先に会場へ行こうかと金子が提案したところで、向こうから歩いてくる、アウトドアには不釣り合いな二人組を見つけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます