黒質のデカダンス

 Hey Hey, My My.

 だんだん消えていくよりは、一気に燃え尽きるほうがいい。

 そうだよ。ミスター・ヤング、ミスター・コベイン。仰る通りI agreeさ。

 老いて、落ちぶれ、醜く無様ブザマを晒すより、美しく散るのが華。

 ワクワク、ドキドキ、ウキウキ、ルンルン。

 心躍らせて、笑顔咲かせて、エネルギッシュに、若々しく。

 胸膨らませ、血を滾らせて、爆発させる生命いのちパワー

 楽しもう。流れる汗と涙。謳歌しよう。それでこそ人生。


 けど実際のところ麻痺しちまってるのさ。どんな刺激も何も感じない。

 楽しそうに見えるけどって?ノンノンノンノン。ご冗談bullshit

 喜怒哀楽は皆さん御留守。ココロはすっかり不感症。

 いま求めているものが食べ物なのか睡眠なのか、それともセックスなのか。

 空回りする純情な感情は、その区別さえつかない。


 音楽にもがっかりだ。使い古しの叙情詩リリックにコード進行。

 どっかで聴いたメロディばっかり。Logic Proの自動生成じゃ無理もない。

 歌うのは誰でもいい。オトナ達が会議室で作った『若者のカリスマ』だろう?

 どうせ名前を聞いてもすぐ忘れるような、一過性の消耗品。


 ポルノにも飽き飽きだ。内容コンテンツなんてみな同じ。

 裸になって、舐め合って、腰を振る。エテ公みたいにお決まりの動作。

 ちょっと容姿や体型スタイルが違うだけで、他に違いなんてない。

 予想通りの展開、予定調和の結末。期待以上なんて有り得ない。

 得られる快感の度合いレベルも、その後の心情も案の定。

 性的興奮の材料って他に無いものかね?なんて思い出したら倒錯の始まり。

 通常ノーマルのモノに慣れてしまうと、異常アブノーマルヘキに傾倒してしまう。

 ワインも、虫が湧くほど発酵したチーズも、フェチもドラッグも同じこと。

 クセの強いものじゃないと物足りなくなって、満足できなくなっちまう。

 なのにその領域の、その先すらもう超えてしまった。何もかも飽き飽きだ。

 けれど皮肉にも気持ちは充分若いのさ。色んなものを取り入れて吸収したい。


 知らないこと知りたいよTell me something I don't know

 新しいものが欲しいよ。

 行ったことない場所に行ってみたいよ。

 やったことない事やってみたいよ。


 自分はまだまだ世間知らずの井の中の蛙ピンクスパイダーだよ。

 そりゃあ世界は広いもんな。

 魅力的な人や場所も趣味の世界も沢山あるんだろうな。

 でも、もうきっとんだよ。

 なにもかも同じなんだ。刺激的なものなんて何もない。

 判りきってる。決まりきってる。

 どんな美味い飯も、どんなイイ女も、美しい景色も、どの程度か想像がつく。

 最早、どれもこれも大した違いなんてない。

 スリリングなゲームも、お笑いも、泣ける話にも、何も動じない。

 朝日を浴びても、バナナを食べても、セトロニンなんか分泌されない。

 ドラッグを使って、脳味噌をバグらせるしかないんだよ。

 苦肉の策さ。「ああ、これは愉快なんだ」って勘違いさせるんだ。

 そうでもしないと、なにもかも楽しいと思えないんだ。

 生きてても何にも面白い事なんてない。そういう判断をしちまったら、

 それこそ『死』に期待や救済を求めてしまうんだよ。


 助けてくれ。

 この一発HITで。


 血管に…流し込む…この、一発で。


 ……機嫌、気分、気持ち。

 愛しさも切なさも、あらゆる精神状態は全て脳内物質のキマグレ。

 うまくホルモンを分泌してくれない、自分勝手なバグった脳ミソさんよ。

 お前に化学物質というエサをあげて、ムリヤリ働いてもらうぜ。

 そしたら一時だけ、アタマん中はお花畑。スーパーマリオのスーパースターさ。

 そして、しばらくしたらまた元どおり。その繰り返し。

 おっかないのは、その繰り返しをしてるうちに脳は怠け者になっちまう。

 働きアリの法則さ。ほっときゃ誰かがやるさっていうヤツさ。

 自分が働かなくても、化学物質がドーパミンを代わりに出してくれるってな。

 他力本願になった脳は、ちょっとやそっとじゃもう元に戻らない。

 そうなったら、もうオシマイ。

 もはや化学物質なしでは、まともな精神状態喜怒哀楽さえ手に入らなくなっちまう。

 これが依存症、中毒、禁断症状ってやつさ。

 耐性がつく、量を増やす、シラフ時とのギャップが激しくなる。

 そして健忘症…色んなことが曖昧になっちまう。悪循環さ。果ては廃人だ。

 快楽には犠牲が伴う。それに例外は無い。絶対に無いんだ。

 自慰マスターベーションで得られる程度の快楽ですら、その後には賢者タイムが待っている。

 ドラッグなんかやった後にはどうなるか、想像に難くないだろう?


 それを避けるためには、いっそドン底まで、とことん堕ちていく事だ。

 そこに美や価値を見出すこと。つまり退廃主義デカダンスさ。

 デカダンスとは何か?退廃的で虚無的な風潮や生活習慣のことさ。

 退廃という概念は、不道徳や不健全の結果として病的に堕落している事を指す。

 だが、これには歴史的背景がある。退廃芸術デカダンスとは、労働に勤しみ、健康・健全であることを美徳とした体制側が、当時の美術・芸術・文学を禁止、排斥するためにネガティブイメージを込めて侮辱的にそう呼んだことが始まりだ。ああいう連中はクズだから真似すんなよって事でな。

 だが後に、そういったジャンルのアーティスト達が自らに誇りを込めて、デカダン派と名乗るようになった。

 体制や世間の風潮に逆らい、自らの理想をアート作品や生き方そのもので体現しようとしたんだ。その運動には、ロマン主義や耽美主義なども含まれる。


「美しいものは、存在することだけが存在理由レーゾンデートルだ」と言った人がいた。

 耽美主義とはその字の通り、美の創造を唯一の目的とし、『美』以外に価値など見出さないという考え方で、つまり善でも悪でも美しさこそが正義。本物でも偽物でも美しければいいという思想だったわけだ。

 けれど絵や文学や音楽には好みがあるし、そもそも何が美しくて、何が醜いのだろうか?そこの定義は曖昧なものだろう。


 だから、美しさとはなのだろうと思う。

 耽美派と呼ばれる芸術家達は、生活を芸術化して官能の享楽を求めた。

 つまり生き方そのものを美の表現方法とした。

 それは最終的に死へ向かうための道標だったのだろう。

 散りゆく花の様に破滅的だからこそ美しい。

 暗闇の底に堕ちていくからこそ輝けるのだと。


 例えば日本の文学者で代表的な耽美主義者は、谷崎潤一郎、太宰治、芥川龍之介などだ。彼らは今日に至っても文豪、名作家と評価されているが、当時の行いや生活ぶりは今で考えるとの嵐。超絶DQNのモラハラ、セクハラ、クズ野郎どもだ。

 それが文学あるいは芸術とされたのはのせいもあるだろうが…道徳的に堕落してはいるが、そこに美を見出すといった考え方、生き方というのは、我々一般人が持つある種の憧れのようなものなのかもしれない。


 破滅的、刹那的、退廃的。

 セックス・ドラッグ・ロックンロールは若さの特権、デカダンスの象徴。ロックスターは現代のデカダン派だ。

 命も、生まれ持った才能も粗末にして、無駄遣いして、いつくたばっても別にいいんだぜとでも言いたげに、そんな生き方をしている若きロックスターやラッパーが持て囃されるのは、皆にその生き様に対しての憧れがあるからだろう。

 みんなみんな、ムチャクチャに振舞って好き勝手して、夢の中にいるまま死にたいと願う。若かりし頃はそんな願望がきっとどこかにあるのだろう。

 しかし我々の人生はそうはならなかった。

 挫折、諦め、仕事や日常や家族がある。来る日も来る日も働いて、同じことを繰り返して金を得て、たまの週末の外食や、趣味への投資か、家族への愛でもいいだろう。そこに幸福を見出そうとした。それは妥協じゃなく方向転換だ。けど、もともとの理想と夢はどこかへ行ってしまった。

 でも世界はそういう人柱、たくさんの人間の夢のあとさきで成り立ってる。


 彼らロックスターは、そうなりたかった我々の彷徨える魂の代行者なのだ。

 ある種の象徴アイコンとしてその役割を担っており、最終的にはその役目として死ぬべきであるとさえ思う。

 だからさ、そんなやつらが年老いちゃいけない。

 我々の溜飲を下げるため、

 まっとうな人生こそが本懐であると思わせてもらうため、

 我々の羨望と嫉妬を受けて、死んで初めて完成するんだ。

 そして神格化、伝説化される。

 アーティストは、若くして死ぬDie Youngのが義務なのだ。


 デカダンス、それは心の奥底にある憧憬。

 堕ちてゆきたかった自身の投影。

 『ゴンドラの唄』という曲があった。命短し、恋せよ乙女と歌っていた。

 今夜くらいは、もう明日などが無くてもいいと思わせるほどの堕ちきった夜でありたい。そんな夜がいったいあとどれだけ訪れ得るだろうか。


 死への憧れ。

 死への誘い。

 死への使命感。

 美のためなら死ねる。死こそが美しい。それがすなわち完成形と考えた表現者達は、自らの命の散り様でそれを証明させたのかもしれない。

この世の、俗な贅や美を見限り、見切りをつけて、これ以上なにも望めないと死を選んだアーティスト達に激しく同意して同情するよ。


 我々はかつて、理想の為に身を犠牲にして、美しいまま散りたいと願ったことがあったのではないだろうか。

 ナマクラな脳に打ち込まれた化学物質は、そんな儚さや美しさ、刹那を愛していた頃を思い出させてくれる。

 そうさ。誰でも若い頃があった。

 あなたの両親にも、あなたの同僚にも、テレビの向こうのあの人にも、あなたの知らない、死んだ目をしてつまらなさそうにしている大人にも、

 そして、あなた自身にも。

 若く、美しく、ワイルドで、夢に溢れていた頃があった。


 果たして、我々の死に様はどうなるだろうか?

 ドラッグのオーバードーズだろうか。

 ビルから飛び降りるだろうか。

 風呂場で脳溢血か。

 通り魔に刺されるだろうか。交通事故だろうか。

 それともコメカミを撃ち抜き、血の海に沈むだろうか。

 あるいは家族に看取られながら、安らかに天寿を全うするだろうか?

 なんだっていい。

 美しく、汚らわしく、生きよう。

 死に様なんかどうだっていい。

 我々はみんな、つまらないオトナなんかではない。

 燃え尽きる速度は違っても、どうせ最後は灰になる。

 灰になるまでハイになって、燃やし尽くすのさ。

 遺灰は太平洋に撒いてくれ。母なる海の一部となって、みんなを見守るよ。

 今日が最後かもしれないという気持ちで、今日を生きよう。

 たとえ、ぶっ壊れた精神が自分の力だけじゃどうしようもならないとしても。

 どうせなら、ハッピーなのがいい。処方箋はあるんだから。

 忘れてた感情も、きっと思い出せる。

 ほら、だんだん楽しくなってきた。

 だから、死ぬんじゃ、ない。そうだろう?どうせなら、ね。

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