アイス・ストーン・ベイビー

 あと二十分の辛抱。

 眠気…恐ろしいほど強力な睡魔に打ち勝てば……

 魂が肉体から離脱し、その先に幸せが待っている。


 目を覚ましている為には、やはりカフェインが有効だ。

 白の錠剤、200mg含有。3錠をスリバチで砕いて粉末状に。

 それを鏡の上に盛り、カミソリで粒を更に細かくする。

 ラインを整えて、ストローを鼻腔内の粘膜へ当てる。

 位置についてReadyよーいSetドンGo


 粘膜に吸収されずに咽喉に落ちた粉は、凄まじい苦味を与えてくれる。

 「ああ…」

 さて、いよいよ準備セッティング

 必要なのは……

 心地よい音楽、好きな香り、間接照明、ポジティブなイマジネーション。

 うまくいけば、嫌なことだけ綺麗に忘れて…心のリセットができる。


 先日はタブレットを30錠。それは失敗、失敗、失敗だった。

 一切の幸福感を得られず、吐瀉物と記憶のぽっかり抜け落ちた時間だけ。

 今日のメニューは青を6錠と、カプセルを1シートのカクテル。

 薬学的なことはよく分からないが、経験則として、この二つは相性がいい。

 アルコールとも親和性がある。

 エナジードリンクで一気に流し込み、高アルコールのサワーをチェイサーに。

 食道、胃腸の違和感と、くすりのにおい。

 目を閉じる。

 早く来てほしい。


 意識は…はっきりしている。

 すこし、脳と体の命令系統にタイムラグを感じる。

 やがて…物理法則が乱れて、重力、浮力、引力が変化するのが感じられる。


 音楽が聞こえる。オルゴールの音色だ。どこから聞こえてくるのだろう。

 誰かの笑い声を乗せて、どんどん大きくなってくる。

 音が話しかけてくる。素敵な体験だ。生命が宿る瞬間に立ち会う事ができた。

 やがて汚く惨めな自分の体がどんどん透き通ってきて…

 そして綺麗なクリスタルに変化メタモルフォーゼした。

 

 ゼロになる。

 カラダが…ゼロになる。


 体が浮遊し、自分の姿を俯瞰で捉えることができた。

 ガラス細工の体の中に張り巡らされたあらゆる血管が色鮮やかに輝き…

 その中を虹色の血液が嬉しそうに脈を打ち、猛スピードで体内を循環する。

 空気中にパチパチと放電現象が起こり、オーラを纏うように全身を包む。

 両手両足を広げて口を開くと、有象無象、森羅万象が体の中に流れ込み、

 ついに宇宙と一つになった。


 「神様、あなたでしたか」


 そうか…そうだったのか!

 世界線は平行宇宙パラレルユニバースで!

 同時進行で進むタイムラインなんだ!

 世界中の凡ゆる神は、凡ゆる人間の遺伝子に刷り込まれた秩序と法則なのだ!

 なんて、なんて見事な曼荼羅コスモグラフなんだ!

 完璧…すべてが完全で…美しく…


 「今…天国が一体、何のことかが解った」

 「凡ての謎が解けたんだ」

 「凡ての歴史が紐解かれたんだ」

 「ああ…夜が明ける…」

 

 何かとても大事なことに気づいて、とても長い間忘れていた事を思い出して、

 これからすべき事を何もかも理解した。

 なんだってやってやる。

 なんだってできるんだ。

 そう思った瞬間、すべての記憶が失われた。


 目を開けると、一面が橙色に染まった世界が広がっている。

 見知らぬ風景。ここはどこだろう?

 トンネルの中のライトの色のような、鈍く明るいオレンジ色の世界。

 どこ、どこ、どこだ。どこだ、ここは。

 浮かんでいた体はアスファルトの地面に張り付き、

 金縛りのように動かず、耳の奥に違和感がある。

 うごかない、うごけない。


 そうか。オノレ・シュブラックの喪失。

 世界の側に同化する日が近づいてるんだ。

 どれくらいの時間が経ったのだろう。

 ゆっくり、ゆっくりと鎧の騎士団が迫ってくる。

 ゆっくり、ゆっくりと。どんどん数が増えて、こっちに。

 槍を、突き立てて…ああああ!


 …なんだ、これ…誰の顔?

 まるで死んだ魚みたいだ。目が腫れて、離れて、赤くなってる。

 肌には一面にブツブツができている。毒を盛られたかのように。

 そうか鏡か。これは悪魔を映す鏡なのか。

 「あああ!」

 『ガシャン!』


 割れた鏡の破片にはバラバラ、ちぐはぐの顔が映っている。

 「これは誰だ!?どっか行け!ああああ!」

 箱の中からノイズが響く…

 無意味な記号の羅列と不可解な情報のスプロール。音。映像フッテージ

 断片的に、ノイズが、響く……。

 『……身体が灰になる………青い人は夢を見る…』


 フラッシュバック。


 『青、白、黒の光が瞬く脳裏の中で…橙色の街で…また奴が笑ってる』

 (…どっか行け…………!)

 「はぁ、はぁ…」

 (頭が…耳が…)

 (ナイフ、ナイフ!あああ…)

 『もっと落ち込め……自分の程度を理解しろ……』

 『お前はムカついてる。怒ってる。不安だ。恐い。寂しい。孤独だ」

 (どうすればいいのか解らない……)

 (閉じこめろ!閉じこめろ!)

 (動悸が…抜け毛が…頭が…吐き気が…)

 『インディアンが踊ってるよ…?オマエのその目、それは"死"だ』

 「欲しい…」

 (何を……?)

 (音だ。ノイズを掻き消す、それ以上の大音量を!)

 『理性があるせいで、オマエは高みへ行けない』

 (出て行け…出て行け…!)

 (答えろ!答えろ!)

 『大丈夫だよ。上手くいってるって』

 (大丈夫…大丈夫…大丈夫…大丈夫…………)


 握りしめた手の中にあるガラス玉が突然喋り出した。

 「いつ人間に戻れるんだろう?」

 確かにそう言った。変だけれど、確かに。

 そういえば考えもしなかった。このガラス玉は何で出来ている?

 いつ形成された?本当の名前は?分子構造は?


 血管じゅうに虫が蠢く醜い体を光の矢が貫き、全身を粉々に分解した。

 一雫の涙が、粉微塵になったに零れ落ちた時、

 サラサラとした粉末がドロリとした液体に変化し、溶け出していった。

 

 (ああ…溶ける…)

 (なぜ構う?なぜ付け狙う?)

 (えっ?えっ?)

 (ああ、出る、出る、出る!)

 「…おえっ」

 「げほっ!げほっ!」

 「はあ、はあ、はあ…」


 部屋の中に、酸っぱい匂いが充満する。

 「ああ…だれか、たすけて」

 (ごめんなさい)

 「ごめんなさい」


 「ねえ、あなたも同じ気持ちでしょう?」

 「そう、そこのあなた」

 「画面越しにわたしを見ている、あなたよ」

 「見せ物では、ないんだよ?」

 「だから、どうか、その手を、離してほしい」

 「死ぬわけじゃない」

 「夢から覚めるだけ」

 「次に気づいた時には、きっと何もかも元通り」

 「だってこれは、夢なんだから。悪い夢」


 (ああ、ありがとう)

 (まだ…生きてるよね)


 長い旅だった。でももしかすると一瞬だったのかもしれない。

 今は夢なのか、現実なのか。生きているのか、死んでいるのか。

 今、目に見えて形作られている世界は…

 果たして本当に連続している意識なのか?


 「はは、はははは、はぁ…はぁ…」

 『ようこそ』『おかえり』『いってらっしゃい』

 「あんた、ほんとに、冗談、きついよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る