ブラスト・M -下ー

 龍が如く空に登る煙と、細く高い笛の音。心臓を物理的に刺激する残響リバーブがかった豊かな低音が生温かい空気中に響き渡る。心を揺さぶるその火薬の爆発音は、大型の和太鼓の音色にも似ている。

 眩い光、夜は来たれりBright light, here comes the night

 外に出ると知らぬ間に周辺は人でごった返していた。勝手知ったる御一行は、店内から従業員用の連絡路を勝手に通り抜け、BBQエリアの裏側まで回り込んだ。そこは観光客には知られていない、最も花火がよく見えるスポットだ。DJのアナウンスと音楽が流れて次々に打ち上げられてゆく。辺りには硝煙とその匂いが漂い、観衆の歓声が溢れる。

 およそ二十分弱の短いイリュージョンが幕を閉じると、堰を切ったように人の群れが出口へ向かって勢いよく流れていく。

「花火はいつ見てもいいな」余韻を楽しむ様子の我妻は上機嫌で何度も小さく頷いている。「軽く良い感じにキマってるおかげで、余計に綺麗に感じたよ」金子も同意して頷く。「闇を一瞬で明るく照らし、すぐ消えてまた暗い空が残る。美しさや儚さ、一瞬の煌めき。華やかなようで実は切ない。まるで人生のようじゃないか。『だんだん消えていくくらいなら、激しく燃え尽きたほうがマシだIt's better to burn out than fade away』って、カート・コバーンも言ってたんだぜ」

「彼は本当に死んでしまったからな。有言実行だな」宇佐が言う。

「随分とつまらない大人になってしまったもんだ」出し抜けに金子が言う。

「どうしたんだ突然」

「鏡に映った自分の姿を見てさ、ため息まじりにそう呟いちまうことがある」

「まあ、誰でもそういう日one of those daysってあるんじゃねーの?」

「カートの遺言に痺れた自分がいたはずなのにさ、無為な月日はこんなにも自分自身を失望させてしまう。若かりし頃の情熱や熱狂、いつだって死んでしまってもいいと思えたほどの血の熱さは、いつ冷めてしまったんだろうな?」

「お前な、クスリを控えろよ」と柴が金子の目元を見る。「気分の浮き沈みが激しくなりすぎてんだよ」

「そうそう。ヴァンダリズムやらデカダンスやら、もうそんな時代じゃないんだぜ。セックス・ドラッグ・ロックンロールは若さの特権以前に時代の産物、いや遺物だ。やりたい放題やって自殺なんて価値観は、このご時世じゃむしろ恥ずかしい生き様だぜ?」宇佐がたしなめ、金子も渋い表情をする。珍しく返す言葉がない様子だった。

「セックスもドラッグも別にやりたくてやってるわけじゃないのさ」と我妻が首を振る。「俺、小さい頃は手品師マジシャンか花火師になりたかったんだ」

「嘘つけ」金子がタバコを咥え、『コンスタンティン』の仕草を真似てオイルライターで火を点ける。

「本当さ。俺は人を驚かせたり感動させるのが好きなんだ」

「ならにでも勤めたらどうだ」金子が冷やかすように言う。

「勤めるんじゃなくて、作るんだぜ」我妻が海を指差す。「ここは海に浮かぶ人工島。向こうに見えるビーチはマリンスポーツや海水浴に人気だ。それから岬へ延々と繋がって、美しい夕陽を眺められるあの山の上からは、この辺りの景色を一望できる。俺たちの育ったこの街が日本のマリブ、パームスプリングス、ラスベガスになるのさ」

「IRでカジノ誘致とか言ってる話?」

「そうさ。運営は外資だが、俺はかっちり行政に食い込んで利権をいただく。アメリカの先住民インディアンのようにな。俺が日本のカジノ王になるのさ。廃墟ばっかになって寂れちまった周辺の観光エリアも再開発して、景気の向上に貢献するぜ。不動産王にもなっちまうな。マカオと香港みたいにさ、こっちのカジノエリアと向こうの港のホテルエリアを遊覧船で行き来して、夏にはビーチでパーティーさ。悪くないだろう?」

「地元の大学には、ご丁寧に観光学部なんてのもあるしな」

「なんといっても自然が売りだもんな」

「我妻くんの野望の第一歩か。保守的な地元住民の反対とか凄そうだけどな」

「だから、俺にしかできないんだよ。そうだろう?」我妻が意気揚々と語り、他の皆も皮肉ではなく笑っていた。

「末は博士か大臣か。いやいや案外、歴史に名を残す人物にでもなったりするのかもな?」欲しいモノを手に入れる才能がある、と普段から自身がよく言うように、彼が話すとあながち夢物語でもない気がしたのだ。


 人混みを避けるため遠回りをして、来た道とは別のルートをとって戻ることにした。資材搬入口がある建物の裏手へと回り、外壁に沿って歩みを進める。進行方向左手にはジェットコースターや観覧車が聳え、途中の道路は橋になっている。その橋の下はちょうど園内を流れる運河の河口になっており、二層の交差点のような形状だ。そこにも小さな石造りのアーチ橋が架かっている。もともとこのテーマパークの内部に入場するには入口でチケットを購入する必要があったので、アメリカとメキシコの国境のように越境を阻止する目的の柵で外周がぐるりと囲われているが、この箇所だけは構造上その柵が無い。そのため、この橋の上から下の石橋めがけて三メートルほどの高さから飛び降りると内部に侵入することができる。誰もそんなことをしようと思わなかったのか、昔から特にその不正行為への対策は講じられていないようだった。

 そこからもう少し進むと従業員用の駐車場がある。何やら大音量で音楽が聞こえてくるので、四人は音のする方へ目をやった。そこには彼らがいかにも毛嫌いしそうな風貌の一団の姿が見えた。馬鹿笑いをしながら飲酒や花火に興じているようだ。

「ああ、虫酸が走るとはこのことだぜ」金子が身体を強張らせて言う。「生理的にムリだ。見ろよ、拒否アレルギー反応が肌に現れてる」とシャツの袖をめくって見せる。

「悪そうな奴はだいたい友達とか言ってそうだな」と宇佐の古い例え。

「見るからに悪そうな奴とかDV男とかサイコパスって実際、真面目タイプよりモテるって統計あるんだけどな。女って結局そういうのに惹かれる生き物らしい。強いオスを求める的な」柴がネットの三文記事で得たような知識を披露する。

「田舎では特に顕著な傾向だ。スポーツ万能の男がモテるとか、金持ちがモテるとかいうフェーズがあるなかで、の人気は全世代に根強い」と金子の持論が展開。「野生動物と大差ないな。けどそれが本能か。ボス猿になびくメスが多いのと同じ理屈だろう。女にゃそれが優位性の誇示マウンティングになるんだ。夫の職業でグループ内の序列が決まる都会のママ友もいるって聞いたぜ」

「悪いオトコやロクでもないオトコを見るとさ、私がいなきゃダメだとか、私が変えてみせるとか思っちゃうんだろ。母性本能ってやつか?」

「女の言うことを真に受けるのは間違いだ。平凡はつまらないとかリスクがスリルだとか言ってさ。年収一千万の紳士と結婚したいとか言ってるくせに、刺青まみれの夢追い浪人とネンゴロになってる女が多いもんな」

「全てがそんな女ってワケじゃないだろうけどな。金持ちの旦那をつかまえて、浮気してる女が最強ってことだな。そんなの腐るほどいるぜ?」

「つまり一番モテる男のタイプは、インテリヤクザってことでいい?」

「案外そうかも。上等なスーツに知的な眼鏡、脱いだら筋肉質のカラダと刺青が現れて、セックスが上手い。しかもシャブまで使うんだろ?」

「はは」と我妻が一笑する。「その後はに沈むか脅迫か?ヤクザ映画の見過ぎだぜ?」

「あの車…なんていったっけ、あのデカい、ヤンキーのテンプレみたいな車。車中泊が好きなアウトドア派…ってわけじゃないよな」

「なかなか絶滅しないもんだよな」柴は連中と目を合わせないようにしていたが、他の三人はあからさまに敵意の視線をぶつけていた。「少数民族には仲間意識や群集心理が特に生まれやすいのか?」

「ヤンキーはいつの時代にもいるさ。時代によって姿格好が異なるけど、中にはオールドスクールを愛する奴らもいるってことだろ」金子が分析する。

古典的オールドスクールに見えて実は最先端なのかもしれないぞ。ファッションの流行は循環サイクルする」柴が見解を示す。「てかさ、和彫り入れてるガキ多くない?ホストでも入れてるやつ見かけるけど、流行ってんのか?今時の不良のマストアイテムなのか?」照明も少ない暗い裏道だが、距離が縮まってくるにつれて相手の容貌がよりはっきり確認できるようになってきた。数名は上半身裸になっており、昔ながらのデザインの刺青を施しているのが見て取れる。

「一部では流行ってるんじゃないの?手っ取り早くからな。威圧感を与えられるというか。そもそも家族や恋人の名前とか自分の信念とかを刻み込みたいならワンポイントで充分なんだしな。まあ江戸時代とか、起源の話とかは知らねえけど」

「なぜかガリガリかデブの両極端じゃない?和彫り入れてるガキって」

「確かに多い気がする。弱いからナメられたくないのかな」

「わかんねぇぞ。もしかしたら血統書付きのヤクザ一家の御曹司かも」

「格闘家かもしれん。あの、金網の内側で戦うやつみたいな」

「どうやら今日は遅めの成人式だったらしいぜ」と宇佐が言う。「彼らさ、まだ未成年とかじゃないの?めちゃくちゃ若く見えるけど」

「それは逆に我々がもういい歳だっていう…」柴が酸っぱい表情をする。「なんか可愛く見えちゃうよな。自分が中学生の時とかってさあ、高校生くらいのヤンキーとかおっかなく見えたけど、大人になってから高校生とか見たら、めっちゃ子供じゃんって思うぜ。若いうちって一歳から五歳くらいまでの年齢の違いって結構大きいもんな。まだまだ成長過程だ」

「ああいうのって何とカテゴライズすべきかな?ギャングってのも違うし、暴走族でもB-BOYでもないし、半グレ?うーん…」と金子が首をひねる。「犯罪によって利益を得ることを主業としているかどうかで定義が変わるか…」

「まあ、不良ってのは一括りに、ヤンキーでいいんじゃね」と我妻が一刀両断。

「ならお前もヤンキーだぜ?」と言う金子を我妻が睨みつける。「どうして地方にはいまだにああいうのが生息してるのかね?そういう政策でもあるのか?天然記念物とか無形文化財保護みたいな。国から金貰ってるレベルなら、もはや人間国宝だな」

「まあまあ、イキがりたい年頃というやつじゃないか。彼らの将来を鑑みて大目に見てやろう。我々にだってそういう年頃があったと思うぜ?」

「いいや。俺は夜泣きもしない赤ちゃんだったし、ワガママを言うガキでもなかった。中二病にもならなかったし、反抗期も迎えなかった。悪さをして親に迷惑をかけたこともなければ、警察のお世話になったことも無い。税金だって納めてるし、ボランティアや寄付も欠かさない。彼らと同じように思われちゃ心外だな」と金子が言うと、

「エイプリルフールはとっくに過ぎてるぜ」と我妻が笑った。

 

 不良集団の真横を通り過ぎるとき、彼らとの距離ディスタンスは車道を挟んで約五メートル程だった。

「おい、あいつら他県ナンバーじゃん」と宇佐が目ざとく気づくと、

「それは見過ごせんな。我々の自治体に税金を納めていないのにタダで花火を楽しむだなんて図々しい」我妻が首を横に振った。「お、頭悪そうなギャルが何人かいるじゃん。実にけしからんな。住民税がわりに御奉仕いただくか?」

「さすがにやめとけ」柴がたしなめる。「男連れをナンパするって、イタリア人でもそんなことしねえぞ」

「そうだよな。ブスだしな。知性は顔に出る。俺は眉目秀麗、目力のあるキリッとした顔立ちの女が好みだ。DiorディオールPoisonプワゾンGucciグッチGuiltyギルティ、それともMarc Jacobsマーク・ジェイコブスDecadenceデカダンスが似合うような、毒と棘がある女さ。あんな安物プチプラ制汗剤デオドラントを使ってそうな低脳量産型女の喘ぎ声には興味がない」と女を品定めしながら高笑いする。

「ケツが駄目だよ。ケツが貧相だと勃たねえ。そこが人種の壁だよな」と金子。

「好みはそれぞれだろ。俺は嫌いじゃないぞ」と宇佐が下品な表情で言う。

 それに気づいたのか、一味のひとりが我妻を見た。その集団の中では最も体格に優れている男タフガイが、隣にはべらした白黒混血ムラートのような(おそらくはそういう化粧だろうが)見た目の女に何か言い、それからゲラゲラと笑いだしたので、我妻が叫ぶ。

「なに笑ってんだコノヤロウ?なんか文句あんのか!『幸福の科学』ナメんじゃねーぞ!」すると金子がケラケラと笑いながら後頭部を軽くはたいた。「守護霊呼ぶぞ?バカヤロウ!」

「オーマイガー。ジーザスが御降臨だ」宇佐も笑いながらツッコミを入れる。

「さっさとイオンのフードコートに行け!」金子が虫を追い払うようなジェスチャーをしながら怒鳴った。「いや、それはまた違うか。普段どういう場所に出没してんだろうな?パチンコ屋か?飲屋街でキャッチしてる奴らあんな感じだな?」

「ドンキに帰れー!」宇佐も負けじと声を張る。「川にBBQしに行け!」

「おい、やめとけよ。ガチでヤバい奴らだったらどうすんだよ」柴が面倒は勘弁だとばかりに静止する。

「負ける気しねえだろ」我妻が柴の背中を叩く。「なんか丸くなったなお前も」

「そういう問題じゃなくてよ」彼の不安の種は、頭に浮かんだ彼女の顔だった。

 そんな事を言ってると、挑発するコナー・マクレガーのように肩をいからせて、タフガイが彼らを睨み付けながら腕をブンブンと振り上げてノシノシと近づいてきた。仲間が二人、鶴翼の陣のフォーメーションで彼に付いてきた。

「なんだ、喧嘩か?コラ」荒っぽい口調とは裏腹に、まだあどけなさが見えるほどに若い。身長はそれほど高くはないが、ブランドのロゴがデカデカとプリントされたTシャツの上から、かなり筋肉質なのが窺える。後ろの二人は若さゆえ代謝がいいのだろうか、背は高いが非常に痩せ型だ。短髪を綺麗に脱色していて、まるで双子のように背格好が似ている。違いは片方が金髪、もう一方が銀髪であるくらいだ。どちらもヘヴィメタルバンドのロゴのような派手なTシャツを着ている。迫ってくる三人を見ても、我妻と金子は緊張感なくヘラヘラと笑っている。

「あぁ?なんつったんだテメェら」

「いや!すんません。マジでごめんなさい!」と距離をつめて睨みつけてくる相手に対し、我妻が半笑いで頭を下げる。金子と宇佐はクックッと笑いを押し殺す。「悪気は無いんス!」

「なんだよ?コイツらダリぃな。どうするよ、やっちゃうか?」と若者は凄みを効かせる。残りの仲間も全員ゾロゾロとこちらに向かってきた。上半身裸で一面に和彫の男、そしてTシャツの袖からカラフルなタトゥーを覗かせている男はその手にバットを持って、アスファルトの地面に武器を擦りながらカンカンと金属音を立てる。

 男はあと三人いるが、残りはこれといった特徴は無く、一様によく日焼けをしており、似たような髪形をしている。ちょっと悪ぶった大学生というような風貌で、見た感じは二軍以下の戦力外だ。

「おいおい、なんか物騒なもん出てきたぜ」と金子が宇佐に言うと、

「ごめんごめん。こいつら酔っ払ってるから、許してあげて。揉める気とか全然無いから」と柴がクレーム処理のように申し訳なさそうな顔をして間に入り、「おい、行くぞ行くぞ。ごめんな」と謝りながら皆を促し、一同はもとの進行方向へボチボチ歩き出す。

「クソが」拍子抜けしたのか、リーダー格タフガイが「さっさと消えろボケ。調子乗ってんと殺すぞ」と唾と捨て台詞を吐き捨て、車の方へ戻っていった。仲間たちも囃し立てながらそれに続いた。


「なんかムカつくガキどもだったなー」と再び歩き始めた我妻がボヤく。

「人数いると群集心理で気が大きくなるしな。しかも女もいたし。イキがりたかったんじゃねえの」と柴。「あんなガキども相手にすんなよ」

「金子くん、女連れだとイキってしまう心理状態の専門用語とかあるの?」と我妻が聞くと、金子は肩をすくめて首を傾げるだけだった。「まあ今日は機嫌が良いから、大抵のことは許してやるけどね」

「っていうかさあ、バットを車に積んでるのおかしくない?そもそも」と宇佐が背伸びをしながら言う。

「そうだよな。わざわざ暴れるつもりで他所ヨソの土地に来たってことだろ」と金子が見解を示す。「女が痴漢やストーカー対策に唐辛子スプレーを携帯するのとワケが違うぜ。他所の土地に花火を見にくるのに護身用で金属バットはねえだろ」

「なんだと」それを聞いて我妻の表情が変わる。「バットを喧嘩に使うんじゃねえよ」

「そこかよ」と宇佐が笑う。「野球少年、怒る」

「暴れるつもりだったってんなら、タダで帰しちゃ申し訳ないな。彼らも消化不良だろう。しないといけねえよな」そう言って我妻は歩きながら周辺を見回す。

「なんだよ、おもてなしってよ」金子が笑う。

「うーん、なんか無いかなー」我妻はどこかへ小走りで走っていった。「おいおいマジかよ」それからすぐに何かを見つけたようで、「『グラセフ』でもここまで都合よく武器落ちてねーぞ?」と言い、駐車場のロープ用の杭を引っこ抜いた。

「おい、何する気だよ」と柴が不安そうに言う。

「お土産くれてきてやるよ。潮風を感じられる海の幸をお届けってとこだな。ちょっと待ってて」そう言って、わざとらしい忍び足のモーションで、小走りに先程の連中の所まで戻って行った。

「イヤな予感しかしないんだけど」と言う柴と、無言で我妻の行方を見つめる金子と宇佐。

 やがて車の至近距離まで来た我妻だったが、大声で騒ぐ連中は車からやや離れており、彼の接近スネークに全く気付いていなかった。目標を捕捉。車は二台、バンとセダン。スモークの濃い窓ガラス越しに車内を覗き込むと若い女性が二人座っており、我妻と目が合った。彼はウインクをして人差し指を口に当て、声を出さないようにと目で訴えかけた。女達は不思議そうな表情でそのまま我妻を見送り、また携帯電話の画面に視線を戻す。そして隣のセダンにそろりと近づき、内部を覗き込む。誰もいない。

「江藤のテーマがいいな…」それから元野球少年らしく堂に入った構えで、「テ〜テ〜テテテデ〜レレ〜…」とメロディを口ずさみながら黄色い鉄製の杭を大きく振りかぶり、見事なモーションでセダン車のフロントガラスめがけて振り抜く。小さく鈍い音とともにガラスが凹み、周辺に亀裂が走った。

「おお、優秀じゃん。割れねえもんだな」運転席側ドアの前に移動し、今度はドアの窓ガラスの中心を狙い、有名選手のルーティンを真似をして構え、一気にフルスイング。

 バシャン!という鈍く高い音とともに、一撃でガラスは砕け散った。その破砕音はかなりの大音量だったが、連中の騒ぎ声を掻き消すのにはまだ充分でなかった。花火や嬌声に紛れたのだろう。だが隣の車内にいた女は反射的に悲鳴を上げた。

「ふう」我妻は杭をその場に打ち捨てパンパンと手の埃を払い、バンのドアを開けて二人の間に割り入って座り、驚きで体を硬直させている両人の肩を抱いて抱き寄せた。

「えっ?ちょっ、何?誰?」

「誰でもねーよ。あー疲れた」そしておもむろに乱暴に胸を掴み、左隣の女の髪の匂いを嗅ぎ、頰に下から上へ舌を這わせた。女はビクっと体を仰け反らせる。「風通し良くなったっしょ?窓開けて走ったほうが海風キモチいいからさ」

「えっ?えっ?ヤバイヤバイ。何?」

「まあまあ」パニック状態に陥る彼女達の、今度は肩をほぐすように軽く揉み、ポケットからケースに入れたジョイントとマッチを取り出した。

「この車、禁煙?」女は返事ができない。何が起こっているのか分からないが、逆らうと危険だと動物的本能で感じていた。我妻がマッチの頭をケース側面のヤスリに走らせると、暗い車内で燐がシュワっと静かに音を立てて勢いよく発光し火が灯り、彼の端正な顔を浮かび上がらせる。「おねーちゃん達、道端で猿みてえにトゥワークするより、今からクルーザーに乗りにきなよ」彼の左手は女のスカートの中に滑り込み、「最高に気持ちいいぜ?キメてから素っ裸になって、タイタニックごっこをするのさ、水平線を眺めながら、そんで…」

「なにやってんだテメェぁ!」ドアの外で怒号。叫び声を聞きつけ、何事かと様子を伺いに来た金髪男は、まず車が無惨な姿になっていることに気付いた。だがすぐには状況判断ができず、割れたガラスを前に呆然と立ち尽くしていた。我に返ると隣の車に闖入者がいることを見つけ、すぐさま乗り込んできたのだった。

「あ、見つかった」我妻は両サイドの女へ順に笑顔を見せる。女達は、高まる心拍数と張り詰めた緊張感、そして隣の色男ロメオから香る動物性のコロンと圧倒的なフェロモンにより、既に恋にも似た感情吊り橋効果を錯覚していた。

「これ、おお、お前がやったのか!?ああ?」怒りとパニックで呂律が回っていない相手に対し、

「まあ、まずはリラックスだぜ?深呼吸しな。WEEDでもどうだ?」と言って煙を大きく吸い込み、入ってきた反対側のスライドドアを開け、去り際に右手でつまんでいた火のついたジョイントを中指で弾いて、相手の顔めがけて勢いよく飛ばした。その弾丸は見事に額に命中し、相手は大げさにたじろいだが、すぐに激昂して吠えた。

「オイっ!殺すぞコラァ!」

「残念。ナイトクルージングはおあずけだ。じゃあね」我妻が女の頭をポンポンと軽く叩く。車の外に脱出して、走って金子たちの元に戻る。

「おい!こっち!」と金髪は仲間を集め、少しのスタート遅れで我妻を追いかける。

「おーい、みんな、逃げろ逃げろ!」と言いながら鬼ごっこのように走りざま宇佐の肩にタッチして、そのまま止まることなくスピードを速めて走ってゆく。それに釣られて、宇佐もリレー走者のように走り出す。

「何やってんだよお前よー」

「ヤバイじゃねーかよ。おい行くぞ!」と、かったるそうに歩く金子の腕を掴み、柴が彼を走らせる。相手も全員が走って追いかけてくる。ひいひいと息を切らせながら百メートルほどを全力疾走。

「足はえーんだよお前らよー。しかも俺サンダルなんだけど」と金子がオタオタとついていく。「お、お、こっち四対…一、二、三…えーと、六か七くらいだぜ!いけんだろ?」

「俺らキマってるから不利だろ」と宇佐が言う。「ちゃんと走れねーし!」と笑い、足がもつれて転びそうになる。

「向こうだって酒入ってんじゃねーの?」

「けどその割にめっちゃ早いぜ。やっぱ若さかな?この調子だと追いつかれちゃうぜ?どうするよ!」宇佐がそう叫ぶと、我妻はぐるりと大きくUターンをして、来た道を逆走する。三人はそれに追従する。追っ手は挟み撃ちを仕掛けることなく、規則正しく縦列になって追いかけてくる。まるで動物が出てくる海外アニメの様式だ。

に入るぞー!」と我妻は声を張り、髪を振り乱して笑いながら更にスピードを上げた。皆が必死で付いていく。

「ハハハ、なんか、若いな!」早くもランナーズ・ハイが訪れたのか、宇佐の笑いが止まらなくなる。

「追っかけられるなんてよ、中学生の頃とか思い出すな?」息を切らせながら金子。「ちょっと楽しくなってきたぜ!」

 そして先ほどの橋の上まで戻ってきた我妻が、軽やかに手すりを飛び越えて下の石橋まで飛び降りた。皆もそれに続く。我妻、宇佐は見事な着地で、ひるまず走り続ける。

「なんだよあいつら、パルクールでもやってんのか」柴はバランスを崩すも、前転しながら受け身を取る。「なんかスケボーやってた頃を思い出すな」

つうっ!」少しだけ遅れて、サンダルを履いていた金子は着地の衝撃に足を痺れさせ、若干足を引きずりながら後を追う。「俺も運動神経は良いんだけどな。スニーカー履いてくればよかったぜ」


 パーク内の中央広場まで到達した彼らは走るのを止め、石畳の地面に座り込み、息を整えた。心臓が飛び出しそうなほどに激しく鼓動している。

「あー、しんど!」と金子が酸っぱい唾を吐き出した。「タバコやめようかな」

「さすがに撒けたんじゃね?」と宇佐がぜいぜいと嗚咽を漏らして言う。我妻はツボに入ったようにずっと笑い続けている。

「いや、来てるぞ」と柴が小刻みに深呼吸し、酸素を取り込もうとする。

「しつこい奴らだ。ここまで来ちゃうかね?だっりいなあ」

 怒号と足音がどんどん近づいてきて、四人はすぐに倍の人数に囲まれた。だが相手も相当体力を消耗している様子だった。

「ようこそ、マリナー・ベイ・シティへ」すくっと我妻が立ち上がり、歓迎するように両手を広げる。「ここは中世ヨーロッパの地中海…」

「なんなんだ、テメーらは!」我妻が台詞を言い終わる前に、相手が怒鳴り声をあげた。「ゴラァァ!ぶっ殺すぞコノヤロウ!」

 タフガイが我妻に肉迫し、自分の額で我妻の額を小突いた。まるで血気盛んな格闘家が試合前の記者会見でパフォーマンスをするかのような、一触即発、睨み合いの距離感だ。

「オモシレーじゃねぇか?あぁ?コラ?よくもやってくれたな」


「…どう?コマンド『たたかう』だと思う?」宇佐が金子に耳打ちする。

「どうかな、奴はいつも劇的DRAMATIC激的DRASTICを求める。予想の斜め上、意外な展開もありえるぜ」

「でもまぁ、臨戦態勢の必要アリよ」

「…作戦は?」

「『ガンガン いこうぜ』かな」

「じゃあ始まったら、あのバット俺が奪うからさ」と宇佐が得物に目をやる。

「ダメダメ危ないでしょ。君、有段者なんだから。棒キレ持つと人が変わるし」

「誰がそんな漫画のキャラみてえな。君だって格闘技やってたんだから」

「刃物とか持ってねえかな。だとしてどうだろう、躊躇なく刺すタイプかな?」

「可能性あるよな。金属バット積んでるくらいだし。となると人数いるしさぁ、ハンデあげる余裕は命取りだぜ。頭数減らして、速攻で決めないと」

「でも雑魚だぜ。殺す殺す言うだけで全然かかってこねえし。群れてりゃ優勢だと思い込んでるだろうぜ。油断しきってる」

「だな。半分以上は置き物だろ。本気で人の顔面を殴ったこともないだろうな。鼻血すら流したことなさそうだ」

「柴の柔道技にも期待しようぜ。コンクリの路上で取っ組み合いになると柔道も強いよな」

「俺ケンカとかしたことねえっつうの。逃げていいっすか」柴はうなだれる。「服も汚したくないしさぁ。今日いいスニーカー履いてんだよ。見ろよこれ」

「でも実際、取っ組み合いになると面倒だからさ、お前がまずあいつにドロップキックくらわせて…」


 三人が作戦会議をするなか、タフガイは我妻に詰め寄り、我妻がその分後ずさるという攻防が繰り広げられていた。

「まあまあ、落ち着きなよ。争い事はよくない」と短銃を突きつけられた少年のように両手を上げてなだめる仕草をする。

「ああ?コラァ!」と彼はなおも野生動物のように威嚇する。「やかましいわ。どうすんだよ?コラ、おう?」

「ダメだぁ。日本語が通じないよ。会話のキャッチボールができない」我妻は大きくため息をつく。「あのね、喧嘩ストリートファイトって危ないんだよ。映画とか漫画みたいにはいかないからね。打ち所が悪いと死んじゃうし。ほら瓶とか、地面とか、金属バットとか、ものすごく硬いんだよ。あんなの頭にくらっちゃうと痙攣おこして意識失って、半身不随とか後遺症が残るかもしんないんだよ。植物人間になっちゃったりしたらどうすんの?賠償できるわけ?人殺しになるかもしれない覚悟はあるの?刑務所入りたいの?もしかしてそれでが付くとか思ってる?ヤクザじゃあるまいしねえ?あ、未成年か。未成年でもさすがに…」とスラスラ口上したものの、逆上した相手に我妻の説得は逆効果だったようだ。

「お前、この状況で余裕じゃねえかよ。?」

「おお!出ました。そのセリフ」と我妻は吹き出す。「それはゴメン、知らないわ。小学校のアルバムでも見せてくれ。もしかして有名人?芸人とか?」

「『レッドドラゴン』ナメんじゃねーぞバカヤロウ!」タフガイに肩を突き飛ばされ、我妻がよろける。

「なにそれ、パラパラのサークル?暴走族かなにか?」

「ちげーよ!殺すぞ!」

「レッドはさ、レッドツェッペリンのレッド?それとも赤のレッド?もしかして漢字で書くやつ?夜露死苦みたいな」

「ああ?英語でレッドドラゴンだよ!」

「それはなんか、すごい集団なのかな。火を吐ける人間がいるとか…」

「おい少年たち!チームだのだの名前を出しては止めたほうがいいぞ。このお兄さんはなー…」と遠巻きに叫ぶ金子を遮り、

「あー…っとっとっとっ」と我妻が制止する。「まあまあ、悪かったな。ちょっとおちょくりすぎたよ。俺、コンビニに置いてる系ゴシップ誌とか読まないからさあ、そういうアウトロー業界に疎いんだよね」という我妻に対し、よく言うぜという表情をする仲間たち。「なあ、仲直りしようぜ。握手でもしてさ。親愛を込めてハグしたっていい。どうしたら治めてくれる?」

「お前カンペキにナメてんな。謝って済むわけねえだろうが」

「いやいや、俺たちもいい歳してケンカなんてしたくねーんだ。マジで。痛いのイヤじゃん。現代の日本じゃ仇討ちなんてのも認められてないんだ。謝るか奉仕するか金を払うか刑務所に入るしか償い方ってのが無いんだよ。平和的に解決しようぜ」

「あぁ?じゃあ金出せよ」

「金かぁ。利息はトイチだけどいいか?」

「ハァ?なに言ってんだこの野郎」と再び憤怒の形相。

「冗談冗談。いくら欲しい?」その提案に少しだけ考える素振りを見せ、

「三百万。修理代と慰謝料な?今すぐ持ってこいよ」

「なんだ、意外と欲が無いな。三百でいいのか?」

「ああ?あるだけ出せよ!千でも二千でもよ!」

「いきなり跳ね上がったな」と我妻が笑う。「うーん、じゃあせめて使い道を聞かせてくれよ。プレゼンしてくれ。『マネーの虎』って知ってるか?いくら必要で、何に使うのか?夢があるなら聞かせてくれよ。君達もきっと何か理由があって道を踏み外したんだろう。ケガをしてスポーツの道を断念し、反動で荒れた生活を送るようになったのかもしれない。でもまだ若い。いくらでもやり直せる…」

 これまで肘で小突いてきたり、肩を押したりという牽制はあったが、決定打となる攻撃は無かった。だがタフガイはついに我妻の言葉を制止し、彼の襟首を掴み、頭突きを仕掛けようとする。その動きに金子たちも反応し、緊張感が走る。「ああ、この服、高いのに…」我妻は自分の胸ぐらを掴んでいる両手の手首をくるっと捻り、関節技を極めた。相手は痛がる様子で手を離した。

「ちょっと距離が近すぎるよ。君、鼻息が荒い。俺、臭いの無理なんだよね」服のシワを伸ばす。「お前よく見るとケツの穴みたいな顔してるな?臭いわけだぜ」

 そのセリフが逆鱗に触れたのか、一気に頭に血が昇った様子で我妻の顔に向かって唾を吐いた。細かな飛沫が我妻の顔全体に降りかかった。

「あちゃあ…」とそれを見た途端、宇佐が呟く。我妻のヘラヘラと緩んでいた表情が一瞬で真顔になり、強張った。

「いや…そりゃあ…汚ねえよ、にーちゃん…」

「ああっ?クソが!」拳を振り上げ、右手で殴りかかる動作に入った。だが振り下ろされるよりも早く我妻は相手の襟首を掴み、鼻っ柱に頭突きをくらわせた。そして服を掴んでいる両手でそのまま胸を突いてよろめかせ、更に股間を躊躇なく思い切り蹴り上げた。相手は声にならない苦悶の表情でその場に崩れ落ち、間も無く鼻血がドロリと流れ出た。


だぜ。『そうこうげき』だな」

「始まっちゃったなあ。よっこらせっと」

 金子と宇佐は立ち上がり、打ち合わせ通り真っ先にバットを持っている男に突進していき、金子が助走をつけた飛び蹴りをくらわせ、相手が倒れたところ宇佐がバットを奪った。そして一番近くにいたモブAのヒザを一突き。被害者は叫び声をあげ、患部を抑えてもんどり打つ。

「お前らが誰だよ。ああ?誰の街で調子くれてんだよ。死ぬぞ?」うずくまって悶えているターゲットに対し、我妻はサッカーボールで遊ぶように頭部を蹴り上げた。金銀の二名が飛びかかるが、並外れた動体視力と運動神経を発揮させ、走って向かってくる相手の勢いを利用して顎に右拳をクリーンヒットさせる。金髪の脳は激しく揺らされ、一瞬で意識を失って、ブレーカーが落ちた電化製品のように力なくその場に沈み込む。仲間が瞬殺されて怯んだ銀髪は、条件反射のように逃げる素ぶりを見せた。

「お、逃げちゃうかぁ?いいぜいいぜ」と煽られ、再度立ち向かっていったが、鳩尾に前蹴りヤクザキックを見舞われ、嘔吐しながら地面をのたうち回る始末になった。そして我妻はすでに一服しようとポケットに手を突っ込む。

 一方、和彫の男は柴に殴りかかる。無抵抗の柴は顔面に一発もらってよろめき、頰を抑える。それでも反撃しなかったので、更に何発か殴られていた。ようやく頭にきて相手の腕を掴みクリンチ状態になった。上着を着ていないので柴とは相性が悪い。宇佐はモブBとCに対しバットを構え、先端を突きつけてじりじりと距離を詰める。詰めた分だけ相手が後ずさる。この二人はほぼ戦意喪失していて、半泣きの状態でオロオロしている。宇佐はほとんどいじめっ子のような表情で、二人を河岸まで追い詰める。

 金子はそんな様子を呑気に腕を組みながら笑って見ており、バットヤローが起き上がっていたことに気付いていなかった。

「おい」その声で金子が振り返ると、バット男は金子の口元に拳をめりこませた。ゼロ距離から腰と肩の力をうまく使った、基本に忠実なパンチだった。金子が体勢を崩し、後ろ向きに倒れこむ。相手も喧嘩慣れしているようだ。金子は一瞬だけ記憶が曖昧になり、ジンジンとした痛みとガンガンする頭痛を時間差で感じて、患部を親指でなぞった。

「お、俺、血でてる?」切れた唇から滲み出る血を指でぬぐい、目で見て確かめた。「ははは。笑える」

 仰向けの状態で笑う金子に対し、バット男は腹部を力一杯踏みつける。

「ぐおっ…」金子が体を丸め、本能的に防御の姿勢になる。男は掛け声とともに何度も何度も踏みつける。やられていることに仲間は誰も気づいていない。金子がまったく動かなくなると攻撃を止め、息を整え、は和彫の加勢に向かう。二対一となった柴は多勢に無勢、一瞬で地面にノックダウンさせられボコボコの状態となる。我妻は顔を洗いたいのか、バトルそっちのけでキョロキョロと何かを探している。噴水を見つけるが、この水は綺麗じゃないよなぁなどと考えていた。

「うん…こういう感じ忘れてるよなぁ」金子がよろよろと膝をついて起き上がる。自然と笑いが込み上げてきて、脳内麻薬が出ている感覚をおぼえてテンションが上がる。「痛みとかスリルな」

 地面に倒れ込み、二人からの踏みつけに対し頭部を必死でガードして耐えている柴のもとに、宇佐がダッシュ。充分に助走をつけ、和彫の背中にジャンピングドロップキックをお見舞いした。前のめりに倒れ込む相手の頭部めがけて、走ってきた我妻が着地直前にダイレクトボレーを決める。空中で更に体が捻れ、半回転して地面に勢いよく倒れ込んだ男の鼻は曲がり、口内は折れた歯と出血で正視に耐えない状態となっていた。

「おお、ウルトラバイオレンスだね。顔面スプラッターだ。腕のいい外科医の知り合いはいるか?」

 その凄惨な状況を目の当たりにしたバット男の血の気がすうっと引き、動きがとまった。

「ちょい」と今度は金子が相手を振り向かせ、顎をめがけて肘打ちをくらわせる。それから髪を掴んで、顔面に勢い良くヒザ蹴りを喰らわせた。そして倒れ込んだところに、頭部めがけて踏みつけようと不気味な笑みを浮かべ、足を上げたところで宇佐が叫んだ。

「ストーーーーーーップ!」金子に抱きつき、動きを制止する。「だめだめ。コンクリだぜ。死んじゃうぞ」

「おうおう。そうだな。あぶねえ。サンキューな」金子が我に返る。

「キレたら一番見境が無くなるの、お前だよな。がそうさせるのか?」

「うるせーよ」

「こっちの奴、息してるか?死んでねーだろうな。だったぜ」

「金子、ナイフ持ってる?」と我妻が声をかける。

「ちっちぇやつならキーホルダーについてるけど…ああ、だめだぞ」昔、我妻がモメた相手のタトゥーをカッターナイフで削り取っていたことを思い出した。「それ以上はやめてやれ。泣いちゃうぞ」

 全員が戦闘態勢を解き、大きく深呼吸したところで、一ラウンド二分のバトルロワイヤルは決着を迎えた。あたりが静まり返る中、アコーディオンで演奏された中世ヨーロッパの雰囲気がする、陽気で牧歌的なBGMがスピーカーから流れている。

 うめき声を漏らしながら地面にうずくまる少年たち。モブ三人と金銀はいつの間にか逃走しており、すでに姿が見えない。

「友達はちゃんと選べよ」と金子が倒れている男に言う。「倒れた時fall back downに起こしてくれるのが本当の友ってやつだ」

「女、惜しかったな。目の前で犯してやりたかったのに」と我妻。

NTRネトラレ超えてヤクザ映画だな」宇佐が笑う。

「むしろ戦争だな。侵略、略奪。チンギス・ハンかよって。俺、ああいうシーン無理なんだよな。さすがに可哀想でさ」

「金子くんはフェミニストだねえ。女の子って、か弱いもんね。だから庇ってあげなきゃだめだよできるだけ」我妻が口ずさむ。

「女性の尊厳っていうかさ…AVでも痴漢とかレイプとか駄目なんだよなあ」と金子が顔をしかめる。「騎士道精神が身に染み付いてるからさ」

「俺だって武士道を極めてるから。ちゃんと手加減してやったよ」と宇佐。「心身の鍛錬は大事だね。健全な精神はなんとかの」

「昔に空手やっててよかった。こう、ガーっときたやつを受けるでしょ、そしたらこう、ヒジでね」とジェスチャーで説明。「また武勇伝が増えてしまったな」

「敢闘賞は俺じゃね?」と我妻が自分に親指を指す。「先手必勝、一撃必殺。って中野の特攻服に書いてたな。覚えてる?中野?」

「つーか、だけどな?勝ったからよかったものの」

「最近の奴って喧嘩慣れしてねーのな?睨み合ってる時なんか、後ろの奴ら誰も動こうとしてなかっただろ。口喧嘩するより先に殴らねーとな。鼻に一発、鳩尾に一発で戦意喪失よ」

「俺らの世代って、若い頃クラブとかライブで喧嘩しまくってたもんな。今考えると意味わからん」

「ありゃあ喧嘩っていうより、奇祭みたいなノリだけどな。体をぶつけ合うみたいな。地方に行くとあるじゃん。ロケット花火撃ち合うみたいなのもあるし」

「まあ昔からパンクやハードコアのハコは地獄PITだぜ。みんなストレスの発散の延長上で暴れるのさ。儀式みたいなもんさ。それと同じさ。怒りとエネルギーに満ちてたんだよ」

「今時、不良ヤンキーや暴走族の抗争なんてのも無いしな。だいたい世の中、本気で人を殴ったことないやつが99%なんだぜ。ちょっと不良やってましたってやつでさえも、本気で命がけのケンカをしたことあるやつなんかほとんどいない。喧嘩っつっても、酔っ払って掴み合いだとか、せいぜいそんなもんさ」

「そうだな、基本的に死ぬまでに一回もの殴り合いのケンカなんてしないやつが大多数だ。そういう修羅場を何度もくぐってるやつは、格闘家とかヤクザになるんだろうぜ」

「しかしまあ、アドレナリンが出るな!オスの闘争本能とか刺激されてるのかな。心拍数とテンションが高まって、ドラッグとはまた違う高揚感があるぜ」

「テストステロンが分泌されるのか、セックスしたくなるよな?」

「今は脳内麻薬全開だけど、明日になったら痛えぞ?結構くらってるからな」

「顔を青タンで腫らすなんて、年甲斐ないことしちゃったな」

「大事なプレゼンを控えてるわけでもあるまいし気にするな。おい、彼、なんか言ってるぞ」

「…おまえら…顔、覚えたからな。絶対、殺しに…いくからな!」と自慢の筋肉も形無しのタフガイが力を振り絞る感じで叫んだ。呂律がよく回っていない。

「おお、どう見てもお前がモブキャラだろ?誰でも連れて来いよ。ケータイ出せ?今から呼べよ」我妻がしゃがみこんで男の顔を覗き込む。

「もういいだろ」と宇佐に腕を掴まれた。

「やべーぞ。復讐モノのコンテンツは人気が高いからな。『顔、覚えたからな』ってフラグ立っちゃってるだろ」と金子が笑う。

「いいや。そもそも悪者はコイツらだから。役者が違うんだぜ?これは王道のゴレンジャーパターンのストーリー展開だ」と我妻。

「つーか、どうすんだよ。通報されるし警察も来るだろ」と柴。

「映画の撮影とか思うんじゃねえの?」

「カメラとか照明も無いのに?なんか周辺ザワついてるぞ。けっこう人もいるし」

「逃げた奴ら、警察呼んだんじゃね?」

「さすがにそんなすぐ来ねえだろ」

「でも交通整理とかでウジャウジャいたぜ?入口のあたり」

「それもそうだ。騒ぎがでかくなる前にさっさと逃げようぜ」

 そして一同は、心持ち早歩きで正面出口へ向かう。当たり前のように出口から出て、何気ない顔で歩いていると、サイレンの音が聞こえてきた。

 警官や警備員がバタバタと走ってくる。パーク内の方面へ向かっていく連中を素知らぬ顔でやりすごそうとしたところ、警察官の一人が無線で連絡を取っていて、こちらへ標的を定めて向かってくる。

「あれ、ヤバイかな?」と柴が目をやる。

「見るな!」と宇佐が目線を変えずに言ったが、警察官は歩みを早めてきた。

「走れ!」と我妻が小声で三人に指示する。それを合図に四人は我妻を先頭に、バイクを停めているハーバーへ向かって走り出す。警察たちも即座に走り出し、彼らを追いかける。

 いったん人混みにまぎれ、縫うように走る。何事かというように、通行人もみんな彼らを見ていた。

「『LUST FOR LIFE』!」金子が叫び、道端に落ちていた空き缶を蹴っ飛ばす。

「ダダッダッダッダッダダンッダッダッダッダ……♪」我妻がイギー・ポップの曲のイントロを歌いながら走り、「カンペキにハイだぜ!」と嬌声をあげる。

 ハーバーのゲートをくぐったところで、金子が後ろを振り返った。よくわからないが、誰かに追いかけられている事は確かだ。

「二手に分かれようぜ。バイク回してくるから、ホテルの前で合流!」


 人の間をすり抜け、柵を飛び越え、追っ手を撒く為に回り道、裏道を通り、それからバイクまで辿り着き、息を切らせてゼイゼイ言いながら、

「おもしろかったなぁ~ひさびさに」金子が素早くキーを回し、エンジンに点火してアクセルを吹かし、うなるエンジン音に興奮しながら、ホテル前の交差点まで急いで向かう。

 一方、裏手から逃げている柴と宇佐が後ろを振り返ると、警官が追ってきている。無線で連絡を取り合っているだろう。検問が張られて道が封鎖されているかもしれない。我妻たちももしかすると捕まっているかもしれない。公僕とは思えない、実に乱暴な言葉遣いで止まるように叫んでいる。二人は必死に走った。合流地点を目指して大通りに出てきてホテル前に近づいてくると、交通規制の為の赤色灯やバリケードが目立った。

「どうすんだよ?あいつら二人どうなってんだよ!」柴が叫ぶ。

「俺もわかんねーよ!とにかく走れ!」

「走れって、あそこで捕まるじゃんかよ!」後ろからは迫り来る。前方では待ち構えている。まさに前門の虎、後門の狼の状況。

「イチかバチかよ、突っ切るしかねーだろ!ラグビーしたことあるか?」

「ねーよ!バカヤロウ!」

 柴と宇佐はラストスパートをかけ猛ダッシュ。だが踏み込む力が作用して柴の右足の靴が脱げてしまい、すっぽ抜けて後方に飛んだ。

 取りに戻るか?しかし立ち止まる余裕はない。だが大事な靴だ。

 その一瞬の判断を躊躇っていると、最悪なことに足が絡まり、勢いよく転倒してしまった。立ち上がって再び走り出そうとしたが、先ほどのダメージが現れたのか、膝が震えてうまく立てなかった。警察が彼をめがけて確保しようと迫ってくる。万事休すかと焦り、観念して思わず目を瞑る。

 ちょうどその時、後方からけたたましいホーンの音が鳴り響き、猛スピードで突っ込んでくる二台のバイクが現れた。通行人は逃げるように道を開く。我妻はへたりこんでいる柴の姿を見つけると、左手を伸ばして捕まるように叫ぶ。

 柴は目を開き、ヘッドライトの眩しさに目を細めながら手を伸ばす。我妻が追っ手を追い越し、柴の手首をがっしりと掴み、力を込めて引き上げる。

「ちょ、靴!」と叫びながら強引に起こされた柴は足がもつれて危うく転びそうになったがなんとか立ち上がり、あたふた走りながらタンデムバーをしっかり掴んでリアシートに乗る事が出来た。

「宇佐!」と金子が叫び、宇佐が反応して振り向くと、後続の金子がバイクにまたがったまま、器用に柴のスニーカーを蹴りとばす。自分に向かって放物線を描き飛んでくる靴を宇佐は見事にキャッチし、名アンカーの動きムーブで金子のリアシートに飛び乗る。

 全員が隊列に復帰。そして埋め立て地から伸びる二本の橋のうち、旧市街地方面に抜ける橋を通ろうと目論むが、前方で警官が止まるように警笛を鳴らし、手を振って待ち構えているいるのが見える。

「挟み撃ちだな。どうするよ?」

「一点突破だね!戦国武将の気分だぜ」我妻はホーンをけたたましく鳴らして威嚇する。「どけどけ〜!」金子もその後に続く。警官が道を封鎖しようと囲みをかける。アクセルはフルスロットル。スピードを緩めることなく猛突進し、警官も安全のために身を引く。緊急配備で大した厳戒態勢はとれていない。その隙を突いて一瞬で走り抜ける。

 赤色灯と共にうなるサイレンも、花火の後の渋滞では簡単に進めない。彼らに取ってちょうど都合のいい混み具合だった。車間をすり抜け、スピードに乗って橋を越え、裏道へと入る。幸運にもここにはまだ警察はいない。

 二台が並び、宇佐が靴を柴に渡し、それを履くとハイファイブをした。

「ヤバかったな!」金子が言う。「ナンバー折って隠したし。中学生かよ」

「コケた時、まじで終わったと思ったわ。不運ハードラックダンスっちまったかと」

「見たかよ?あのシュート。一発だぜ!一発!我ながらわ。誰か撮影してねーかな?」

「撮られててもマズいだろ。一日だけワイドショーの有名人になっちゃうぜ」

 それから排気音は笑い声とセッションする。彼らは少年だった頃を思い出す。ケンカをしたり、お巡りから逃げたりした事。男達にとって、仲間と創るそんな騒がしい夜の物語ドラマが、とある日の非日常ハプニングが…どれだけ彼らに震え、痺れ、感動をもたらす事だったろう。少年達はそんな一夜の思い出を胸に強く生きていける。あの頃にそう思っていた。大人になってしまって、そんな感情を忘れかけていた。いや、忘れようとしていた。そのを。今夜、少年の頃のままの笑顔で、あの頃を思い出していた。今夜眠りにつくまでは、できるだけこの余韻に浸っていたかった。

 彼らは思った。自分たちは死に損ないでも、つまらない大人でもない。歳を重ねても、何歳になったとしても、熱情があれば人は生涯青春で居られるのだ。

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