テロヴィジョン     ー平岡ー

 私は違和感を探すのが得意だ。

 探すというよりは、自然と気付くというべきか。

 違和感を感じる時、きっと私の意識はこの世に無いのだろう。この世のものではなく、その景色や感情それらは全てどこか別の次元での出来事なのだろう。これは霊感や第六感などというものではない。説明し難いだ。

 この世には、はっきりと目には見えないが、明確なが数多く存在する。それは本当にありふれた日常の中でも散見されるもので、例えば神社の鳥居や注連縄によって区切られた、人と神の領域の境界。それらは意識できる一線だが、他にもトンネルや重い扉の向こう側、舞台と客席なんかもそうかもしれない。

 気をつけなければいけないのは、心理的に、越えることが躊躇ためらわれて踏み留まる事ができる境界とは逆に、知らないうちに越えてしまって別の領域テリトリーに足を踏み入れてしまっていることがあるという場合だ。

 そこは、なにか不思議な世界。

 熱のあるときに見る夢のような、見慣れた風景の中の、どこかおかしな状態。例えば、なぜか私のことを知らない友人。もうこの世には居ないはずの親族。公園だったはずなのに昔からあるような雑貨屋。そう、まさに不思議の国のアリスのような、夢の中の迷宮。次々と移り変わる不可解な場面シーン。そういう、現世と異世界の境界が私にはなんとなく判るのだ。

 重要なのは、向こう側の世界へ渡ってしまった場合、なるべく早く戻ってくることだ。長居をすると、その環境に取り込まれ、変質してしまう。違和感に早く気づいて、いくつかの確認行動をとる必要がある。


 まばたき三回。そして辺りを見回す。

 深呼吸、三回。胸に手を当てる。

 頰を三回叩いて、その音を聞く。


 私は、ぼんやりと、な状態で戻ってくる。

 声はでるかな?

「あ、あ、あ」

 うん。いる、ここに、いる。私の存在は世界に形作られている。あそこの子供にも、私はきっと見えているだろう。

 そしていつも同じ事を考える。あのように遊んでいる子供を見たとき。子供はいつ見ても楽しそうだ。自分にもあんな頃があったのか?あんな風に無邪気な頃が。公園や、道端で楽しそうにはしゃぐ子供達。あの子達は楽しく振る舞ってるフリをしているだけなのかもしれない、なんて不埒な事も思う。もしそうだとしても羨ましい。

 大人を見ても思う。どんな大人も昔は子供だ。どんな子供で、どう変わってきたのか。母親を見ても、誰を見てもそう。私はどんなふうになるのかな?

 自分のものでも、他人のものでも、アルバムを見たりするのは嫌いだ。当然、私の知らない面や過去、それぞれの歩んできた、積み重ねられた人生がある。そういう事を考えただけでも混乱する。

 思い出を犯しているみたいだ。私の事がになって、私も他人の人生に入ってくことになる。それには罪の意識みたいなものが生まれる。

 そして、そんな私の人生に思い切り介入して、さらに過去や意識を掘り下げようとする医者やカウンセラー、そして初対面の人間と話すとき、私はやっぱりいつも同じ事を思う。私は誰にも直接的な干渉はしない。だから誰も干渉しないでほしい。

 友達と話すとき。何でこのコは私と友達になろうって思ったんだろう。藍那アイナに化粧や髪型や服装について言われるとき。自分の友達には最低限の容姿レベルを求めるのだろうか?私は友達として及第点だろうか?そもそも私達は友達なのだろうか?別に彼女や他の友達もそんな事は別に考えていないと思うけど、私は勝手にそう思ってしまう時がある。もう少し楽に人間を見れたらいいのに。ああ、自己嫌悪だ。

 人の視線を感じる時。変な意味で自意識過剰だ。携帯電話でテキストを打つときや、生放送ライブやオンラインの時でも、本当に向こう側に現実世界があるの?と不思議な感覚がする。何もかもに違和感を感じる。この感情も言語化するのは難しい。そんな事がしょっちゅう。何もかも現実感が無い。何にも信じられるものなんか無い。人はどこまで他人を信じられる?どこまで他人を理解できる?どこまで他人を愛せる?自分を愛せる?誰が私の救い主なの。誰がこの心を満たしてくれるの。形の無いモノの方が大事だ。なのに確かなモノが欲しい。果たして私は邪悪な魂の持ち主なのか?

 鏡を見て思う。なんでこんな顔をしてるんだろう。これは本当に私なのだろうか。別に自分の顔が我慢できないくらい嫌いだからという訳ではなく、何故か見るたびに不思議な感覚になる。ではないかのような。この世のものではないかのような。なにか見慣れないもののような。

 …私は違和感を探すのが得意だ。ただ結局のところ、そういう違和感に敏感だとか、第六感とか霊能力だとかに優れてるとか、超能力のような非科学的なタイプで自分を特別に感じる場合というのは、大概は狂ったアタマの勘違いとか思い込み、クスリによる副作用だと思ってる。一言で言うと病気なのだ。

 私は自己顕示欲と承認欲求を満たしたいだけのビッチでも、虚言と妄言を繰り返して同情と慰めと共感が欲しいだけのメンヘラでもない。加工や化粧で虚飾された姿を見て、これが本当の自分なんだと錯覚し、そう思い込むこともない。レイプ、虐待、そんな類のトラウマや過去の呪縛もない。

 けれど、私はいつも傷ついている。勝手に、傷ついている。必要なのは神様ではない。誰でもない。私は一日一日を平穏に、ただ過ぎ去ることを望んでる。欲を言えば、なにか有意義な発見があればいい。

 いつもテレビを見て思う。この世の中はメチャクチャだ。

 子供の頃、高速道路のトンネルの途中にある、非常口の扉が怖かった。ただ山の中をくりぬいた道を走っているだけなのだろうが、周りが見えないトンネルをくぐっているとき、実は今は違う世界をくぐり抜けているのではないのかと考えたりもした。

 私は、あの扉を開けてみたかった。目を閉じて、その扉の向こうをイメージしてみる。そこはきっと、不思議な国に繋がっているだろう…。

 現世と異界、夢と現実。それらの境界線や区別は非常に曖昧だ。

 眠る前に思う。このまま目覚めなかったら?

 それから私はノイズを放つテレビに向き直り、じっと見つめて気が遠くなる。

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