ラストリゾート ー金子ー
「
俺はそいつの部屋に来ている。そいつとはつまり、タワーマンションの上層階で体制側の庇護を受けた自称革命家、センセイの御子息であらせられる春間の砦だ。こういうキャラクターはアメリカのドラマ物には必ず一人いる。イヤミな奴だが頭は切れる。キザで軽薄だが、実はお茶目で愛情の深いタイプ。
けっこうな広さにも関わらず、物が散乱して足場の無い部屋で唯一の
「人間の脳はもはや進化を極め、あとは退化していくのみだ。人間の外部脳として、インターネットを介して積み上げられたAIによる知識の塔は、ついに天まで届こうとし、世界をまた一つに繋げようと試みている。しかし神話や歴史が物語る通り、傲慢な人間が神に近づこうとすると、きっと怒りの鉄槌が、裁きの雷が世界を割ることになるだろう」
どうした。都市伝説の番組かなんかに感化されたのか。それとも今さら金曜ロードショーでターミネーター2でも見たのか?それともエヴァンゲリオンか?人類の選別が始まってるとか言い出すんじゃないだろうな。変な宗教にでもハマったんじゃないか心配だぜ。奴はそこで言葉を止め、でかいテレビ画面の前でコントローラーを操作している。ははあ、さてはメタルギア・ソリッドでもプレイしてるな?
俺達は夜から
そもそもミッション・インポッシブルの話じゃないが、ウイルス撒いてんのって絶対セキュリティ会社だろ?いい奴も悪い奴も俺の知らないところでとっくにナシがついてる。マッチポンプってやつだな。世界中が嘘つきだぜ。
俺は適当に雑誌をとっかえひっかえ読み始める。コンビニによく売ってるようなラインナップだ。カレー屋特集の雑誌をじっくり読もうと姿勢を崩して寝そべったとき、片手が、半分めくれてるシートカバーに触れた。ん?何でココ濡れてんだ…?春間を見ると、『聖闘士星矢・黄金伝説』をやっていた。相当オールドスクールなゲームもあるらしい。
「最近ハマっててね」そう言うと、
「そうだな」とりあえずそう言っておいた。まあ確かにな。オリジナルとそこから確立されたジャンル、インスパイアされ派生したニューウェーブ。歴史と、変化が生まれた背景を知る事は創作する上で大切な事だ。童話とかアニメとか、RPGやシューティングゲームに至っても、設定やストーリーがやたら深い作品が結構あるんだ。名作というものは細部まで練られているんだよ。シンプルな中にも緻密に計算された意図がある。だがそんな事は今はどうでもよくて、さしあたっては俺が退屈なので、何か他に面白いもんでも無いのかと訊いたが、春間はアルデバランとのバトルに必死だ。
俺は部屋の中を物色し、テクニクスのターンテーブルが置いてあるDJブースのラックに、レコードに混じってエロDVDがあるのを見つけた。MPEG形式のデータに圧縮されて収められた官能、氷漬けの姫よ。解凍したいがプレーヤーが見当たらない。俺はパッケージを手に取り、ジャケットの表裏をしげしげと見つめた。ああ、この女優、一時よく見たなあ。この世をすねたような冷めた目が堪らねえな。きっと壮絶な生い立ちなんだろうな。世界に絶望してるんだろうな。
女と黒人のカラミがあるようだ。ポルノに限らず俺は黒人が苦手だ。ブラックミュージックは嫌いじゃないけど、なんていうんだろう、俺は決して
まあ考えてみれば別にとりわけ好きな人種も嫌いな人種なんてものもないけどな。要は個人個人の問題だよ。国レベルの大きな話でもないさ。どこも同じ。どこにだって、良い奴もいれば悪い奴もいる。知らない人からしたら極悪人でも、家族や友人に対しては良い人って場合もあるだろ。生まれ育った街が外国人労働者だらけの土地なのか、親戚ばかりで構成された離島とじゃ考え方も違うだろ。そもそも各国で歴史的なバックグラウンドが違いすぎる。身につけてきた知識、歴史認識も様々だ。だから差別とかじゃないんだ、単なる区別なんだよ。皆がお好きなカテゴライズってヤツさ。やっぱり別モンなんだよ。人間というくくりでまとめれば同じだが、例えば犬でも色んな種類があるだろ。ドーベルマンもチワワも同じ犬だよ。でも別物じゃないか。力士みてえなギャングの黒人と一緒にマリファナを吸って笑い転げた事だってある。アングロサクソンの女と濃厚なセックスをした事もある。中国人や東南アジアの連中と肩を抱き合って紹興酒やラム酒の飲み比べをしたこともあるさ。特に気負いもせずにな。そういう意味では人間として対等だけど、やっぱり違うぜ。差別じゃないだろ、こういうのは。最近はコミュニストだかフェミニストだかうるさ型のクソどもが何でもかんでも平等公平にしたがるせいで、おかしな事になってる。差別と区別の言葉の違いの意味もわかっちゃいねえんだ。みんな違ってみんないい。そうだろ?盲目的になって自分の価値観を他人に押し付ける脳タリンほど始末に負えないものはない。どうやっても解り合えない者同士ってのはあるんだよ。それはそれで別にいい筈なんだ。
そういや韓国じゃ、なるべく血縁の遠い人間としか結婚させなかったんだと。今でもその風習が残る地域もあるそうだが、きょうだい間で子供が出来ると血が濃すぎて奇形になりやすいって言うだろ。つまりその逆で、その方が優秀な遺伝子になるんだと。
ともかく、かわいいは正義じゃないか。これからどんどん移民とか海外進出とか国際結婚とか増えていって、混血とかも増えていったら面白いだろう。人種差別とかってのは根本的に無くなりそうじゃないか?
ちなみに俺の考えとしてはまあ、今の所は移民問題でトラブルを抱えてる国も多いし、やっぱりその土地固有の文化とか人種ってのをある程度は保護していくべきだとも思うぜ。純粋な日本人が絶滅危惧種の天然記念物になっちまう前にな。まあとにかく、色んな考え方があるよな。と、まぁそんな事より、こいつのチンポだよ。なんだこれは?ほらな、別だろ?絶対に別だよ。別の生き物だ。黒人への人種差別が未だに終わらないのは単なるオス目線からの嫉妬かね?
「何で未だにモザイク入れるかなぁ?意味あんのかね?日本だけじゃね?」俺が春間に問いかけると、
「それはだな…想像力が働いて、そっちの方が興奮するからだろ?」奴はそう言ってハードディスクのフォルダ検索を始めた。「しかしネットが発達したせいで、子供でも裏動画が簡単に見られるってのは時代だね。ちょっと前じゃ無修正モノを手に入れるのにも一苦労だったらしいぜ」
そんな事を言ってると、春間は画面にウィンドウをいくつか出して、リアルなレイプの映像とか、ハードなSM映像やら、変な病気を患ってる人間や、処刑のシーンなんかを映した。なんだこのサイト。気持ち悪いな。
「お前、こんなん好きなの?」
「こういう世界もあるってことを知るのは大事じゃないか?」
一理あるが、俺は顔をしかめる事しか出来なかった。っていうかこれ、湯賀が管理人してるサイトじゃねえか。あいつは昔からこういうのに興味を示してたもんな。エロ、グロ、サブカル、哲学に宗教。そんなテーマが好きな奴だ。こういうのを好きな奴っているんだよな。そして、作る奴も…悪趣味極まりないぜ。でも湯賀はかなり金持ってそうだもんな。こんなサイトでも結構なアクセス数があるんだろう。コメント欄には見るに堪えない言葉が飛び交う。みんな病んでるのか、怖いもの見たさか、はたまた…。
俺はマジでムリだ。でもこういう世界に慣れたヤツもいるんだよな。一般常識の及ばないところで生きてる奴らが居るもんだ。世界には、どれだけ異教者を残酷に殺せるかどうかで神に対する忠誠度が量られる宗教もある。あるいは自らの肉体を傷つけることで。サイコパス、ソシオパス共、カニバリズムにネクロフィリア…変人は昔からどこにでもいる。残念ながら何分の一かの確率でそういう異常者は存在し、そのまた何分の一かは善良な市民を巻き込んで犯罪を犯す。俺はガキが殺人とか自殺とか事件を起こすのって、こんなネットやゲームや映画とか雑誌が影響してるとは思うけど、もっと根っこの部分はその本人の特質じゃないかな。結局はそんなのを理由にするようなら、その人間が弱いってことなんだけど。とにかく、こんな映像をガキが検索して誰でも見られる時代ってのが恐ろしいよな。知らぬが仏、臭いものには蓋、って事もあるだろうに。世の中狂ってるぜ。
とは言え、だ。技術が進めばツールやプラットフォームが変わるってだけで、別に時代の問題なんかじゃない。詐欺や暴力なんて大昔から存在することなんだし、世の中が狂っちまってる原因なんて、別に誰のせいでもない。強いて言えば、そもそも元々まともな事なんてのがないのさ。俺の個人的な不満を言うとすれば、とにかく金持ち共は嫌いだぜ。シリコンバレーに爆弾を落としてやれ。ビバリーヒルズから六麓荘まで、アッパー・イースト・サイドからケンジントンまで。金持ち共をレット・イット・バーン!そうだろ、エーちゃん?みんな黒く塗りつぶせ。ああ、でも社会主義や共産主義を信奉しているわけじゃないぜ。ま、八つ当たりだよ。
ブラウザを開いて、動画を適当にサーフする。ニュースを見てからSNSにログインして情報収拾。不幸自慢、幸せ自慢。こんな風にネットを通じて人々はいとも簡単に、そして自然に交流出来ているんだ。だが実は繋がってるようで、第四の壁の世界のようなものさ。時折その壁を超えてくるという程度の。
AIが現代のバベルの塔とは、言い得て妙だ。そう…ワールド・ワイド・ウェブ、世界は広がりつつ縮小してきている。言葉、音楽、文化、金融、社会的コネクションの共有、混血児…。また、コンピュータ・ネットワークという、人間が進化の滞った脳の補助として作り上げた外部脳としての補綴神経系の拡張によって表されるデジタルでヴァーチャルな世界。AIの
「そういえば女とはどう?」と春間が何かの片手間に聞いてくる。
「どの女だよ」
「カッコいいセリフ吐くじゃねえか。どれだか分かんないほど心当たりがあるのか?それともクスリのやりすぎで健忘症かよ」
「ヤリすぎってのは、お前のためにある言葉だ」
「そういやお前、金も払わねえで消えたもんな。この間の話だよ。覚えてるだろ」
「もう別れたよ」と俺は答える。「なんか、急激に冷めてしまったな」春間は少し笑った。
「お前が昔の女に未練タラタラなのが見え見えだって言ってたらしいぞ」
「なんだよそれ。どこの情報だよ」あの女とは結局、会ったのは五回ほどだったか。セックスがつまらなかった。なんというか、今までに相当ヤリこんでるんだろうな、ってのが節々に見えて気持ち悪くなったな。俺は処女信仰なわけではないが、さすがに度が過ぎると受け入れられない。どんなに汚れていようと最後には自分の側にいればいい、なんてラオウのような器のデカさは無いのさ。
「あの子も男運が無さそうだな。男運というか、見る目が無いんだろうな」含みを持たせた言い方が気になったが、深く詮索する気にはならなかった。「ああいう子、将来どうすんだろうな。その場のノリだけで、流されて、生きていく」
「知らねえよ」と俺は言う。
「要領が良い子なら適当に遊ぶだけ遊んで二十五、六歳で、真面目にやってきたそこそこの物件を捕まえるんだろうな。そうでなきゃ、三十超えて年収ウン千万でないととかいいながら実際はダメ男とばっかり付き合っていくんだろうな。運命の別れ道は、『相場』と『やめどき』を知ることだよ。そうだ、いい案件があるんだけど、乗るかよ?」この男がまさにSNSなんかで胡散臭い情報をばら撒いてる奴で、まあバカ共をネタにして今時の金儲けをしている張本人だ。もともとが金持ちだから資本力がある。バカを騙すにはハッタリが重要だ。
「俺はそういうのはやらねえんだよ」俺は儲け話やギャンブルというものを敬遠している。それは親父が反面教師だからなのだが。「お前はどうなんだよ?しょうもない小遣い稼ぎをずっとやりたいワケじゃねえだろうが」
春間の場合、職業欄には何と書くのだろうか。色んなことをやっているようだが、最終的な目標みたいなのは知らない。イベントオーガナイザーやDJ活動なんかで食っていくのは現実的に難しいだろう。クラブなんかも下火だしな。まぁ、家が金持ちだしどうとでもなるもんだと思うが…。でも親は医者だっけか?あれは資格がいるから世襲できないもんな。政治家だったっけ?まあ、どうでもいいや。
「まあ、やりたい事はあるぜ」と言いながら春間はタバコをくわえて立ち上がった。「お前にもあるだろう?音楽の世界にはもう戻らないのか?」
「熱意ってのが無くなってしまってるんでな。何がやりたい事で、なにが幸せで、何が人生の目標かってのを見失ってしまったよ」
「そういうの、なんとか世代って言うんだっけか」
「さあな。どの世代にだっているだろ」
「だったら手当たり次第に種をバラ撒いて授かり婚ってのも案外悪くないかもだぜ。家族はいいもんだ」
「お前の家族はそりゃ、いいもんだろうよ」
「歳をとってからの独り身はキツいし、気持ち悪がられるぜ」
「なんでお前にそんな事が判るんだ」
「考えれば判ることさ」と春間は澄ました顔で言う。「不惑四十歳というが、独身の四十男はまさにその時期に死にたくなるもんだ」
「本厄だからな」
「そうさ。あながち昔の風習や迷信にも根拠があるもんだ。親は歳だし、自分もそこそこ歳だ。会社なんかじゃ一番バリバリの時期だが、見た目も肉体も衰えてきて、若い世代からすると確実にオッサンで、若い女と遊びたかったら当たり前に金が要求される。惨めなもんだ。同世代の友人とは疎遠になり、趣味もどんどん内向的なジャンルに偏ってくる。子供がいれば成長を楽しんだり、既婚者同士の集いにも参加できるが、オッサンひとりでやることなんて、狭い自宅で安酒をあおるか、風俗に行くくらいしか金の使い途もないのさ。独身貴族なんて、物は言い様だぜ」
「家庭円満が厄除けのカギってか?別に家族やガキなんていなくても、充実した生活を送ろうと思えば出来るだろ。金を稼ぎゃいい。世の中の問題のほとんどは金で解決できる」
「金を持ってたとしても、それで周りにいる人間なんか薄情なものさ。金が無くなりゃ一緒に消えてゆく。掛け値無しで付き合える、掛け替えのない存在ってのが、結局のところ宝物なのさ」
「ガラにも無いことを言うんじゃねえよ。お前なんて地獄行きのドラフト一位だよ」因果応報とか自業自得ってものが存在するのなら、コイツや我妻みたいなのは間違いなく報いを受ける筈だが、悲しいかな悪人の方が要領が良いもんだ。神様には嫌われていても、悪魔からは好かれているだろうからな。死後も地獄で管理職スタートだろうよ。「俺は孤独死なんて上等だし、老人ホームの世話なんかにもならねえよ」
「そういう強がりを言えるのも若いうちだけさ。自分の限界を知り、いざ孤独と虚しさのなかで死ぬしかない未来を悟った時、どうせそうならもういっそ今でいいやと思っちまうのさ。文豪とか芸術家によくあるだろ。それが四十歳って年齢だぜ」
「はん、やべえな。タイムリミットまで十年ちょっとか」
「そういうことだ。昔の女に未練を感じたり、せっかく自分を好いてくれる奇特な相手を高望みして捨てたり、相対価値に囚われて選り好みをしてると、男女問わず行き遅れになっちまうんだぜ。なんかのドラマでも言ってたろ?運命の人を探すんじゃなくて、自分の努力で身近な人を運命にするんだよ」
「お前みたいに幸せな家庭でぬくぬく育った奴には分からないかもしれないけどな、結婚や家族に幻想を抱くもんじゃねえぞ。普通に幸せな家族ってのは、相当難易度が高いと俺は思うぜ。世の中に害をなさない両親の元に生まれ、そんなにひどい見た目でもなく、知能も正常で、金に困ることもなく、大きな事故や病気もなく成長して、学校へ通い、就職をして、また次の世代の家族を育てる。そんな普通が今のご時世じゃ難しいんだよ。結婚なんてしたって、不倫だなんだ、非行だなんだ、面倒事ばかりだ。初めは幸せでもな、どんどんボロがでてくる。結婚すりゃ失った人生の目標も回復できるみたいな言い方するけどよ、俺から言わせりゃとりあえず結婚して家庭を築くって、割と難易度が低いんだよ。自己実現とか、人生に意味を見出して幸福を感じる手段としてはな」
「そりゃまあ、相手が誰でもいいんならな。簡単だろうな。永住権が欲しい外国人だっていい」
「誰にでもさ、もっとデカい、実現困難な大きな夢があっただろうさ。でもな、諦めちゃうんだよ。どっかのタイミングで。それが結婚とか、出産とかの場合って多いと思うんだよ。そしたらさ、難しいことはもうやめて、そこで生きがいを見つけるほうが楽でいいじゃねえか。なにかの分野で夢を叶えた、成功した、その上に幸せな家庭もある、なんてのはほとんど奇跡だし、よっぽど優れた人間でないとできない事だよ。でもさ、そんなにさ、難しくはねえじゃん。きっと。ガキを作って結婚するってくらいは」
「おいおい、どんな環境で育ってきたらそんな捻くれた考え方になるんだよ」
「少なくとも、幸せな環境ではなかったさ」俺は親父の顔を思い浮かべようとしたが、すぐには顔をもう思い出せなかった。「まあ、結婚もさ、面倒くせえよな。ステップがさ。相手がいるもんだし。他に娯楽も多いし、コスパ考えたらセックスよりゲームのほうがいいもんな。幸福度のレベルもさ、うまいもん食ってオナニーしてぐっすり寝るほうが高く得られるんじゃないかって思うほどだよ」
「なんかもうジジイの域だな。達観してるというか、仙人だよ」
「性欲が高まるのなんて、パキってるときくらいだよ。ああ、でもマリファナなんかも少子化対策にはいいんじゃないかな。あれ、デキちゃった婚が増えると思うぜ。わかるだろ」
「シングルマザーとかネグレクトの問題が増えそうだけどな。賢者は歴史に学ぶってね、ご利用は計画的に、だ。セックスレスの金持ちが不妊治療で大金かけるのに、貧乏家族は子作りしまくって貧困になる。皮肉な話だね」
「まあ、なんつーか、とにかくさ、難しいんだよ。結婚も子育ても。俺らみたいな社会不適合者のモノサシで計るのはやめようぜ。みんな、それぞれ頑張ってんだよ。サラリーマンもアウトローも存在するからこそ、社会が回ってる」
「そうだな」春間は肩をすくめた。「ま、皆さんやりたいようにやるのが一番ってことだな。卑屈にならず、目の前の幸せを素直に受け止め、追い求めるのが健全な人生の選択だ」
「そういうことだな。普通って、全然悪い事じゃないぜ。普通、平凡、身分相応な幸せって、それこそ掛け替えのないモノだよ」
「ああ」春間は頷く。「そろそろ行くか?ちょっと早いけど」
俺も立ち上がって、二人してクラブへと向かう。あちらこちらで求愛行動をとるオス猿がメス猿を手に入れるためのサファリパークへ。
「今日のジャンルは?」俺は春間に尋ねる。これは大事な事だ。寿司か焼肉かフレンチかで装いも変わるだろう?同じことさ。TPOをわきまえる事は単なる礼儀とかだけじゃなく、気分良く過ごせるかどうかの鍵だ。音楽とファッションとドラッグは切っても切れない関係だからな。
「まぁ、色々だな」
「…で、お前は何になりたいんだっけ?」
「ま、強いて言うならエンターテナーかな」
「幅広いな…どういうジャンルの?」
「ジャンル、か。重い言葉だな。この世の流れを大きく動かしてるのはエンターテナーだろ?苦労知らずの世襲議員じゃない。ポップ文化とアングラ勢の程よいバランス」
「それで?」
「映画を撮りたいとは思ってる」
「なるほどな。まあでも、成功すんのは難しそうだな。あの業界がどういう世界なのか知らないけど」
「いいか、例えば有名人…特にタレントってのなんか、ほとんど一般人と変わらねえよ。特に昨今のSNS文化。画面越しで見る人間との距離も近づいてる。それにセレブリティーを作るのは、メディアと、その媒体の最小単位である俺達だからな。世論とか見てても解るように、大衆のほとんどは健全で、恐ろしく無知だ。だから世界の何十億の中、そんな中から選ばれるってのも、特別な存在になるってのも、そんなに難しい事じゃない。大した奴も居ないし、俺は自分を信じてるからね」
「そんなもんかね」夢があっていいよな。俺はただ、そう思った。春間は色んなグループで中心的な存在だし、周りには信者やイエスマンがほとんどだ。そういう場所でおだてられれば調子にも乗る。ダサイクルとかサイバーカスケードの理屈さ。だが奴の言うことには共感もできる。デジタルネイティブ世代、耳目を集めて、評価を得られるかどうかは別として、世に出すだけなら誰にだってできる。誰にだって、どんな低レベルなものだって。ブサイクな自称アイドルや、くだらねえ配信者とか、胡散臭い詐欺師連中が世にどんどん出ていることを考えたら、世の中は実際のところ甘いんだろう。それだけバカが多くて、レベルが低下してるってことだ。ランチなう、とかクソどうでもいいことを世界に発信する為にたくさんの衛星や海底ケーブルなんかのインフラが整備されてるわけじゃねえんだぞ。生産性のないクソつまんねえ奴ってのを取り締まる法律でもできればいいのにな。そんなカスに限って、ちょっと批判されりゃ誹謗中傷だの何だの吠えやがる。公表すりゃ批評されるのは当たり前だろ。傷つくのが怖いなら誰にも見せるんじゃない。褒めてくれる身内だけでやっておけ。そのまま歳をとって死ねばいい。ああ、恋愛もそうだな。ジャンプする勇気って必要だよな。思い返せば、俺はずいぶん情けない事をしてきた…。
とにかく、エンターテイメントはもう出尽くした。俺はそう思ってる。音楽も、文学も、映画もファッションも、既存のもので事足りる。近年はあらゆる分野でコンテンツの質の低下が顕著だ。確かに技術は向上してる。画質、音質、インターフェース。でも肝心の中身がだめだ。ビートジャック、サンプリング、オマージュ、インスパイア、焼き直し、カバー、パクリ、コピー&ペースト、自動演奏、オートチューン。流行りのファッションを身に纏って表現すれば今どきのクリエイティブは完成さ。ファッションだってアートだって流行のリバイバルがある。そこから抜け出そうと前衛的な試みをしたって、結局受け入れられはしない。包括的にアートは衰退し、それらを生業にしている者は絶滅の一途を辿る。音楽も映画も小説もゲームもそんな感じ。ギリシャ、ローマ、北欧神話それとも聖書あるいは日本書紀、クラシックや西部劇など大昔の創作物から未だに影響を受けている。どこを切り取っても完全に新しいもの、そんなモノはもう存在しないんだ。そんな状況のなかで、自分こそが新たなムーブメントを生み出せるという自信あるいは思い込みを持つことって、なにより大事だよな。春間も言ってたように、大衆はルーツを遡らない。流行にサイクルがあるように、それぞれの世代にとって、とりあえず形式上は新しければいいんだ。
クラブ『AZISAI』では、『LUST RESORT』というイベントをやっている。初めて来たが、なかなかフロアの
俺はビールをちびちびあおり、音楽に合わせて体が自然と動くほどに酔ってきた。充分に楽しんでいる。けれど、何か物足りない気分ではあるな。そう思い始めた時、フロアに戻ってきた春間がスッと
心拍数が徐々に上がってくるのがわかる。やがて体の隅々に張り巡らされた血管と神経に熱を感じて、視界が明るく、暖かくなる。そう、これこそがいつまでも無くなりはしない、追憶の遺伝子から喚起する脳天へのフィジカルな一撃だよ。右脳派人間の真骨頂を見せてくれる。スピリット・オブ・エクスタシー、天使の翼だ。
「そうだ!これなんだよ!」俺が求めているものは!この感覚なんだ!原始時代から人間の肉体と魂が求めている!アートは消えてもセックスは死なない!不滅なるものよ!全てを知るものよ!
世界はひとつ。人類は皆きょうだい。皆が神の子だ。全てが美しい。ほら、何もかもが透き通っているだろう…。
アンビエント、ジャングルビート、ダブステップ、トランス。『Saturday Teenage Kick』が爆音で流れてきたとき、俺のテンションは最高潮に達した。光のシャワーを浴びた俺の体は、スモークマシンの煙となってレーザービームに同化してゆく。溶けて、流れて、再構成され、また分解されて、視界が360度に広がる。網膜に飛び込む色彩はまるで印象派の絵画のように
太陽…。
それは…太陽だった………。
太陽が落ちてきて目が覚めた。
自分で帰ってきたのか、誰かに送ってもらったのか、まったく記憶に無いが、気が付くと俺は自分の部屋に戻ってきている。頭がクラクラする。仰向けに天井を見上げると、距離感がどうもおかしい。目を閉じると、昨夜の事が色々と思い出された。ドリアンをボールにしてフットサルをしていた。いやいや、それは幻覚だろう。夢に違いない。どこまでが夢で、どこからが現実だろうか。ああ、吐き気と動悸がひどい。そうだ、眠ろう。そして次に目が覚めた時、最初に見たものを愛することにしよう。
どういうわけか藍那の事が頭に浮かんできて、俺の指が勝手に動いて電話を掛ける。なんだ。なにをしているんだ。
出なかった。単調な電子音だけが繰り返し聞こえてくる。やまびこのように、音は大きくなったり小さくなったりこだまする。
「…もしもーし…俺。分かる?元気?じゃあな~…」
意味がわからない。俺は十秒前に自分が何をしたのかも忘れて、ぼんやり頭痛と耳鳴りがするなかで、さらに変な妄想が頭をかすめるから、それを振り払おうと、低く唸りながらすぐ眠りにおちる。目覚めてから次に見るものは何だろうか。
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