モルヒネシティの千の罪 -下ー

 黄色のMは黄泉へのいざない。寄る辺なきたちが、積尸気が立ち昇る冥界の穴へと導かれる亡者のように、輝く赤い看板サインを道標に拵えた門構えをくぐり抜け、虚ろな目をして地下へと降りていく。そこは不夜城の片隅に湧く混沌、年中無休の地獄のオアシス

 の対義語はであるとされる。その概念を理解するには哲学的な知識と見解が必要かもしれないが、このファストフード店のフロアを空間と捉え、またここに存在する人間を時間だと見做したとき、なんとなく、ただなんとなくその意味が二人には分かるような気がした。

 店内は始発待ちの様子、仮眠をとったり携帯を眺めている連中やホームレスと思しき者、観光客の装いなど、様々な事情のシェルターと化している。湯賀と金子は店内を見渡して品定めをする。かなり若そうな女性を見つけるが、声をかけるなどするわけもなく、金子は露出した腕に大きなタトゥーを入れたその少女を見つめて呟く。

「ゆく川の流れは絶えずして、か。生々流転。時代の波の流れは激しいものだな。だが本質的には何も変わりはしない」

「なんの話かね」金子の切り出した話に、湯賀は興味なさそうに返事をする。

「方丈記と徒然草は基礎教養として読んでおかないと駄目だぞ」

「お前のツラからそんなタイトルが出てくるとはな。カート・コバーンの自伝なら分かるが」

「優れた作詞家リリシストというものは、文化や文学に精通しているものさ。キーワードはDEEPとDOPE。土台や基盤が無いと浅薄になる。あらゆる芸術に言えることだろ」

「それで何の話だ」確かに金子の書く歌詞は良くいえば文学的であった。悪くいえば支離滅裂。例えるなら井上陽水や初期のオアシスに影響されていたような、恐らくは制作中にドラッグでも使用していたかのような脈絡の無い展開の意味不明な散文。仲間との絆や夢を語って共感を呼ぶスタイルではなく、精神世界を旅する比喩であったり、失われた恋人へ向けたラブソングであったりした。

「ある対象が伝統に対し反対体制をとってくるにつれて、例えば今の若者世代のサブカルチャーや総体的な姿勢アティテュードが例えオトナや大衆文化からは理解され難くても、今のオトナ世代が若い頃やその更に前の世代にも、当時は受け容れられなかった対抗文化カウンターカルチャーがあったように、これから先、我々が年老いて今のガキ共が成長してくるにつれて、また想像もつかないような新たな認識が生まれてくるんだろうな」湯賀は、金子の目線の先を追い、たかが女がタトゥーを入れてたくらいで何の話だ、と思った。

「お前も人間観察が趣味になったのか?思想や流行なんてものは時代と共に変化するものだろ。進化、変化、退化を繰り返して」そう言う湯賀を無視して金子は続ける。

「考えられる事は、でもやっぱり若い世代が未来を担っていくわけで、いくら我が国が腐敗していってるとしても、バカやノイジーマイノリティは目立つってだけで、真面目な奴は一定数いるんだし、自覚の有無は別として誰にでもそれなりの役割があって、それぞれ社会に参加してる。学生の頃はマイナーでドーテーな奴が将来は官僚になったり偉い科学者とかになって、歴史を変える人物になるかもしれない。でも人間みんな平等に出来てるワケじゃないから、一所懸命にやってきた奴が必ず成功するとは限らないし、悪い事ばっかりやってきた奴が必ず報いを受けるかというとそうでもない。明らかに今までの人生ロクな事が無いって奴もいるけど、それでも生存本能に基づき生き続けるわけだ」湯賀はこの時点で、金子が誰を攻撃しているのかはっきり分からなかったが、黙って聞いておく事にした。「社会的にも本能的にも、人間は他人が偉そうにしていたり、恵まれた環境、境遇にいる事を妬み嫌う。労働者階級プロレタリアートや弱者のルサンチマンは有史以前の因縁だ。だが争いは同じレベルの間でしか発生しない。妬み嫉みは時間の無駄だ。むしろ余計にストレスが溜まる。大事なのはビジネス、セックス、人間関係どれにおいても、いかに利口かって事だ。成功への道のりってのは知恵と度胸さ。弱い人間を食い物にしたり、お前が言うように女に対して極悪な事が出来るってのも才能のうちさ。出生の違いとか遺伝子がどうとか僻んでばかりで何もしない言い訳がましい無能な負け犬は一生そこから抜け出せない。俺たちは名家の生まれでもなんでもない。今から頑張って医者や弁護士になれるわけでもない。実際チャンスや幸福への鍵みたいなモノはいくらでも転がってるんだろうけど、それに気付かない、或いは手に入れようとしない、それとも変な拘りのために放棄してるとか、もしくはただの俗人主義とか無益論者だとか…理由は人それぞれだろうけど、そんな事は全部放ったらかして、大した欲も無く、夢も小さく、今の自分に甘んじていて現状に満足してるなら、それはそれで何の問題も無くて、結局のところ幸せなんだろうな」湯賀は、他人の金でVIP席に座っていたフリーターの友人に対し、心の中でため息をついた。

「啓発セミナーでも始めるつもりかね?それが時代がどうたらの話とどう関係があるんだ」

「大きく括ってしまえば、結局いつの時代も一緒なんだ。そういう意味で世界が大きく変わるなんて事は無い。無為な若者…三無主義だの、ビートだのミーだのXYZジェネレーションだの新人類だの。清教徒ピューリタンの時代からデジタル・ネイティブの現代まで、若者はいつだってクソの塊だ。この街を見ろよ。いろんなタイプの人間が生息してる。こいつらが夢だの目標だのを持ってるか、それとも管理下社会や思春期や現実の厳しさのせいで自己目標を喪失してるか…そんなのは俺の知ったこっちゃない。今を精一杯生きろとかよく言うけど、そんなのはまた別の話。確かにアイデンティティの確立がどうとか、自分のやりたい事だとか、難しい問題だよ。みんなそれをしてる。でも頑張ってる奴らは冗談抜きで素晴らしいよ。皮肉でもなんでもない。俺はそんなタイプの人間になりたかった。多分、だいぶ楽になっただろうな、色んな事が。つまりよ、色んな奴らがいるんだよ。ミジメに暮らしてる奴、下らん事に熱心な奴…。でも皆それなりにいろいろ考えてんだよ。若者は。いや若者だけじゃなくても、人生模様は幾千億もある。世の中のサイクルとしてな。人は大人になるにつれて、自分を受け容れ、存在理由を見つける。家族や仕事を媒介にして。いくつになってもバカな奴もいるけど、まぁみんなそれなりにしっかりしてるのさ。っていう基準と定義は曖昧なもんだけどな。これからどうなるかわからねえけど、それがいつになっても人の世の流れさ」

「…結局、何を言いたいんだね。バカは風邪ひかなくて羨ましいって上から目線の話かよ?」

「ダメ人間でも、それをパワーに変えられる奴は幸いだ。同じ目的でも方法は色々ある。弱い自分を見て貰うために何かを表現するってのもいいだろう。外界からの厳しさを避けてカラに閉じこもるのもいいだろう。しかし大成するには何かしら才能がいる。でも皮肉な事に多くの人間は、至ってフツーな人間だよ。人は努力で変わるとか、生まれながらの素質は同じようなモンだとか言うけど、やっぱ生まれつきアタマの良い奴ってのはいるもんだし、容姿も身体能力もほとんど先天的なもんだろ。勿論、努力や教育や環境や気の持ち様である程度は変わる。でも現実にこの世には勝ち組と負け組、そもそもの人間の器ってのは確実に存在する。綺麗事ばかりじゃない。残念ながらな。この歳になったら自分がどっちの部類なんか分かってるだろう?」一息つけて、金子はさらに続ける。「ルックスやユーモア、自己執着心が劣ってる奴とか、他人から相手にされない人間にとって自信を持たせてくれるものは、分かりやすく言えば金だが、それでも満たされない場合もある。そういう自分に空しさを感じないかが肝心なところだ。そう、確固たるスタイル、信念。なんにしろ自分を愛せる奴は幸せなんだよ」金子は足を組み替えて、「…人生は挫折の連続だ。しかしそれをバネにしないといけない。それをいつまでも引きずってるようじゃいけない。確かにあまりにも挫折に馴れすぎてしまうと向上心は欠落してくる。クソみたいな人生の運命を認めて受け容れてしまったら、自分が劣等である事に対してコンプレックスしか抱かないようになっちまったら、もうずっと負け犬だ」黙って聞いている湯賀は、彼は自分自身に言い聞かせようとしてるのかと推測するが、わずかな確率でこちらを褒めてくる展開、或いは一転攻撃の姿勢もあり得ると身構えた。

「解決法を聞こうじゃないか」

「俺は間違っても自分を容姿端麗、頭脳明晰だとか、他人よりズバ抜けた才能を持ってるとは思わないけど、自分なりにスタイルを持ってるわけさ。確かに、日々を無為に過ごして将来の事も真剣には考えていないし、何事にも期待はしていないけど、自分の哲学を持って生きてる。だから、人生の目標を持とう、とか言わねえけど、やっぱり無意味に生きてることは最悪なんだよ。結局、かどうかなんだよ。やるべきことを、危機感を持って、な」

「うーん…」と湯賀は唸る。「現代社会の枠組エピステーメーとして、それはファッションスタイルなんかと相関関係にあって、例え自己同一性の喪失アイデンティティ・クライシスに陥った若者達がそれでも功利主義的思想を追い求め、快楽原理に基づく個体主義的認識が、いずれニューウェーブ・カルチャーがメインストリームになってくるような世のサイクルとして過去の例と矛盾しない訳だが、その過程と一般的な結果として、人間誰しも目標とそこから読みとれて反映される自分のスタイル、自己認識による自己発展が自己理想を掴むきっかけとなっていても、認識論哲学でいう経験則で言うと、未熟で経験不足で現実逃避的傾向にあって厭世的になっている俺たちのような人間は、その為に自己目標を喪失していて…」湯賀は頬杖をついてストローを噛みながら感想と持論を展開するが、

「お前は話をややこしくしすぎてる」と金子が制止し、口を歪めて笑う。「俺が言いたい事はつまり、若い女がタトゥーを入れるのは間接的にお前をバカにしてるってことさ」

「なんだよそれ」湯賀は苦笑いする。「俺はてっきりお前が自己分析して自分への戒めを語っているのかと思ったぜ」

「そんなまさか」金子も笑う。「俺は自分のことはよく分かってるさ。お前は自分をちゃんと客観視できてるか?」

「どうだろうな。でも結局は価値観は人それぞれって事だろ」

「価値観の違いっていう言葉は嫌いだ」

「何故だね」

「その言葉は試合放棄と同じ。便利な逃げ口上だ。どんな議論も一発で無意味になる」金子は眉間を指でつまむ。「まぁ結論を急ぐなよ」立ち上がる。やれやれと湯賀は思った。「とりあえず俺は全てを否定したいだけ。ファックだよ。常に、全ての既存のモノに対しては反発していたいんだ。誰かが決めた事に何となく従うのは釈然としないから」

「御立派なことで」と湯賀は大きな欠伸をする。「理屈っぽいくせに結論が曖昧なのはお前の悪いところだ」

「お前の悪いところは、未だに中二病をこじらせてるところだな。お前のそのご大層な偉そうな知識も、どうせネットで得ただけの机上の空論、衒学的なナンセンスだ。金を溜め込んでばっかじゃなくて、まずは彼女でもつくれよ。そういう事だぜ?大事なのは金だけじゃない」

「世に出て、生きた証を残すことかね?」湯賀が問いかけると、

「さあな」とだけ金子は答えた。湯賀はため息をしつつ首を振ったが、こういう会話ができる友人がいるというのは幸せな事なのかもしれないな、とポジティブに考える。そしてその友人の肩を叩く。

「お前は、とにかく、コカインを控えろ」


 駅を出て少し歩き、二人は夜の街に舞い戻ってきた。彼らはネオンの飾り物のような、様々な人間模様を見渡す。通行人、オブジェの周りの垣に腰を下ろしている若者。スーツを着込んだ職業不明の男。国籍不詳の外国人。いたる所で携帯を片手にしてる人達…。駅ごとに入れ替わる、電車の乗り降りをする人達などもそうだが、これだけ様々な人間がいて、それだけ多くの人生模様があるのにも関わらず、二人の目には彼等は単一のもの、心を持たない一つのまとまりの生物群のように映る。

「このソドムの街はギラギラして眩しすぎる…目に毒だな」金子が目を細める。「欲望と狂気のモザイクさ。ネオンの明るさは心が麻痺した街の罪の数だけ輝いている」そして彼は高層ビルと、大きなスクリーンを思い浮かべ、このビル群の無機質なネオンサインと、それに惹かれていく人々を見て、時折ため息をつく。「狂った街だよ、ここは。人々の持ってるバイブスみたいなモンがさ、地元とは全く違う。ま、田舎から出てきた奴がほとんどだろうけどな」

「田舎でも都会でも、どこ出身かってのは大事だよな。そこから様々な価値観を学ぶんだから。帰属意識や郷土愛なんか別に無いけど、ではありたいもんだ」

「我妻なんかを見てるとよく思うんだが」と金子が言う。「あいつは昔からモテて金も持ってる。背も高くて顔も良いし底抜けのバカでもない。地元を出て俳優やら芸能人を目指すとか、そういう選択肢もあっただろうと思ってた時期もあるんだが、結局、田舎でやってるのが一番居心地いいんだよな。地方レベルで金持ちで、そこそこイケメン、そんな奴は履いて捨てるほどいるさ。都会に行けばもっとすげえのがゴロゴロいる。地元が好きって理由をつけて、そういう敗北感を味わわずに済んで、そこそこ楽しい人生を送れるなら、地元に居たほうが間違いないよな。傷つく事や失敗を恐れて、人生で一度もチャレンジをしないって選択肢も今の時代にはなんだろうな」

「確かにな」と湯賀が相槌を打つ。「都会にいる色んな人間を見ると、シンパシーを感じる部分は多い。何も考えてなさそうな若者もそうだけど、汚らしい身なりの大人、一時的な快楽を求める夜の人間、夢見てやって来てブラックな仕事をするハメになる奴とか…皆、色々試して、それなりに頑張って、自分の才能なり夢なりを掴もうとしてるけど、なかなかうまくいかずに落ちぶれる。まぁ俺らが心配する事じゃないけどな。でも、俺らにだって似たような原理が働いて、同じようなハメになるかもしれない。それにダラダラと慣れてしまうってのが恐ろしい事だ。何がそうさせるのかな?都会への憧れがそうさせるのか…生き急いでコケてしまうのか。人生が一度きりだってんなら皮肉なもんだ。夢ってのは単なるだから。欲は満たされないと苦しみに変わる。それなら欲を持つな、って事になってしまうが、それが結局、の精神とかにも繋がってくるんだろう。俗世間の欲は性質タチの悪い毒なんだよ。美味いし、中毒性がある。完全には満たされなくとも、そこそこ良い気分にさせてくれる。毒に慣れてきたらもっと毒性のあるを欲する。無限の繰り返しさ。うまく付き合うしかねーよな」湯賀は一瞬立ち止まり、両手を広げて空を見上げた。「このネオンさ。光に群がる虫みたいな人間達と、この世を支配するコントロール・フリークがいるんだ。この世界を司っている誰かが居る。ニーチェ的超人?黙示録の女?世界の首脳?ユダヤの大金持ち?ウェブマスター?フューチャリスト?それともスパゲティモンスター?或いはイルミナティか?」

「陰謀論をマジに語るようになったら、客観的に見てただの統合失調症だぜ。お前は問題を大きくしすぎてる。考えてもみろ、この世の全てを支配している奴が居るとしても、俺はそんなの知らないし、仮に運命とかがあったにしても、どのみち何が起きるのかは分からねえ。もっと現実的な問題を直視しろよ。くだらねえ質問をしてやるよ。お前の夢は?目標はなんだ?何の為に俺達は生きてる?」金子は自分にも同じように問いかけているように見えた。


 二人が答えを出さずに無言のまま、次の目的地を定めずに歩いていると、路上で歌を歌う女を見つけた。無意識に立ち止まって暫く耳を傾けていたが、彼女が一曲を演り終えて、わずかな聴衆が静かに拍手をした後に次の曲を弾き始めると、二人はまた歩き始めた。

「効率としてどうなんだろうな?」湯賀が呟く。「夢に向かっての、最も有効的かつ近道な方法って何なんだろうな。どんな分野でもさ」

「金かコネだろ」と金子が吐き捨てるように言う。「やっぱパトロンって大事だよな。金と時間に余裕がないと、夢を追いかけるのも難しいぜ。生活費のために日銭を稼ぐことが最優先になってしまって、たまの飲み会で身内と夢を語って気付けば。量産型の個性的キャラという矛盾ばかり。そういう田舎者ワナビーばかりで出来てる街だぜ」

「お前はやっぱり実際のところ、羨ましいんだよな。夢に向かってガムシャラな人間がさ」湯賀がそう言うと、金子は空を見上げた。

「世界は全て犠牲で成り立っている。何かの犠牲を払って発展しているんだ。ヨーロッパやアメリカの侵略の歴史。もっと昔からの争い。北海道の開拓の歴史も、タコ部屋の労働者と売春婦を無しには語れない。戦後の復興も闇市やヤクザ興行が関わってる。高度成長期も寝る間を惜しんで働いた賜物。都市や文化の発展は侵略の歴史、血と汗と涙の開拓史だ」

「何の話だ。そして何の受け売りだよ」

「誰かが心血を注いで、時間と頭脳と肉体と予算を費やして一つの結果が生まれる。そういう人が何人もいて沢山の結果が集合する。芸術も医療も技術も都市開発も何もかもだ。犠牲を払ってるんだ。時間、心身、時には家族をも。道を極めるとはそういう事だ。何かを選び、捨て、追求するという事。どんな天才でも複数の分野を極めるなんてことは不可能だからな」

「まあ、レオナルド・ダ・ヴィンチくらいだろうな」湯賀が横槍を入れるが、金子は無視する。

「エンターテイメントも、ロックンロールやアートなんか顕著な例だ。ドラッグでブッ飛んで、命を削ってブッ飛んだ作品を生み出してる。カートも、バスキアも、ゴッホも。それが後世に残って評価をされてるわけだから、少なくとも芸術の分野じゃドラッグは切っても切れない関係さ。無論そんなものに頼らずに良いモノを創造できる人間の方が素晴らしいさ。でもな、ロックの歴史上、全くキマったことが無いなんて連中のほうが圧倒的に少ない。数え上げたらキリがない。腐るほどいる。連中は生き急いで、脳をブーストさせて、良いモノを残したんだ」

「ラリったら良いモノが創れるっていう理屈もおかしいけど実際に、キマってるときに歌詞やメロディがなんていうミュージシャンも多いからな」湯賀は肩をすくめる。「役者なんかはどうなんだ?キマってたら演技なんか出来ないだろ」

「プレッシャーから逃れるとか、表現力が豊かになるとか、間接的な部分で役立ってんだろ。恐らくな」

「ふーん、成る程な」と湯賀は頷く。「ダリはいいよな、その点。『ドラッグはやらない。私自身がドラッグだ』って言ってさ」

「ダリなんかどうでもいい。この街もそうなんだ。あらゆる犠牲の上に成り立っている。夢を追いかける者、破れた者、そいつらが人柱となって仕上がっている」

「それは犠牲と呼んでいいものなのか?」湯賀は面倒臭さを感じ出してきた。金子に常同症が表れている。ただ、彼の主張には妙に納得のいく部分があった。ドラッグに手を出すきっかけは人それぞれだが、金子の玄関口ゲートウェイはそういう思い込みからだったんだろうなと思った。

 普通は大麻やシンナーなんかがとしては多い。だが金子はいきなりコカインから始めた。過去のミュージシャンに倣ったものだった。なんとか良い曲を作らないと、というプレッシャーが由来だった。彼が手を出したのは兎に角アッパー系ばかり。そしてそのうちオピオイド系のケミカルをるようになった。これが彼にとっては大間違いで、困ったことにそれらの作用としては創造性が著しく失われるのだ。ただ快楽だけが生まれ依存症になって、摂取すれば一時的に充足する、切れてくればまた摂取する。脳が、。依存症の出来上がりだ。その繰り返しになる。そういう理由で基本的にクリエイターはダウナーはやらない。だが当時の彼にはもはや事が最優先になっていたのだ。磨き上げていけば将来性も充分にあった筈なのに、クオリティの高い楽曲は何一つ生み出せなくなっていた。それは才能の枯渇か、ドラッグの弊害だったのか。いずれにしろ、同じタイミングで個々に限界を迎えた彼等のバンドは見事に空中分解した。

「…差別だってそうさ。差別や迫害された事がきっかけで生まれた文化や産業もある。皮肉なもんだ。それに気付かないフリや忘れようとして皆、仲良くやっていこうとしてる。でもそのツケは何かが起こる度に掘り起こされる。表面だけ取り繕った、人間の残酷さや無責任さという脆い砂上に建てられた、罪と犠牲の上に今の世界が成り立っているんだ」

「言いたい事はすごくよく解るぜ」と湯賀は頷く。

「犠牲の上のさ。けどな、本当はそんなモンも別に無くたっていい。俺はそう思ってるんだ」

「と言うと?」

「全盛期には輝きを放ってた有名人なんかが歳を取ったりして、オーラが失われて見る影も無くなってたりするのを見ると切ない気持ちになる。何かを成し遂げたとしても、どれだけ一世を風靡したとしても、やがては時代の波に飲まれてゆく。過去の産物になる。何を残したとしても、虚しいもんさ」

「それでも意味はあった筈だろう?お前が言う、そういうがあってこその今なんじゃないか」

「ああそうさ。だがな、考え方によっちゃこうだ。人気のタレントがスキャンダルを起こして世間を追われても、世は事も無し。代わりなんかゴマンといる。なあ、俺たちはもしかしたら世界を変える音楽を創れていたのかもしれない。前にも言ったよな?けれど、実際は何も出来ていない。そして俺たちの音楽が世の中に存在しない現状の世界に於いて、誰にも何も不自由は無い。個人レベルでは価値などどこにも無いんだ。スティーブ・ジョブズが存在しなかったらMacは生まれていないかもしれない。その場合はMacが無い世界があるだけだ。誰にだって、何の価値も無い」

「そんな事を言い出したら、もう、死ねって事じゃねえのか」

「ああ、そうかもしれない。結局のところ、何のために生きてるのか、どういった使命を与えられているのか、いや、何にも意味なんてないのさ」

 

 二人はなおも歩き続ける。何か考え込んでいた様子の湯賀が口を開いた。

「俺たちは何の為に生きてるのかって話だけど」

「ああ」

「愛なんだろうな、やっぱり。俺は、そう思うよ」

「愛ね…」

「バカな女の言う事にも、核心を突いている部分がある。人間の豊かさって、愛を知ることだろうな。とどの詰まりはさ」

「どうなんだろうな…」

「この前、柴と話をしていたんだ。海と星空を眺めながら」

「どういう状況だよ」

「宇宙は広い。俺たちの存在、ましてや悩みなんてほんのちっぽけなもの。宇宙の歴史と大きさから考えたら塵、埃以下、十のマイナス二十四乗、涅槃寂静さ。在って無いようなモノだと。そうすると、そもそも意識ってなんなんだ?生命ってなんなんだ?って。これは漠然とした疑問、永遠のテーマで、ハイになった時なんかはそれを悟った気になってるけど、シラフの状態でとことん真剣に考えてみようって思ったんだ」

「考えるだけ無駄だと思うぜ、そんな事は」

「まあ考えたところで解明できる事じゃないのは百も承知さ」

「結局、そんな事を考え出したら宗教に走るしか道は無くなるだろ」

「そうだな。天才と呼ばれる科学者に宗教家が多いのも納得さ。どれだけ考えても解らない事はと考えるしかないもんな」

「そう。科学を知らない古代の人間がそうだったようにな」金子は首を傾げてそう言う。「なあ、俺たちの世界はとても狭いんだ。田舎に住んでるから?若いから?そういう事じゃないんだ。いくら世の中がグローバル化され、情報は何でもすぐに得られるようになったとしても、人間ひとりひとりの世界なんてのはとても狭い。触れられる世界には限りがある。その狭い世界で経験してきたことで価値観が決まってしまう。俺たちはもう出来上がってしまってるのさ。もう修正なんか効かない。今更インドへ旅してガンジス川で沐浴したところで人生観なんて変わらないだろ」

「そうだな、せいぜい二十五歳までか…」

「…どうせ地球だっていつか滅びる。あらゆる文明もリセットされる。俺の人生も、お前の人生も、天文学的レベルで見ると同様に価値が無い。何をしたところで、大局的には何も変わりはしないさ」

「それって虚無主義ニヒリズムなのか?もはや反出生主義なのか?」

「俺はアナーキストだ」金子が得意げな顔でそう言うと、湯賀は肩をすくめた。「愛を知る事が人生の目的で、人間の豊かさだとお前は言ったが、人生を豊かにする上で大事なのは虚無主義だと俺は思っている」

「斬新なマインドセットだな。意見を聞こうじゃないか」

「道教の思想に絶学無憂というのがある。これは確かお前から聞いた話だぜ?学ぶことを絶てば憂うことも無いという意味だろ?これって現代に蔓延する、楽観的な虚無主義オプティミスティック・ニヒリズムに通じるんだよな。色んなことを知りすぎると、かえって生きる意味なんてものが分からなくなるもんだ。考えれば考えるほど、人間ってなんだ?生きるってなんだ?死ぬってなんだ?って考えちまう。そうなったときの考え方としての虚無主義の一つさ。ニヒリズムってのはそもそも、人間の存在に意義や価値などないって考え方だけど、これには能動・受動アクティブ・パッシブの二種類があるんだ。何も信じられなくて絶望し、疲弊する。あとは流されるままに生きるってパターンと、全てが無価値だということを認識したうえで、人生なんかただの仮の事象、どうせならやりたいことやろうぜ、っていうある意味アナーキーで無軌道な考え方。この後者が常に若者には支持される。若者って属性はさ、、いつの時代でもそういう考え方になるんだよ。それが人間なんだ。それで流れの中に生きている内に、生き甲斐を見つけて考え方が変わって大人になっていくのさ」

「人生に意味なんか無いからこそ、やりたいことをやるって考え方が、結局のところ無意識的に若者の行動原理になってるってことか。恋に盲目になるのも、ゲームに没頭するのも、ドラッグに溺れるのも、ある種の通過儀礼みたいなものなのかな」

「願わくば、やりたい事ってのが健全な内容で、破滅的なものではなければいいな」

「とりあえず筋トレって最高なんじゃないのか?健全な精神は、健全な肉体に宿るって言うし」

「それ、福沢諭吉の言葉と同じで、有名な誤訳のひとつだろ」

「そうだっけか」

「あれはな、金や美を求めたり、或いは手に入れたとしてもロクなことにはならない。願うならせいぜい健康体であるくらいにしておけ、って意味なんだよ。元々はな」

「分不相応なのは良くないって解釈か。俺たちみたいなクズが愛を求めるってのも分不相応なのかな?」

「求めるのは自由さ。愛を否定もしないさ。愛を知ることは重要だよ。やっぱり。愛する人や、かけがえのない家族や友人、そんな素敵な出会いや絆があったとしたら、世界の見方も変わっただろう。けど、俺の世界はとりあえず今この状態なんだ。だから分からねえよ」

「子供が出来たりしたら変わるんだと思うぜ。よく子供嫌いとか言ってる奴にさ、自分の子が出来たら変わるよ、って言うじゃんか。初めは否定してても、実際その通りになる奴もたくさん見てきてる。この子の為なら死んでもいいと思えるほどの愛を知るんだろうな」

「どうなんだろうな。俺は別に反出生主義者じゃないけど、として子孫の存続欲求なんて本能は今のところ働いちゃいない。ただ…」と金子は首を左右に振る。「どうせ、忘れるのさ。愛も、夢も。永久に存在するかけがえのないモノなんて有り得ない。どうせ人は裏切る。世界も思い通りには進まない。結局やっぱり何もかも、価値など無いのさ」

「最近はどいつもこいつも哲学者だな」湯賀は苦笑する。「彼女をつくれと言ったり、無為にダラダラ生きてちゃいけないと言ったり、愛など無価値だと言ったり、よく分からねえ奴だ」そう言われて金子も鼻で笑う。「お前は結局、何がしたいんだよ?」

「それが分かんねえんだよ」金子は小さく舌打ちをする。「…少なくともさ、とりあえずは今を楽しむべきなんだよな。どうにかしてさ」


 会話が一旦そこで止まり、無言のまま百メートルほど歩いたところで湯賀が呟いた。

「…さっきの娘、そこそこ可愛かったな?」

「そうか?ちゃんと見てなかったな」と金子は答えた。歩き続ける。

「チャンスがあれば売れるんじゃないか?」

「さあ、どうだろうな」金子が地面に唾を吐き捨てる。手にしたウイスキーの小瓶をあおる。

「なあ」と湯賀が金子の肩を抱く。「俺はさ、お前の事は大事な友達だと思ってるんだぜ」

「なんだよ」と気恥ずかしそうに金子は湯賀の肩を振りほどく。「飲めない酒でも飲んだのかよ?気持ち悪いな」

 二人は少しだけ目線を上げて歩き続け、ネオンの渦中へと身を投じてゆく。

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