悪しき縁

 オレンジ色の白熱灯に照らされた薄暗い部屋。フローリングに敷かれたチベタンタイガーラグはオリジナルの年代物ビンテージだ。壁一面に蓄光塗料で描かれた奇妙な絵画にはブラックライトが当てられ鬼火のように浮かび上がって見える。漂う麝香ムスクの香り。

 金子は物音を立てずにこの六十年代の映画に出てきそうなミステリアスな空間に入ってきた。サイケデリック、LSDアシッドが大衆の娯楽だった頃。ファッション、音楽、ドラッグが三位一体だった時代。この部屋に来るのも久しぶりだった。この雰囲気は何となく好きだ。ゴチャゴチャしてて気味が悪いのに何故か落ち着く。はめ殺しの窓のうえに遮光カーテン、多肉植物が溢れかえり、加湿空気清浄機と赤外線LEDライトが稼働する空間は常に高温多湿で快適とは言いがたいが。壁際にブラウン管の古いテレビが三台あり、その両サイドには古いJBLの音響。サイバーパンクやレトロフューチャーへの憧憬が窺える。そして中央のテーブルを囲むようにして緑色のチェスターフィールドの本革ソファが配置されており、そこにグレッチのギターが無造作に寝かされている。そして絵が描かれた反対側の壁にはインダストリアル調の大きなアイアンラックが置かれており、そこにはCDやDVD、レコードのほか、哲学書、宗教文献、小説、画集、ファッション誌、音楽誌に実用書、また漫画やポルノ雑誌と多岐に渡るコレクション。それらに混じって、ピンク色のボングと、昔のカメラに使われたフィルムのプラスチックケースに入った大麻の包みが数個、そして溶岩ランプが鎮座している。一番上の段には額装されたニール・パートのシグネイチャーモデルのライドシンバル。湯賀が宝物と言ってた物だ。ここにも見慣れた光景があった。

 部屋の主は隅でゲーミングチェアに座り、ラップトップの画面に見入っていたが、侵入者に気づくとそちらを振り返り、顎をしゃくって挨拶とした。

「シラフか?」と金子が開口一番。

「無水カフェインを400グラムほど」湯賀が答えた。

「なるほど」金子は頷いた。「立派にハイだな」と肩をすくめた。「久しぶりに会ったわりに感動少ないな?」それからソファに腰を下ろした。「ま、そんなもんか…」

「ハイタッチしてハグでもしたいなら、してやるぜ」そして二人は初めて目を合わせると、何かの合図のようにお互いしんみりと頷いた。金子がポケットの中から携帯電話とタバコを取りだしてテーブルの上に置いた。湯賀はパソコンを操作してBGMの音量を絞った。

「何か変化はあったか?」

「別に…退屈な毎日送ってる」金子がアロマキャンドルの火でタバコに火をつけた。「今の世の中はさ、俺みたいなヤツらばっかさ。現代社会のダークサイドの副産物ってとこか」

「まぁ…」湯賀は冷めた笑みをうかべた。「よくある話だ」

「ああ。まったく」金子はテーブルの上にある変なリモコンを手に取り、テレビに向かって電源を押した。三つあるうちの一つが点いた。「退屈な話だ」アイドルグループの歌う映像が流れる。「最近何かライブ行った?」エルメスの陶製の灰皿に灰を落とす。

「いや」特に思い出そうともせずに言った。

「音楽界は商業主義極まれりって感じだな」

「何を今更」湯賀が鼻で笑う。「昔からそうだろう。見た目の良いヤツに歌って踊らせりゃショービジネスとして成立するんだよ。結局はエンターテイメントっていう商売なんだから」

「そんなこと分かってるけどよ、そういうのじゃなくてさ、心に響くメロディ、歌声、メッセージ。そういうの無いのかね。コネや属性やルックスに左右されない本物がさ」金子はテレビに目線を向けたままそう言う。「格好とか表現方法が変わるだけで、楽曲自体はずっとポップなんだもんな。コード進行もクラシックの時代から」

「そりゃポップじゃないと売れないからな。メインストリームに乗るにはマーケティングが大事さ。サブカルの表現者なんて大衆から見たらただのイカレた奴に過ぎないよ。過激なだけじゃイロモノ扱い。息も記憶も短いさ」湯賀もテレビの画面に向く。

「まあショービズの世界も大変だ。数ある職業の中の一つって意味ではな。プライベートと精神衛生の切り売りだもんな」

「お綺麗、お上手、だけじゃやってけない世界だよ。全ては演出。ビジネスはビジネス。そういう結論にはすでに何年か前に達しただろうに」

「まあ、な…」

「人は三十歳を超えたら、新しい音楽はもう必要としないって調査結果があったな」湯賀はまたPCに向き直る。

「新しいものを受け入れられなくなるのかな。時間も無いし」

「それもあるだろうし、昔の思い出ばかりに浸りたくなるんだろうな」金子はそれを聞いて小さく頷いた。「つまりもう立派なオッサンってことさ。Don't trust anyone over 30の年齢に俺たちがなっちまうわけ」

「確かに」金子が苦笑い。「しかし相変わらず理屈っぽい奴だな」

「お互い様だな」と湯賀は即座に返す。「柴はどうしてる?」

「昨日見たけど、ずっと倒れてたから話はしてない」

「倒れてた?」

「いや、酔いつぶれてたらしくて。ずっと寝てたな。呼ぶかね?」その提案に湯賀は頷いた。どうせ二人だとそのうち話題も尽きるだろうし、何より彼は誰が相手でも、二人っきりというのは落ち着かない性分なのだ。金子が電話をかけると柴はすぐに出た。用件を伝えると今から向かうと彼は言った。

 三十分くらいの間、会話は無かった。二人とも携帯や本を見ていた。

「トイレ借りる」そう言って金子は部屋を出た。若干腹をすかせた湯賀はキッチンに食べ物を取りに行った。

「おーっす」その時、柴が部屋に入ってきた。「あれ?」彼は部屋の中を見回した。「え?」

「おう」金子が戻ってきた。「もう二日酔いハングオーバーは醒めたのかよ」

「おぉ…」すかさず取り出していた携帯をしまった。「久しぶり」と肩を叩く。「なんか爆睡しててよ~マジまいった」柴はそう言ってソファに腰を下ろした。間も無く湯賀も戻ってきた。手にはレンジで温めるパスタを持ってきていた。

「おう」両手がふさがっているので、アゴをしゃくって言った。

「久しぶり…何かこのメンツがひさびさだな。懐かしいな。いや、俺けっこう淋しかったぞ」柴は何か嬉しそうだ。

「別にそんなことねえだろ」金子がそう言って、湯賀はもっともだというように頷いた。

「いや、なんかケンカしたみたいな話を聞いてたしさ。俺ぜんぜん知らねーし」

「別にしてねーよ」と湯賀が言う。「去る者は日々に疎しっていうだろ。それだけのことだよ」

「まぁよくわかんねーけど、何かひさびさに揃ったことだし、何か面白い事しようぜ。三人寄れば何とやらよ」と柴が提案したが、彼をはじめ他の二人も、何も面白そうな事とやらが浮かばなかった。

「なんか面白いことしましょうよ、って口癖のように言う奴ほど胡散臭いもんはねえよな」

「面白いことって、例えば何だよ?フットサルでもしようってのか?」金子が言った。「それともマルチの勧誘でもされちまうのかよ」

 そして考え込んだまましばらくして湯賀が言った言葉は、「なにもねえな」

「そういや、彼女は?」と柴が唐突に金子に聞いた。

「彼女?彼女なんかいねーよ」

「マヤの従姉妹の。ハーフの、ダンスかなんかやってた」

「いつの話だよ。とっくに別れてるよ」最後にこの三人で集まった時はいつだったかと金子は思い出そうとした。

「フラれたのか。可哀想に」湯賀が言うと金子は、

「うるせーよ」と、それだけしか言い返さなかった。タバコを吸おうとして、もう残りが無いことに気付く。「タバコ買いに行ってくるわ」空になったハイライトを握りつぶしてテーブルの上に置いた。

「俺のも買ってきて」と柴が言うと、どちらが行くかジャンケンで決める事になって、柴が負けた。彼は、何でこんな単純極まりないゲームにこれ程、納得させられてしまう決定力と説得力があるのか…と思いながら、しぶしぶ立ち上がった。

「つか、どっか食いに行かね?ハラ減ったわ。パスタだけじゃ足りん」湯賀がそう言うと、金子も賛成した。柴は金を持ってないと言ったが、湯賀がメシくらい奢ってやると言って話がついた。

「どこ行くよ?」と金子が訊いたが、正月から開いている店というのも限られている。「ファミレスでいいか。しかねえよな」と自分で決めた。そして柴の車で行くことになった。

 店は恐ろしく混んでいた。喫煙席が存在しない事だけで既に金子はイライラしていた。待ち時間の間、喫煙室でニコチンを溜め込むようにチェーンスモーキング。それから思ったよりは早く席に案内された。なるほど、店内の年齢層は極めて低そうだ。高校生くらいの頃はよくこういう場所にタムロしたもんだ、と金子は過去を思った。

 三人は席に腰を下ろし、それぞれ大量にオーダーし、一瞬で平らげた。湯賀はデザートを注文し、二人はタバコの代わりにコーヒーを飲む。

「なんか、オマエらといると変に落ち着くよ」と柴が言う。「なんつうの、クズ同士、類は友を呼ぶってヤツかな。似たもの同士が居心地いいっていうか、一緒にいると気が休まるな」そう言われて湯賀は、

「ある程度、理解はできる。だが俺は逆に同族嫌悪ってやつを感じる」と鼻で笑い、「こうして会うのも数年ぶりだが、特に近況報告ってこともないな」

「まあ、特に報告するような事は何も無い」と柴は言う。

「さて、また新しい年になった」金子がテーブルに肘をついて、指を組んだ。「どんどん一日とか一年が過ぎていくのが早く感じるな」

「ジャネーの法則ってのがあってな」デザートが待ち遠しい湯賀は貧乏ゆすりを始める。「俺たちの年齢でいうと、だいたいには80%くらい人生が終わってる計算なんだよ」

「その理屈はよくわかんねえけど」柴がうなだれていう。「俺、こんなんでいいのかな…」

「良いわけねーだろ。仕事もしてねーんだろ?」と金子が言うと、柴は聞こえないフリをする。

「でもオマエ、危機感無さそうだよな」湯賀が無表情でつっこむ。

「そんな事ないけどよ、先の事考えるのイヤじゃん」

「そうだな…まぁ人生なんとかなるよ」

「こういう負け犬の傷の舐め合いみたいなのは、惨めで見苦しいな」と金子が笑いもせずに言う。

「しかしまあ、自分の中のいろんな苦悩や葛藤が人一倍大きいってのは…本人のせいじゃねーよ」湯賀が言い返す。「他人や環境のせいにしても仕方ねえけど」

「おいおい…何か暗くなってるよ…そういう話はやめようぜ」と柴がいった。

「お前のせいだよ」二人が声を揃えて言った。

「…まあ、いつもの事か。それもまた懐かしい」

 湯賀がチョコレートパフェを食べ終わったのを見て、金子が背筋を伸ばし、大きく息をついて言った。「…どうするよ?」

「正月だけどな、することもねえもんな」柴が少し考えて、「キャバクラでも行く?」と言った。「田舎の大人の娯楽ってさ、キャバとかしかねえよな」二人はその提案を黙殺するかのように目線を変えない。「頭悪そうな女とさ、ママはドカタのおっさんの愛人でさ」

「知らねえよそんな事は」金子が柴を遮る。

「例のオマエの元カノだって、いっときキャバ嬢してたらしいぜ。親バレしてすぐ辞めたとか」

「知らねえよそんな事は」と金子。少し苛立ちが見られる。「何年も会ってねえんだ」

「長いこと付き合ってた割には、最後は自然消滅みたいな感じだったらしいじゃんか」と湯賀。「浮気が原因じゃねーの、なんかブスな女に手ぇ出してただろ」

「マヤとは全然似てねーけど、当時まだ未成年なのに凄かったよな。あんなセックスアピールの申し子みたいな女と付き合ってて、よく浮気しようなんて思えるよな。なんつう単細胞なチンコだ」

「レスだったんだよ。あいつ不感症だったしな」そのセリフに柴が反応した。

「でた、でた、でたよ。いいか?インポの男はいても不感症の女なんていねえよ。自分のヘタクソさを棚に上げてるクソ男の常套句なんだよ」

「なんだよそれ」

「女の初体験を考えてみろ、あんなのは痛いだけさ。ロクな思い出じゃねえだろうよ。でもよ、痛いもんだってイメージが先にあるからまあいいんだ。で、最初の相手なんかとは大抵長続きしない。若いからな。肝心なのは次だよ。その次。その次に上手い奴に当たって、ああセックスてすごく良いもんなんだな、って思えたら健全な女の出来上がりだよ。でもな、例えばクソ下手な奴が三人も続いてみろ、ああ、セックスなんて何が気持ちいいんだ?こんなの、ただの男の性欲の捌け口じゃないか。それとも私が不感症なのか?私は不完全なのか?って風に思うんだ。そうなるのが自然な事だろ?その結果しょうもないメンヘラかフェミニストの出来上がりだ。全部男のせいなんだ。セックスが下手な男と、陰毛を処理しない女は死刑にするべきだ。この世で最も罪深い存在だ」

「鋭い分析だ。あながち間違いとはいえない」湯賀が頷く。

「なんだよ経験談なのかよそれ」金子が聞く。

「マヤがそんな感じだったからな…」柴が悲しい表情をする。「我妻とそういう話を昔したんだよ」そういえば我妻の家になぜ二人が居たんだと金子が思ったところで湯賀が口を開いた。

「まあ要するにだ、お前とのセックスは相性が良くなかったという事だ。どんな要因にせよ、そういう事だろ。あるいはお前が浮気して不潔に感じるようになった。それとも腹いせに彼女も浮気をしていて、そっちの間男とは相性が良くてお前に興味を失くしていったか」

「知らねえけどよ。なんで俺そこまで言われねえといけねえんだよ」

「もったいねえ。ああもったいねえ」と柴が続ける。「かわいかったよな。性格も良かったし。何で俺もお前も、あのままうまく行かなかったんだろうな」

「知らねえよ。結局そうなるべくしてなったんだろ」

「キャバか…どこの店だったんだろうな。枕営業とかしてなかったのかな」

「いい加減にしろよ」金子が本当に機嫌悪そうに言った。そして大きく息を吸い込み「キャバか…」と吐き出しながら呟く。「…まぁ風俗じゃなくてよかった。あいつ基本、頭弱いからな。まあそんなに金が必要とかじゃねえだろうけど」

「一時は将来を約束してた割に、非道い言い草じゃないか」湯賀が茶化すように言う。

「どうせ俺はゲスなのさ」金子が湯賀の顔に煙を吐きつける。「他人に興味が無い」

「つーか俺たち、結婚とかすんのかな?」柴が机を叩きながら言う。

「心配すんな。出来ねえから」湯賀は笑う。

「しかしガキとか出来たらどうなんのかな?」金子は腕を組み替えて唸った。「養えねえよな。すげえよ、タメ歳で親やってるやつ。田舎じゃ結構いるけど」

「普通に小学生くらいのガキがいる奴もいるよ」

「お前、虐待しそうだな。子供嫌いだろ?」と湯賀。「俺等みたいな奴ばっかりだから少子化になるんだぞ」

「単純に金が無いし、結婚にメリットを感じないだけだろ」

「ガキが今の俺達の歳になって、今の俺達みたいな状態になってたら泣けてくるな。親として」柴はそう言いながら自分の親の事は考えはしなかった。「思春期とか反抗期とか、引きこもりとかになってもイヤだし。でももう結婚とかしてもおかしくない歳だよなぁ…」

「俺等が結婚してガキ作って、子育てして成長を記録してさ、運動会とか見にいって、そのうち一緒に酒も飲める歳になって…ってそんなもんにもちょっと憧れたりするけどな…」

「いいけど、リアルに考えたくないよな。何か、そんなフツーは嫌だろ?第一、俺らに務まると思うか?」

「変わっていくんじゃないの?人はさ」

「フツーはイヤとか言ってきて、個性がどうとか社会はつまらんとか、マジメはダセーとか下らんタワゴト言ってきたから、結局こんなクズみたいな事になってんだろ?俺はもっとフツーの奴になりたかったよ。俺等はあまりにヒマすぎて下らない事ばかりを考えて毎日を無為に過ごしてきてしまった。地元を飛び出して、新しい人間関係を作って、将来の目標を考えながら毎日がそれなりに楽しい奴になりたかったよ。結局何もかも否定する事が後々自分の首を絞める事に気がついた時にはもう手遅れだったんだ」と湯賀がまくしたてる。

「ニートのテンプレだな」

「結局、視野が狭いんだろうよ、俺達」

「確かに狭くしたのは自分自身なんだろうな。色んなものを見下して否定してきて。っていうか俺はニートではないけど」

「そもそもだ、今のご時世そういうフツーを手に入れることすら難しいんだぜ?失業率、不景気。貧困。真面目にやってる奴ですらその有様だ。何もしてねえ俺なんかお先真っ暗だよ。ノーフューチャーだな」と柴が言い、金子は肩をすくめる。「戦争が起こるかもしれないしな。テロが起こるかも。天災に見舞われるかもしれないし事故や通り魔に遭うかも」

「そんな極論はさておき、先の事考えるのもイヤだしな。俺の人生の目標は?とか、俺の存在理由は?とか」金子が大げさな手振りで言う。「くだらねえよ」

「じゃあお前は何のために大学に行ってたんだよ」柴が尋ねる。「金の無駄だろ。くっそもったいねえ。誰が払ってくれてたんだよ。浪人して、ダブって。どうせ親の金だろ。偉そうなこと言いやがって。ほんと口だけだよな。恵まれてるくせに愚痴っぽい奴はマジでムカつくよ」

「とりあえず卒業はしたし親はそれで満足だろ。行ってやってたんだよ。むしろ親孝行だぜ」

「それで大学出てまでフリーターじゃ世話ないぜ。結局やりたい事も友達も見つからなかったんだろ」

「ひがんでんじゃねえよ。俺にだってお前らの知らない世界が広がってるさ。人脈だってある」

「は、人脈だって。クソみたいな響きだな。どれだけのもんだってんだよ、その人脈とやらは」

「なんかの役には立つだろ。なんでもそうだろ。知識とか経験ってもんはよ」

「じゃあオマエもいつかは自分がポジティブな人間になろうと、人生が良い方向に向かうように努力してるワケか?」

「さあな」金子はその答えが自分でも分からなかった。「もういいだろこんな話は」と話題を変えようとする。

「しっかし、ガラじゃねーよな。お前が大卒とは。大した大学じゃねえけど。まあ、お前アタマは良かったもんな」

「クソみたいなもんだけど、学校とか仕事とかしねえと女ネタもできねえだろ?SNSとかもかったるいけどよ、利用できるもんはしたほうがいいだろ。同じ阿呆なら踊らねえとよ」

「そんで、ゲスいクラブイベントとかに行くわけか」と柴が聞く。

「俺、そういうの苦手だわ」と湯賀。「そんなんで結果はでるのかよ」

「まぁ、常にではないが」まあまあ、という手振りを金子はしてみせる。

「無理だなぁ。おっかねえよ。どれだけハイでもナンパとかできねえし」湯賀が腕を組んで言う。

「まだ直ってねえのかよ。女性不信」と柴が言う。「俺だって女は理解できねえよ。女体は好きだが女は嫌いだ」

「別に完全に否定から入ってるわけじゃねえんだ。そういう価値観とか偏見を楽勝で変えてくれるような運命の女が現れてくれるといいんだが」

「満たされてるかそうでないかの判断基準の大幅を占めているのって、女、だよなぁ…」柴はそういって小指を立ててみせた。

「まあ、どういう女かによる」と金子。「アゲマンとかサゲマンって迷信じみてるけど、存在するよな、ジッサイ」

「ああ、セックスしてえな」柴が気怠そうに机に突っ伏して言う

「俺らって結局いっつも同じ話してないか?十代の頃から。まったく変わらず」と、湯賀。

「確かに」柴は爪楊枝をポキポキ折って机の上を散らかしている。会話は止まり、皆ぐったりした様子でため息ばかりが出る。

「最近マジに退屈だなぁ…。酒、ドラッグ、たまに風俗…ってそんなんばっかりだわ」と金子が溜息まじりに言うと、

「ここは日本だぞ。フツー、クスリはやらねえ。パチンコとか競馬に言い換えろ」と柴。「…なんか下らねえ青春映画の主人公みたいだな」やるせなさそうに頭を抱える。「先の事なんて知らねぇよ!みたいな」

「俺はそれなりに忙しいけどな」湯賀はそう言う。「充実はしてねーけど」

「やる事あって忙しいって良い事だよ、マジで」と柴が言った。「けど実際俺なんてさ、向上心とか野望なんてものは野良犬に喰わせちまったし、別に今のまんまでも良いんだよ。生ける屍で良いんだよ。クソみたいな日常の中で、たまに美味いメシやセックスにありつければ別に文句はないんだよ。いや、無いことはないんだけどよ、つまり、もっと、もっと!って言う欲も無いんだよ。枯れちまってるって言うのかな、環境を変えるのも面倒だしさ。何つうか、有り得ないのはわかってるんだけどさ、据え膳の完成を待ってるって言うかさ」

「何でだろうな。俺の場合は常に飢えてるんだよ。乾いてる。なのに、この意志欲動の喪失はどういうわけだ?矛盾だよ。マズローの欲求でいうと三段階目くらいか?」湯賀が溜息をつく。「あの理論ももう現代には合わなくなってんのかな」

「俺はよ、この先もずっと、仕事に疲れて帰ってきて、そして寝て、また明日…とか、そんな生活が続くかと思うと気が狂いそうになるよ。一体、今、現状に満足してる大人がどれだけいる?俺らの歳の頃にこう思っていた大人は一体どれくらいいる?」金子が少し語気を荒げる。「若い頃には大志を抱いていても、家族とか守るものができてしまうと、現実と照らし合わせても保守的にならざるを得んようになるんだろうな。時間と金に追われて、目先の問題を凌ぐことしか出来なくなる。それは成長か諦めなのか。それともそれこそが幸せという錯覚を見せられてるのか?」

「結局さ、生きていて大人になっても、それから得られる幸福なんかにも限りがあるわけだ。家族だ、友人だ、地位や名声や休日の趣味。そんなもんだろ。そんなもんクソだ。俺は幸せとは認めない。だからこの先、生きてても無意味だよ」と湯賀。

「極端だな」と柴は笑う。「それってウツの一種かね?」

「中二病の吐くセリフだ。精神年齢が低いだけだろうな」と金子も笑う。

「ま…そういう色んな思いを経て、大人への階段を上っていくってわけだろ。色んな経験して、その度に色んな事感じて。思い出を作ったりして」柴が湯賀をたしなめるように言う。「十代はそれなりに楽しかったな、バンドやってて、女がいて、夢を見て」

「皆で色々遊んだな。肩組んで、歌を歌って」そのシーンを想い出した。「ああ、死ぬほどくっだらねえな…」と鼻で笑う金子。

「あれは青春ってヤツだったんだろうかね?」柴が辛そうに言う。目が少し潤んでいた。

「昔の話すんの止めろよ」金子がため息をつく。「そろそろ行こうぜ」

「憶えてるか?あん頃…夢があったよな?かわいい彼女もいて、音楽でやってこうぜとか言って…」柴は今にも泣き出しそうだった。湯賀が柴の肩を叩いた。「でも、バンドだって、そこまで真剣だったわけじゃなかったのかもな。今になって思うと」

「まあ、まだ俺ら若いじゃんか。これからでも充分、思い出だのは創っていけるんじゃねえの。そういう気にさえなれればな」金子が面倒臭そうに励ます。

「過去は過去、今は今。現状に満足はしてないけど、だからといってどうしようもない。思い出を掘り下げてみたところで、何も出てこない。今はまた別の日常がある。時間は戻ってこない。そして人は歳とともに、時間とともに色んな事をだんだん忘れていってしまうんだよ。そういう風にできてるんだ」

「あん時はなぁ…マジで楽しかったよなぁ…クソみたいな事は何も無かった。やっぱ長くは続かねえもんなんだなぁ…いつか終わりが来るんだよなぁ…」柴は下を向いたままずっと呟いていた。

「コーヒーに泣き上戸にさせる成分が入っていたとは初耳だぜ」と金子が言う。そして三人は回想した。同じ夢を持っていたこと。嫌な事も時にはあったが前向きに生きていた。ほんの何年か前。そんな日々を思い出した。

「確かに、俺らにも楽しい、ってのはあったよ。人生のどのタイミングで輝くかは、まさにそれぞれの生き方次第だ。今の俺たちはつまり、落ちぶれたんだよ」湯賀が自嘲する。

「どんな分野でも、才能のある人間ってのは二十代半ばくらいで何らかの結果は既に出しているもんな」金子はそう言う。「何者でもないまま、この歳になっちまってる時点で、俺たちは選ばれし者じゃないってことだよ。実績がないと27には入れないぜ」カップに丸々残っているコーヒを一気に飲み干した。「何にでもタイムリミットがある。銀行は三時までだし、飛田新地は十五分。ロックスターは二十七歳だ」

「でもよ、俺たちはまだ若いんだろ?今この世の中が悪いだけでさ、俺達はまだ希望を持つべきなんだろ?」柴は嗚咽を漏らしていた。

「世間をののしりゃご老人さ。俺たちは二十代で立派な老害。新しいものを認めずに、昔の話ばかりしてる」

「どうでもいいだろ。そんな事」金子が吐き捨てるように言った。彼の言う通りだった。確かに楽しかった頃や、大きな希望もあったかもしれないが、そんな事はだんだんと忘れていく。一年の長さはどんどん短くなってゆき、考えることは不可能になってくる。何もかも、今となってはどうでもいい事だ。

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