マナの部屋
彼女は青い錠剤に手を伸ばす。
外気と日光を一切遮断した暗い部屋の中、ラップトップの画面から溢れる青白い光と、耳にあてたヘッドホンから流れる音楽が極めて特殊な世界を造りだしている。この空間は時間の進行をほとんど認識させない。
世界から乖離した時の流れに身を委ね、ベッドの上に寝そべり、爪を噛みながら画面に見入る彼女がいる。いつものお馴染みの時間だ。さっきまでは眠ろうとしていたが、やはり寝付けなかった。
…この部屋は空気が悪い。息が詰まって苦しくなる。目も乾いて痛くなってくる。ベッドの上で膝を抱えて体を丸め、目を閉じる。目を閉じて眠ろうとするとき、横になっているとき、いつも意識を集中させる。このまま消えていってはくれないか…と。積極的に死をイメージしてみる。
しかし五分間か一時間か、狂った体内時計と自律神経が、今日はもう眠れないと諦める。ベッドから一旦降りてソファに座りテレビを点け、一通りチャンネルを回した後、映画を見ることにした。一生かかっても見きれない量の作品の中から、機械が選んだおすすめコンテンツのサムネイルを確認する。
彼女は変わった映画が好きだ。数奇なヒューマンドラマや、複雑に組み立てられたミステリーなども良いが、謎めいた内容の、大体は脈絡がなくて見終わった後に多くの疑問が残るような、B級映画と言っていいものが。流行りものが嫌いという訳でもないが、敢えてそういう作品をより好んで見る。彼女はある意味で病んでいるモノは深いと思う。なぜなら人はあまりにも深くなりすぎた結果として、病に至るという場合が多いからだ。哲学者や文学者などがいい例だと思っている。彼女はよくそんな事を考える。そんなような事や、愚にもつかない妄想をしながら夜を過ごす。
五年も前からずっと不眠症とストレス障害の発作を抱えている彼女は、眠れぬ夜はこうして夜通しモニタを見続けるのが日課になっていた。そして、不思議とそれが一番好きな時間でもあった。いろいろな考えを巡らせ、イメージすること。もしくは何も考えないこと。そして心の中だけで泣いたり笑ったりすること。彼女は普段の自分より、こっちの方の自分自身を好む。
ヘッドホンを装着し、音楽を流しておいて画面に見入る。映画は大して古くもなさそうだが白黒で、なぜか時折カラーになる。音楽をかけているせいで何を喋っているのかは聞こえないが、どのみち字幕が入る。なんとも疑問符しか出ない内容の物語だったが、少なくともポップなメロドラマやアクション映画なんかよりはいいと思った。意味が解らない方がなんとでも想像できるから。
PCはスクリーンセーバーが起動して画面は灰色のノイズの海に変わっている。錯視効果のある、サイケデリックな幾何学模様の海だ。音楽を『ピラミッド・ソング』に変えて、その画面を見つめる。その中に何かが見えるような気がする。
目を凝らせば見えないものが見える気がした。頭の中がグルグルするような感じ。なにかが近づいたり、遠ざかったりするような感じ。スピーカーからの音がそのイメージをまた増幅させる。それが薬の作用なのかどうかははっきりしない。
しばらくして、またテレビを点けた。彼女の目線はライブカメラが映し出す街の道路の夜景と現在時刻表示に移る。どうやら午前四時。ここで初めて世界を共有した。同じタイムラインの
冬の日の出は遅い。まだ夜も明けきらないうちからテレビでニュースが始まる。すると彼女はそれを消し、窓を開け、今度は窓越しに外を、だんだん黒から青に変わってくる空をただ茫然と見つめる。
自然美に感動するわけではないが、この景色を眺めるのも好きだ。朝焼けを見て沸き起こる感情は二つある。太陽が昇り、赤く燃えだす空が連想させるのは、大いなる創造主がもたらす黙示的な世界の始まりで、なにか新しく素晴らしい事が起こるかもしれないという漠然とした「期待」。そして逆にそのあまりに荘厳な自然美は、今まさに最後の命を燃やし尽かせようとする世界の終わりを彷彿とさせる、例えようもない「不安」を掻き立てる。
やがて明るくなってきて、外の様子も見えるようになってくる。朝付く日にそんなアンビバレンスを感じながら、ゆっくりと狂い始める時間に、無性に親近感と不快感を覚える。
この辺りは何もない。十階の部屋の窓から見える外の景色は、まばらにある無機質なビルとマンションと、わずかな車の通りだけだ。静かな朝と、微かにここまで聞こえてくる車の排気音。
彼女はまた思う。こんな朝早くからどこかへ向かう、もしくはどこかから帰ってくる人がいる。そして寝ている人、起きて何かをしているであろう人、この建物の中だけでもたくさんの人達が住んでいて、このフロアの一つの家、その中のまた一室にこうして自分がいる…。そう考えると、何か不思議な感覚に襲われる。
そして発作的な厭世に陥る。その症候群、それはとても複雑な空虚。視覚的な無。今にも涙が溢れそうになる。だが、いつの日も、どの夜も、どんな空虚のなかでも、彼女は決して泣かない。それはまるで彼女自身がその抽象的な混乱を生み出している根源、彼女の存在そのもの、あらゆる事象、その宇宙が彼女をそうさせていること、彼女はそれを何となく理解しているからだ。
すると、いつもの様に名の無い違和感が彼女を襲う。耳鳴りと頭痛がして、次々に頭の中にランダムで無責任なイメージが浮かんでくる。彼女はとても怯えたような目つきになり、頭を抱える。涙がまたこみ上げてくるが、彼女は泣かない。しかし低く呻き、刃物を取り、肌の上を滑らせ、自らを傷つける。無意識的にそうする。細い轍から赤いものがプツプツと滲みでて、その周りがすぐに腫れあがるのを彼女はみとめた。それを見て、また強く掻きむしる。方法や結果とは関係なく、彼女は自らの正気を保とうと必死なだけなのだ。
はっと気づくと痛みを感じ、今度は頭をくしゃくしゃに掻きむしって、ゆっくりと立ち上がり、部屋の中をうろうろ歩き回りながら、ため息混じりに目をつむり、震える。何かの気配を感じて顔を上げると、窓を開けた時だろうか、部屋の中に小さな蛾が入り込んできていた。
どこから来た?こんな高い所まで飛んで来られるんだ…。
彼女の母はかつて、壊れてしまった彼女の為に、まず神に祈りを捧げた。その後、彼女を抱きしめ慰めの言葉を言った。しかし母親に抱きしめられながら彼女は思った。何も満たされないと。
神のみを信じる母親を強引に説得し、病院に連れて行ったのは伯父だった。バウムテストやロールシャッハテストも受けさせられた。勝手に自分を分析され、決めつけられた。彼女には理解できなかった。そもそもどういう経緯でこうなったのかはまるで解らない。狂気は先天的なものだろうか?環境に作用されるのか?恐らくは生まれつきの素質と、生まれてきてからの要素の蓄積だと彼女は考える。せめてそう思いたいのだ。だから決定的な原因は無いと思う。人間のなかのカオスはそれ自体が累乗のように掛け合わさり、狂気はどんどん肥大していき、バタフライ効果のように次第に予想外に正気を蝕んでいくものだと考える。医者にかかることはまるで無意味だと彼女は思う。なぜなら精神科医なんて人種の多くは内面的非平和を持ち合わせていない。ただ自分をまるで不協和音のように障がい者と認定しただけの非情さと、人の死や崩壊した精神に触れるという彼らにとっての機械化された日常があるだけだ。その日常化された非日常は彼ら自身をも現実の感覚から麻痺させる。生きてなどいない。そこに自分と相容れるものはきっと無いのだと。
自分が普段まともなのは知っている。自分では何の理由であんな発作が起きるのかもわからない。通院を続けているが、状況は何も変わらない。少し話をして、おくすりを出される。それだけだ。より疲れているだけだ。だが、化学物質というものには感謝しなくてはならない。彼女は自分なりの解決法を知っている。
この痛みは、時間と、途方もない悲しみによってのみ癒される。彼女はこの悲しみをもって自らを殺し、悲しみのない世界へと行こうとする。そこには眠り、夢、明日という日への淡い期待。そして一種のあきらめに似たものがある。
彼女は青い錠剤に手を伸ばす。
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