第9話 Alice in New World
笑良が落ち着いてきた頃、有栖は笑良を出来るだけベッドから遠ざけたところに座らせる。フローリングに直に座るとお尻が痛いので、一応長座布団を敷いて、その上に二人並んで座る。
「大丈夫か?」
「……は、い……その、ごめんなさい……」
「良いよ、気にしないで。オレこそごめんな? 新田さん、ベッドで眠るの駄目だったんだな」
「駄目…………そう、ですね……」
有栖の言葉に、笑良は重苦しく頷く。
「……私にとって、ベッドは眠る場所では……無いので……」
本当に、本当に何気なく、ついつい言葉が漏れ出てきた笑良。本当はこんな事を言うつもりでは無かった。けれど、何故だか、つい言葉にしてしまった。
「眠る場所じゃない……?」
「――っ。……いえ、なんでも、無いです……」
有栖の言葉に、笑良は慌てたように取り繕う。
笑良にとっては聞かれたくない事なのだろうと判断した有栖は、それ以上は何も聞かなかった。人間、誰しも知られたくない事はあるだろうから。
有栖は笑良に言葉を返す事はせず、あからさまに話題を逸らす。
「……新田さんのご家族、見つかると良いね」
「…………そう、ですね……」
返事に間があった。それは取り繕うための間ではなく、躊躇するような間だった。
「…………家族、も……心配ですけど……」
「うん」
「……幼馴染の、中野くんも……心配なんです……」
「中野くん?」
「……はい」
中野くんとは誰ぞやと思いながらも、有栖は余計な口を挟まずに笑良の言葉を待つ。
「あの……学校は、違うんですけど……私が、辛いときに、傍に居てくれた、ので……」
「そっか。じゃあ、心配だよね」
有栖が言えば、笑良はこくりと頷く。
「生きていて、くれれば……嬉しい、です……」
「そうだね」
誤魔化しているな、と有栖は思う。
笑良は、身の上を語る事でベッドであんな風になってしまった理由を話すのを避けている。その事は良い。先程も言った通り、誰にだって知られたくない事の一つや二つは在るのだから。
ただ、もう夜も遅い。明日は朝早くに移動する事を考えると、笑良がどこでなら眠れるのかを教えて貰いたかった。何より、有栖がもう眠気が限界に来ているから。
「そうだ。新田さんは、どこなら眠れる?」
唐突に、眠たそうな眼で笑良に尋ねる有栖。
「え……と……」
眠たそうな顔をしている有栖を見て、申し訳なさそうな顔をしながらも、笑良はおずおずと自身が良く眠れる場所を言う。
「だ、台所……」
「なんでさ……」
「あの……いつも、そこで、寝てるので……」
どういう環境だよと思いながらも、有栖はおもむろに立ち上がると、押し入れから毛布を取り出して、笑良の手を取る。
「え……?」
「行こう」
「で、でも……」
「ほら、立って」
有栖はじれったく思いながら、笑良の手を少し強引に引っ張る。
強引な有栖にビクッと身を震わせながらも、笑良は有栖に手を引かれるまま立ち上がり、そのまま有栖に着いて行く。
有栖は笑良の手を引いてリビングまで行くと、ダイニングキッチンの床に座り込む。隣に笑良を座らせて、背中に毛布を回して二人で|包(くる)まる。
「あ、の……」
「お休み……」
毛布に包まった途端、有栖はぐぅと寝息を立てて寝入ってしまった。もう本当に限界だったのだろう。その寝つきは驚くほど良かった。
先に寝てしまった有栖に困惑しながらも、どうしたものかと悩む笑良。
自分だけ台所で眠るつもりだったのに、今は有栖も隣で眠ってしまっているのだ。有栖にはベッドを使ってもらいたかった。
すぅすぅと寝息を立てて、笑良の肩に頭を預ける有栖。
そう言う事に疎い笑良ではあるけれど、有栖の無垢な寝顔は素直に可愛いと思った。
「――っ」
しかし、直ぐに駄目だと首を横に振る。
そういう感情は抱いてはいけない。そも、余計な感情を抱いてはいけない。感情は、必要最低限で良い。感情が多ければ多いほど、それは欲目になるのだから。
笑良は有栖の方を見ないようにして、自身も眠りに着く。
なるべく、有栖の方を意識しないように。
〇 〇 〇
翌朝。
|顔の無い者(モブ)に見つかる事も無く、ぐっすりと眠る事が出来た二人は、缶詰やらの食料や使えそうな物を鞄に詰め込んでから御伽家を出た。
御伽家は学校からそこそこ近い距離にあるため、早々に出ないと誰かに見つかってしまう可能性もあるのだ。
「よし、じゃあ行こう」
「はい……」
眠って家に置いてあったパンを食べて元気な有栖と、朝食のパンを半分も食べなかった元気の無い笑良は二人並んで街に繰り出た。
目的はもちろん、笑良の家族を探す事だ。
「何処に居そうとか、当てはある?」
「い、いえ……」
「うーん……じゃあ、家族が良く行ってた場所とかは?」
「わ、分かりません……」
「じゃ、じゃあ、学校とかは? それか、会社とか」
「……」
「分かんない?」
「……すみません……」
「……本当に家族なんだよな?」
「はい……」
申し訳なさそうにする笑良に、若干訝し気な視線を送ってしまう有栖。
家族と仲が悪い人は一定数いるけれど、家族が通っている学校くらいは知っているはずだ。けれど、笑良は何も知らないと言う。
「……それじゃあ、一先ず新田さんの家に行くか。悪いけど、案内してもらっても良い?」
「わ、わかりました……」
家族の手がかりとなりそうなものが無いのなら仕方ない。いったん、笑良の家まで行って手がかりを探すしかない。
人の家を勝手に漁るのは気が引けるけれど、緊急事態のため致し方無いと許してほしい。
笑良の先導のもと、二人と一匹は新田家へと向かう。
|顔の無い者(モブ)に見つからないよう、慎重に移動していく一行。しかし、そんな一行を遠くから視認している者が居た。
「目標、商店街方面へ向かっています。って、あちゃぁ……このまま進路を変えないとなると、お城に近付いちゃいますよ?」
『了解した。竹居上等と|御来屋(みくりや)上等はそのまま監視を続けてくれ』
「了解です、朝戸曹長」
「了解しました」
竹居が|狙撃銃(スナイパーライフル)のスコープで有栖達を視認し、|観測手(スポッター)である御来屋が双眼鏡で有栖達を広域で視認する。
「いやぁ……まさか出てっちゃうとはねぇ……」
呆れたような、感心したような口調で言う竹居。
「三宮伍長お冠だったな」
竹居の言葉に、御来屋が返す。
「まぁ、|自衛隊(おれら)としちゃ、勝手な行動されると困るからなぁ。特に、三宮伍長はそういうところ神経質だし」
「監視は続けるけど、助けにはいかないかもな」
「いやぁ、どうだろうな。あの人、そこんところも神経質だからなぁ」
口が悪く、職務に忠実な上官の事だ。それに、人として正しいと思うことをする人だ。見捨てることなんて出来ないだろう。
「まぁ、それも星宮君の反応次第だろうとは思うけどな」
「あぁ……彼、酷く慌ててたからなぁ……」
「ま、なるようになるだろ。俺達は俺達の仕事をしよう」
「御来屋はドライだねぇ」
竹居の言葉に、御来屋は返事をしない。ドライと言われたことを気にしているからではなく、単に竹居の言葉に反応してしまうと話が長くなるからだ。軽口と無駄話においては竹居は部隊一だと思っている。
黙った竹居をそのままに、御来屋は心中でそれにしてもと思う。
有栖は見た目によらず勝気な性格をしているので、何かあったら勝手な行動をとりそうだなと思った。しかし、笑良は勝手な行動を取るような子には見えなかった。どちらかというと、周りと行動を合わせるタイプだと思ったのだけれど……。
触発されたか、あるいは強要されたか。はたまた、人は見た目によらないのか。
御来屋にはどちらが外に出ようと誘ったのかは分からない。だから、それ以上のことはわからない。
ま、なるようになるか。
それ以上深く考えることはなく、御来屋は言い与えられた任に集中する。
竹居から報告を受け、朝戸はほっと安堵の息を吐く。
朝、有栖と笑良がいないと聞いてから、気が気で仕方がなかったのだ。どちらも、ひ弱な女の子だ|(有栖は元々は男の子だけれど)。どちらも、いつ襲われてもおかしくはない。
ワンダーという特殊な存在らしいけれど、いまだにその特殊性を見たこともないために、朝戸にとっては二人は普通の女の子である。何度も言うが、有栖は元々男の子だけれど。
ともあれ、無事であることは確認できた。これで、ひとまず安心といったところだ。
「有栖の居場所が分かったんですか?」
安堵した様子の朝戸に、司が尋ねる。
「ああ」
「なら教えてください。助けに行きます」
「それはできない。分かってるとは思うけど、君も我々の守るべき市民なんだ。危険な外に出すわけにはいかない」
「でも、朝戸さんは有栖を助けに行くつもりはないんですよね?」
「そうは言ってないだろう? 彼らだって守るべき市民だし、それ以前に大人が守らなくてはいけない子供だ。そして、君だって、我々大人が守らなくてはいけない子供なんだよ。だから、助けには行くが、君を連れていくことはできない。分かってくれるね?」
司の肩に手を置いて諭す朝戸。
しかし、それで納得するほど、今の司は物分かりがよくなかった。
「別に、連れて行ってくれなんて頼んでません。俺は一人でも行きますので」
だから居場所だけを教えろ。言外にそういう司。
朝戸は司を拘束することはできない。守るべき市民であることには違いないし、司は勝手な行動はするけれど、有栖を助けるという一点のみだけだ。それ以外のところは他の避難者達とも協力し合っている。むしろ、率先して手助けをしているとも言える。
有栖を助ける。その一点しか、彼は勝手な行動をしていないがために、朝戸としても強行手段に出づらいのだ。
「星宮、お前は黙って此処にいろと何度も言ってるだろ。勝手な行動をされると迷惑なんだよ」
どうしたものかと考えていると、三宮が強い口調で司に言う。
「全部俺の自己責任でやってることです。別に助けてくれなんて言ってません」
「なら俺達が馬鹿二人の場所を教えてやる必要もないな。お前を助けてやる義理なんざ無いんだからな」
「……」
もっともなことを言われ、司も思わず反論ができない。しかし、だからと言って黙って言いなりになるわけにはいかない。
「わかりました。では、俺はもう行きます」
「あっ、ちょいちょい! 待ちなさい星宮君!」
司を止めようとするけれど、掴まれるよりも早く司は走り出し、体育館へと向かった。体育館にはいつでも何かあったときに外に出られるように荷物をまとめてある。
体育館に戻り、荷物を引っ掴んですぐに体育館を出る。
司を見かけたルイスが呼び止めようと声をかける前に、司は体育館を後にした。
そのまま校門の方まで走り、閉まっている門に一度手をついただけで飛び越え、颯爽と町を走っていった。
あまりに早い行動に、朝戸も三宮も追いつくことが出来なかった。他の人も、自衛官も、ぽかーんとした顔で出て行った司を見ていた。
「ちょっ、いいんですか朝戸曹長!?」
見ていた女性の自衛官が慌てた様子で朝戸に言うけれど、朝戸ははぁと溜息を吐いて天を仰いでいる。
「三宮伍長?」
「……すみません。まさか、あんなにも即断即決するとは思いませんでした……」
さすがの三宮もあまりに司の行動が早すぎて戸惑いを隠せていない。しかし、これは想像してしかるべき事態だろう。何せ、司は一週間もの間、一人で勝手に行動していたのだから。
この事態が起きた当日から有栖を助けるために動いていたという点を、もう少し考慮すべきだった。
朝戸はすぐに持ち直すと、無線で連絡を入れる。
「|海添(かいぞえ)軍曹、応答願う」
『こちら海添。どうなさいました、朝戸曹長』
「一個分隊で町内の|調査(・・)を頼む」
『了解しました。五分で準備します』
「頼んだ」
「……調査、ですか……」
「ああ、調査だ」
調査は毎日している。それと合わせて、食料の確保や救助活動をしている。しかし、調査に出る時間はまだ少し先のはずだ。
「実際問題、このままでは物資が足りない。それに、問題を解決する必要もある。あの城の調査もしなくてはいけないからな」
「あいつらが城に行くとは限らないでしょう?」
「ま、それならそれで良い――」
『朝戸曹長、応答願います』
「どうした?」
話の途中で、御来屋から無線で連絡が入る。
若干切迫した声に尋常じゃない事態が起きていることを即座に悟り、朝戸は険しい声で答える。
『例の二人、まずいことに城の方に向かってます』
「……」
どうしてこう悪いことは重なるのか。
天を仰ぎたくなる気持ちを抑え、朝戸は三宮を見る。
「三宮、お前も行け」
「了解」
「御来屋。お前はそのまま監視を続けろ」
『了解しました』
御来屋との通信を終え、朝戸は一つ溜息を吐く。
「……若いって、怖いなぁ……」
行動力の底知れない若者に溜息を吐きながらも、自分は自分の仕事に戻った。
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