第8話 Alice in New World
二人で笑良の両親を助けに行こうと言った翌日。
二人は一日普通に過ごし、夜が来るのを待った。
若干有栖の方はそわそわしていたけれど、なんとか気付かれずに済んだ。
夜になり、皆が寝静まった頃、白兎のリュックを背負い、家族にちゃんと書置きをしてから二人は別々に体育館を出る。
「リュックは持った?」
「は、はい……」
笑良の背中を見れば、登山に使うような実用性の高いリュックサックが背負われていた。こうしてみると、あれだけ言った有栖の方がふざけた格好をしているように見える。空色のエプロンドレスだし、白兎のリュックだし。
いや、空色のエプロンドレスはそれしか服が無いからで、白兎のリュックもそれしか無いからだ。本当なら、両方ともルイスが作ってくれたもので壊してしまうと悲しいので置いていきたいのだけど、これしかないのだから仕方が無い。
「あ、あの……」
「ん、何?」
「本当に、行くんですか……?」
「うん、行くよ。新田さんもご家族が心配でしょ?」
「それは…………はい……」
「じゃあ、行くよ。一人よりも二人でしょ?」
有栖がそう言えば、笑良は暫くしてからこくりと頷いた。
「よし、じゃあ行こう」
「はい……」
二人で穴を塞いでいる石をどかし、まず最初にチェシャ猫が外へ出る。
これはチェシャ猫が自ら買って出た。チェシャ猫なら身軽だし、穴なんか通らなくても行き来できるからだ。
「大丈夫だよ、アリス。出ておいで」
「分かった。じゃあ、オレから先に行くな」
「は、はい……」
エプロンドレスを汚したくは無かったけれど、こうなってしまっては仕方が無い。ずりずりと地面に服をこすり付けながら、有栖は塀に空いた穴から外へ出た。
有栖は難なく通れたけれど、笑良は少し胸元とお尻辺りがきつそうだった。スタイルが良いんだなぁと思いながら、有栖は笑良の手を引っ張って手助けをする。
「あ、ありがとう、ございます……」
「なんのなんの」
「アリス、早く行こう。夜はあまり外へ出るものじゃないからね」
「分かってるよ。じゃ、行こうか」
「はい……」
二人と一匹は歩き出す。宛てなく歩いているようで、実は目的地は一応ある。
「今日のところは、うちに行こう。チェシャ猫の言う通り、夜はあまり出歩きたくないし」
何故だか知らないけれど、街灯はついている。けれど、夜の薄暗さは変わらない。夜に何がいるか分からない町を練り歩くのは得策ではないだろう。
有栖が選んだのは、まずは御伽家に向かう事だ。そこで一夜を明かし、夜が明けてから笑良の家族の捜索をする。その方が安全だし、自分の家からなら食料を拝借しても良心が痛まない。
抜き足差し足忍び足。
二人と一匹は物音に気を付けながら夜の町を歩く。
とはいえ、御伽家は学校からそこそこ近いので、暫く歩けば無事到着する事が出来た。
音に気を付けて鍵を開けて、家の中に入る。
「さ、入って」
「お、お邪魔します……」
「お邪魔するよ」
家に入ると、玄関の鍵を閉める。
「二階上がってて。カーテンとか、鍵とか閉めてくるから」
「は、はい……」
暗がりの中を手探りで階段を上る笑良。
有栖は笑良に言った通り、リビングから順に家中の鍵とカーテンを閉めていく。これだけでも防犯になるだろうし、外にいる|顔の無い者(モブ)に気付かれずに済むだろう。
一通り閉め終わった後、有栖も二階に上がる。
二階に上がれば、笑良は廊下でどうしたものかとおろおろしていた。
「あれ、どうしたの?」
「あ、あの……」
「シンデレラは有栖の部屋が分からないんだよ。そして、|猫(ぼく)も分からない」
「あ、ごめん。言ってなかったね」
こっちだよと言って、有栖は自室の扉を開ける。
一階を見て気付いたけれど、部屋はどこも荒らされていない様子だ。その事にほっとしつつ、笑良とチェシャ猫を部屋に入れた後、一応他の部屋も変わりないか見ていく。
結果として、二階も大丈夫だった。どこも荒らされた形跡は無い。
何も荒らされてなくて良かったと安心しながら、今度こそ有栖は自室に向かう。
「あれ、どうしたの?」
部屋に入った途端、有栖はつい数分前と同じ台詞を笑良に言う。
何故だか、笑良は有栖の部屋の中央で立ったまま、どうすれば良いのか分からずにおろおろとしていたのだ。
「あ、あの……」
「アリス。シンデレラはどこに座って良いのか分からないんだよ」
「えぇ……」
チェシャ猫の言葉に、有栖は少し呆れてしまう。
有栖の部屋は綺麗に整頓されているので、座る場所が無いという訳では無い。椅子、床、長座布団、ベッド、座れる場所はいくらでもある。多くの者は長座布団に座ると思うから部屋に通したのだけれど、まさか何処に座って良いのかも分からないと言われるとは思っていなかった。
チェシャ猫が言い過ぎなだけなのかもしれないとも思ったけれど、おどおどとしている笑良の様子を見ればそれがチェシャ猫の誇張ではない事は明白である。
「……とりあえず、ベッドの上にでも座ってて」
「い、良いんですか……?」
「全然良い……待った」
「ひぅっ……は、はい……」
有栖が待ったをすれば、笑良はびくりと身を震わせてから有栖を見る。
そんなに怯えなくとも思いながら、有栖は出来るだけ優しい口調で笑良に言う。
「新田さん、身長いくつ?」
「え、し、身長……ですか……?」
「うん」
「え、と……百六十、です……」
「男の時のオレと同じくらい、だと……?」
笑良と身長がそんなに変わらない事に衝撃を受けながらも、有栖はタンスを漁って無難な服を選ぶ。
「これに着替えて。昨日も同じ服着てたから、着替え持ってないんじゃない?」
そも、避難所に集まった大半の者は着替えを用意できていない。一度家に帰る事が出来ないので、同じ服を着ている。
「え、い、良いんですか……?」
「良いよ。男物で悪いとは思うけど」
有栖はだぼっとした服装を好む。身長も同じくらいなので、丈が足りなくなるという事は無いと思う。
「で、でも……」
「じゃあこれに着替えて。良い、分かった?」
「……っ。は、はい……」
少し強めに言えば、笑良は怯えたように頷く。
悪い気はするけれど、衛生面的にも着替えるのは大事な事なのだ。男物だし可愛くない服だから悪いとは思うけれど、緊急事態につき我慢してほしいと思う。
「それじゃあ、部屋から出るから。着替え終わったら言ってね?」
「は、はい……」
「ちゃんと着替えるんだよ?」
部屋を出る時、ジトっとした目で見ながら言えば、笑良はこくりと頷いた。
良しと一つ頷いてから、有栖は部屋から出た。が、直ぐに部屋の中にチェシャ猫がいる事に気付いた。
「チェシャ猫、おいで」
「なんだい、アリス?」
呼べば、チェシャ猫は有栖の元へ現れる。
現れたチェシャ猫を抱き上げて、有栖は良しと頷く。
「お前もお外に出るんだよ」
「なるほど」
チェシャ猫も言いたい事が分かったのか、一つ頷く。猫であっても、自意識が在るなら女子の着替えを覗かせる訳にはいかない。性別はどっちだか分からないけれど、チェシャ猫はなんだか男っぽい。
少ししてから、部屋の中から控えめな声で終わりましたと告げられる。
有栖は返事をしてから、部屋の中へ入る。
部屋の中に入れば、笑良が有栖の服をちゃんと着ていた。その事に、有栖は良しと頷く。
「ちゃんと着替えたね」
「は、はい……」
「それじゃあ、寝ようか。明日は早めに動こう」
笑良が着替えた事に満足した有栖は、長座布団の上に横になる。押し入れから引っ張り出してきた少し埃っぽい毛布を掛け、早速眠ろうとする。
「あ、え……?」
困惑する笑良に、有栖は何ともなしに言う。
「新田さんはオレのベッド使って。男臭くて嫌かもしれないけど」
「え、そ……あの……」
「ん、何?」
「わ、たし……だ、台所で、充分、です……」
「え、いや、ベッドで寝て? 何かあった時に二人一緒に行動できないでしょ? 男が一緒で嫌かもしれないけどさ」
「い、いえ……そんな事では……」
おどおどとどうすれば良いのか分からないと言った風な笑良。
そんなに嫌かなぁと思いながら、有栖は起き上がる。
「もう寝ないと、明日に|障(さわ)るよ? オレに遠慮してるなら気にしないで。司と一緒に床で寝る事なんてざらだし」
司の家で夜通しゲームをやって気付いたら二人とも床で爆睡している事なんてよくある事だ。だから、硬いフローリングで寝る事なんて慣れっこだ。長座布団が在るだけずっと良いだろう。
「さ、寝て寝て。明日は早いんだから」
「……は、い……」
頷き、笑良は有栖の布団に寝転がる。
有栖はそれをじっと見張る。笑良がちゃんと布団に入るかどうか、見張ってないと不安なのだ。何かと理由をつけて台所に行きそうで怖い。
笑良がベッドに寝転がったところで、有栖は笑良に優しく布団を被せる。
「お休み、新田さん」
「……は、い……」
よもや同級生の女子に布団をかけてお休みと言う日が来ようとはと謎の感慨を覚えつつ、有栖も横になる。
司、怒るだろうなぁ。
司にも家族にも、何も言わずに出てきてしまった。書置きは残してきたけれど、きっと烈火のごとく怒られるに違いない。そう思うと今更ながらに怯えてしまう。
おぉ、恐ろしやぁ……。
きっと色々な人に怒られるのだろう。自衛隊の人にも、学校の先生にも怒られてしまう。考えただけで胃痛がしてきた。
有栖が怒られる事を想像して身震いしていると、突然、ベッドの上から苦しそうな声が聞こえてきて、嘔吐する声が聞こえてきた。
「え!? ちょ、だ、大丈夫!?」
有栖がびっくりして慌てて起き上がれば、笑良はその場で蹲って泣いてしまっていた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」
ただひたすらに謝り続け、泣き続ける笑良。
「全然大丈夫だから! ほら、顔上げて? 蹲ってると汚れちゃうから」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」
謝り続ける笑良を有栖はなんとか起こし、笑良の背中をさすりながら、自分のエプロンで笑良の口元を拭く。
「チェシャ猫、お湯とかって沸かせる事出来る?」
「|猫(ぼく)の領分を超えているね」
「だよね……」
ひとまず、吐瀉物の中に居る事は好ましくない。
「新田さん。ちょっとお風呂行こうか」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」
泣きながら謝る笑良の手を優しくとって、ゆっくりとなるべく音を立てないように笑良は慣れ親しんだ我が家を歩く。
浴室にたどり着けば、有栖は申し訳無いと思いながらも、笑良の服を脱がす。
服を脱いで身体を洗ってと言っても、笑良はきっと何も出来ないだろうし、しようとも思わないだろうから。
端から見ても、今の笑良がとてもまいってしまっていると直ぐに分かってしまう。
確かに、嘔吐をしてしまって人のベッドを汚してしまえば申し訳なくなるだろうけれど、それにしたって今の笑良の様子は異常である。
笑良の服を脱がせていく間、笑良はまったく抵抗を見せない。ただ泣いて、謝っているだけだ。
笑良の服を脱がせると、一瞬違和感を覚える。そして、その違和感の正体に気付けば、有栖は思わず声を漏らす。
「え……これって……」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさ――っ」
有栖の声が耳に入ったのか、笑良の身体がびくりと跳ねる。そして、有栖に見られている事に気付くと、笑良は自身の身体をきつく抱きしめる。
「あ、ご、ごめん……」
有栖はすぐに目を逸らす。
「あ、の……ほ、本当に、すみません、でした……」
しゃくりあげながらも、笑良は有栖に謝る。
「いや、仕方ないよ。吐いちゃう事は誰にだってある事だし」
有栖だって、夜通しゲームして寝不足のまま炭酸飲料を飲んだ瞬間司にげろを吐いた事がある。あの時は司に謝り倒したものだ。
しかして、あの笑良の謝りようは異常だ。ひとまず、これ以上謝られないように有栖は先手を打つ。
「オレ、いったん出てくからシャワー浴びておいて。着替えとかは脱衣所に置いておくから。あ、悪いけど、電気はつけないでね。外にいる奴らに感付かれると嫌だから」
「……あの……はい……」
笑良が頷いたのを確認してから、有栖はいったん浴室を後にする。
正気を取り戻してくれて良かったと思いながら、有栖はいったん自分の部屋に向かう。
部屋に入れば、一瞬つんとした匂いが鼻につくけれど、それを気にしないように努めて笑良の汚したシーツやら布団やらを抱えて一階に降りる。本当なら洗濯機に入れたいけれど、今は洗濯機は使えない。後で水で洗い流そうと思いながら、大きめのビニール袋に入れる。
敷布団は水をかけてからタオルでとんとんと叩いておく。これ以上は出来そうにないので、いったん放置。消臭剤をいっぱいかける。
笑良の寝床はどうしようと思いながら、有栖は美夜の部屋に向かう。
ぱっと見た感じで、笑良のスタイルは美夜に近かった。だから、下着類は美夜のものを貸せば良いだろう。
適当に下着類を引っ張り出し、適当に自分の服を持っていって脱衣所に置いておく。
「新田さん、着替え置いておくね」
「は、はい……あの、ごめんなさい……」
「それはもう聞いた。申し訳ないけど、早めに上がってもらえると助かる。何があるか分からないからさ」
「は、はい……」
笑良にそう言った後、そう言えばエプロンが汚れている事に気付き、有栖はキッチンでエプロンを洗った。本当はもっと綺麗にしたいところだけど、そうも言ってられない。
エプロンを綺麗にした後、ぎゅうっと良く絞ってからハンガーにかけて干しておく。
これで有栖がやるべき事は終わったので、笑良がお風呂から上がるまで部屋で待っている事にする。
ぼーっとチェシャ猫を撫でり撫でりしながら待っていると、笑良が部屋に戻って来た。
ドライヤーが使えないから髪の毛が濡れたままだ。タオルとかは用意したけれど、笑良の髪の毛は長いからそれだけでは不十分だったのだろう。
「ごめんね。ドライヤーとか使えれば良かったんだけど」
「い、いえ……その……ご――」
「ごめんなさいはもう無し。散々聞いたから」
「あ、ご、ごめんなさい……あっ」
「無しって言ったでしょ?」
ぷくぅっと膨れっ面をして、有栖は笑良のほっぺをむにむにと摘まむ。
「あ、ほ、|ほめんははい(ごめんなさい)……」
「違うでしょ? こういう時は、ありがとうでしょ?」
「……は、|はひはほう(ありがとう)、|ほはいはふ(ございます)……」
「ふふっ、何言ってんのか分かんない。こっち来て。髪拭いてあげるから」
笑いながら、有栖は笑良の手を取ってベッドに座らせようとする。
「――ひっ……」
しかし、笑良は物凄い勢いで有栖の手を振り払って拒絶する。
「……新田さん、大丈夫?」
驚きながらも、有栖は怯える笑良を気遣う。
しかし、笑良はひくひくと涙を流し、その場に座り込んでしまう。
「……むむぅ」
有栖はどうしたものかと思いながらも、座り込んだ笑良の後ろに回り込んで、優しく笑良の髪の毛をタオルで拭ってあげる。
「何があったか分からないけど、無理な事は遠慮なく言ってね。ちゃんと新田さんの意思は尊重するから」
有栖は泣いている笑良の髪を優しく拭う。拭い終わっても笑良が泣き止まないから、有栖は背中を優しくとんとんと叩き、リラクゼーション効果があるかもとチェシャ猫を膝に乗せてみたりと頑張る。
そうしていくうちに笑良も泣き止み、ようやっとまともに話せる状況になったところで、有栖は思う。
とりあえず、ベッドは駄目だな、と。
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