第7話 Alice in New World

 避難所での生活で初めての夜。実際は、二日目の夜なのだけれど、有栖は気付いたら日を跨いでいたので今日が始めての夜だ。


 体育館。段ボールで作られた仕切りの中で、家族身を寄せ合って眠る。


 真人、ルイス、美夜、有栖、三日月の順番で並んで寝る。


 なんだか小さい頃みたいだと思いながら、有栖はチェシャ猫を抱きしめてくぅくぅと寝息を立てる三日月を見る。


 三日月も大きくなったなぁ。けど、眠る時に丸くなる癖は変わってないや。


 ふふっと笑いながら、有栖は三日月の頭を撫でる。


「何してんの?」


 三日月の頭を撫でていると、美夜が有栖を後ろから抱き寄せながら尋ねてくる。もちろん、声は抑えて。


 後ろから抱き寄せられ、子供じゃないんだからと思ったけれど、今の有栖は子供のような見た目だ。抱きしめたくなってしまうのも仕方ないのかもしれないし、散々心配をかけさせた手前もあって言い出しづらい。


「大きくなったなって思って」


「あんたは小っちゃくなっちゃったもんね」


「そういう意味じゃなくてっ」


「ふふっ、分かってるわよ」


 よーしよーしと有栖の頭を撫でる美夜。


 言動の割に子供扱いをしているけれど、悪びれた様子は無い。


 むーっと唸りながら、有栖は起き上がる。


「怒った?」


「怒ってない。トイレ」


 チェシャ猫を美夜に渡して、有栖は言った通りトイレに向かう。


 女子の用の足し方は恥ずかしながら教わったので、なんら問題は無い。


 体育館の中にある水洗トイレへと向かう。体育館は一階と二階があり、有栖達は一階だ。トイレは一階にも二階にもあり、わざわざ二階に行く必要も無いので一階に向かう。


「ん?」


 その時。外で何かが動いた気がした。


 見回りの自衛隊の人だろうかと思ったけれど、目に映ったのは彼等の着ている迷彩服では無かった。


「……どうしたんだろ」


 気になった有栖はそのまま外へと出る。


 外に出て、先程何かが動いた場所まで向かってみる。夜、草木も寝静まった時間とあって、体育館の裏に行くのは結構怖い。


「ちぇ、チェシャ猫ぉ……」


「なんだい、有栖?」


 有栖がチェシャ猫を呼べば、どこからともなくチェシャ猫が現れる。


 チェシャ猫がどこからともなく出現できる事は知っている。その上で、昼間に呼べば来てくれるという事も聞いていたので、さっそく呼んだのだ。本当は夜のトイレに行くのにも着いてきて欲しかったけれど、それは流石に恥ずかしかった。しかし、今回は恥ずかしさよりも恐怖が勝ってしまったので恥ずかし気も無く呼んだのだ。


「チェシャ猫っ。な、なんか動いた気がしてさ……」


 有栖はチェシャ猫を抱き上げ、何かが動いたと思しき方へとチェシャ猫の顔を向ける。


「怖くなっちゃったのかい?」


 チェシャ猫の言葉に、こくりと頷く。此処にはチェシャ猫しかいないから、変に見栄を張る必要が無い。


 じっとチェシャ猫が何かが動いた方を見て、すんすんと匂いを嗅ぐ。


「うん、大丈夫だよアリス」


 大丈夫。そう言われ、有栖はほっと胸を撫で下ろす。


「じゃあ、行こうか」


 しかし、チェシャ猫が何かが動いた方向を見ながら、そこへ行こうと言う。


「え? い、いや、大丈夫なんじゃ……」


「行っても大丈夫って事だよ。さぁ、行ってみようか。白兎に会えるかもしれない」


「え、えぇ……良いよ、帰ろ?」


「でも、誰がいるか気になるのだろう?」


「それは、まぁ……って、誰かいるの?」


「いるとも。|猫(ぼく)は鼻があまり効かないけど、この距離で間違う程ではないよ」


「う、うぅん……」


 チェシャ猫はこの先に誰がいるのか知っている。チェシャ猫が大丈夫だと言っているのだから、きっと危害を加えられる事は無いのだろうけれど……。


「うぅ……」


 明かりの無い、薄暗い体育館裏。知っている人が居ると分かっていても、そこへ向かうには勇気がいる。


「行ってみようか、アリス」


「うぅ……わ、分かったよぉ……」


 ぎゅっとチェシャ猫を抱きしめ、有栖は促されるままに体育館裏へと向かう。


 抜き足差し足忍び足。


 足音を立てないように、ゆっくり、ゆっくり歩く。


 体育館の壁に身を寄せて、角からそーっと覗き込む。


「ひうっ」


 そこに居た者を見て、思わず引き攣った声を上げてしまう。


「――っ、誰、ですか?」


 有栖の声で気付いたのか、向こうも怯えたように有栖の方を見る。


 お互い怯えているけれど、お互いがお互いを誰であるか認識した途端、ほっと安堵の息を吐く。


「な、なんだ……新田さんかぁ……」


「お、御伽君……どうして、此処に……?」


 安心して深い息を吐く有栖と、少し怯えたままの少女――新田笑良。


「新田さんこそ、こんなところで何してるの?」


「わ、私は……」


 問い返され、笑良は言いよどむ。


「そこの|塀(へい)。抜け穴が在るね」


「え? 抜け穴?」


「――っ」


 チェシャ猫がそう言うけれど、有栖にはまったくもって見えない。しかし、笑良が息を飲むのが分かったから、チェシャ猫が言っている事は本当なのだろう。


 そして、何故笑良が抜け穴の事を知っているのだろうと、疑問に思う。


「シンデレラ。その抜け穴をどうするんだい?」


 有栖が疑問に感じたからでは無いだろうけれど、タイミングよくチェシャ猫が質問をする。


「そ、それは……」


 笑良はチェシャ猫の質問に言いよどむ。


「何か言えない事情があるの?」


 有栖が優しく問いかけるも、笑良は何も言わない。


「仕方ないね。アリス、朝戸に報告をしよう」


「――っ! 待ってください! それだけは、まだ……!!」


「それは理由次第だよ。その穴一つから|顔の無い者(モブ)が入ってくる可能性だってあるんだ。それは、君だって分かっているだろう?」


「そ、れは……分かっています……」


「なら、その穴は埋めないと。さぁ、アリス。朝戸の元へ――」


 行こうか。チェシャ猫がそう言おうとしたところで、笑良はその場に膝を着き、更には額を地面に着けた。俗に言う土下座だ。


「お、お願い、します……どうか……どうかまだ、この事は言わないでください……!!」


 声が震えている。恐らく、泣いているのだろう。


 有栖はチェシャ猫のほっぺをむにいっと引っ張る。


「チェシャ猫、やりすぎ」


「ごめんよ、アリス」


「俺にじゃないでしょ」


「ごめんよ、シンデレラ」


 チェシャ猫は笑良に謝るけれど、笑良はそれでも土下座を止めない。小刻みに震えながら、すんすんと啜り泣きながら、笑良は頭を地面にこすりつける。


「……ちぇーしゃーねーこー?」


「ごめんよ、シンデレラ」


 こんなになるまで言ってしまった事に対しては、流石にチェシャ猫も悪いと思っているのか、その声音は少し申し訳なさそうだ。


 チェシャ猫が再度謝っても、しかし、笑良は泣くのを止めず、土下座も止めない」


「……」


 どうしたものかと頭を抱える有栖。


 ひとまず、このままでは話が出来ない。有栖は笑良の傍まで行き、笑良の背中を優しく撫でる。


「その……何があったのか分からないけど、オレに話してみて? 少しは力になれるかも。だから、顔を上げて? ね?」


「ひっぐ……うっ……か、お……上げても、良いんで、すか……?」


「良いも何も、上げてくれないとオレが困っちゃうよ」


「わ、かり……ました……」


 ひくっひくっとしゃくりあげながら、笑良はゆっくりと身体を起こす。その際、びくびくと怯えた様子は変わる事が無く、怯えさせるような事しちゃったかなと申し訳なくなる有栖。


 有栖はポケットからハンカチを取り出すと、笑良の涙を拭ってあげる。


「ごめんね。脅かすつもりは無かったんだ」


「い、え……あ、あの……大丈夫、です……」


 有栖がハンカチを笑良の顔に当てる時、びくりと過剰な程反応を見せた笑良だけれど、有栖が危害を加える事が無いと分かれば、その有栖に身を委ねる。


 右側を拭い、今度は左側を拭おうとしたところで、笑良がびくりと大きく身体を逸らし、左の目元を長い前髪の上から抑える。


「あ、ごめん。痛かった?」


「――っ! ご、ごめん、なさい……」


「なんで新田さんが謝るのさ」


「よ、避けた、から……」


「それぐらいで怒んないよ。それより、オレこそごめんね。女子の顔に無遠慮に触るべきじゃ無かったな」


 今は有栖も女子なのだけれど、有栖にその自覚は薄いし、元男である事もあってちゃんと気を遣っている。


「い、え……その……」


 おどおどとずっと怯えた様子の新田さん。クラスで見かける時はただただ大人しい子だと思っていたけれど、どうやらそれだけでは無いようだ。


 どうするべきか少し悩んだ後、有栖は体育館の壁の方に移動して、そこに腰を下ろす。


 ぽんぽんと自分の隣を叩いて優しく言う。


「此処、座って。少し話そっか」


「分かったよ、アリス」


「チェシャ猫じゃない」


 とととっと有栖の横に座るチェシャ猫を抱き上げ、自分の膝の上に乗せる。


 笑良は少し逡巡したのち、びくびくと怯えながら有栖の隣に座る。拳五つ分の距離は空いているけれど。


「それで、どうしてあの穴を塞いじゃ駄目なの?」


 単刀直入に、有栖が問う。


 なにがしかの理由がある事は明白。しかし、有栖は遠回しに聞き出したりは出来ない。だから、直接笑良に問うしかない。


「そ、それは……」


「もしかして、外に家族がいる、とか?」


「――っ」


 笑良が目に見えて動揺する。長い前髪に隠れた目は明らかに泳いでいるし、確実に有栖の言った事が正解だろう。


「そっか。そりゃあ、心配になるよね」


「……心配……では、無いです……。不安、ですけど……。いえ、でも……心配、です……」


「一人で行こうとしたの?」


「はい……」


「なるほど」


 どうやら、笑良は家族を助けるために一人で行こうとしたらしい。


 家族を助けるために部隊を動かしてくださいとは言えないし、誰か家族を探すのを協力してくださいとも言えない。一人が言ってしまえば、誰かも同じことを言う。一人を許してしまえば、誰かも許さなければいけなくなる。


 司が一人で有栖を探していたのはそのためであり、笑良が一人で行動しようとしたのもそのためだ。


 助けたいのなら、自分で。


 誰かを巻きこめないからこそ、自分で。


 しかし、笑良と司では前提条件が大きく違う。


 司は運動神経抜群であり、大抵のことはなんだって期待以上にこなす。


 常に冷静沈着であり、何が最適なのかを瞬時に選び取る判断力も兼ね備えており、その上でそれをこなすだけの度胸と自信がある。


 対照的に、笑良は卑屈であり、運動神経もお世辞にも良いとは言えない。外を一人で生き抜くための土台がまず備わっていない。


 それでも一人で行こうとしているのは、それだけ家族が心配なのだろう。


 有栖はうんうん唸って考える。


 司に協力を仰ぐか。いや、司を巻き込むわけにはいかない。だって、司は自分を探すために散々無茶をしたのだから。


 自衛隊に協力を仰ぐか。先程も言った通り、一人が言い出してそれに頷いてしまえば、他の者が言った時に自衛隊は断れなくなる。だから、この案も却下だ。


「……うし、決めた。新田さん」


「……っ。な、なんですか?」


 びくっと身を震わせた後、恐る恐る有栖を見る笑良。


 きっと沙汰を下される。そういった恐れのある目をする笑良に、有栖は優しく微笑みかけながら言う。


「新田さんの家族を探すの、俺も手伝うよ」


「――っ、で、でも……」


「クラスメイトだしさ。それくらい手伝わせて。それに、同じ|御伽の守護者(ワンダー)のよしみだよ。……まあ、その|御伽の守護者(ワンダー)ってのも、良く分かってないんだけどさ」


 誰かに頼れない。誰にも頼れない。なら、自分で動くしかない。それは、笑良も有栖も同じ事だ。


 有栖は笑良の手を取って言う。


「大丈夫、きっと見つかるよ」


「え、あ……は、い……」


 一瞬、きゅっと何かを堪えるように眉を寄せた気がしたけれど、直ぐにぺこりと頭を下げてしまい、それ以上笑良の表情を見る事が出来なかった。


「あの……よろしく、お願いします……」


「うん。任せて! チェシャ猫がいれば鼻が利くだろうし」


「|猫(ぼく)はあまり鼻は良く無いよ、有栖」


「でもオレ達よりは良いだろ?」


「それはそうさ。猫だからね」


「じゃあチェシャ猫が頼りだ。頼んだぞ」


 言って、チェシャ猫の頭を撫でる有栖。


 ごろごろと気持ちよさそうに喉を鳴らすチェシャ猫。


「それで、新田さん」


「は、はい……」


「とりあえず、今日は止めとこう。見たところ、新田さんなんの準備もしてないでしょ?」


「は、はい……」


 笑良は荷物を一つも持っていない。鞄も無ければ、食料も無い。武器の代わりになるような物も持っていない。そんな状態で外へ出たとしても、ろくに探す事なんて出来ないだろう。


「オレもリュック持っていきたいし、少しでも役に立つ物持っていきたいからさ」


「わ、分かりました……」


「うん。じゃあ、今日はもう寝よう。あ、穴は塞いでおこっか」


 二人はもともと穴を塞いでいた大きな石で穴を塞ぎ直してから、体育館へと戻った。


 体育館に戻る際、笑良が何とも言えない表情をしていたけれど、長い前髪と夜の暗さに遮られて、有栖に気付かれる事は無かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る