第6話 Alice in New World
職員室で待つ事暫し、朝戸とチェシャ猫は一人の生徒を連れて職員室へとやってきた。
「待たせたね、アリス。退屈じゃなかったかい?」
「ううん、大丈夫。お茶飲んでゆっくりしてたし」
有栖は職員室のソファに座ってお茶を飲んでいた。
茶葉が在ったので、急須でお茶を淹れ、のんびりしていたのだ。水は貴重だけれど、ろ過装置があるので十分に水を用立てる事が出来る。
ろ過装置は自衛隊が持っていた物や、動画を見て作り方を知っていた人達が簡易的な物を作ってくれたりしているので、暫くは水に困る事は無いだろう。
ともあれ、水を使う余裕があるのはありがたい。こうしてお茶を飲んで一息つけるのだから。
「おや、お茶会をしていたのかい? 眠り鼠と帽子屋は呼んだかい?」
「え、呼んでないけど」
そもそも、その二人は存在だけを知っているだけで、会った事は無い。
「そうかい。彼等、アリスが好きだから、残念がるだろうね。今度お茶会をするときは、呼んであげると良いよ」
「わ、分かった……」
どうやって、とは思っていても言わない。チェシャ猫の事だから、突拍子も無い事を言ってくるに決まっているのだから。
「さて、それじゃあ役者も揃った事だし、説明してもらおうかな?」
有栖の対面に座った朝戸。そして、その隣に三宮が座る。
有栖の隣に司が座り、その反対側には――
「あ、あの……私も、座って良いんですか?」
――酷く古びた服を着た、少女が立っていた。座ってはいない。おどおどとしながら、座って良いのかを確認している。
「ああ、座って座って。君が座ってくれないと、先に座っちゃったおじさん達がいたたまれないから」
「わ、分かりました……」
少女は有栖の隣に、失礼しますと言ってから座る。
古びた服は、何年か前に流行った服であり、ところどころ深く皴になったり、生地が伸びてしまっていたりしている。
流行|云々(うんぬん)よりも前に、その使い古した見た目に目が言ってしまう。
「なぁ、チェシャ猫。新田さんがチェシャ猫の言ってた子?」
「ああ、そうだよアリス」
「ふ~ん」
ジッと有栖が見れば、古めかしい服を着た少女――|新田(にった)|笑良(えら)はおどおどとしながらその身を縮こまらせる。
「有栖、あまりじろじろ見ると失礼だよ」
「ああ、そっか。ごめんね、新田さん」
「い、いえ……」
「彼女とは面識があるのかい?」
「はい。クラスメイトです」
朝戸の言葉に、有栖が答える。
笑良は有栖と司のクラスメイトだ。同じ教室で授業を受けたりしていて、何度か業務的な会話をした事はあるけれど、お喋りをした記憶は無い。そもそも、他の人と楽しそうに喋っている姿も見た事は無い。
「新田さん、オレの事分かる?」
「えっと…………聞いただけだから、その、間違ってたらごめんなさいですけど……」
「うん、大丈夫だよ」
「御伽くん……ですか?」
「うん。良かったぁ……知らないって言われたら悲しくなっちゃうとこだったよ」
「えっと……御伽くん、目立つから……知ってます」
有栖はその容姿から、クラスだけではなく学年、ひいては学校全体で広く知られている存在だ。御伽有栖という生徒を知らない者など、そういないだろう。
「それで、なんで新田さん連れてきたの? 彼女、普通の女の子だよね?」
司がチェシャ猫にもっともな質問をする。
対して、チェシャ猫は有栖の肩の上から膝の上に乗ると、箱座りをしようとして――
「……」
――有栖の膝の大きさではサイズが合わず、隣の司の膝の上に乗って箱座りをする。
本人は座りやすそうにしており、座りが良くなったので説明をしようとするが、有栖は気に食わなかったのか、チェシャ猫を抱っこすると自分の膝に座らせる。ちょうど、人間が座るようにして座らせ、お腹のところに腕を回す。
「むふーっ」
「その事を説明する前に、まずは今起こっている状況を説明しようか」
ご満悦な有栖を見て、移動する事を諦めたのか、チェシャ猫はそのまま話を始める。
「まず、この世界に起こっている異変についてだよ。結論から言うと、この世界は、物語の世界と同化しつつある」
「物語の世界と同化?」
「うん。君達は、シンデレラという物語を知っているかい?」
「それは、まぁ」
チェシャ猫が上げたのは、世界中の誰もが知っているであろう童話のタイトルであった。
シンデレラ。|継母(ままはは)と継母の娘二人に虐げられながらも、最後には王子様と結ばれる王道にして至高の童話だ。シンデレラストーリー、シンデレラフィットなど、造語が作られる程に有名であり、人気な作品。
「今、ここら一帯はそのシンデレラの世界と同化しつつあるんだ。あの顔の無い人々は、シンデレラの世界のモブさ」
|脇役(モブ)。世界に干渉しないけれど、世界を構成する要素。
「あ、それじゃああの城はシンデレラ城って事か?」
「そうだね。けれど、厳密にはまだシンデレラ城では無いよ。なにせ、シンデレラと王様は結ばれてないからね」
「てことは、あの城には王様がいるって事か?」
「うん。まぁ、まず真っ当な王様じゃないだろうけれどね」
「ん、それはどういう意味だ?」
「物語はモブと世界を作るのだけで精いっぱいなんだ。世界と土地、それにモブが要れば世界そのものの形は保てる。けど、物語には主要人物が必要なんだ。けれど、世界の構成に精一杯で、主要人物は生み出せなかったんだ」
「それじゃあ、その王様ってどうなってるんだ? 真っ当じゃ無いんだろう?」
「誰かが代わりを務めているはずだよ。アリスやそこの少女みたいにね」
「え、オレもそうなの?」
「わ、私も……ですか?」
有栖と笑良はどうして自分がといった顔をする。
「待ってくれ。有栖もって事は、同化してる物語はシンデレラだけじゃないのか?」
「そうだね。|猫(ぼく)が確認してるところだと、シンデレラ、赤頭巾、白雪姫、不思議の国のアリス。この四つは|猫(ぼく)も感知しているよ」
「あ、だからチェシャ猫がいるのか」
「察しが良いね。さすがだよ、アリス」
「いやぁ~、えへへ」
チェシャ猫が褒めれば、有栖は嬉しそうに笑う。
実際、世界の同化とチェシャ猫という存在という二つの手がかりが在れば、誰でも分かりそうなものだけれど、誰も嬉しそうな有栖に水を差す者はいない。
「話を戻すが、ここら辺一帯は、そのシンデレラの世界と同化している、という認識で間違ってないかい?」
「間違いは無いよ」
「そうか……にわかには信じられないな……」
「けれど、事実起きてる事ですよ」
「分かってる。だからこそ|質(たち)が悪いんだ」
|与太話(よたばなし)と言って斬り捨てるには状況が許してはくれない。けれど、|鵜呑(うの)みにするにはあまりにも荒唐無稽だ。
朝戸は頭を抱える。部隊を預かる者として、大勢の市民を守る者として、この話を鵜呑みにしても良いのかどうか。
「一応、上には報告してみるが……果たしてなんて返ってくるか……」
「大丈夫さ。君達の助けは必要ないからね」
朝戸の言葉に、チェシャ猫は平然とそう返す。
「……それは、君だけでどうにかなる問題だと言いたいのかい?」
「いや、|猫(ぼく)ではどうにもできないよ。|猫(ぼく)は所詮案内役だからね。この問題を解決できるのは、|御伽の守護者(ワンダー)であるアリスとシンデレラだ」
「え、オレ?」
そんな事何一つ聞いてないけどと思いながらも、チェシャ猫の言葉に続きが在りそうだったのでそれ以上は言わない。
「そうだよ。世界を構成するために舞台とモブが生成されたけど、それは正常な状態じゃないんだ。それを戻すための存在がアリス達|御伽の守護者(ワンダー)さ」
「ワンダー……会った時に言ってたやつだよな?」
「そうだね」
「ちょっと待ってくれ。そのワンダー? が、この状況を打破するための存在だという事は分かった。だが、そもそもの話、世界の同化とはいったいどういう状況なんだ? 一方が世界を同化させて、一方がその世界を壊す。二つの勢力が在るって事なのか?」
混乱したようにチェシャ猫に尋ねる朝戸。しかし、司や三宮、笑良もまた、チェシャ猫の話に要領を得ていない様子だ。
「そうだね。一つずつ説明しようか。どうにも、|猫(ぼく)は説明が下手みたいでね。いつも帽子屋に怒られるんだ」
帽子屋が案内役だったらもう少し意思疎通や説明が上手くいったのだろうかと思うけれど、それをチェシャ猫に言ってしまうのは失礼なので有栖は何も言わない。そも、チェシャ猫だって十分助けてくれているし、なにより可愛い。
「まず、世界の同化について。御伽の世界との同化の理由は、正直|猫(ぼく)もよく分かっていないんだ。同化している事。この状況が良くない事。この状況を正せるのが|御伽の守護者(ワンダー)にしかいない事。それくらいしか、分からないんだ」
「つまり、君も要点以外は知らないという事かい?」
「そうなるね。もう少し細かく言うのなら、|御伽の守護者(ワンダー)は各世界に一人。それを補佐する、|猫(ぼく)のような案内役がいたりいなかったりするね」
「どちらかは分からないのかい?」
「分からないね」
「……なるほど。世界の同化については、ひとまず分かった」
「この事態の解決と並行して真相を探るしか無いね」
「そうなるか……」
難しい顔をする朝戸の横で、律義に三宮が手を上げて発言をする。
「一つ良いか?」
「なんだい?」
「この事態の解決と言うが、具体的にはどうやって解決するつもりなんだ?」
「ああ、それを言っていなかったね。世界の同化は、元となった本を壊せば止められるよ」
「元となった本? それは、原本とか、原典とか、そういう類いか?」
「さぁ?」
「さぁって……」
「|猫(ぼく)は知らない事に断言は出来ないからね。まぁ、近くに行けば|御伽の守護者(ワンダー)であるアリスが感知するさ」
「えー? オレ、分かるかな?」
「大丈夫だよ。自信をお持ち」
「んー……まぁ、頑張ってみるけど……」
正直、そんな事が出来るかどうか不安だ。だって、|御伽の守護者(ワンダー)って言われても、自分にそんな自覚はまったく無くて、ただただ言われているだけなのだから。
「あ、そうだ」
「え、何?」
チェシャ猫が思い出したように声を上げ、じっと有栖を見上げる。
「アリス。此処まで言っておいて何ではあるんだけどね」
「うん」
「アリスが嫌ならやらなくても良いよ? 他の|御伽の守護者(ワンダー)が解決してくれるだろうしね。それまで安全なところで家族と過ごすのも手だね」
「え、でも、このままじゃ世界が大変なんだろ?」
「うん。けど、アリスに無理強いはしないよ。そもそも、|猫(ぼく)はアリスに命令できないからね」
「でも、オレなら解決できるって……」
「できるからと言って、する必要は無いんだよ。これは危険な事でもあるからね。まぁ、案内役である|猫(ぼく)が言うのもなんだけどね」
どうするんだいと視線で問いかけてるチェシャ猫。
しかし、どうすると言われてもそう簡単に答えの出せる問題でもない。
「有栖、嫌ならやらなくて良いよ。有栖になんかあったら、ルイスさん達が悲しむでしょ?」
司が、すかさず有栖に言う。
「でも……」
「他の人に頼もう。有栖は荒事なんて得意じゃないし、一般人である有栖がそんな危険な事をする必要は無いよ」
「まぁ、そうだね。こういうのは我々自衛隊の仕事だ。君は安全な場所にいて、吉報を待っていてくれれば良いと、俺も思うよ」
司に次いで、朝戸も有栖は戦わなくても良いと言う。
「そうだな。一般人がいると、それだけで作戦の効率も悪くなるしな」
三宮も、有栖が戦わない事を望んでいるようだ。理由は、司や朝戸とは違うけれど。
戦う事を望まれていない。それなら……。
「わかり、ました……ごめんな、チェシャ猫」
頷き、チェシャ猫に謝る。
主語は抜けている。けれど、チェシャ猫にも、他の者にもちゃんとその意思は伝わった。
「平気だよ、アリス。他の|御伽の守護者(ワンダー)が解決してくれるのを願おう」
「うん……」
チェシャ猫の言葉に、有栖は力無く頷く。自分に出来るのに、それをしない事に罪悪感を覚えながらも、危ない事をしなくて済むと思いほっとしている自分もいる。
「さて、有栖はこの件には参加しない。じゃあ、君はどうだい?」
「え……私、ですか……?」
チェシャ猫に急に水を向けられて、驚く笑良。
「ああ。君だよ、|シンデレラ(・・・・・)。君はどうするんだい?」
「え?」
呼びなれない呼称をされ、驚くと言うよりも戸惑う笑良。
「し、シンデレラ……? 私が、ですか……?」
「そうだよ。だから君を呼んだんだよ。君も、アリスと同じ|御伽の守護者(ワンダー)だからね」
チェシャ猫がだいぶ最初の方にシンデレラと言っていたので、もしやと三人は思っていたので、そんなに驚きは無い。それに、彼女はたまたま居合わせた訳では無く、チェシャ猫がわざわざ呼んだのだ。そんな彼女がこの件に関わりが無いとは思えなかった。
「もちろん、|猫(ぼく)は無理強いはしないよ。|猫(ぼく)は君の案内役じゃないからね」
暗に、君は好きにすると良いと突き放すチェシャ猫。チェシャ猫にとって有栖は大切な存在だけど、それ以外はどうだって良い。有栖の身や精神に関わる事は無視できないけれど、それ以外の事は割とどうでも良い。
だから、笑良に関する事もどうだって良い。好きにしてくれて構わないと放任する。
「あ、え、と……わ、私は……」
全員の視線を受けて戸惑う、というよりは、怯えたように視線を泳がせる笑良。
怯えた笑良の雰囲気をいち早く感知した有栖は、すっと笑良の手をとる。
「――っ」
「新田さんが嫌なら、大丈夫だよ。誰も、女の子に危険な事に突っ込めだなんて言わないから」
「ああ。御伽君の言う通りだ。君が無理なら、遠慮なくそう言ってくれ」
「むしろ、俺達的にはお前達には大人しく待っていて欲しいけどな。……いや、この際だから言わせてもらおう。これは子供が首を突っ込む案件じゃない。お前達は此処で待ってろ」
三宮は冷たく言い放つ。けれど、彼等からしたら民間人を不測の事態に巻き込む方が間違っているのだ。だからこそ、彼等の言い分は正しい。
「分かったなら出て行け。これから対策を練らなくちゃいけないんだからな。あ、猫は残れ。お前には色々聞くことが在る」
しっしっと厄介払いをするように手を払う三宮。
「……アリス、|猫(ぼく)はもう少し此処に残るから、先に家族の元へ行っておいで」
「分かった」
有栖はチェシャ猫をテーブルの上に乗せる。
「行こ、司、新田さん」
「ああ」
「あ、は、はい……」
三宮に厄介払いされたからでは無いけれど、三人は大人しく職員室を後にする。なにせ、此処に居たところで自分達に出来る事などもう何も無いのだから。
三人が出て行った職員室で、朝戸は思わず苦笑をする。その意味を分かっているのは三宮だけなので、三宮は知らんぷりをする。藪をつついて蛇を出す事も無いのだから。
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