第5話 Alice in New World

 司を振り回して、有栖は家族の元へと向かう。


 家族は体育館に居るらしく、重い扉を開けて体育館へと入る有栖。


 急に入ってきた有栖に皆の視線が吸い寄せられる。それもそうだろう。今の有栖は誰がどう見ても美少女だ。そんな存在が入ってくれば視線も集まるというものだ。


 体育館の中は段ボールで出来た仕切りがあり、少しのスペースでの生活を強いられているようだった。


 有栖はきょろきょろと視線を巡らせ、ついに家族を見付けるとぱぁっと笑顔になって駆けだす。


「母さん!! 姉さん!! 三日月!! それと父さん!!」


 チェシャ猫を放り投げて、靴も脱がずに体育館に上がって走り出す有栖。


「え、誰?」


 きょとんと走ってくる金髪美少女を見て、名前を呼ばれた四人は小首を傾げるけれど、母ルイスは有栖が着ている服に見覚えがあり、それを着ているのがこの世界でただ一人自分の息子である事に思い至ると、はっとしたような顔になる。


「有栖……?」


「母さん!!」


 まずルイスのところまで行って、有栖はルイスに抱き着く。


「え、え? 有栖?」


「うん、オレだよ母さん!!」


 良かったぁと安堵しながら、有栖はぎゅっとルイスを抱きしめる。


「え、これが有栖? なんかちっちゃくなってない?」


「う、うん……お兄ちゃん、百六十は身長あったよね?」


「あ、ああ……君、本当に有栖なのかい?」


「疑問は分かりますけど、それが有栖ですよ。俺と有栖しか知らない秘密を知ってましたし」


 投げ捨てられたチェシャ猫を拾って、司も有栖の元へとやってきた。


「司くん。どういう事なの?」


 美夜が司に問うけれど、司も生憎と答えを持ち合わせていない。


「俺も、何が何だかさっぱり……ただ、こんな妙な事が起こってるんですから、こういう事があっても不思議ではないかな、とは」


「へぇ~、でもお兄ちゃんちっこいと可愛いね! ちっこくなくても可愛いけど!」


「ちっこくない! お前と同じくらいだろ!」


 今の有栖は三日月と慎重は同じくらいだ。もっとも、三日月の方が僅かに大きいのだけれど、その事には触れない賢い司。


「うん、この反応は完全にお兄ちゃんだ。それに、良く見れば中学生の頃のお兄ちゃんにそっくり」


「確かに。顔も有栖の面影が在るしなぁ」


「なんだって良いわよ。有栖が生きててくれたことが、私は嬉しいわ」


 目に涙を浮かべながら、ルイスは有栖をぎゅうっと抱きしめる。


「うぶっ、痛いよ母さん」


「我慢なさい。まったく、心配かけて……」


「心配云々は|猫(ぼく)が謝らなければいけないね。ごめんよ、アリスのご家族」


「「「「!?」」」」


 チェシャ猫が声を上げれば、四人だけでなく、周囲に居た者も驚愕する。


 チェシャ猫は司の肩から降りると、アリスの傍に向かう。


「そういやチェシャ猫、オレの事教えてくれるんだったよな?」


「うん。ただ、此処じゃない方が良いね。それに、アリスはもう少し家族と居たいだろう?」


「それは、まぁ……」


「なら、そうするのが良いと|猫(ぼく)は思うよ。なに、まだまだ時間は在るさ。少し休むと良いよ」


「……うん、なら、そうする」


 正直、訳の分からない事の連続で疲れた。起きたら一週間経ってたり、身体が縮んでたり、女の子になったり、変な奴らに追いかけられたり……。


「え、あ、有栖? この猫は大丈夫なのかい?」


「あ、うん。チェシャ猫はオレの仲間だ」


「仲間というより、案内役だね」


「む、仲間で良いだろ?」


「そうかい? まぁ、アリスがそれで良いなら、|猫(ぼく)は一向に構わないよ」


「凄い。猫が喋ってる……」


 チェシャ猫を見た美夜は唖然としながらも、チェシャ猫を恐る恐る触る。


 チェシャ猫は抵抗せずに、されるがままになっている。


「おお、ふかふか……」


「本当だ。ふかふかだ~」


 美夜に続いて、三日月もチェシャ猫を撫でる。


「ぼ、僕も良いだろうか?」


「良いとも」


 美夜、三日月、父――|真人(まさと)は夢中になってチェシャ猫を撫でる。一週間ぶりに再会した息子よりも猫かと思いながらも、ルイスに抱きしめられている状態では、構いたくても構えないだろうと自分を納得させる。


 ていうか、皆慣れるの速くない? と思いながら、有栖はルイスに撫でられる。


 家族に会え、安全な場所に着いて安心したからか、有栖はうとうととし始めた。そして、眠気に逆らう事が出来ずに、有栖はそのまま眠ってしまう。


 自分の胸の中ですぅすぅと寝息を立てる有栖に気付き、ルイスは有栖を寝かせてやる。膝に頭を乗せ、身体に毛布を掛けてやる。


 三日月の膝の上で丸くなっていたチェシャ猫が気付き、ルイスに尋ねる。


「おや、眠ってしまったのかい」


「ええ。それにしても、喋る猫ちゃんなんて初めて見たわ」


「猫は喋るものだよ。犬は喋らないけどね」


「そうなの?」


「そうさ」


 一つ頷くチェシャ猫。その姿を、ルイスはまじまじと見る。


「ねぇ、あなたチェシャ猫なのよね?」


「ああ、そうだよ」


「……不思議の国のアリスの?」


「そうだよ」


「……ねぇ、貴方って今の状況に関係してる?」


「してると言えるけど、元凶ではないよ。|猫(ぼく)の意思はアリス次第だしね」


 言って、チェシャ猫は三日月の膝の上から降り、有栖のお腹の上で箱座りをする。


「まぁ、この話はアリスが起きてからにしようか。|猫(ぼく)は二回話しても良いんだけど、アリスは仲間外れにされたって泣いちゃうからね」


「いや、流石に泣きはしないだろ……」


 拗ねるとは思うけど。と、司は心中で付け足す。


「ねぇ、これだけは聞かせて欲しいのだけど」


「なんだい?」


「……有栖は危険な目に合うの?」


 有栖の状態は普通じゃない。此処にいる誰よりも異常な状態にある。


 この有栖の変化と今の状況が無関係だとはどうしても思えないのだ。


「それはアリス次第だよ。|猫(ぼく)は案内はするけど、命令は出来ないからね」


「そう……」


 不安気に、ルイスは有栖の頭を撫でる。


「大丈夫ですよ、ルイスさん」


 不安気なルイスに、司は真剣な眼差しで言う。


「有栖は俺が守りますから」


 高校生がするには、あまりに真剣な司の表情。


 時折見せる、司の有栖に対する執着を御伽家の者は皆知っている。そして、司なら本当に有言実行してしまう事もまた知っている。


 今の司の言葉は危うさすら感じる。どう返したものかと返答しあぐねているルイスに変わって、直人が優し気な笑みを浮かべて言う。


「何言ってるんだ。子供なんだから、君も守られる側だろう? そういう事は、大人に任せておきなさい」


 ぽんぽんと司の肩を叩く直人。


 司は分かっているのかいないのか、曖昧な笑みを浮かべて一つ頷いた。



 〇 〇 〇



「駄目だチェシャ猫! 猫は生イカ食べちゃ――はっ!?」


 がばりと起き上がる有栖。


「おはよう、|私の可愛い有栖(マイスイートアリス)」


 ちゅっと額にキスを落とすルイス。


「もう、止めてよ母さん! オレ子供じゃないんだから!」


 言いながらも、嫌そうな顔はしていない。ただただ恥ずかしいだけだ。


「何言ってるの。有栖は私の子供でしょう?」


「そういう問題じゃない!」


「アリス、起きたのかい」


 ルイスに文句を言っていると、どこからともなくチェシャ猫が現れる。


「あ、チェシャ猫」


「お早う、アリス。良い夢は見られたかい?」


「チェシャ猫、生のイカは食べちゃ駄目だぞ?」


「? どうしてだい?」


「猫は腰を抜かしちゃうからだ」


「良く分からないけど、|猫(ぼく)は腰を抜かさないよ?」


「でも駄目! 分かった?」


「良く分からないけど、分かったよ」


 チェシャ猫が頷いたのを見て、有栖はならば良しと頷く。


 そう言えば今何時だろうと思い、有栖は懐中時計を取り出す。時刻は七時。デジタル表記ではないけれど、十二時間計の他に、二十四時間計が付いているので、今が朝の七時だという事が分かる。


「……オレどれだけ寝てたの?」


「十二時間は超えてると思うわ」


「寝すぎた……」


 どうりで身体の節々が痛い訳だと、伸びをして関節をぱきぱきと鳴らす。


「あ、お早う有栖」


 司が手にお椀を持って挨拶をしてくる。


「おはよ」


「これ、朝ご飯。食べられる?」


「うん」


 司の手からお椀を受け取る。中身はすいとんだ。


 箸を持って、ぱくぱくとすいとんを食べる有栖。


「はい、ルイスさんも」


「あら、ありがとう」


「あれ、司の分は?」


「俺はもう食べたよ。だから大丈夫」


「そっか。……あ、チェシャ猫はお腹空いてないか?」


「|猫(ぼく)はさっき鼠を食べてきたから大丈夫だよ」


「そ、そっか……」


 中々にワイルドだなと思いながらも、有栖は腹ごしらえを済ませる。


「よし、ごちそうさま!」


 お椀を持って立ち上がり、有栖はお椀を戻しに行こうとするも、場所が分からない。


「一緒に行こうか」


「うん。あ、母さんのも返してくるよ」


「ありがとう、有栖」


 司が当たり前のように立ち上がり、有栖を伴って向かう。


 有栖はきょろきょろと周囲を見渡しながら、学校の様子を改めて観察する。


 学校は、いつもの騒がしさとは毛色の違った騒がしさをしていた。いや、騒がしいと言うよりも、慌ただしいと言った方が正しいだろう。


 皆、忙しなく動き回っている。


「なぁ、司」


「ん、なに?」


「此処って、ずっとこんな感じなのか?」


「……そうだね。色々あったから、ずっとこの調子だよ」


 大人は大体忙しそうにしていて、子供は大人しく座っている。


「居住スペースも、食料も、物も全然足りてないからね。色々工夫する必要もあるし、いざとなったら|外(・)にも出なきゃいけないから」


「外……」


 有栖は、バリケードの外へと視線を向ける。実際はバリケードで外の様子なんて分からないけど、有栖は外の様子を知っているから、大体の想像は出来る。


「外が気になるのかい、アリス」


「うわっ!?」


 いつの間にか、チェシャ猫がアリスの肩に乗っていた。


「脅かすなよ、チェシャ猫……」


「ごめんよアリス」


 まったく悪びれた様子の無いチェシャ猫。いや、チェシャ猫は表情が変わり辛いだけで、本当は物凄く悪いと思っているのかもしれない。


「それで、アリス。外が気になるのかい?」


「うん、まぁ……」


「そうかい。なら、高いところに上ってみると良い。|良く見えるよ(・・・・・・)」


「お前はオレを馬鹿にしてんのか? 高いところに行けばよく見えるに決まってんだろ」


「あぁ、そういう事か」


 馬鹿にされたと思って、チェシャ猫にジト目を向ける有栖とは対照的に、司はチェシャ猫の言いたい事が分かったのか、納得したように頷く。


「有栖、屋上に行ってみよう」


「はぁ? 司まで俺の事馬鹿にしてんのか?」


「違うよ。有栖も、|アレ(・・)は見ておいた方が良い」


「アレ?」


「百聞は一見に|如(し)かず。とりあえず見に行こうか」


「……分かった」


 お椀を返し、有栖は司に連れられるままに屋上へと向かう。


 その最中、この学校の生徒や教師、子供や老人など様々な人が有栖を物珍しそうに見る。見られる事には慣れているつもりだけれど、自分の姿が変わってしまった事もあって、見られる事がどうにも恥ずかしい。


 周囲の視線に晒されながら、有栖は屋上へとたどり着く。


「え、何、あれ……」


 屋上に一歩出た途端、有栖の眼にあり得ない物が映り込む。


 有栖の眼に飛び込んできたのは、白亜の城だった。巨大な、巨大な白亜の城。


「お、嬢ちゃんもあれを見に来たのか?」


 屋上で狙撃銃を持って周囲を警戒していた自衛官が有栖に声をかける。


「肉眼じゃ分かりにくいだろうが、あの城ちっとおかしいんだわ」


 言って、もう一人いた自衛官が有栖に双眼鏡を渡してくれる。


「ありがとうございます」


 有栖はお礼を言って、双眼鏡を覗く。そう言えば嬢ちゃんという呼び方を否定しなかったと思いながらも、今はどうでも良いと気にしないように努める。


 それよりも、今はお城だ。


「……おかしい?」


 しかして、双眼鏡で見ても、有栖にはおかしいところは分からなかった。


 白亜の綺麗なお城。まるで物語の中から飛び出してきたかのような、そんなお城。


「まぁ、言わずもがな、あんな物は今まで存在しなかった。その点はおかしいって分かるよな?」


「うん」


「次に、あれの正面。でっけぇ階段があんだろ?」


「うん」


 お城には自衛官の言う通り、大きな階段がある。おそらく、地上からメインホールに繋がっているだろう大きな大きな階段。


「あんなもん城にあったら、簡単に敵に攻められるだろ。城として、有り得ねえんだよ、あの構造は」


「あ、確かに」


「見世物としてなら分からないでも無いけどよ。この状況で見世物であんなもん建てると思うか?」


「ううん」


「だろ? っつう訳で、おかしいんだよ、あれ」


 なんなんだろうなーと首を傾げる自衛官。


「|哨戒(しょうかい)中にお喋りとは、余裕だな竹居上等」


「げっ、朝戸曹長……!」


「上官に対してなんだその反応は? 校庭百周するか?」


「嫌ですよ! 恥ずかしい!」


「なら任務に戻れ。いつ襲撃があるか分からないんだからな」


「了解です、曹長殿」


 びしっと敬礼をして、竹居と呼ばれた男は見回りに戻って行った。


「御伽君、ちょっと良いかな?」


「なんですか?」


「昨日言ってた、物語がどうとか、その話をその猫ちゃんから聞きたくてね」


「あ、そう言えば」


 有栖も思い出し、チェシャ猫を見る。


「|猫(ぼく)もそろそろ説明するつもりだったよ。ただ、説明する前に、一人呼んで欲しい子がいるんだ」


「呼んで欲しい子? それは誰だい?」


「名前は知らないよ。|猫(ぼく)はその姿を見ただけだからね」


「……では、その子のところへ案内してくれるかい?」


「分かったよ。有栖、ちょっと行ってくるね」


「おう、行ってら」


 ぴょんっと有栖の肩から降り、朝戸の肩に移るチェシャ猫。


「星宮君、御伽君を職員室に連れて行ってくれるかい?」


「分かりました」


「よろしくね。それじゃあ猫ちゃん。案内よろしく」


「分かったよ」


 チェシャ猫を肩に乗せた朝戸が屋上を後にする。その姿を見て、竹居が似合わねーとぼそっと呟く。


 有栖と司は聞かなかった事にして、職員室に向かった。教えて貰わなくても、有栖は職員室の場所を知っているので、特に迷う事も無かった。

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