第4話 Alice in New World
有栖は司に手を引かれて自分達の通う学校である県立九十九高等学校へと向かっていた。
別段手は引かれなくても大丈夫なのだけれど、心配させてしまった手前もあって、司の好きにさせている有栖。
スーパーから学校までは大した道のりでもないのに、必要以上に時間をかけて二人は進む。
またいつあの顔の無い者が現れるか分からないため、慎重に移動をしたのだ。
慎重に慎重を重ねて移動し、ようやっと学校に到着した――のだけれど。
「なに、これ……」
学校を見た有栖は思わず驚いてしまう。
学校は工事現場で使われるような足場で覆われていた。足場の上に人が乗って見張りをし、二人を見つけた人が何やら下に居るであろう人に声をかけている。
「ああ、あれはバリケードだよ。あの顔の無い奴らが入ってこないようにね」
「なるほど……」
それにしては頑丈だし、なにやら見張りの人も物騒な恰好をしている人が多い。
「行こう」
「あ、ああ……」
司に手を引かれ、有栖は校門へと向かう。
校門はすでに開かれており、そこから校内へと入る。校庭で何やら作業をしている人や、同じ学校の生徒の姿が見受けられる。
皆一様に司と有栖を見ていた。
「また勝手な行動をしてくれたな、星宮君」
校内へ入るなり、剣呑な声が司にかけられる。
その人は迷彩服に同じ柄のヘルメットを被り、自動小銃を持っていた。恰好からして、自衛官だろう。という事はバリケードの上に居る人もやっぱり自衛かんなのかと納得する有栖。
「それについては本当に申し訳無いと思ってますよ、朝戸さん」
「そう思うなら、もっとそれらしい顔で言ってもらいたいものだ」
悪びれた様子の無い司の態度に、朝戸と呼ばれた自衛官は苦笑をする。
しかし、朝戸の隣に立つ人物は表情から剣を取るつもりが無いのか、険しい顔で司を見ている。
「非常事態で君のような勝手な行動をする奴が一番困るんだ。次勝手な行動をしたら、私達は君の救助は絶対にしないからな」
「まぁま、落ち着いて|三宮(みつみや)伍長」
「朝戸曹長は甘いんですよ。だからこういうクソガキが付け上がるんです」
「気持ちは分かるが、もう少し抑えて抑えて。こういう時程大人の余裕を見せるものだよ?」
「曹長は悠長なだけでしょう?」
「お、駄洒落かい? それとも語呂合わせ?」
「違います。はぁ……とにかく、二度とこういうことはするな。お前一人の勝手で全員が割を食う事だってあるんだからな」
「はい、分かってます。俺も、もう勝手な行動をするつもりはありませんし」
言って、司は有栖を見る。
もしかしなくても、司が勝手な行動をしていたのは自分が原因だろうと覚る有栖。しかし、有栖が何かを言う前に朝戸が有栖を見て言う。
「この子が、君が探していた幼馴染かい?」
「はい」
「……聞いていたよりも随分と|幼(おさな)いが……」
「はい。俺の知ってる有栖よりもだいぶ幼いです。それに、性別も違うみたいで……」
「性別が違う? 待て、つまり、この子は男の子って事か?」
「いえ。ああ、この姿になる前は男でしたけど、今は女の子です」
「ん、待て待て。君に見せて貰った写真に写ってたのは女の子だろう?」
「いえ。有栖は男です」
「んん?」
混乱したような顔をする朝戸と三宮。
「あの、オレ、御伽有栖って言います。今はこんな姿ですけど、元々は男です」
有栖は混乱する二人に自己紹介と共に自身の性別を明かす。
「……つまり、今の君は女の子って事で良いのかい?」
「はい、まぁ……」
認めたくは無いけれど。
歯切れが悪いながら有栖が返事をすれば、朝戸と三宮は顔を見合わせる。
幼馴染を探しに行って、その幼馴染が見つかって、けど性別が変わってしまったと言われて、見た目が女の子な幼馴染が実は男の子で、今目の前に居る女の子は小さくなった幼馴染で……。
そこまで考えて、朝戸は考える事を一旦放棄した。
人が若返っているという時点で訳が分からないのに、性別が変わったと言われても更に意味が分からない。
「……後で色々確認しておいてもらえるか?」
「分かりました」
本人達の言葉だけでは納得しかねるのか、後できちんと情報を集める事にした朝戸。しかし、情報を集めれば集めるだけ混乱するだけである事を、この時の朝戸はまだ知らない。有栖には性別が分からなくなるような武勇伝が数多く存在するのだ。
「ひとまず、君が御伽有栖ちゃ……君で間違いないかい?」
「はい」
「そうか。一週間もよく生き残ってくれた。よく頑張ったね」
言って、朝戸は有栖の頭をぽんぽんと優しく撫でる。
しかし、有栖は褒められても微妙な反応しかできない。何せ、有栖は気付いたら今の惨事になっていたのだから。
「あの、オレ気付いたら此処に居ただけなんで……一週間も経ってたなんて初めて知りましたし……」
「え、そうなの?」
「はい。オレも何が何だか……って、そうだ思い出した!!」
言って、有栖は司の手を離して、ずっと小脇に抱えていたチェシャ猫を持ち上げる。
「おい猫。そろそろ説明しろ。オレがなんでこんな風になったのかとか、あいつらの事とか!」
「……」
しかし、チェシャ猫は喋らない。にゃんとも言わない。
「ちぇーしゃーねーこー?」
ごごごと圧をかけながらチェシャ猫に迫るけれど、チェシャ猫はにゃんともすんとも言わない。
「……」
「……」
じっと見つめ合う一人と一匹。
周囲の者は急にぬいぐるみと話し始めた有栖の様子を心配そうに見つめていた。
しかし、有栖は気にしない。だってこの猫は喋るのだ。幻覚でも、妄想でも無い。
有栖はむっすぅとした顔で、そう言えばチェシャ猫に有効そうな脅し文句を考え、道中でチェシャ猫が|およし(・・・)と言った事を思い出す。
「毛ぇ|毟(むし)るぞ?」
「それはおよしアリス。猫は毛を抜かれたら二度と生えてこないんだよ?」
毛を毟られるのは嫌だったのか、たまらずチェシャ猫は声を出す。
「「「――ッ!!」」」
喋りだしたチェシャ猫を見て、三人は即座に行動に移す。
「有栖!!」
「え?」
司は有栖を引っ張り、手に持ったチェシャ猫を叩き落とす。
「ちょっ、司!?」
急に乱暴をする司に驚く有栖。
そんな有栖を置いて、朝戸と三宮の行動は迅速だった。
即座に二人の前に立ち、自動小銃の銃口を叩き落とされたチェシャ猫へと向けた。
「ちょっ、何してんだよ!!」
怒る有栖にしかし、三人は何も言わない。
「曹長、撃ちます」
「待て」
「撃ちます」
「待てと言っている! 三宮、攻撃があるまでは撃つな!」
「……了解」
血の気の多い三宮とは違い、朝戸は冷静に状況を見ている。
咄嗟の行動だったとは言え、チェシャ猫が有栖に危害を加えていない事は確かだ。しかして、此処に入りこむためだけに有栖に嘘を吐いた可能性もある。だからこそ、いつでも殺せるように銃口を向ける。
「待てよ!! チェシャ猫はオレの仲間だ!! 撃つな!!」
「有栖落ち着いて」
「落ち着いてられるか!! 離せ司!! このっ……!!」
じたばたと暴れる有栖を必死に抑えつける司。本来であれば有栖程度が暴れても何の問題も無く対処できるのだけれど、小さくなってしまった有栖を傷つけてしまう可能性があるために、抑える力を加減しなくてはいけなかった。
暴れる有栖に、視線をチェシャ猫から逸らさずに朝戸は言う。
「落ち着いてくれ御伽君。君が暴れる気持ちも分からないでも無いが、我々としてもこの怪生物の存在を黙認する訳にもいかなくてね」
「|顔の無い者(あんなやつら)が現れたんだ。こいつだってあいつらの仲間である可能性もあるからな」
「そんな訳無いだろ!! 離せよ司!!」
「ごめん、有栖。俺も二人と同意見だ。こいつは怪しすぎる」
「怪しく無いって言ってるだろ!! こいつはオレを助けてくれたんだぞ!?」
「ごめん。俺にとっては有栖の安全が最優先だから」
司は有栖を離さないようにしっかりと抑えておく。
暴れる有栖とは対照的に、チェシャ猫は緊張感も無く司に叩かれたところを舐めている。
「落ち着いてアリス。|猫(ぼく)は大丈夫だよ」
「チェシャ猫……」
チェシャ猫の言葉を聞いて、少しだけ冷静になる有栖。
「こうなると思ってたから|猫(ぼく)は黙ってたんだけど、ついつい口が開いちゃったよ。毛はね、やっぱり毟られたくないんだ。だって、毛は気まぐれだから、中々身体に戻ってくれないんだ」
緊迫した状況であるにも関わらず、どうでも良い事を言うチェシャ猫。
そして、次の瞬間にはチェシャ猫は忽然とその場から姿を消した。
「だからね、アリス。毛だけは毟らないでおくれよ。お|髭(ひげ)は良いけど、毛は駄目だよ」
直後、呑気な声が朝戸と三宮の背後から聞こえてくる。
慌てて、二人が振り向けば、そこには有栖の肩に乗ったチェシャ猫の姿があった。
「それと、君達も落ち着いておくれ。確かに|猫(ぼく)は彼等と同じ物語の住民ではあるけれど、彼等と|猫(ぼく)とじゃその性質が違うんだよ」
「お前……ッ!!」
「止めろ司!! これ以上チェシャ猫に酷い事したら、お前とは絶交だからな!!」
キッと涙目になって司を睨む有栖。迫力こそ無いものの、見た者に罪悪感を覚えされる顔だった。
そして、有栖を大切に思っている司にとってはその顔と言葉は大層心に響いてしまった。
「うっ……けど、有栖……」
「駄目ったら駄目だ!!」
弱まった司の腕を振り解き、有栖はチェシャ猫を抱きかかえて三人から離れる。
「いーか! こいつはオレの仲間なの!! 撃ったらオレこっから出てくかんな!!」
「アリス、それはおよし。|猫(ぼく)が言っていたのは此処なんだよ? アリスが出て行ったら、外の奴らに食べられちゃうよ」
落ち着きなさいとばかりに、チェシャ猫は有栖の頬を前足でぺちぺちと叩く。
しかし、有栖は引かずに三人をじっと睨みつける。
「……はぁ。分かったよ。その猫には手を出さない」
「曹長!」
「落ち着きなって三宮。あの猫ちゃんが俺達を攻撃しようと思えば簡単に出来てただろう? それに、御伽君の言う事を聞いているみたいだし、御伽君が猫ちゃんになにも吹き込まなかったら大丈夫でしょ」
「吹き込んだらどうするんですか!」
「そんときゃ撃つさ。大勢の市民の命が最優先だからね。まぁ、それに」
言って、朝戸は有栖を見る。
「脅し方が子供っぽかったから、まぁ、大丈夫でしょ」
「こ、子供っぽくなんかないやい!」
否定の仕方が子供っぽい事この上ないのだけれど、それに突っ込む者は此処には居ない。
「それで、君は我々の味方って事で良いのかい?」
「いいや。|猫(ぼく)は人間の味方では無いよ」
朝戸の問いに即座に否定を返すチェシャ猫に、二人の空気が一瞬にして先程のような警戒的なものに戻る。
「|猫(ぼく)はアリスの味方だよ。|猫(ぼく)はチェシャ猫だからね」
にまっと笑みを浮かべたままのチェシャ猫。真偽のほどは分からないけれど、有栖の一存で敵にも味方にもなる事が分かった。
朝戸はチェシャ猫から有栖に視線を移す。
「って、猫ちゃんは言ってるけど、君はどうだい? 我々に敵対する気は?」
「――っ、無い無い無い! 此処には母さんたちも居るんだろ? 敵対なんてするもんか!」
「そうだね。アリスは人間と敵対するべきでは無いね。アリスが敵対してしまったら、物語は完全に完成してしまうからね」
「物語が完成する? どういう意味だい?」
「後で話すよ。それよりもアリス、まずは家族と会ったらどうだい? 一週間ぶりだろう?」
「あっ、そうだった! 司! 母さんたちのところに案内して!」
チェシャ猫を肩から小脇に抱えて、司の手を引く。
敵味方の話はもう終わったも同然だ。今はそれよりも家族の事だ。
「え、ちょっと」
司は朝戸の方を見て、大丈夫ですかと目線で確認をする。
朝戸は苦笑しながらも、大丈夫だと頷き返す。一週間ぶりの家族の再会だ。邪魔をするのは野暮というものだろう。
司の手を引きながら、家族がどこにいるのかも分からないまま走る有栖を見て、三宮は言う。
「大丈夫なんですか?」
何が、とは言わない。そんなことは分かり切っているから。
「ま、大丈夫でしょう。こんな状況だ。訳の分からない事が起こったって不思議じゃない」
「それはそうですが、あれが暴れたらどうするおつもりで?」
「ん? そりゃあ、そん時は俺が責任を持って撃つさ。そのための|自動小銃(これ)だろう? ま、大丈夫だって。あの子嘘が吐けなさそうだったしな」
さて、仕事に戻るぞーと言って、朝戸は自身の仕事に戻って行く。
「……あんたに|子供(ガキ)が撃てんのかって話してんだよ、俺は……」
ぼそりと三宮は呟いた後、一つ溜息を吐いてからもしもの時の覚悟を決める。そんな時が来ない事を祈りながら。
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