第3話 Alice in New World

「はぁ……はぁ……はぁ……!」


 有栖はチェシャ猫を抱えて走る。


 顔の無い者から逃げるのに、チェシャ猫が肩に乗っていると走り辛いから小脇に抱えているのだ。


「ちぇ、チェシャ猫……! ど、どっち……!?」


「斜めだよ、アリス」


「進行方向に右、前、左しか無いんだけど!?」


 十字路に差し掛かったところでチェシャ猫に聞いてみれば、チェシャ猫は進行方向に無い道を言う。


「違うよ、アリス。|猫(ぼく)は大まかな位置しか分からないんだよ。斜めに進めば良いって事は分かるけど、細かな道順は分からないんだ」


「ナビじゃなくて方位磁針って事か! 微妙な性能だな!」


 声を荒げながら、有栖は道がどうなっているかを思い出しながら走る。


「びゃあっ!?」


 しかし、道を曲がれば顔の無い者が現れ、物陰から顔の無い者が現れ、有栖の行く手を塞ぐため、チェシャ猫の言う方向に一向に進めずにいた。


「チェシャ猫!」


「なんだいアリス?」


「ぶ、武器とかない!? それかせめてチェシャ猫は戦えたりしない!?」


「|猫(ぼく)は戦えないけど、武器は在るよ」


「本当か!? じゃあ出してくれ!!」


 有栖は戦う事は無いけれど、手元に武器があるのと無いのとでは精神的な安心感が違う。はりーはりーと小脇に抱えたチェシャ猫を急かすけれど、チェシャ猫は有栖を見上げるばかりで武器を出そうとしない。


「チェシャ猫! 速く武器出して!!」


 急かす有栖に、チェシャ猫は小首を傾げながら言う。


「|猫(ぼく)は持ってないよ?」


「はぁっ!? じゃあ武器無いじゃん!! チェシャ猫の嘘つき!!」


「嘘はついてないよ、アリス。|猫(ぼく)は誤魔化す事はあるけど、嘘は付かないんだ。|猫(ぼく)は武器は在るとは言ったけど、持ってるとは一言も言ってないからね」


「屁理屈だ!! チェシャ猫がそんな意地悪な奴だなんて思わなかった!!」


「ごめんよアリス。ところで、アリスが持ってるんじゃないのかい? 前に会った時は持っていただろう?」


「持ってないよ!? オレ産まれてこの方武器なんて持った事無いし!!」


 包丁などは持った事があるけれど、あれは調理器具であって武器ではない。包丁を武器としてカウントすれば料理人に怒られてしまうだろう。


「そうかい。じゃあ、武器は無いね。アリス、しっかり走って」


「他人事だと思って!! 後で毛ぇむしってやる!!」


「アリス、それはおよし。|猫(ぼく)の毛は抜けたらもう二度と生えてこないんだよ」


「嘘付け! 猫は毛の生え変わりがあるだろうが!!」


「|猫(ぼく)の毛は生え変わらないよ」


「嘘だ!」


 どうでも良い事を言いあいながら、有栖は必死に走る。


 ひーこらひーこらと息を切らしながら、時折チェシャ猫が方向修正する方向に向かって走る。


 しかし、有栖の小さくなってしまった歩幅ではそう速くは走れない。あっという間に顔の無い者達に追いつかれ、回り込まれ、逃げ場を失ってしまった。


「ど、どどどどどうすんだよチェシャ猫!」


「アリス、本当に武器を持ってないのかい?」


「持ってない!! あ、こ、小銭ならある! これでお引き取りくださいお願いします!!」


 ポケットに入っていた小銭を顔の無い者に向かって投げる。ちゃりんちゃりんと音を立てて小銭が地面に落ちる。顔の無い者達は小銭を見るように顔を向けるけれど、直ぐに有栖の方を向く。


「だ、駄目だぁ!! 額が足りないのか!?」


「きっと気持ちが足りないんだよ」


「お気持ち程度しか渡してないからな! ってやかましいわ!!」


 呑気に言うチェシャ猫に思わず乗り突っ込みをしてしまう有栖。そんな場合ではないと分かっているけれど、てんぱってしまってどうしようもないのだ。


 しかして、そんな事をしている間にも顔の無い者はじりじりとその距離を詰めてくる。


「あああああああああ! く、来るなー! あっち行け馬鹿ぁっ!!」


 手当たり次第に近くに在る物を投げつけるけれど、顔の無い者達は止まる気配が無い。


 じりじりと、距離を詰めてくる。


 涙目になりながらどうしようどうしようと考えを巡らせるけれど、顔の無い者達はその間にも有栖に迫る。


 顔の無い者達が手を伸ばす。


「~~~~っ!!」


 もう駄目だと思い、有栖は目を瞑る。


 ぎゅっと手を掴まれる。


「諦めるな!! 走って!!」


「え?」


 聞き覚えのある声に、思わず目を開ける有栖。


 そして、手を引かれる勢いに任せて有栖は慌てて走り出す。


 顔の無い者どもを手に持った金属バットで殴り付け、少年は退路を開く。


 有栖と少年の歩幅は大きく違い、有栖は何度も足を|縺(もつ)れさせながら必死に走る。


 少年に手を引かれたまま走る事十数分。二人は近くにあったスーパーの中で身を潜めた。


「此処なら、暫くは大丈夫だと思うよ」


 あれだけ走ったにも関わらず、少年は息一つ切らした様子が無い。|相変わらず(・・・・・)化け物みたいな運動能力だと思いながら、有栖は安堵の息を吐く。


「はぁ……はぁ……はあぁ……疲れた」


 ぺたんとその場に座り込む有栖。


「はい、これ」


 そんな有栖に、少年はリュックから取り出した水を渡す。


「ありがと」


 有栖はそれを受け取ると、一気に飲む。走り疲れているし、何より起きてから何も口にしていないから喉がからからだったのだ。


「ぷはぁっ……生き返る……」


 ペットボトルのキャップを閉め、少年に返す。


「それ、あげるよ。俺はまだ二本あるし」


「そか。ありがとう」


 お礼を言って、有栖は白兎のリュックにペットボトルを仕舞う。ルイスが言っていた通り、このリュックは思った以上に物が入るので便利だ。ともすれば、学校に行くのにも使えると思うくらいだ。まぁ、恥ずかしいから使わないけれど。


「それにしても、なんだあいつら。のっぺりしやがって」


「あれを見るの初めて?」


「ああ。ついさっき起きたばっかりだし。もう何がなんだか……」


「そっか。俺も詳しい事は知らないけど、あれは一週間前に突然現れたんだ。顔が無くて、人を襲ってって事くらいしか今のところ分かってない」


「やっぱり友好的じゃないんだな……」


 捕まらなくて本当に良かったと安堵する有栖。


 少年はそんな有栖を見た後に、少し逡巡する素振りを見せ、有栖に声をかける。


「……一度、学校に行こうか」


「学校? あ、緊急避難所だから?」


「それもあるけど、今は学校を拠点にしてるんだ」


 立ち上がり、物陰から外の様子を確かめる少年。


「今、町はさっきの顔無しで溢れてる。多くの人が学校とか役所に避難して、そこで難を凌いでるんだ。だから、一先ず学校に向かおう。君の御両親も見つかるかもしれないしね」


「両親……っ!」


 そこで有栖は家族の事を思い出す。


 有栖は少年に詰め寄って、ぎゅっと服を掴んで揺さぶる。


「なぁ|司(・)! 母さんは無事なのか!? 姉さんは!? 三日月は!? 父さんは生きてるのか!?」


「え、ちょっと落ち着い…………待って、俺君に自己紹介した?」


 少年――星宮司は表情に警戒の色を|滲(にじ)ませる。


 何故警戒するんだと思ったけれど、そう言えば自分の姿が変わってしまっている事に思い至り、有栖は慌てて説明する。


「オレだよオレ! 御伽有栖だよ! お前の幼馴染の!」


「――ッ! なんで有栖を知ってるの? 君、有栖に会ったの? それならどこに居るの? 有栖は生きてるの?」


 がっと有栖の両肩を掴む司。


「いたっ……!」


 司の掴む力が強く、有栖は思わず痛みに顔をしかめる。しかし、司は止まる事無く有栖に|詰問(きつもん)をする。


「有栖とはどこで会ったの? 何日前? 有栖は元気だった? 今どこに居るのか――」


「ええい鬱陶しい!! 落ち着け馬鹿――――――――っ!!」


「――っぐ!?」


 痛いし煩いし怖いしで有栖の怒りはフルゲージ。額に青筋を浮かべて詰め寄る司の頭に頭突きをかます。


 痛みに悶絶する両者。特に、有栖は地面をごろごろと転がって痛みに悶えている。


「いった……何するのさぁ」


「な、にするはこっちの|台詞(せりふ)だぁ!! オレが有栖だって言ってんだろうが!! 少しは落ち着け馬鹿!!」


 涙目になりながら司に文句を言い、司の脚をげしげしと蹴る有栖。


「いたっ、痛いよ! 分かった、分かったから! 君も有栖なんだね? ごめんよ、自己紹介もちゃんとしないで」


「そうだけどそうじゃない! お前は解釈違いを起こしてるぞ!」


 有栖は蹴るのを止めて、自分自身を指差す。


「オレがおそらくお前が探しているであろう御伽有栖だ! 訳在ってこんな姿になっちまったが、正真正銘御伽有栖だ!!」


 ででどんっと背景に文字が入りそうな程迫力を出す――本人は出しているつもり――有栖の自己紹介。もう何年も連れ添っているのに改めて自己紹介をするのもおかしな話だけれど、有栖の今の状態が正常では無いために自己紹介をしなくてはいけないのだ。


「ええっと……」


 しかし、それでも司にとっては知らない子供が自分が御伽有栖だと言い張っているだけだ。自己紹介をされても信用しきれない。


 そんな事を司の表情だけで読み取った有栖は、仕方なしに司に言う。


「信用できないならオレの知ってる司の恥ずかしい隠し事ベストテンを発表してやるが?」


「え?」


「第十位!! 実は小学校の臨海学校の――」


「ア――――――――ッ!! 分かった!! 君は有栖だ!! だからその話は本当にやめて!!」


 慌てて有栖の口を塞ぐ司。


 その話は有栖しか知らないし、小学校五年の臨海学校ではそれ以外の失敗はしていない。なので、臨海学校をダシに使う事は有栖にしか出来ない。


「|ようやく信じたか(ほうふぁふひんひふぁふぁ)」


「ごめん、何言ってるか分からないや」


 言って、司は有栖の口から手を離した。


 有栖は気を取り直してえっへんと胸を張って司に言う。


「ようやく信じたか」


「うん。臨海学校の事を知ってるのは有栖だけだからね。……他に誰にも言ってないよね?」


「ああ。墓まで持ってってやる」


「それなら良いんだけど……」


 ひとまず、目の前の子供が有栖だと納得をする司。


「それはそれとして、どうしてそんな恰好に? あ、いや、服の事じゃ無いからね?」


「さぁ? 起きたら身長縮んで女の子になってた」


「そっか……って、待って。今女の子って言った?」


「おう。司、オレみたいな反応すんのな」


「……君本当に有栖?」


 わずかに警戒の色が濃くなる司。


「だから有栖だって。オレもなんで身長縮んでんのか分かんないし、女の子になってんのかも分かんないんだよ」


 有栖にとっても突然の出来事であり、訳の分からない出来事だ。


「なんか、安全なところに行ったら説明してくれるとは言ってたけど」


「誰が?」


「こいつが」


 言って、有栖は小脇に抱えたチェシャ猫を指差す。


 しかし、チェシャ猫はなんの反応もせずに、ぬいぐるみのように固まったままだ。


「……有栖」


「え、なに? なんでそんな優し気な顔すんの?」


「いや、良いんだ。きっと疲れたんだね。怖い目にもたくさんあっただろう。大丈夫、これからは俺がちゃんと守るから」


「あ、待て。お前変な勘違いしてるな? これぬいぐるみじゃないから! チェシャ猫は喋るから!」


「そうだね。チェシャ猫は喋るね」


「止めろ! かわいそうな者を見る眼で見るな!! 俺は正常だ!! ほらチェシャ猫!! なんか言え!!」


 むにむにとチェシャ猫の顔を弄くるもチェシャ猫は一向に口を開かないし、身動ぎすらしない。


「……」


 何故か急に喋らなくなったチェシャ猫に、有栖は小首を傾げる。


 何か喋らせようとしたその時、司は有栖をきゅっと優しく抱きしめた。


「うぶっ」


 急に抱きしめられたので、有栖は司の肩に鼻をぶつけてしまう。


「……良かった。有栖が無事で……」


 その声からは安堵の色が見えた。


一週間前にあの顔の無い者共が出てきたと言った。つまり、一週間も心配をかけさせてしまった事になる。


 有栖も気付いたら一週間経っていて、町がこんなに荒れ果てていたのだけれど、それはそれ、これはこれである。司が心配してくれた事には、ちゃんとお礼を言って、司に心配をかけさせたことにはちゃんと謝らなければいけない。


「ありがとう司。あと、ごめんな。危ない事させて」


 おそらく、司は有栖を探してこの町を|彷徨(さまよ)っていたのだろう。人を襲う化け物が居る街を、一週間も。


 いや、実際に一週間も探し回ったかどうかは知らない。けれど、自分を探しに来てくれた事にはちゃんとお礼と謝罪をしなければいけない。


「ううん、気にしないで。俺が好きでやった事だから」


 言って、司は有栖を離す。


「さて、感動の再会は此処までだ。有栖も見つかった事だし、いったん学校に向かおう」


「おう」


「あ、そうだ。有栖の家族は全員無事だよ。学校に避難してる」


「――っ! そうか! 良かったぁ……」


 心底から安堵する有栖を見て、司も思わず頬を緩める。


「それじゃあ、行こうか。基本的にさっきみたいに走ったりはしないけど、危なくなったら全力で走るから。気を引き締めてね」


「おう! さっさと行こうぜ!」


 感動の再会を終わらせ、二人は一時拠点としている学校へと向かった。


 有栖に抱えられたチェシャ猫は有栖をちらりと見る。


 なるようにしかならないね。うん、|猫(ぼく)が上手くやれば良いか。


 荒れ果てた町を、有栖と司は慎重に移動した。

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