第46章:瓦解
[1] ヴィスワ=オーデル作戦(前)
1月12日午前5時、第1ウクライナ正面軍(コーネフ元帥)は15分間の準備砲撃を実施した。正面1キロあたり300門に及ぶ火砲による一斉砲撃だった。まず狙撃中隊がサンドミェシュ橋頭堡から攻撃を開始した。ひどい大雪で視界はゼロに近かったが、ソ連軍は弾幕の中を注意深く前進し始めた。
ヴィスワ河西岸に展開していたA軍集団はこれが本攻撃だと判断し、火点を占位するために慌てて塹壕から飛び出した。ここで前衛の狙撃部隊は伏せ、多連装ロケット弾の一斉砲撃がドイツ軍の陣地に撃ち込まれた。それから狙撃兵が戦車に支援されながら進み、その先を弾幕が波状に進んで行った。昼過ぎに天候が回復すると、ソ連空軍機466機が支援のために飛来してきた。
この日の遅くまでに、第3親衛戦車軍と第4戦車軍は幅35キロ、縦深20キロに渡るドイツ軍の防衛線を突破した。この2個戦車軍はブレスラウとシレジア工業地帯を主要目標としていた。スターリンはコーネフに対して本作戦の意図を説明した際、指先で地図に示された当該地域を丸で囲んで見せ、たったひと言「
橋頭堡に向かい合って防衛線についていたのは第4装甲軍(グレーザー大将)の第48装甲軍団(エーデルスハイム大将)だった。後方で防衛線の様子を観察していた装甲擲弾兵部隊のある将校は、地平線上に見える光景が「火炎地獄」だったと語った。ソ連軍の戦車部隊が前進を始めると、抵抗はほとんどなかった。第48装甲軍団はもはや「歩兵」軍団の状態にあってなす術もなかった。麾下の3個歩兵師団は最初の突撃を受けて、文字通り「蒸発」してしまった。第24装甲軍団(ネーリング大将)の2個装甲師団(第16・第17)も反撃に転じる前に潰走したが、その後に交通の要衝を防衛するためにキエルツェ付近で陣地の構築を始めた。
1月18日、第3親衛戦車軍はチェストホヴァを攻略した。これは予定よりも5日先んじていた。第59軍(コロブニーコフ中将)の支援を受けた第4親衛戦車軍団(ポルボヤーロフ中将)はクラフクを包囲した。第24装甲軍団の装甲部隊はソ連軍の戦車部隊に包囲されてしまい、西方への脱出を図らざるを得なくなった。この部隊の他に第48装甲軍団や第42軍団(レクナーゲル大将)なども北西に転じて退却した。退却するドイツ軍はまるで西に向かうソ連軍の「大波」の中に浮いた小さな「泡」のようであった。
1月19日、古都クラフクは陥落した。第17軍(シュルツ大将)は軽微な抵抗しか行わなかった。A軍集団司令部の指示に従い、第17軍は新たに到着する戦略予備と合流して上部シレジア地方の東方に防衛線を構築するために後退した。しかし、この後退も第17軍を救うことにはならなかった。北翼に隣接する第4装甲軍がオーデル河に向かって撃退されてしまったため、防衛線の北翼に間隙が出来てしまった。
1月20日夕刻、コーネフは第3親衛戦車軍に対して南東への方向転換を命じた。防衛線の北翼に出来た間隙を衝いて、第17軍を背後から包囲しようとしたのである。第21軍(グーセフ大将)と第1親衛騎兵軍団がドイツ軍の正面を攻撃して第3親衛戦車軍の先鋒部隊が迫ると、カトヴィツェの工業地帯周辺に築かれた陣地にいたドイツ軍部隊は撤退せざるを得なくなった。ドイツ軍をこの地域から追い出すため、ソ連軍はわざと南翼に回廊を遺していた。
1月22日、第3親衛戦車軍と第52軍(コロテーエフ大将)の一部がドイツとポーランドの国境を越えた。3日余りの内に第1ウクライナ正面軍はブレスラウを包囲しつつオーデル河に達した。第4装甲軍はブレスラウで橋頭堡を確保していたが、第4戦車軍が北西のシュタイナウ、第5親衛軍が南のオーラウでオーデル河に橋頭堡を築いていた。
各地で包囲されたドイツ軍は地上と上空から繰り返し攻撃を受け続け、苛烈さを増すソ連軍の「奔流」から抜け出そうともがくうちに、次第に兵力を擦り減らしていった。包囲された部隊の兵員は最大でも数千人ぐらいであり、大半が撃滅されてしまった。はるか北西にある友軍の前線までたどり着いた部隊はほんのわずかだった。
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