[2] ヴィスワ=オーデル作戦(後)

 1月14日、第1白ロシア正面軍(ジューコフ元帥)はヴィスワ河にかかる2つの橋頭堡―マグヌシェフとプラヴィから攻勢を開始した。積雪が薄く地面を覆っていた。濃霧が正午まで続いた。午前8時30分、第1白ロシア正面軍は25分間の準備砲撃を行った。第8親衛軍(チュイコフ大将)と第5打撃軍(ベルザーリン中将)が火砲の支援を受けながら前線を突破した。最初の進撃で主要な障害となるのはピリッツァ河だった。

 この日の内に、第1白ロシア正面軍は12キロ前進した。猛攻を受けた第9軍(リュトヴィッツ中将)は2個師団の残兵が背後に取り残された。第5打撃軍の第26親衛狙撃軍団はピリッツァ河にかかる橋をドイツ軍の工兵が爆破する前に制圧した。その南翼では第33軍(ツヴェタヴァーエフ大将)と第69軍(コルパクチ大将)による攻撃もこの日だけで22キロの前進を果し、戦車部隊が狙撃部隊を追い越して第56装甲軍団の後方に位置するラドムに向かって突進した。

 1月15日、A軍集団直轄予備の2個装甲師団(第19・第25)が反撃を開始した。マグヌシェフ橋頭堡を防衛していた歩兵部隊を支援するためだった。しかし、ソ連空軍と火砲によってこの反撃はただちに粉砕されてしまった。狙撃部隊がドイツ軍陣地に15キロ侵入すると、第1親衛戦車軍(カトゥコフ大将)は予定通り第8親衛軍を先導した。第8親衛軍の目標はマグヌシェフ北西130キロのロズである。ワルシャワの北方では第47軍(ベルホロヴィチ少将)がポーランド第1軍とともに、ワルシャワを包囲しようとヴィスワ河を渡って突進した。第2親衛戦車軍(ボグダーノフ大将)と第2親衛騎兵軍団(クリュウコフ中将)もピリッツァ河の橋頭堡からワルシャワにいるドイツ軍守備隊を包囲するために80キロ前進した。

 ヒトラーは同日に総統司令部「鷲の巣アドラーホルスト」に出て、専用列車でベルリンに向かった。グデーリアンはヒトラーのベルリン帰還を強く要請していた。ヒトラーは当初、東部戦線は自力で事態に対処すべきだと言っていたが、結局は西方における全ての行動を中止してベルリンに戻ることに同意した。そしてグデーリアンに相談せずに、ヒトラーは「大ドイツ」装甲軍団に対して直接、ヴィスワ戦線を支援するために東プロイセンからポーランド中部に移動せよという命令を出発直前に出した。

 1月16日夕刻、A軍集団司令部はベルリンの南30キロに位置するツォッセンの陸軍総司令部に対してワルシャワの保持は不可能になるかもしれぬと警告した。ワルシャワを防衛しているのは、技工部隊と4個築城大隊から構成される小さな守備隊だった。グデーリアンはA軍集団司令部に決断を委ねることにした。ある幕僚からワルシャワ放棄を報告されたヒトラーは「何はともあれ、ワルシャワ要塞は確保せねばならん!」と激怒したが、すでに手遅れだった。数日後、ヒトラーは各軍集団司令部に送られる全ての指令をまず自分に提出せよと命じた。

 1月17日、ポーランド第1軍がワルシャワを占領した。市内のあらゆる歴史的な建造物は徹底的に破壊されていた。戦前は131万いた人口の内、生き残ったのはわずかに16万2000人。第3打撃軍のある兵士は次のように記した。

「雪に覆われた廃墟と灰の他には何も残っていなかった。ひどく飢え、疲れきった住民たちがとぼとぼと家路についていた」

 ワルシャワの陥落は陸軍に売国奴が巣くっている証拠であるとして、ヒトラーは多くの陸軍総司令部の参謀将校に欺瞞の嫌疑をかけて逮捕させた。グデーリアンまでも国家保安本部とゲシュタポの尋問を受ける羽目になった。また、ヒトラーはA軍集団司令官ハルペ大将を更迭して北方軍集団司令官シェルナー元帥に交代させた。

 ヒトラーの信任が篤いシェルナーはワルシャワ放棄の責任を取らせるため、第9軍司令官リュトヴィッツ中将を解任した。後任の同軍司令官にブッセ中将が任命された。A軍集団司令部は以後、楽観的な戦況報告しか寄越さなくなった。

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