第3話

 霧の中で寛いでいると叫び声が聞こえた。

 来たのか。

 立ち上がり、薬を掌に隠す。

「狼様!何処にいるのですか!」

 何を言っているんだと首を傾げた。

 あの声は横槍を入れた若い男のものだろう。

 とすると、その声だけしかないのはあの獲物二人は恐れをなして逃げたまま来なかったのか。

 いや、いい。

 人をただ一人だけでも殺せればそれでいい。

 踏み入る足音に互いが見えるような距離には入らず近寄る。

 粉末状の薬を嗅がせるように同じく撒いて、様子を伺った。

「狼様!どうか、話を聞いて下さい!」

 聞く話なぞない。

 唸り声で応えながら、忍刀を構える。

 さっさと斬ってしまっては意味がない。

 あの時確かに逃げ際に斬りつけた。

 手で払おうとした若い男の手にはその傷が入っている。

 忍刀に塗っておいた毒薬が効いているのか観察を続けた。

 走ってもないのに息が荒い、咳き込む様子もある。

 放っておけば死ぬだろうな。

 しっかり効いている。

「狼様!母を助けたいのです!!薬草を採らせて下さい!母を…げほっ、げほっ。」

 霧に流れを作る。

 嗚呼、そういうことか。

 変に納得してしまった。

 薬師の血が騒ぐ。

 愚か者め。

 そいつの目の前に立つ。

「お、狼…様…?」

 見上げるように若い男は目を見開いた。

 そしていきなりそこに土下座して必死に母のことを語り始めた。

 どうしても母を助けたい。

 病を治すには山にある薬草しか手がない。

 薬は高くて買えないし、そもそもそれを売っているところが遠くて手が届かない。

 自分は死んでもいいから、母を助けてくれないか。

 そういったことを泣いて叫んだ。

 ただただ煩いだけのようにも聞こえた。

 夜影なら、聞き入れるなと言うだろうか?

 いいや、武雷忍隊は変に甘いところがある。

 こうなるときっと自分の手で握ることのできる問題だと許してしまうだろう。

「若いの。顔を上げろ。」

 唸るのをやめる。

 仕方がないからその命と引き換えだ。

 おそるおそる顔を上げる若い男の瞳には一体才造がどう映っているのやら。

「お前の母は助けてやる。だが、その代わりお前の命、寄越せるか?死ぬ覚悟、あるのか?」

 そこに姿勢よく正座して強く頷いた。

 その目に偽りも怯えもない。

 いい目をしている。

 今回限りだ。

「ならば母を此処に連れてこい。もし、お前と母以外の人間が立ち入った時…わかるな?」

「はい!ありがとうございます!」

 薬草の扱いも知らんような奴が薬草を持っても治せる病も治らん。

 正体晒すことにはなるが、目的は達することができる。

 それでいい。

 走って帰る若い男の背を見送り、溜め息をついた。

 我ながら、馬鹿な判断だ。

 それに、そもそもあの若い男がどれだけあの毒薬に耐えられるかという話だ。

 此処に母を連れてくる体力があるようには思えん。

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