第30話

 迷宮の第9層に入ったものはステルベンを除き、未だ誰もいなかったのだ。


 そのため、ここにいる全員が所見エリアであった。


 第9層は第1から第4層までの洞窟のような場所でもなく、第5層から第8層までのような場所でもなかった。


 そこはまるで薄暗い寺院のような場所であった。


 壁一面には松明ではなく、光魔法で照らされているため、広間全体が明るかった。


 辺りは第5層から第8層まで同じレンガ造りの青い陰気な壁に覆われていたが、均等に配置された悪魔の像が不気味に配置されており、見る者に恐怖感を煽り立てていた。


 それよりも目に行くのは、真っ先に彼らの目に入ったのは捕らわれたルビアであった。


 彼女は両腕を像に縛られており、気を失っている様子であった。


「!!」


 ソウマはそれを目にした瞬間、すぐに彼女の方へ駆け寄ろうとした。


「待って!」


「ぶへらっ!?」


 紗季が何か気が付いたのか、駆け寄ろうとするソウマの襟首を掴んだ。


 咄嗟の出来事にソウマは背中から転倒してしまったのだ。


「何をするんだ!」


「何かいる…」


 紗季がそう言うと、その何かが姿を現した。


 道化師なような魔物ジョーカーだ。


「ヒッヒッヒ。こうも早くも来るとはな…。あの野郎…このジョーカー様に嘘をつきやがったな…」


 そう言うと、ジョーカーは乱暴に銅像を蹴飛ばした。


「あれはジョーカー!」


「ヒッヒッヒ。ご存じとは嬉しいねぇ…。本来ならこのまま上機嫌に遊んでやるところだが、俺様は今ものすごく気分が悪いんだよ。誰でもいいからぶっ殺してぇ…」


 ジョーカーはそう言うと、もう一度銅像を蹴り飛ばした。


「あのエセ錬金術師≪アルケミスト≫め…。俺様の可愛い仲間を片っ端から嬲り殺しやがって…それでなんだ?『こうなりたくなかったら、その娘には指一本触れるなだと』?冗談じゃねぇぞ…憎き女神アヴァンドラの器がここに来てんだぞ…?クソッが…」


 どうやら、錬金術師≪アルケミスト≫に脅されているようであった。


 それゆえに上位種の魔物であるジョーカーはこの事に怒り狂っていたのだ。


 魔物たる自分が人間に利用されていることに。


「ヒッヒッヒ。こうなりゃ、てめぇらで十分だ!グレーター・デーモン!こいつらを片付けろ!」


 ジョーカーがそう言うと、1頭のグレーター・デーモンが現れた。


 頭数が一頭しかいないのは、錬金術師≪アルケミスト≫に殺られたからだ。


 とは言え、最上位の魔物だ。


 グレーター・デーモンはソウマたちを一瞥すると、まっさきにグレーター・アイス・トルネードを使用してきたのだ。


「ボルケーノ!」


 エゼルミアがそう唱えると、爆炎が杖の先端から打ち出された。


 激しい拮抗さながら、その合間にもジョーカーは身軽にこちらに飛び掛かってきたのだ。


「石になれ!」


 ジョーカーの攻撃は全ての状態異常が詰め込まれている。


 すなわち、この魔物の攻撃を受けたものはたちまち石になったり、麻痺、昏睡、猛毒を受けたりするのだ。


 故に意外にもこの魔物は見かけによらず、近接戦闘が得意なのだ。


「そうはさせぬぞ、道化師!」


 アレックスはその攻撃を受け止めると、ジョーカーに斬りかかった。


 しかし、この魔物は身軽にその攻撃をかわしたのだ。


「ヒッヒッヒ!小童どもめ!このジョーカー様の恐ろしさをとくと思い知れ!」


 ジョーカーはそう言うと、再び近接戦闘をアレックスに仕掛けたのだ。


◇◆

 時は少し前に遡る。


 迷宮の第8層で二人の冒険者が死闘を繰り広げていたのだ。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 錬金術師≪アルケミスト≫は戦士にも劣らない動作でインディスの攻撃を受け流すと、そのまま彼女に斬りかかった。


 昨日の夜とは違い、彼の目は若干ながらも本気を出している様子であった。


「大したものだ!てめぇ本当に錬金術師≪アルケミスト≫か?」


 数合に渡る打ち合いの中、インディスは錬金術師≪アルケミスト≫を称えた。


「そっちこそ、どうやらあの夜は君も本気を出してなかったようだな!」


 錬金術師≪アルケミスト≫はそう言い返して、インディスに再び斬りかかった。


「お互い様だ!どうもてめぇが錬金術師≪アルケミスト≫の言うのは嘘だな!」


「何が言いたい!」


「その通りさ!だいたい読めてきたぜ!てめぇの動きが!」


 その言葉に錬金術師≪アルケミスト≫ははっとした。


 彼女の攻撃が彼の右腕を掠めたのだ。


「まずい!」


 彼はそう言うと素早く間合いを取った。


「おおぅ?どうやら余裕なくなってきたようだな?そろそろてめぇの正体出してもいいだぜ?」


 錬金術師≪アルケミスト≫はその言葉ににやりと笑って見せた。


「正体?笑わせないでくれよな、インディス」


「とぼけんなよ、おっさん。そろそろてめぇとのお遊びも飽きてきたところだ…」


 インディスはそう笑い飛ばすと、手裏剣を構えた。


「知っているか?忍者と言うのは全ての職業において、最強の戦闘能力を誇るだぜ?」


「何を言い出すのだ?戦闘のし過ぎで頭がイかれたのか?」


「はっ、笑ってられるのも今のうちだ。私もソウマのように得意技があるんだ…。行くぜ、この一撃でその仮面の裏をひっぺ返してやる」


 インディスはそう言うと手裏剣を持ち、特殊な構えを取った。


(投擲だ)


 錬金術師≪アルケミスト≫はそう感じた。


 珍しく彼の顔には焦りがあった。


「食らいな!雷≪スローイング≫の投擲≪プラズマ≫!!」


 彼女がそう言うと、手裏剣は稲妻の如く彼の首元を目掛けて投げられた。


(これはまずい!)


 咄嗟に彼は右手を突き出した。


 そして、彼の口から聞き慣れない音節が唱えられた。


 この世界の呪文ではなかった。


「…やはり、てめぇ!」


「光≪らいと≫と闇≪アンドダークネス≫の眼≪アイ≫!」


 彼がそう言うと、その右手の先には光と闇で作り出された名状し難い大きなバリアが張られたのだ。


 それは間違いなく、この世界の呪文ではなかったのだ。


「てめぇ…やはり錬金術師≪アルケミスト≫じゃなかったか!」


 インディスがそう言うとその攻撃は完全に塞がれたかのように見えた。


 だが、展開が遅かったのか。


 わずかな稲妻が彼の仮面を破壊したのだ。


「…!」


 錬金術師≪アルケミスト≫は驚きを隠せなかった。


 だが、これで彼の素顔が明らかになったのだ。


 インディスはそのことに気付いておらず、その様子を見ていた。


 そして、その素顔が彼女の前に現れたのだ。


「…!なんの冗談だよ?おい」


 彼女が驚いている束の間、鋭い刃が彼女の腹部を突き刺した。


「て、てめぇは…?」


「ただの錬金術師≪アルケミスト≫だが…?」


「ふざけんな…!まだ、嘘をつくのか?魔法剣士≪ルーンナイト≫さんよ?あの魔法は禁忌の呪文か?だとしたら、お前のその顔…兄弟か何かか?」


「・・・・」


 錬金術師≪アルケミスト≫は黙ってそれを引き抜くと、彼はスペアの仮面を取り出し、それを顔にはめた。


「悪いな、急所は外した」


 錬金術師≪アルケミスト≫はそれだけ言うと、9層に降りて行った。


「全く…とんだ悪夢だぜ」

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