急説 干支神禰宜とツンデレ巫女の108祝詞

第10話 桜舞い散る暫しの別離

「出たな、国栖(くず)土蜘蛛! 檸檬巫女。結界呪符を!」

「はい! 子音様!」


 こちらに現象化すれば、檸檬にも出来ることはある。

 ズズズ……と小さな画面から蜘蛛が姿を現した。


「巨体だな。邪気の食い過ぎか?」


 からかうように子音も専用の炎呪符を手裏剣のように投げつけて空間を塗って行く。すると国栖(くず)土蜘蛛は動かなくなった。

 口から糸を吐き出そうと粘液だらけの口を開けた。


 妖怪のレベルを超えている……!


「巫女危ない」

 干支神の呪符が巫女の前で粘液を弾き飛ばす。

 

「ち」


 子音の腕についた粘液が電磁波のようにジジジと嫌な音を立てている。


「これは、妖怪ではないんですか」

「電脳の煩悩だ。ただの煩悩に人の邪気が加わったモノ。「貪欲」の手下だ」


「しつこい」と子音は錫を構えて、肩幅ほどに足を開いた。一度粘膜をやり過ごすと、重圧のある土蜘蛛の前に錫を向けた。後に透明の迦楼羅が見える。


 我々の世界を救済するために降りた干支の光だ。


「貪欲に伝えろ。干支神は全力で消滅させると」


 眼を閉じると子音は「天午」と名を呼んだ。目の前では右に子音 左に天午がそれぞれ錫と鉾を構えている。そして同時にサンスクリット詠唱に入った。


【「エーカム・サット・ヴィプラー・バフダー・ヴァダンティ」】

「ローカーハ・サマスターハ・スキノー・バヴァントゥ」

(生きとし生けるもの全て、世界の全てが幸せになりますよう)


 ふたりの呪文が重なって、土蜘蛛の胴体を炎と鎌鼬が引き裂いた。檸檬に呪符を投げつけられた土蜘蛛は苦しがって甲高い声と低い地響きの悲鳴を交互に発した。膨張すると、今度こそ断末魔を上げて、空中に霧散して消えて行く。


 光り輝く中に迦楼羅姿の天午もゆっくりと光に透けてゆく。


 ーー子音、今はこの世界を頼んだぞ。千手観音菩薩よ。


「迦楼羅...天午」


 子音は消えゆく相棒の名を一度だけ呼んだ。星が爆発するような空気の振動。目の前には勝ち誇った子音がニィと蜘蛛の最期を看取っていた。


******************


「このスマホ……随分とたくさんの邪気を吸ってきたようだな。無数の邪気……何十人もの悪意のクリーニングも出来ていない。土蜘蛛の格好の餌食だよ」


 目が覚めたらしい女性が「なにすんの! あたしの、スマホォ!」と駆け寄って来た。「施術中だ」と子音は手早くねめつけ、驚強い氣を纏った錫を向けて黙らせた。


「いやあ、なにこれぇ!」


 向けた錫の向こうから子音は金の目を光らせる。


「このスマホに溜まっていた邪気です。お客様、この、スマホの入手は」


「インターネットよ!」

「かなり古いようですが」

「そんなはずないでしょ! 新品だったのを仕留めたのよ。ラベルだって新品用よ」

「多分、ラベルとパッケージのみ変えたのだろう。中古品には様々宿る。これは、カノクニの中古だ。何十人もの手で穢されて、煩悩のるつぼになっている。このスマホを手にして何かなかったか?」

「ええ……?」

「犯罪に使われていた疑いもありますね」


 女性は驚いたのか、状況を把握できていないのか、絶句して座り込んでしまった。

 スマホの赤い糸は子音の手首まで巻き付いたが、やがてその寿命を終え、細々と消えゆくのだった。


**************


「このスマホには化け物が巣を張っていた。僕は天午に借りを作ってしまったんだ」

「借りですか? むしろ子音様が助けたのではないの?」


 子音はふっと笑うと「あの如意宝珠がなければ、僕は土蜘蛛の存在に気付かなかっただろうからな」と嘯いた。


「あの、大丈夫ですか?」


 女性には軽く問診をしたが、心ここにあらずのまま、ふらふらと階段を降りて行った。


「いつも通り、浄火はできただろうが、電脳の奥には入れないさ。あのあたりは天午の十八番だ。この浄火計画に反対していたのにな」


 今日のお茶はなんとなくの金剛玉露だ。子音はお茶だけは呑めるので、美味しいお茶を揃えるようにしている。


 鼠の柄の湯飲みを差し出した。これは、神社に伝わる十二の食器で、鼠は湯飲み。牛はお茶碗。おそらく干支神に繋がる様になっているのだろうと思う。


 午はなんだっただろう?と見れば、徳利に杯のついたお神酒セットだった。


 いつか、桜の下で天午にお酌をする日が来るのだろうか。


 子音は弟の面影を連れて、帰ってしまうのか。


 ご飯を食べなくても。

 中身が干支神であっても。


「お疲れ様でした。今回の浄火は怖かったです」

「心身両方だったからだ。檸檬、今日のお茶の湯飲み……多くないか?」


 檸檬は「天午様の分」とお盆に一人分のお茶とお茶菓子を載せて、庭に降りた。子音もついて来た。

 北風に春の芳香が混じり始めるのは3月の終わり。今はまだ2月で肌寒いし、日照時間も短い。


 おひさまが長く照らされる頃には美しい桜吹雪に出逢えるかもしれない。


「天午様は、お酒なんですね。子音様は」

「僕は下戸だ。……一足はやい酔っ払い桜の季節の到来だっだな」


 あの、誇らしそうな横顔だ。

 なんだかんだで、逢えてうれしかったに違いない。檸檬はほっとした。孤独に見える干支神のわずかの間の交流が知れて嬉しかった。


「シャングリヤでは、よく天午が酒、僕は茶を飲んだものだ」


(なんだ、仲良しなんだ、やっぱり)


 奥底の檸檬の声を聞き届けた子音は「あいつとは付き合いが長いから」と静かに笑む。


「心読まないでくださいってば」

「ははは」


 それに呼応するかのように、視えない桜の風が一縷、舞って消えた。 

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