第8話  貪欲の部下 国栖(くず)土蜘蛛との死闘①

(人の意識というのは、不可思議なものだ。負と光がこれほどまでに交互に入り組む触媒は人間のみ。さて、天午はどこにいる)


 子音は音の無い異空間で、翼を止めた。漆黒の闇は蚋の大群のように、細かな粒子が集まって、マイナスの磁場を作り始めている。


「しかし、広いな」


 天午の作った「みすまるのたま」こと、如意宝珠はヒトの無意識領域を取り出す十種神宝のうちのひとつだ。檸檬は「まがたま」と言ったが、あれは我がインド12神獣が降ろしたうちの3つに過ぎない。それはやがて「天皇の即位」のみに使われ、普段はお蔵入りになってしまった。本来は波動の武器だが、本物に比べると、レプリカのような類似品としか言えない。

 広いと言ったのは、この空間の奥ゆかしさだ。通常この空間に於いての広さは媒体の心の広さ(知識量)に比例するが、深みは……考えたところで、繭玉の一つがガタガタと動いた。


 ボォ……ッ。


 子音は無言で手のひらを繭玉に翳す。飛んだ炎が繭玉をちりちりと焼き始めた。この繭玉はおそらく中からは破れない。よく見ると蜘蛛の糸だが、無数の呪文を繋ぎ合わせた封呪縛に等しいからだ。内側の干渉では難しい。

 これが、天午が勝てない理由だ。天午は確かに強いが、それは自由に動ける時、距離を取れる戦いに於いてだ。今のように捕まってしまうと、羽を捥がれてあっという間に捕食対象になってしまう。そもそも、この捕獲系の魑魅魍魎とは相性が悪い。


「……助かった!」と天午は姿を見せたが、翼に大きな損傷を受けている。神鳥にとって、翼は大切な器官でもある。放置すれば、腐りおちる可能性もある。


 天午と目が合った。子音はこともなげに告げる。


「主は不在のようで助かったな。なぜ繭玉に捕まったんだ。檸檬が心配していた」


 天午は忌々しそうに焦げた繭玉の残骸を睨んだ。


「……でかい蜘蛛の巣に捕まったんだよ」

「国栖(くず)土蜘蛛だ。和国でも、大昔に伝承がある。灯籠の火袋だ。天午、世の中にはいくらやる気が充ちようと、不可能にするメカニズムがあるんだ。何億年掛ければ飲み込むんだ」

「……子音ちゃんが来てくれると思っていたけどな。言われなかった?敵に塩を送り過ぎてはだめだとね」

「檸檬巫女が心配するからだよ」


****


 子音はまた蜘蛛の巣のあった場所まで天午を連れて、飛翔した。肩翅を糸に持って行かれた天午を支えて、昇って行く。

 

「やはり、この領域に蜘蛛の巣が張り巡らされてるんだ。おっと、気を失ってくれるなよ。天午が気を喪ったら氣流も消えて、永久にこの次元にとどまるはめになる」

「それもいいな」


 想像もしていない答に、子音は目を瞠り、天午は「子音となら」と呟いた。それは本心からだろう。天午が素直でない部分は織り込み済みだ。

 

「ともかく、この蜘蛛の巣を一度焼き尽くそう。これでは、思考回路どころではなかったはずだ。俺が燃やすので、迦楼羅の風で舞い散らせてくれればいいか」


 子音は「行くぞ」と告げると、炎の翅を大きく羽ばたかせた。次々と蜘蛛の巣が焼け落ちる。現象化した「国栖(くず)土蜘蛛」は灯籠の火袋(灯籠の炎を灯すところ)に逃げ込み、最終的に殺生石に呪いをかけたが、こっちの国栖(くず)土蜘蛛は留守にしている。


 動きは素早いだろうし、やつらはワープする。今のうちに巣を亡くせば、目印のないここには来ないだろう。


「無数だな。炎は明るくていいな。こんなにあったとは……。漏斗になって垂れ下がっているのもある。俺が吹き飛ばそう」


 少し懲りたのか、天午はようやく協力の態勢になった。

 そうして、全ての蜘蛛の巣を片付けた跡地は、ゆっくりと光が差し込むような明るさになっていった。


「電磁波のせいだな。SNS,スマホ……心の無意識波全体で見た時に、電磁の層が隙間なく詰まっていて、負のエネルギーの発電所になってしまう。この蜘蛛の巣はその「蜘蛛塚」の準備だろう。性質から言って「貪欲」の手下か」


「なるほど、俺では無理だな。鎌鼬も捕獲されれば出せなかった。捕まった時の打開方法は無いな、迦楼羅は」


 子音に寄り掛かりながら、天午はやっと微笑んだ。


 ――天午、世の中にはいくらやる気が充ちようと、不可能にするメカニズムがあるんだ。


 天午に告げた言葉が子音の中でも、言靈となって響き始める。そのメカニズムは全ての煩悩を消した時に、明らかになるのだろうか。


「戻れ、天午」


 子音は天午を睨んだ。「まだきみの時代じゃないんだ」と告げると、天午は流暢だが、不穏を感じ取るような声音で、ゆっくりと囁くように告げた。


「――午の年に似ていたんだ。今、この世界の混沌は酷い。午の年には、ハプニングが起こりやすい。迦楼羅の情報の強さはそこから来たのだと思うんだ、子音ちゃん。それに、俺の巫女にもさよならを言っておきたい」


 肩を竦めて「翼をやられたからな」と天午は心許なく言うが、それは口だけだ。


 さよならなど、する気はない。天午がいたら、どんなに心強いだろう。しかし、この弱っている現世にインドの神獣が揃っていたら、バランスを崩す。


「また、傷を治したらくればいい。きみは駄目だ。(俺がどうなろうと構わないが)干支神の長だろ」


 天午は「それもそうか」と方向を変えた。この浄化できた磁場なら、すぐにも空間は繋がるだろう。子音は今度は外で、浄火に備えなければならないが、檸檬がうまくサポートしてくれるだろうと考える。


 浄化の空間を一羽の負傷した迦楼羅が翔けていく。迦楼羅とはガルダという神獣で、かつてのインド神獣は和国の時間概念が入り組んで、いくつもの名前に分裂した。


 その為 子の刻 丑の刻 などと言う。


 消える瞬間に、声が響いた。



――……どうなろうと構わないなんて人はおらんよ。子音ちゃん――


 

 

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