第6話 気流遣いの迦楼羅 天午②

 楠のすぐ近くに妖気が現れた時は、子年の干支神子音が顕現した。楠は樟とも書く倭国に於いての神社林の筆頭で、常緑広葉樹である。干支神社の楠は高さは11メートルで巨木に当たる。単木なので、樹形は丸いドーム型だ。樹皮は茶褐色で、いわゆるゼロ磁場だと思う。


「……何しに来たんだ、天午」


 炎を三発ほど弾き出した手を握りしめて、子音は天午をまっすぐに見詰めている。その目は何かを言いたげで、檸檬は二人を交互に見る羽目になった。


 顕現した桜の木もまた、かなりの樹齢を誇っている。あとは銀杏や白樺……インド神獣たちが樹木を媒介に降りて来るとは、初耳だった。


「そんなことはないさ。白檀とか、聞いたことがあるだろう。日本の樹木は元はインド側から伝わっているんだ。列島が出来る、遥か前の文明とは呼べない時期からね」


 すらすらと流暢に口にしたところで、「俺の巫女の心を読むなよ」と子音の鋭い一言が飛び、天午は肩を竦めた。かなりのゴーイング・マイウェイのにおいがする。


「で、なんの魑魅魍魎がいたんだろうな」

「それを見る前に、きみが祓ったんだろうが、また来るぞ。それに、魑魅魍魎に囚われる心には隙があるのも否めない。視ろ、スマホが手に溶け込んでいる。奴らが諦めていない証拠だ」

 全員同じ症状になる。ウェブの魑魅魍魎に憑りつかれると、スマホが手に埋まるらしい。倒れたままの女性もそうだった。


 ……また、女性。


「あの、女性ばかりが狙われる気がするんですが」

「血の道があるからでしょ」


 天午はさらりといい、「煩悩は女性を好むんだ」とは子音である。この二人、仲良さげでいて、ちょこちょことぶつかっている気がする。

 檸檬は息を吐いた。


「あの、二人は仲が良いのですか?」

「全然!」「手がかかるんだ、子音ちゃんは」「ちゃん付をやめろと」また言い合いになった。完全に弟の容姿の子音が、インド人風体の天午に言い返す様は国際的なものを感じる。もしかして、子音も実はインドの容姿なのだろうか。なぜ彼は元の姿を見せないのだろう?


 そこまで考えて、檸檬は倒れたままの女性を見やった。

年も、みな近い気がする。多分、大学生から、OLくらい。創作に夢中になりそうな年頃ではある。


「子音ちゃん」


 懲りない天午である。子音がギヌロと目を向けた。


「この子の浄火、やらせてくれない?」

「断る」

「三秒くらい考えろよ。奥深くまで焼き尽くすつもりか? その炉は何だよ」

「焼き芋焼きだ」

「焼き芋?!」

「それは冗談として、俺が作った。灼熱2000度の素粒子をも焼き尽くす。護摩の炎の真骨頂だ」


 天午は聞き流すと、長い髪を再び縛り上げた。まず顔の輪郭を露わになった。しっかりとした頬骨に、翡翠色の耳飾りが印象的だ。そのうちの一つを外すと、天午は手のひらに載せる。たちまち大きな玉珠になった。


「如意宝珠の宝珠か」

「勾玉の色に似てますね」


 神社育ちの檸檬にはなじみがあるほうで呼ぶと、天午はにこ、と微笑みを返した。どうにもこうにも自意識が高いらしい。女性にかがみこむと、天午はその如意宝珠の宝珠を親指で押さえ、手のひらを翳した。

 素粒子が小さな膜を作って行く。「風の結界」と子音が興味深く呟いた。

 こまやかだった粒子は一つ一つが電気を浴びたように、周波数を上げていく。消えないシャボン玉のようだ。虹色に輝いた中に、さらに光彩が生まれては消えていく。

 オーロラがたまの中に現れるような風景である。

 やがて完全に〇は固定され、空中には女性を包んだシャボン玉が浮いていたのだった。


「相変わらず綺麗な仕事だよ」

「……この俺が歪な〇を作るとでも? ちょっとこの子のナカを見て来るとする」

「おい、それはやめたほうが」

「俺に不可能はないんだ、子音ちゃん」


 そう言って天午は目を閉じて呪文を唱える。


【「エーカム・サット・ヴィプラー・バフダー・ヴァダンティ」】

(「真理は一つ。賢者たちはそれを様々に言う」)リグ・ヴェーダより


 大きな白い翼をはためかせると、そのたまの中に消えて行った。天使のようだが、鷹にも見えた。

 周辺の物体が騒ぎ出す。

 庭の木々も揺れている。高次元周波のせいだ。


「すっごい……インドの神獣ってレベルが違うんですね」

「みすまるのたまを聞いたことないか? 高次元の空間を作るエネルギーだ。天午はインド12神獣の中でも、風を主体にする。天午はその空間を作って浄火するんだ」


 おや?

 子音さん、誇らしげな口調……言いかけて、檸檬は口を押えた。仲良しなら、久しぶりだとか言えないのだろうか、この人。


「誇らしくはないし、仲良しではないな。久しぶりとは言おうと思ったが」

「……心、読まないでください。子音様」


 ふむ、と子音は目を伏せると、今度は神社の祭壇に向いた。ここには三種どころか、十種の神宝がある。そのうちの一つに目を留めると、子音は手を翳した。炎が鏡に激突する。


 やがてそれは水面のように揺れて、天午の様子を映し出した。異様なのはその背景だ。たくさんの電子パルスの海に、時折響く稲妻のようなハレーション、そこを天午は泳ぐように翼を広げて突き進んでいる。


「迦楼羅(ガルーラ)だ。主にその心や、繋がっている高次元での交渉を得意とする。僕には出来ない芸当だよ。さて、天午、お手並み拝見と行こうか」


 子音は呟くと、結跏趺坐になって、ふわりと浮いた。まるに包まれた女性はぴくりとも動かない。手は死後硬直のように指を固めたまま、スマホを貼りつかせている。


「そのスマホが落ちれば浄化完了。だが、この魑魅魍魎に天午は勝てない。迦楼羅では勝てない理由がある。同じ羽を持つ同士だ。協力する時が来たらすぐに助ける」


 そうして、「鴉ちゃんの様子を見て来る」と放置しているらしい鴉のAIに逢いに行った。


 ――仲が良いのか、悪いのか。凄いのか、残念なのか。


 新たな干支神は迎えざる客なのか。


 しかし、先ほどの子音の横顔は、どうみても天午を誇らしげに思っているような。そんな自信に溢れた表情だったのだ。


【だが、この魑魅魍魎に天午は勝てない。迦楼羅では勝てない理由がある。同じ羽を持つ同士だ。協力する時が来たらすぐに助ける】


 そうして彼らはヒトを助けてきたのだろうか。それを知っているヒトがどのくらいいるのだろう。鏡の中の迦楼羅姿の天午は紫の瘴気にまとわりつかれながらも、奥へ奥へと進んでいくところだった。

 

 


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