第4話 節分と雪 SNSに潜む魑魅魍魎②

 妖獣が出る兆候は、妖気である。「しかし、これは……」子音は目を閉じたまま、精神統一の姿勢を取った。


「白鴉、いるか」


 ザワザワと音がして、庭に一羽の御鴉が姿を見せる。


「子音さま、それは……」

「先ほどの鴉のつがいだ。主に偵察をするのだが。檸檬巫女、こいつを上手く使って妖気の元を探ってくれ。尋常ではないぞ」


 干支神の子音が言うのなら、尋常ではない。察した檸檬はすぐにサポートに移った。ここの神社は「一定の周波数」で見つかるようになっている。また、WEBの魑魅魍魎だろうか。


「まさか、2体目……?」


 大きな楠を見て、檸檬は先日の件を思い返した。まるですべてを読んでいるようなタイミングで、子音が現れた夜。子音は楠の精として降りたのだ。

「誓約(うけい)をしてくれないか」と意識体はゆらゆらと揺れた。檸檬は目を閉じて子音を受け入れた。


 目を開けると、亡くなった弟そっくりの禰宜がそこにいた……。


「きみが一番逢いたい姿を読み取った」と言われて、泣きついたのは言うまでもない。


……その楠の近くに何かがいる。


「見て来てくれる?」


 子音から預かった鴉を解き放つと、檸檬は呪符を構えてソロソロと草履を滑らせる。妖気が一段と濃くなった。子音は妖気が強いと動けなくなるらしい。


「わたしが、やるしかないわね」


 紐の片方を口にくわえ、ささっと、たすき掛けをして袖を素早く上げた。こうすると動きやすい。念のために箒を構えて、茂みを揺らす。


「あの……」


 妖気の元が喋った。妖気が濃すぎて見えなかった。


「なぜ、私はこんなところにいるのでしょうか……」小柄な少女は目を潤ませて檸檬を見上げている。


 ――周波数が一定になると、この神社が視えるという。この神社は地図には乗っていない。


 ふと見ると、彼女のスマホは妖気に包まれていた。間違いない、2体目だ。


「こちらに来て」


 檸檬は茫然としたままの少女の手を引くが、少女は首を振って、両手で頭を抱え始めた。


「どこにいても、追って来る……!」


 以前のケースと同じである。追って来るといいつつ、スマホは手から剥がれない。シュウシュウと妖気が漂い、妖気を浴びた樹々は色褪せそうに枝を下に向けている。


 このままでは山に支障が出る。早く処置すべきだ。彼女を連れて、鳥居をくぐった。


 振り返ると階段が続いて視える。場所的に言えば、ここは戸隠だが、誰の目にも留まらない。


 時空の狭間の神社だ。


 ともかく、この妖気を何とかしないと、子音が動けない。草臥れた祠の前まで歩く。


「追って来る追って来る追って来る」

「いえ 何も」

「どこにいても休んでいても追って来るのよ!」


 悩む度に妖気が強くなった。檸檬は咄嗟に「大丈夫」と口にしてしまった。巫女としては一番口にしてはいけない言葉だ。


「大丈夫、ですって……?こうしている間にも、ライバルは次々仕事を勝ち取るのに……がんばらなければ、仕事がなくなるのに? でも、いつでも鳴るの。どこにいても、どこに逃げても」


「スマホ重度依存症か」


 見れば口元を覆った子音がトバ口で姿を見せている。


「酷いな」

「ええ、すごい妖気。……なぜ、こんなに強いのでしょう?」

「彼女の成功を妬む遠くからの氣だ。しかし、一番は「自分なんかが成功していいのか」という彼女の迷い。そこを喰われたようだな」

「では」

「祓うよ。裏に何がいるのかは想像がつく。貪欲だ」

「貪欲……」


 子音は頷いた。

「底なしにある欲の事だ。(とんよく)とも言う。いくら金銭を持っていても外見が綺麗であろうと、人はもっと欲しがり続ける。満たされる事はない」


 聞いていた少女が顔を上げた。目が窪んではいるが、そんなに欲深には視えない。


「無限なんだよ。欲を叶え続けるのは無理な妄執だ」


 子音が告げると、少女はギリ、と歯ぎしりをした。


「完全にヤられているか」やれやれと子音は錫を高く構えた。背後では、炎が燃え盛る祭壇と窯がある。それはこの神社に伝えられていた古きからの装備だった。


「第2の欲。貪欲。……憑依の準備をしていたようだが、これまで! 私の目に晒されたからには、終わりだ」


 子音は祝詞を上げ始めた。しかし、聞いたことがない祝詞だ。ひとつひとつを奏でるように告げるから「奏上」と言う。


 前回は大きな蛭子だったが、今回は7つの頭を持っている妖獣だった。「喝!」の声で、少女は気を失った。


「檸檬、結界」


 五芒星の結界を描くのは檸檬の仕事だ。巫女は神主にはなれないが、サポートや神楽舞で神のサポートは出来る。


「この次々と出てくる欲だよ。他の煩悩にも繋がる。貪欲神ははるか高い届かぬところで、ヒトのネガティブ波動を愉しんでいるのさ」


 気絶した少女の頭に、7つ頭の妖獣が噛みつこうとした。「おっと」と子音は摘まみ上げると炎にくべてしまった。


「来るぞ!」

「はい!丑寅の方向に結界展開します」

「さすがは、僕の巫女」


 背中合わせになって、妖獣に呪符を翳す。「もう逃げ場はないぞ」と子音は嘯くと、榊を振った。


「闇に還れ」


 最後の断末魔の妖気が部屋を包み込む。瘴気は空中に霧散したが、まだ子音を狙っているようだった。こんなものが、世界のあらゆるところに潜んでいるのだろうか。


****


「……目が覚めましたか」


 少女は薄目を開けると、驚愕のまなざしを檸檬と子音に向けた。


「あの、わたし……?」

「まだ、電車はありますから、麓まで行くといいですよ」

「仕事が……どうしよう! スマホ、壊れた?!」


 子音は優しく微笑んだ。


「今日くらいは、休んでも大丈夫でしょう。それはこちらで預かります。あなたは貪欲の部下に憑依されていたんですよ」

「私、無欲ですけど」

「そうかな? いずれ分かるだろうよ」

「えっと、あの...スマホが無いと仕事が」


 それ以上、子音は何も言わなかった。


*****************


 静かになった干支神社に、清浄な空気が戻って来た。すっかり元に戻った夕暮れは美しい。雪がちらついていたが、それも止んだようだ。


 何だったのだろうと檸檬はお茶を用意しつつ縁側に向かう。


「ワーカホリックの迷い魂だ」


 ――なるほど。それで「どこにいてもやって来る」のかと檸檬は納得する。


 冬の夕暮れはほんの瞬き程度のもの。


「檸檬、あの少女は見ていた方がいい。あと、もう一つ」

「はい?」


 子音はにこやかに「きみ襷掛けが勇ましいね」と微笑み返すのだった。


*** 


『檸檬が僕の巫女』になるかはさておいて。干支神は12獣もいるのだから――。



 


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