第2話 新年最初の浄火の祓い

 大きな神棚には不釣り合いな「炉」がある。炎は深紅だが、紙を飲み込むと、蒼に染まって行く。緩やかに燃える中に、半紙は溶け込むように消えて行った。古都はそれを黙って見詰めていた。手から、スマホが落ちた。画面は変わらなかった。とっくに、壊れていたのだろう。


「浄火しますよ。全てを貴女から消すために」


 平安衣装を揺らして、禰宜は大手を振り、玉串奉奠の大きい釈を振り上げた。一つ一つの名前を読み上げたが、特に僕には意味がわからない。古都は俯いて、大粒の涙を零し、叫んだ。


「どうして、あたしだけが……!」

「出て来い、魑魅魍魎、怨龍神」


 炉から大きな炎龍が飛び出し僕に向いた。


「お客人、すみませんが衝撃に備えるために準備します」と禰宜は一言を告げた。祝詞奏上しつつ榊を手に、炎の廻りをぐるぐると歩く。足で陣を描いているのだと分かった。


 結界を貼ってくれたのだろう。妖気は僕には漂わなくなった。


「顕現せよ! 隠れる場所など無いぞ!」


 一際ドスの訊いた声に呼応するように、古都の肩先とスマホから妖獣の影が部屋に飛び出した。それはウネウネと広がって、空中で塵のように色を変えたり、唸ったりの不思議なモノだった。


「これが、あなたを脅かした元凶です。人が産み、電子が生んだ、龍の化け物とでも言えばいいでしょう。特に、人間界高次元...ウェブに棲みついている。108のうちの一体ですね」


 禰宜は真剣な顔つきになると、手を高く翳し、釈を振った。


「まさか、電子に入り込むとは。魑魅魍魎も進化したものだ」


 炎龍が暴れ狂った。


「檸檬巫女」

「もう準備は出来ています。子音様」


 霊力と怨嗟のぶつかり合いだ。(これが、霊力なのか……)と呆然と見ている前で、龍が口を開けた。「馬鹿め」と禰宜は呟くと、呪符を妖獣の口めがけて投げ入れる。檸檬がすがさず呪符で妖獣の目をふさいだ。


 けたたましい断末魔の響き。虹色の放射光を撒き散らして煩悩は消えていく。


「逃げるなと言ったはずだ」


 禰宜と檸檬は二人掛かりで抑えつけるように呪符を投げて行く。やがて動かなくなった龍は、蛭子のような物体になり、禰宜が振り返った。


「知能は蛭子のままだったのが幸いしたな。では、こいつをくべるか」


 炉の中に燃えて行った龍が見えなくなること、ごとん、と古都の手からスマホが落ちた。


「これも、一緒に預かります」と檸檬が拾い上げる。


「あなたの心が、壊れない代わりに、この子が壊れたのね」


 古都は嗚咽を堪え切れず、何度も何度も頷いて、「遼くん」と久しぶりに、僕の名前を呼んだ。


 そう、僕は遼だ。古都に呼ばれたので名乗ることにする。


******


「コンテストに参加してたの」古都は、ゆっくりと声を震わせながら、答えて来たが、「もう大丈夫ね」との檸檬巫女の声で、頷いて真っ赤になった目を擦って、僕に頭を下げた。


 コンテストで古都に何があったかは分からない。

 しかし、古都から出て来た名前は、いずれも上位の作家たちだった。古都はそんな恨みを持つ性質ではないから、何かが古都を揺らがしたのだろう。


 WEBの中、電子の中に、あんなに大きな邪念の龍がいるのかと思うと、少しばかり怖くなる。


「帰ろ。何か、あったかいもの、食べたい」

「あ それなら」


 炉から焼き芋が出て来た。祓った炉で焼いた芋...

古都は嬉しそうに受け取って頬張っている。


「闇は受け入れることも必要だ」


 一人で抱えきれないほどの、闇。

 たった一人を食い物にする、闇。


 あの神社を目にしなかったら、「祓う」などと思いつかなかっただろう。


 でも今は、古都の笑顔が見られただけで、充分だ。焼き芋は本当に美味しかった。


***************************


「子音、お疲れ様のお茶。最近多いわね。スマホ壊してやってくる参拝者。広告に載せて、正解だったということ?」


 夕暮れ間近の干支神社である。焼き芋を手にしていた禰宜の子音はゆっくりと答える。


「やつらが気づいたからね。現実が穏やかになった代わりに、人々の感情は電子化した。しかし、人々は電子化された負の感情が逃がせないことに気が付く。永遠にログという形で残り続けることも。永遠にあいつらの苗床だ」


 子音は、動かなくなったままの古都のスマホに視線を落とす。


(神だから、視えてしまった。あらゆる場所に、魑魅魍魎の「噛み痕」がある。一番噛まれていたのは、あの女の子の作品だった)


 ひゅう、と風が神社を通り抜けた。


(それでも、また、魑魅魍魎は次なる標的に隠れ潜むだろう。現実ならば瓦解も出来るが、電子の魑魅魍魎は、今のように、心から出して貰わなければ祓えない)


 そして人が心に封じ込めたモノを神が引き出すことは難しい。出てくるように仕向けるだけだ。


「でも、よく降りてきましたね。他の干支神はどうなのですか?」


 子音は呟いた。


「みな、同じ意見だったよ。神として、祀られているだけではもう駄目だ。干支の一人として、動き、祓わなければ。「助けてください」も言えぬほど、WEBは常に犇めき合っている」



「新年最初の浄火の祓い、お見事でした。子音様」


 おやおや。

 子音は檸檬に流し目をして笑って見せる。


「つれないね。きみは我々の誰の巫女になるのかな? ネオンで良いよ」

「分かりました。子音様」



 いずれ嫁となり、高天原へ向かう予定の我がツンデレ巫女と、選ばれし干支神の話は、また次の機会に――。


「ローカーハ・サマスターハ・スキノー・バヴァントゥ」

(生きとし生けるもの全て、世界の全てが幸せになりますよう)

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