浄火祓い―干支神禰宜とツンデレ巫女の108祝詞―
天秤アリエス
貪欲浄火編
序説 子年の干支神の浄火祓い
第1話 祓い神社へ彼女を連れて行く
――世の中には、どうあっても、抱えきれなくなる負の感情がある。それが「嫉妬」「そねみ」「裏切り」「騙し」という人の奥底に潜む本性なのだから、どうしようもない。
ちらっと見ると、彼女の犬山古都は、完全に目を逸らして、じっとWEBサイトを睨んでいた。古都はWEB小説が趣味である。幼少から、彼女は物語を書くが好きで、ただ、それだけで続いて来た。
僕と同じだ。いや、創作者なら誰しもがそうだろう。時には落選もする。それでも楽しいのだ。
だから、作家になりたい古都の気持ちは分かるつもりだったし、分かっているつもりだった。
「手、痛む?」
古都は言葉を出せず、首を軽く振った。握られたスマホはバキバキに割れている。古都が自ら、割ったスマホの画面は、皮肉にも天使の翼のように広がって、イタリアのバキバキにして繋げた美術品を思わせた。
「もうすぐだから、だから、元に戻って」
***
彼女の豹変は、ほんの一週間前の話である。突如古都は目の前で鬼のような形相になったかと思うと、スマホを机に叩きつけた。穏やかな女の子が豹変すると怖い。僕はとっさで彼女を抱きしめたが、彼女は完全に「豹変」してしまった。
原因とおぼしき、WEBサイトが割り込んだ画面の向こうで、変わらずに映し出されている。黙ってそれをスクロールする。
たくさんの作品や、ランキングが並ぶ。その様は、作家に憧れてはいても一歩を踏み出せない僕には遠いものだった。
今でも、彼女、古都がどうして豹変したのかは分からない。ただ、分かったのは、彼女は「何かで変わってしまった」こと。それがランキングかと思ったが、彼女の作品がどれだか分からない。
彼女なのに彼女はペンネームを決して明かさないからだ。
サイトのCMで「あなたの恨み、祓います」という文字がついた神社を見つけた。神頼み、神の啓示か、僕は迷った末に古都をその神社に連れて行くことを決める――。僕は僕だ。名前は要らない。
*****
「ようこそお詣りくださいました」
その神社は、一風変わっていた。電車でずっと山奥まで乗り継いで、ようやく降りたと思ったら、山である。古都は一言も口を利かず、俯いたままだった。
以前の元気だった山ガールの彼女の豹変に、まだ頭がパニックを起こしている。それでも離さない震える手が今、自分が必要だと物語っていると分かる。だから手を繋ぐのだ。
葉がそよそよと哭いた。
「戻れるから」僕は声を掛けて、彼女の手を引いた。
誰でもいい、古都を戻して。
明るく、作品を口にしていた古都を戻して。羨ましかったよ。でもそんな君の眩しさが好きだったんだ。
鳥居をくぐった先には、大きなお社があった。それも、神社や神宮と言うよりも、祠のイメージに近い。楠や桜...樹木に囲まれた鬱蒼とした山肌に石の階段。場所は戸隠というのもそれらしい。
そもそも、この神社はガイドブックにすら無くて夜中に見ていた動画の砂嵐の奥から出てきた。
大丈夫なのだろうか。しかし、引き返せはしないだろう。実際に僕と彼女はこの神社にたどり着いたのだから。
***
「……彼女のほうですか? あ、わたしは神主禰宜の子音(ネオン)と言います。こちらは、巫女の檸檬(レモン)。いとこ同士になります」
「ネギとレモン....」
次は鴨でも出てくるのか。と怪訝に思う。
「禰宜です。シメスヘンの神社神職の名称で」
山奥特有の冷ややかな風が吹いた。
「さ、こっちへ」と檸檬と呼ばれた巫女が古都を誘い、いつもと違う風景に気圧されたのか、古都は騒がずについて行った。
「よく、この神社を見つけましたね」
ネギが僕に向いた。かなり若い風態で大学生のようにも見える。黒髪が映える白い平安衣装は神主らしい。歩きながらネギと会話になった。
「WEBの動画のCMで深夜に見かけまして……何か、古都に悪いモノが憑いたのではないかと」
「ええ」とネギはたおやかに、回答を繰り広げた。
「この神社は一定の周波数で視えるようになっているんですよ」
「周波数?」
ネギは頷いた。傍に伸びすぎて顔を出している樹々に触れた。木々がサワサワと揺れた。
「このように、樹々に触れると、樹々も返事しますよね」
「は、はぁ……樹々が返事……」
マイペースな神主ネギは構わず話を続ける。
「WEBの無法地帯の餌に、魑魅魍魎が気づいたせいです。本来は、現実で起こるべき現象が、WEBやインナーワールドに入り込んでしまった。そのため、祓う私たちも電子化の祓いが求められておりまして」
何となく本物だ。ネギを調べて字を知った。禰宜だ。確かに神職では3番目。宮司、権宮司、禰宜、権禰宜となる。
歩きながら、禰宜に様々な話を聞いた。時代錯誤な平安衣装の禰宜はおそらく僕くらい若い。檸檬と呼ばれた巫女のほうが、上ではないだろうか。なんにしても、不思議な神社だ。
空間の重みを感じない。古都はどうしただろうと不安になったところで禰宜が敷居を越えた。
「用意出来たわよ」
目の前には煌々と燃える火。
炎だがこんなにも赤い。
「どうしました」
「炎が赤いので...黄色やオレンジが全くなくて」
「この炎は護摩の火。浄火です。焼き芋を焼くと美味しい。帰りにお土産にでも」
焼き芋を焼いてるのか。冗談だろう。と禰宜を見ると禰宜は目を細めてニコニコと微笑みを向けていた。
そして、白装束の古都がやって来て、本格的な祓いが始まった。
古都はスマホを手放していない。邪魔になるだろうと僕は声をかけた。
「スマホは僕が預かろうか」
「それは無理やり引きはがすと、心を崩壊させますから」
「心が崩壊...」
「一歩手前です。浄火できれば剥がれますよ」
聞いて、見守ることにする。
「では」と禰宜は背丈ほどの榊を手にし、背筋を伸ばした。
「憑依を此れへ」
檸檬が古都をそっと促す。
「少々冷えますが、この水は浄化してありますから、冷たさを感じるまで足を浸してください」
11月に足を水につけろと?
しかし、古都はすっと足を突っ込んだ。何かがシュワ、と音を立て始める。よく見ると、古都の肩のあたりまで蒸気が立ち昇っているのだ。お湯のようでいて、水から蒸気が出るなんて……。
古都に熱はなかっただろうに。
「はーらーいーたーまーえー」
朗々とした声が響く。古都は身じろぎ一つせず、祝詞が終わった。禰宜は榊を振って、次の祝詞を読み上げる。古都が動いた。
「なるほど」と禰宜は告げ、聞き取れない文言を口にする。「梵語です」と檸檬が教えてくれた。
「伊邪那美と伊邪那岐の時代から、蛭子は生まれました。特に、女性は「産んで」しまうものです。あなたはそれを生まないようにしていても、限界が来てしまった。だから、わたしたちがいるのですよ」
「すいません、意味が」
「我慢していたんだね、と言えば良いか」
古都が顔を上げた。――我慢していた? そうは見えなかった。ただ、ふさぎ込んで、いじけていただけではなく?
禰宜と巫女は目くばせをして、半紙と小筆を古都の前に置いた。
「この紙は、神の元へ溶けます。あなたが、吐き出したい想いを全部書きなさい」
古都は涙目を浮かべて、小筆を手にした。
「あの、それは」
「し、施術中です。旦那さま」
旦那様……そうか、そう見えるのかと僕は口を慎み、古都の筆先を見詰めた。
数名の名前が書かれていく。その中には、最近よく聞く作家の名前もあった。特にその作家を古都は乱雑に書き、続けて数名の名前を連ねた。
「以上ですか? このお名前は預かりましょう。ただし、このお名前については、あなたが忘れることになります。それでは、神火にくべますよ。煩悩108へ。浄火の祓いを行使するーー」
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