第3話 霞村(Village Police)

家を出てから5時間半かかり、ようやく霞駅に到着した。

前任の駐在さんが敬礼で迎えてくれた。この駅には1時間に1本しか電車が到着しないので、合わせてくれたのだろう。


「お疲れ様です。多田弘明です。よろしくお願いします。」

多田さんは自分の2個上なのに、敬語を話してかけてきた。評判通り礼儀正しく、感じのよさそうな青年だった。


「上村紘一です。お世話になります。すみません、駅まで来ていただいて。駐在所集合だと思っていたのですが。」


「いやいや、ここにはタクシーがないので、車がないとどうにもならんのです。上村巡査は車をお持ちですか。」


「いえ、免許はありますが車は持っていません。」


「なるほど、、、。1か月は駐在所で同居することになりますから、プライベートの移動はこの車を使ってください。そのまま置いていきますから、名義変更だけしてもらえれば。」


「いや、そんな。先輩のものですよね。」


「いえ、私も前任からいただいたのです。ここには車の販売所もありませんし。そうしましょう。」


「まあ、とりあえずあせることもないですが、荷物を置きに行きましょう。」


5年落ちくらいの白いハリヤーの後ろを開けてスーツケースを入れ、僕は助手席に乗り込むと、多田さんが話しだした。


「上村さんもとまどったでしょう。私も最初はそうでした。でもここは都会以上にある意味洗練されていて、むしろ別なとまどいを覚えるくらいです。」

多田さんの声は柔らかく、人としても信頼感を持てそうな感じがした。


「どういうことですか。」


「ええ。この村は非常に裕福なんです。レタスの出荷量が全国の20%を占めていますから。年間約10万トンです。1キロあたりの卸価格は200円くらいですから、年間の収入にすれば200億円です。」


「それはすごい数字ですね。」


「ええ。ほんとに。ここは人口3,000人ですが、子供が多く、世帯数としては600世帯くらいです。まあ1世帯あたりの年収は大体3,000万円くらいというわけです。もちろん農家を営む出費もありますが、年間1,000万円もないので、2,000万円は一家が好きに使えるという非常に裕福な村です。」


驚いた。自分の税込み年収300万円との乖離が、、、。


「見ていただければわかるでしょうが、村全体としても税金が多く集まるので、施設や福祉が充実しています。農作業のない冬には村民は大体ハワイとか温かいところに引っ越すんです。オフシーズンははっきり言うと暇、ですから。」


僕は、それを聞いてやっていけるのかどうか不安になってきた。


「ここだけの話ですが、駐在さんは村長が認めた人しかできないのです。ですから、あなたもきっと優秀な方だと思います。頑張ってください。」

多田巡査は表情を一つ変えずに言った。


「はあ、、、。」

村長が駐在者を決めるなんて、そんなことあり得るのだろうか。


「まあ、今日は村長が設けた歓迎会がありますので、色々話を聞いてみてください。おいおい色々と見えてくるでしょう。」


まだ何かを言いたそうではあったが、多田巡査は続けなかった。


「ここは?」

駅から30分ほど走ったあたりには、今にも崩れ落ちそうな、木造の平屋が左右に並んでいた。町並みは今でも人が住んでいるように整然としていた。立ち並んだ建物の外観は和風ではなく洋風で、江戸東京建物園に移築された明治時代の家の様相だった。これだけでも観光客を集められそうだと感じた。


なんだろう、僕は妙な既視感を覚えた。


「このあたりが旧霞村です。最盛期、第二次大戦中くらいまでだったようですが500人くらいが住んでいたそうです。不思議なのは、農業を営まない人たちがここでどう暮らしていたのか。もう村に住んでいた人たちは誰もいなくなって、知る由もないのですが。うわさではかなり皆さん裕福に暮らしていたとか。実際のところはよくわからないのです。」


「このあたりには似つかわしくない、ずいぶん洋風な建築ですよね。私も最初は違和感を覚えました。もうさすがに見慣れましたが。今でも人が住んでいるといっても違和感がないくらいキレイに残っているのもまた不思議なことです。」


10分ほど走ると、町並みはすっかり後方の方に消え、左右には畑が広がっていた。


「なぜあのまま建物だけが残っているっておかしいですね。取り壊しされることもなく。」

僕は口を開いた。


「ええ。あの土地は私有地らしく、勝手には取り壊しができないと聞いています。」

多田巡査は本当に知らないのか、言いたくないのか、それ以上その話はしなかった。それからは30分以上走ると、畑は消え、近代的な街並みに入っていった。


「さあ、着きました。」

多田巡査はそう言うと、5台は楽に停められるであろう、広く整備された駐車スペースの端にゆっくりと停車した。駐在所はコンクリート打ちっぱなしの近代的な3階建てのビルだった。


「二階が会議室、三階が駐在員の居住スペースです。会議室は実際まだ使ったことがありません。居住スペースは2部屋ありますので、上村巡査は空いている方をお使いください。私がいなくなるまでは手狭になりますが、1か月はご容赦ください。」


多田巡査の言葉は一つ一つ丁寧だった。礼儀正しく、私服の着こなしもきちんとしていた。きっと優秀な警察官に違いない、と感じた。


手狭なことは全くなかった。部屋は10畳くらいあり、専用のトイレとお風呂もついていた。池袋のマンションと比較にならないくらいゆったりしていた。リビングは20畳くらいあり、まるでタワーマンションの一室のように都会的な作りだった。


「家具類、電化製品は全部置いていきます。当面、必要なものは揃っているかと思います。」

部屋を一通り案内してくれた後に多田巡査は言った。


「いや、想像していたような風呂無し4畳半の畳部屋でなくて驚きました。」


「ですよね。ここは公共の施設の充実度がすごいのです。他の地方であれば、きっと風呂無しなのでしょうね。」

多田巡査はうれしそうに話した。


「巡回ルートや、村での注意事項、村民の対応方法など、色々なことは引継ぎ書に記載しましたので、まず読んでいただければ。まあ狭い村ですから、引継ぎは2週間以内に終わるでしょう。主要な施設や村民への挨拶も適宜。基本的に平和で事件のない町です。」


「まずはお疲れでしょうから、少し休憩していてください。この後、公民館での歓迎会が午後5時からあります。2時間くらいはお休みいただけます。荷物整理などをしてゆっくりしてください。」


「はい、わかりました。ありがとうございます。」

僕は思い出したように姿勢を正した。


「きちんと挨拶できていませんでした。1か月、どうぞよろしくお願いします。」

多田巡査に敬礼した。


多田巡査は敬礼を返してくれたが、相変わらずそこに笑顔はなかった。思えば、駅であったときから終始浮かない表情をしていた。「基本的に平和」とは、何かそうでないことの含みを「敢えて」アピールしたがっていたように思えた。


僕はベッドに横になって考えた。きっと裕福なこの村にも抱えている問題があるのだろう、と。裕福であればこその問題とか。


1時間ほどスーツケースの荷物や、前もって届いていたダンボールの中身を整理し、多田巡査の運転で公民館に向かった。


その晩の歓迎会は盛大だった。


公民館といってもコンクリート打ちっぱなしの芸術劇場のようなホールの天井には「歓迎」の幕が下がり、500人は入りそうなホールの両脇には、お酒や料理がビュッフェ形式で豪勢に並んでいた。


村長は人の良さそうな恰幅の良い70過ぎくらいの男性だった。グレーのスーツを着こなし、大会社の社長のような風貌をしていた。


「上村巡査、ようこそ霞村にお越しいただきました。これからどうぞよろしくお願いします。」

村長は僕に向かって手を差し出した。


「こちらこそ、よろしくお願いいたします。」

握手を交わすと村長は続けた。


「駐在期間は3年ですかね?これまでもそうでしたが。」


「いえ、はっきりとは聞かされていないのです。大体それくらいだとは思います。」


「いずれにしてもようこそおいでくださいました。この村は率直に言うと景気が良いので、嫁不足の問題もなく、子供たちも多い。教育や設備も行き届いています。」


「最近は、日本のおいしい野菜が中国や東南アジアで人気が上がり、ますます出荷量が増えているので、人手が必要となり、人口も少しずつ増えてきています。農地は開拓すればいくらでも増やせますから。まさに、大規模な農地拡大も計画中です。」


「このご時世にすばらしいことです。全国的に少子化が進んでいる中、子供たちも増えているなんて理想的ですね。」

僕は、お世辞抜きで言った。


「そうなんです。あのことだけが気がかりで。」

村長は少し、間を空けて話をつづけた。


「子供たちのことです。」

なんのことだろうか、多田巡査が言おうとした話だろうか。


「突然いなくなってしまう子供たちがいるんです。定期的に。」

そういう話か、と即座に理解した。僕は小さくうなずいた。


「年間にすると1人か2人なんですが。それも突然、学校帰りや公園で遊んでいたあととか。不思議なことに子供たちが連れ去られた目撃談は皆無なのです。村外からの人が来れば目立ちますから、どうも外部の犯行ではないようでもありまして。」

大変な事件じゃないか。なぜそんなことは事前に伝わってこなかったのか、僕は不思議に思った。


「そうなんですか。それは大変なことですね。実はその話はまだ伺っていませんでした。」


「問題は子供たちがいなくなることもそうですが、それをご両親があまり深刻に考えていないところにもあるんです。」


「というと?」


「村が裕福になったせいか、親たちは自分たちの幸せを求めすぎているように感じています。いなくなった子供たちはそれぞれ問題があり、両親とうまくやっていけなかった子供ばかりなんです。だから騒がないのか。」


「そんな子供たちですから、家出が疑われるわけですが、小学生が自力で大人の目をかいくぐって村を出ることができるとはとても思えないのです。両親が問題にしないとしても、子供たちの行方は心配です。」

村長は僕を公民館の中の館長室に案内した。


「私はここの館長も兼務しているんです。たまにここに来るんです。」

館長室は板張りの洋室で、立派なグレーのソファとテーブルが部屋の真ん中に構えていた。

接ソファに向かって座ると、村長は話をつづけた。


「この件は多田巡査にもまだ言っていないことなんですが、、、。」


「はい。」


「子供たちがいなくなる前に、多田巡査の前任の鈴木巡査がいなくなりまして。」


「えっ!」


「多田巡査が、あなたのように新しく赴任して間もなくのことでした。任期が終了して帰ったとなっていますが、私はあやしいと思っています。多田巡査は何か知っているかもしれませんので、あなたに直接伝えたいと。」


「そうですか。」

可能性の一つと言うが、多田巡査の前任が子供たちを誘拐したと?なんのために?子供たちはどこに?そしてなぜ警察内部でそのことが公にされていないのか。警察官が行方不明だなんて、大事件じゃないだろうか。


赴任前に多田巡査の前任の話を出なかった。鈴木巡査という方が赴任していたこと、非常に人望の厚い優秀な警察官だということも聞いていたが。子供たちと彼の失踪が無関係だったとしても、どこに消えたのか。


「事件として公にし、鈴木巡査や子供たちを捜索して欲しい、という話ではありません。村はこのままでとても平和なのです。そして、お子さんたちのご両親も事件化を求めてはいません。ですが、私は子供たちのことが心配なのです。」

両親が子供たちのいなくなったことに騒ぎ立てないのを不思議に覚えつつも、僕は答えた。少なくともそんなニュースは聞いたことがなかった。


「わかりました。できることはします。村の平和を守りながら、その解決の糸口を日々探すように努力します。」


「助かります。本件は多田巡査も絡んでいる可能性があることをお忘れなく。」


村長はまだ言っていないことがあったようにも見えたが、僕はそれ以上何も聞かなかった。

その話はそれで終わり、それから村長から子供たちの話を聞くことはなかった。まるでそんなことは最初からなかったとでも言うように。

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