ワクワクDAYS。
2024年09月13日
どうも、あじさいです。
読書家を気取って「本を読める場所」というエッセイを投稿してから2ヶ月余りが経ちましたが、結局、あれ以降は紙媒体の文章をほとんど読めていません。
自分で書いていて怖くなるのですが、単行本、文庫本、新書、雑誌を読まず、新聞にもろくに目を通さなかったということは、そういうことなのでしょう。
「今までは調子が安定せず、突然パンクして周りに迷惑をかける事態が怖くて意識的にセーブしてきたけど、ここらで仕事のギアを上げてみるか」
世間的には決して大した仕事ではないですが、筆者としては思い切って、そんな具合に頑張ってみたところ、ものの見事にあらゆる読書ができなくなりました。
ニュースもさっぱり追えていません。
ではプライベートは何をやっていたのか、と言いますと、Twitter(現X)をしたり、YouTubeでVTuberの動画を見たり、マンガアプリで漫画を立ち読みしたり、夜道を散歩したりしていました。
YouTubeでニュース動画を見ることも、あるにはありましたが、モノの数には入らない、というか、入れるべきではないですね。
YouTubeのニュース動画は、1時間を超すものもありますが、2分や5分で区切られているものも多く、1.25倍速や1.5倍速で早送りするとなお、お手軽に確認できます。
とはいえ、少し前まで新聞にマーカーを引いていた立場で言わせていただくと、やはり、情報量が圧倒的に貧相です。
紙の新聞にマーカーを引く場合、注意深く読むことで問題を複眼的に
また、新聞と違って、ニュースを一目で振り返ることができないので、視聴者自身が思っているよりも記憶に残りにくい気がします。
そういう危うい媒体であるにもかかわらず、疲れている時は便利に感じてしまいますし、動画を何本か見ると、「ニュースをひと通りチェックした」と思いたくなるような妙な満足感があって、結構危険な「
報道を短く済ませるにしても、動画の最後や概要欄などに、
「もっと詳しく知りたい方は、こちらのリンクから、より詳細な解説をご覧ください」
「この問題については、○○新聞の取材班が『○○○○』という本で詳しく取り上げています」
といった案内を付ければ広がりや深みも生まれますし、部屋に居ながらにして膨大な情報にアクセスできることこそがインターネットの強みだと思いますが、そういう気の利いたことをしている放送局や新聞社は見当たりません。
まあ、TVニュースさえ確認できていない筆者には、偉そうに批評する資格などないのですが。
実は、以前のエッセイで、能登半島地震に関連して何か書くかもしれないと言いながら、9月の現在になっても何も書けないでいる理由も、ここにあります。
筆者としては、大規模な災害が起こった際の政府・自治体の対応や、メディアの報じ方に不満感というか疑念があるのですが、報道の実態を把握するために複数のメディアの記事や番組や動画を数十件単位で比較検討するような「余裕」がないので、筆者ごときがカクヨムに何か書き込んだところで「
もちろん、以前リンクを貼った草稿に書いた通り、
「政治家や専門家ではない、政治制度やニュースを網羅的に把握できていない政治の素人が、等身大の率直な意見を表明する。それこそ代議制民主主義には必要なことだ」
というのが筆者の意見であり立場です。
しかしながら、今の筆者は自分の意見に自信を持つことができません。
こんな状況では、何かそれらしい文章を書くのも、それを不特定多数に向けて投稿するのも、荷が重いです。
また、『世界』や『地平』などの総合雑誌には、当事者の声や興味深い論考が1つと言わず掲載されているわけですから、先にそれらを紹介するのがひとまず順当なところだろう、という気もしています。
さて、油断しているとすぐにスマホを手に取り、Twitter や YouTubeばかり開いて時間を浪費しそうになりますが、先日、まさにそのYouTubeで、「スマホ認知症」の話題を見かけました。
動画自体は数年前のものだったので、ご存じの方も多そうですが、スマホ認知症とは、スキマ時間にスマホを操作して文字情報に触れすぎるせいで、脳が休息できず疲労を
多くは一時的なもので、医師と相談し、スマホを遠ざける、ぼーっとする時間を作るなどの治療を受ければ、徐々に回復するそうです。
ともかく、このままスマホ認知症になってしまってはまずいと考えた筆者は、Twitter のアカウント自体の削除はしないにしても、スマホからアプリをアンインストールすることにしました。
時々不便に感じますが、癖でTwitterを開きそうになったとき、一拍置くことになるので、惰性で頭を使い続けることが減りました。
以前は不安感に
目が覚めているのに夢を見ているような気分になってきて、頭の中で情報が整理されていくような心地良さを覚えます。
YouTube の方もやたら時間を取られるので、なるべく離れようとは思っていますが、寝付けないときに枕元で音声を流すのが習慣になっていて、これはなかなか抜け出せないですね。
ただ、ぼんやり動画を見ているだけではダメだ、ということで、カクヨムで「【ゆるぼ】10万~15万字で完結済みの小説」という自主企画を立ち上げ、表題通り長編小説を募集して、参加作品を読むようにしています。
長編小説の執筆を進める参考にするにしても、フォローしている方々が掲載している長編をきちんと消化できていない状況で自主企画を開催する必要などあるのか、と思われるかもしれませんが、変な話、フォローしている方々の作品が面白いことは、読まなくても分かってるんですよね。
筆者がフォローしてきた方々というのは、なんちゃって校閲者を名乗っちゃうくらい口うるさい読者である筆者に、「この人の文章をまた読みたい」と思わせた「精鋭」揃いなのですから。
ただ、自分が長編小説を書く際の参考にするとなると、読む前から書き手さんへの信頼がある状態は、諸刃の剣になってきます。
筆者が思うに、Web小説が長編で勝負しようとしたとき、読者を失うリスクが最も高いのは序盤です。
読者の多くは、時間と労力をかけるからにはコスパに見合う良質な読書体験をしたいと思っているので、リスクを避けるために、物語の設定やキャラクターがその真の魅力を発揮するまで待たず、何か負の要素を見つけたら早々に見切りをつけて、読むのをやめてしまいます(エピソードごとのPVを見るとそういう推測が成り立つと思います)。
読む前から書き手さんへの信頼があるということは、この最大の問題を事前にクリアできてしまうということですから、良くも悪くも、
「こういうふうに書けば(はじめましての)読者の興味を刺激できるのか」
「こういう書き方をしてしまうと、次のページに行くより先に、集中が切れてしまうのか」
といったことを客観的に考えることが難しくなってしまいます。
そのため今回は、フォローしている方々の作品を読むのではなく、自主企画で作品を募集してそれらに目を通すことにしたわけです。
自主企画というものは、筆者が経験した限りでは、概要欄を読んでなさそうな参加者が1、2人は混じるものですが、今回の企画はひとまず良識的な方々が集まってくれたようで、特に不満はないです。
筆者の今の気分に合わない作品は企画から削除する、と開催当初から宣言している企画で、実際、何ページか読んで排除させていただいた作品が多いですが、企画開始から間もなく、こんな方針を打ち立てたことを後悔したくらいには、「ちゃんとした作品」が集まっています。
先述のように仕事での消耗が激しく、思ったようには読み進められていないので、「筆者の琴線に触れた作品だけが生き残った状態」を実現するのがいつになるかは分かりませんが、10月中には参加作品の選別を終えて、近況ノートでフォロワーの皆さんにご報告したいと考えています。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
これより前の自主企画「【注意喚起】「特定の作品へ誘導している」企画は削除される場合があると、カクヨムのガイドラインに明記されています」の第2弾も、やるべきだとは考えたのですが、結局あれからカクヨム運営に動きがあったわけでもなく、現在でもそういう自主企画ばかり乱立しているという状況を考えると、第2弾をやったところで……という虚無感が強いです。
まあ、しかし、今後も
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