年の瀬、アマチュア書き手の務め。

2023年12月30日


 どうも、あじさいです。


 今年の冬を迎えるまで、ネックウォーマーが防寒具というのはただの建前たてまえで、マフラーよりナウい感じがするから、私生活におけるファッションの優先度が高い人たちがカッコつけるために装着しているものとばかり思っていたのですが、実家の押入れにあったものを使ってみると非常に温かくて驚きました。

 ネックウォーマーに実用性があったこともそうですが、首周りを温めるだけで寒くなくなる、歩いているとむしろ暑いくらいになるのが驚きでした。

 今となっては、寒い日にネックウォーマー無しで外出する方が厳しいです。


 とはいえ、人間、なまじ欲が満たされるとさらに欲深くなるもので、今度は頭が寒いぞ、と思い始めます。

 それで、百均で買ったニット帽をかぶり始めたら、これまた大当たり。

 ニット帽というものはリア充か遊び人の若者しかかぶってはいけないと思っていたのですが、そんなのどうでもよくなるくらい温かいです。


 惜しむらくは、サングラスと合わせるとスキーヤーのようになってしまうことと、顔だけは普通に寒いことです。

 これを回避するためには目出し帽を使うしかありませんが、それだと銀行強盗のようになってしまうので、ファッションに無頓着な筆者もさすがに躊躇ちゅうちょせざるを得ません。

 それに、下手に温まってしまうと、人と話したり建物に入ったりする都合で脱いだときが寒いですし。




 なんてことを考えながらこの冬を過ごしているのですが、Web小説とつなげて考えてみると、ネックウォーマーやニット帽を生活必需品のように扱っていられる状況はかなり恵まれていると言えます。

 筆者も大好きな異世界ファンタジーの世界は、ヨーロッパ風にせよ和風にせよ、「中世」というのがお決まりですが、その時期の衣類というのは基本的に高級品のはずです。

 芥川龍之介の『羅生門』は平安時代の話で、分類上、中世ではなく古代ですが、青年が老婆の着物を奪うのは、都が大変に貧しい状況であっても着物は売り物になったからです。

 多少の効率化や分業はあったにせよ、中世であれば現在のように工場で大量生産というわけにはいきませんから、貧しい一般庶民は冬に充分な防寒ができなかったことは想像にかたくありません。

 教育や医療が未発達だったことに加えて、食事も貧しいものでしたから、たくさん食べて体温を上げたり、栄養を摂取して免疫力を上げたりすることもできなかったでしょう。

 中世の人々にとって、「いかにして冬を越すか」は文字通り死活問題だったに違いありません。

 そりゃ、平均寿命も短くなるというものです。


 残念ながら、異世界ファンタジーだけでなく、現実の、現在の世界においても、こういうことは切実な問題です。

 世界に関して言えば、それこそウクライナやその他の紛争地域においては、防寒具が人々にきちんと行き届いておらず、この意味で、人間にとって最も基本的な生存権がおびやかされている状況があります(それでユニセフやUNHCRが寄付をつのっています)。

 日本においても、当人の責任とは言い切れない経緯で、食べるものにも困っている方々がいて、実際に餓死者も出ています。

 そういう人々が防寒具や日々の電気・ガスに困っていないはずがありません。

 縁起でもない話ですが、新型コロナ(COVID-19)や東日本大震災と似たような、突発的かつ理不尽な「想定外」の事態が再び起こったら、いつどこで誰がそういった「貧困状態」に陥るか分からないわけで、今度こそ我々は無事では済まないかもしれない、そういう危機感は必要だと思います。


 困ったことに、現在の日本では新型コロナはおろか、東日本大震災に関しても、それによって発生した問題がきちんと解決されたとは言い難い状況にあって、にもかかわらず、世間の関心はどんどん違うものへと移り変わっていきます。

 さかのぼると、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件があった1995年、あるいはもっと以前から、「日本社会はこのままでいいのか」という問題提起がずーっと繰り返されていたように思いますが、この手の議論にあまり進展がないまま2024年を迎えようとしているように思えて、怖くなってきます。

 危機感を抱くのは、マスコミもそうですが、SNSにしたところで、個々の出来事を関連付けて解釈する力が弱まっているのではないかという点です。


 あえて大胆な言い方をするなら、世相を考えるその思考方法が、悪い意味で「なろう作品的」になっているように感じます。

 つまり、全体の流れやその意味をじっくり考えるのではなく、その場その場で与えられる刺激に対して(おもに快/不快を基準にして)「反応」しているだけなのではないか、ということです。


 これは別に筆者が1人で言っていることではありません。

 当然ながらネット小説の話は出てきませんが、評論だと森達也『世界が完全に思考停止する前に』(2004年)、内田樹『サル化する世界』(2020年)、小説だとブラッドベリ『華氏451度』(初版1953年)などにこの手の話があるので、興味がある方はご一読いただければと思います。

 ともかく、世の中が思考力や想像力を失いつつある状況にあるなら、そこに対して微力であっても一石投じる作品を書いていくのが、アマチュアとはいえ「書き手」の務めであろう、というのが筆者の考えです。

 どこまで出来るか分かりませんが、頑張っていこうと思います。




 ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。


 今年は小説でもエッセイでも、何かと批判的なことを書いてばかりいたので、最後くらいは好きなものを絶賛しよう、もっと言うと、ライトノベルやスマホゲームで好きな登場人物の話で締めくくろう、とも検討していました。

 しかし、それでは1年の総括になりませんし、唐突な印象になる気がしました。

 ポジティブな話題は来年に回そうと思います。


 偏屈なことばかり言ってきましたが、皆さん、応援してくださり、ありがとうございました。

 厚かましいお願いになりますが、来年以降も仲良くしていただけると嬉しいです。


 それでは、よいお年を!


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