特撮ヒーローと魔法少女。

2023年08月28日


 どうも、あじさいです。


 1人で過ごすプライベートな時間をネットサーフィンのたぐいにつぎ込んでいると、YouTubeで検索して称賛されている創作物は世間的にも良いとされており、不満や酷評ばかり出てくるなら世間的にもヒットはしていないと思いそうになりますが、リアルの友人や知人たちにその話題を振ったとき、そもそも言葉自体を聞いたことがないという人が多くて、いかに自分の常識感覚が頼りないものか考えさせられます。


 「なろう系」という言葉が通じないのは、まだ分かります。

 『ゆるキャン△』や『ぼっち・ざ・ろっく』が通じないのも、普段アニメを見ないなら無理ないか、といったところ。


 ですが、同世代の男性なのに『機動戦士ガンダム』を1作も見たことがないという話になってくると、「マジで?」などと聞き返したい気分になります。

 たしかに筆者もファンと名乗れるほどファンではありませんし、シリーズ全体では見ていない作品が大半を占めていますが、生まれも育ちも日本の男子・男性が、その半生で『ガンダム』を一切通らないなんてこと、あり得るのでしょうか?

 リアルタイムで放送されていなくても、どこかのタイミングで過去作に興味を持つものじゃありません?

 父親や兄弟に勧められたり、彼らが視聴しているのを横からちょっとながめたりしません?


 ……いや、筆者も『ドラゴンボール』、『ワンピース』、『銀魂』といったメジャー作品に一切興味がないので、人のことは言えませんが、でも、『ガンダム』は特別というか、「男の子ってこういうのが好きなんでしょ?」の最たるものでしょうに。

 野球や海賊に興味が無くても、ヒト型の巨大ロボットを好きにならない男の子なんていないでしょ、 J K 常識的に考えて!?




 ――などと言ってはみましたが、もちろん、「男なんだからこういうのが好きに違いない」、「女なんて結局みんな○○が好きなんだ」みたいな物言いは、前時代的な決めつけでしかありません。

 文脈によってはセクハラになるかもしれませんし、そうでない場合も、人間一般や社会の多様性に対する理解が浅い人間だと自白するような、愚かな言動です。


「男の子ってこういうのが好きなんでしょ?」

 という言い回しで表現される傾向にしても、おそらく、幼少期から特撮ヒーローの番組を見せられたり、

「男の子は強くなくっちゃ」

「男なのにケンカが弱いなんてみっともない」

「気にわない奴には理屈をこねるより先になぐるのが男ってもんだ」

 というマッチョイズムに触れたりといった、社会的な経験の積み重ねによって身についたものにすぎません。

 決して、「男性」特有の遺伝子や脳の構造などに由来するわけではないと思います。




 ここまで考えてふと思ったのですが、古い意味で「男の子が好き」な特撮ヒーローのほとんど――ウルトラマンや○○戦隊、仮面ライダーなど――が顔を隠している(新作でも隠し続けている)のは、痛いときに痛い、苦しいときに苦しいと顔に出すのが、古い意味で「男らしく」ないからかもしれませんね。

 職場(公)と家庭(私)で顔を使い分けて、職場では「弱さ」を見せない、みたいな。

 円谷つぶらやさんや石ノ森さんたちが自覚的にそういう美学を打ち出していたかは寡聞かぶんにして存じ上げませんし、ネットを検索して出てくる記事で判断するのも良くない気がしますが、可能性はある気がします。


 仮にそうだとすると、美少女戦士や魔法少女の多くが戦闘に不向きなミニスカートを履いて、顔を出し、ヘルメットをかぶって頭を保護しないという傾向についても、1つの仮説を考えることができそうです。

 つまり、それは「女の子らしく」ないわけです。

 動きやすさや身バレ防止を考えると、女の子のヒーロー(ヒロイン)も長袖ながそでと長ズボンで皮膚を保護し、ヘルメットや仮面で顔や頭を守るべきなのですが、ガチガチに武装してSATや自衛隊の女性隊員のようになっている「魔法少女」なんて、女の子に受けが悪いだろう、というふうに大人たちが考えているのだと思います。

 戦い方は○○戦隊や仮面ライダーに近いにしても、女の子があこがれる、女の子のヒーローは、顔も体型も「女の子らしく」、美しく可愛かわいくないといけない(という価値観が大人たちにある)……。


 もしそうだとしたら、怖すぎませんか。




 もちろん、この仮説はただの思いつきですし、反論も考えられます。

 1つは、仮にそうだとすると、いつも同じ敵に弱体化されて弱音をいているアンパンマンに対して、「ヒーローらしくない」という認識が広がっているはずだということ。


 もう1つは、単にメディアの違いです。

 特撮はアニメではなく実写の世界でヒーローをうつすことにその特色がありますが、ヒーローの普段の姿を演じる役者と、ヒーローに変身してからのアクションを演じる役者(中の人、スーツアクター)を分けることを考えると、ヒーロー状態で顔をき出しにするわけにはいきません。

 1人の役者が演技もアクションもこなせるのが理想ですが、それができるのはブルース・リーやジャッキー・チェン、スティーヴン・セガール、トム・クルーズ、岡田准一など特殊な人々に限られます(挙げ始めると意外と多いですが、全体から見ればごく一部です)。

 下手にアクションをやらせて、ケガをして、包帯を巻きながら撮影、なんてことになっても大変です(ジャッキーはちょくちょくそういうことをしていますが)。


 一方の美少女戦士や魔法少女ですが、こちらは最初からアニメーションなので、役者を分ける必要がありません。

 どうして女子向けアニメは特撮でやらないのかですが、順当に考えると、スーツアクトレスができる女性が(企画開始当時の日本には)少なく、男性のスーツアクターだと体格の違いに無理が生じるから、といったところでしょうか。




 とはいえ、アニメであっても戦闘中は仮面を付け、ひらひらするスカートではなく体に密着するズボンをいた方が、作画コストをおさえられるはずです。

 それでも顔や表情をうつし、彼女たちにスカートを履かせ続けるのは、やはり「女の子らしさ」について大人たちの先入観や思惑があると考えて良い気がします。


 それに、今さらですが、特撮ヒーローの多くは大人の男性たちなのに対し、美少女戦士や魔法少女は年端としはも行かない「少女」たちなんですよね。

 女性は若い方が良い(=若さを失った女性には魅力がない)という家父長制的な価値観が、こんなところにも表れているような気がします。

 それに、これに関しては弁明が難しいと思います。


 宮崎駿氏やその作品も必ずしも完璧ではありませんが、たとえば『ラピュタ』のドーラおばさんや、『紅の豚』で飛行艇ひこうてい作りに協力していたご婦人たち、あるいは『もののけ姫』のエボシ御前のような、強くたくましい女性たちが、自ら戦ったり、あるいは体力が有り余っている若者たちに助言を与えたりするような物語が、ニチアサや夕方などのわくでもっと紹介されて、もっと一般的になってもいいのではないでしょうか。

 子供だからと言ってあまりバカにしてはいけませんが、既存の社会構造から生じる偏見や先入観に対して自己批判的な目が充分に育っていないのは否定できませんから、子供たちに見せる物語ほど、子供だましと思わず、細心の注意を払ってほしいと思います。




 ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。


 ただの言い訳ですが、筆者のようないわゆるゆとり世代というものは、家庭や学校では「個性が大事」、「多様性を尊重しましょう」と言われながら、TVや創作物などでは「男性は男性らしく、女性は女性らしくあるべきだ」と言われて育った、最後の世代のような気がします。

 大人になったちょうどその頃、ジェンダーによる決めつけが差別や偏見だと知って、他人や世間を批判しながら、自分自身も軌道修正(価値観のアップデート)にあくせくしているという状況ではないでしょうか。

 ゆとり世代以降の――Z世代でしょうか――そういう人たちから見れば、ゆとり世代もまた、前時代的な価値観にとらわれている人々に見えるのかもしれません。


 散々批判しましたが、もし年下の友人に「最近は、特撮ヒーローも魔法少女のアニメも見たことない人の方が多いですよ」と言われたら、ちょっとさみしく思ってしまうに違いないのが、我ながら悲しいところです。

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