多少は分かりにくい小説でも。

2023年10月16日


 どうも、あじさいです。


 一般的に言って、シンガーソングライターは自分で作った楽曲が大好きなものでしょうし、画家は自分が描いた絵を眺めているときにこそ幸せを感じるものだと思います。

 プロの小説家なら自分で書いた小説が好きなはずですし、それはWeb小説を書いている人間でも同じだと思います。

 というわけで、限りなく文字通りに近い意味で「自画自賛」になってしまいますが、筆者は自分で書いてネットに公開した文章を読み返して、えつることがちょくちょくあります。


 ……文字にすると恥ずかしいですが、筆者はこれでも、自分の小説を不特定多数に読んでもらおうという人間ですからね。

 自分の文章力には、それなりに自信を持っていますよ。


――――

※追記(2023年10月16日)

 最近、カクヨムで交流のある何人かの書き手さんが、「自分の作品はつまらない」、「自分の文章はめちゃくちゃだ」と声高に自嘲していらっしゃって、別にそういうネガティブな気分になること自体を非難するつもりはありませんが、「作者さん自身にそこまでボロクソにけなされると、好きで読んできた身としては立つ瀬ないなぁ」と思いまして、今回の筆者は逆に自信満々モードで書かせていただきました。

――――


 筆者の文芸が実際どんなものか、その判断は当然ながら読者の皆さんにお任せしますが、ひとまずそれなりということで、この与太話にもうしばらくお付き合いください。


 自作を振り返るたびに意外に思うことがあります。

 それは、評価されることを期待していなかった作品が(相対的には)高い評価を受ける一方、評価されることを期待した作品が予想ほどには評価を得られない場合が多いということです。


 もちろん、ここまではよく言われる話です。

 筆者が聞いてきた体験談で多かったのは、「自分の好きを詰め込んだ作品(おそらく大長編)が鳴かず飛ばずな一方、息抜きがてらに軽い気持ちで書いた短編・エッセイの方が人気になってしまった」というパターン。

 しかし、筆者の場合は、むしろその反対なのです。


 2023年3月のKACで短編を7作書いたとき、考えていたことの1つは、なるべく分かりやすい短編を書こうということでした。

 読み終わった人に、「結局、これは何の話だったんだ?」と思われない作品を書こう、ということです。


 いや、分かりますよ。

 物語としては、あまり分かり易すぎるのもどうかと思いますし、メッセージが前面に出すぎると説教くさくなるとも思います。

 ですが、Web小説ですから、あまり難しくない方が良いだろう、と筆者は考えました。

 長編なら読者の皆さんもある程度そのつもりで付き合ってくれるでしょうから、いくつかのテーマを同時並行的にり込むことも考えますが、短編となると基本的には1つの作品に1つのテーマくらいが丁度良いだろう、という思いもありました。


 そんなKAC参加作品もこれはこれで、半年経った現在でも読んでくださる方々からご好評を頂けて、筆者はホクホクしているのですが、今のところ、筆者の短編で最も高い評価を得ているのはこれらではなく、KAC以前に書いた『パックの寿司、あるいは』という作品なのです。

 作者の立場で言うことではないかもしれませんが、この作品は、筆者が個人的な心象風景に文章として形を与えたくて書いただけのものです。

 エンタメ性を高める工夫をする気はありませんでしたし、読者に伝わらないならそれで良い、と思っていました。

 さすがに、あまりにも何も起こらないのでは貴重な時間をいてくださった読者の方々に申し訳ありませんし、オチも付けられないので、結果的にああいう話になりましたが(こういう微調整は他の作品でもよくやります)、それにしたところで、劇的な展開がある話でも分かりやすい話でもなく、「こんな作品を面白いと思う人はまずいないだろう」と思っていました。


 ところが、予想に反して(筆者にしては)大好評。

 図々しいと思いつつ、読者の方から頂いたコメントに乗じて、セルフ解説を書いたおかげでしょうか。

 いや、それ以前から高評価を下さった方もいらっしゃいましたし、意味不明な小説を最後まで読んで応援コメントのらんにまで目を通す人が多いとも思えませんから、あまり関係ないのでしょうか。




 予想外と言えば、これは特にKAC参加作品の話ですが、フェミニズム的発想を前面に出した短編は絶対にたたかれるか、フォロワーの減少を招くと覚悟していたのに、そんなことはありませんでした。

 たしかに、中年男性にケンカを売ったと思われそうな拙作『深夜のおっさん』は、PVに対して高評価が少ない気がしますが、頂くレビューはすべて星3つですし、まだ誰からも酷評されていません。

 言い方はすごく悪くなりますが、率直なところ、「ネット小説界隈も意外とまともなんだな」と思いました。


 このエッセイを書き始めるより前から書いている拙作『ダームガルス戦記』にしても、3年余りも未完のまま放置されているという、あまりにも致命的な欠点があるにもかかわらず、星とレビューコメントの数は他のどの小説よりも多く、たまにですが新規読者のかたにも読んでいただけてるんですよね。

 不可解、と言ったら魅力を感じてくださっている方々に失礼かもしれませんが、我がさくながら結構しぶい趣味してますし、(矛盾は少ないにせよ)目につく無茶も多いはずです。

 ――いや、もちろん、面白さ・分かりやすさ・読みやすさといった事のためにあえてやっているのですが。

 それに、たしかに筆者はこの作品を読み返すたびに、当時の自分の文章力にれ惚れします。

 作者としての贔屓目ひいきめはあるでしょうが、それでも、「いかにも素人くさい」、「しょせんはネット小説」などとわざわざ卑下ひげするようなものでは決してないと思います。

 おそらく、この作品を好きになってくださった方々は、そういうところを評価してくださったのでしょう。

 そうだったら、良いなぁ……。

 まことにありがたいことです。


 ともかく、この小説投稿サイト界隈ではどんな作品が高い評価を受けるか、書き手自身には分からないものだ、というお話でした。




 ところで、とどこおっている拙作を読み返して思うのですが、この作品、書き始めた頃の筆者の心象風景がそこはかとなく反映されている気がします。

 ……仕事もプライベートも大変な時期で、あれもせねばこれもせねばと気を張りながら、人間とは何か、社会とは何かといった壮大な問いをかかえてもいて、そういう姿勢が作品にも出ています。

 小説投稿サイトには、いわゆるなろう系のヒット作も含めて、未完結のまま何年も放置される(エタる)作品が多いですが、そういう作品ほど大長編のことが多いですよね。

 それはもしかすると、作者さんたちが「好き」を詰め込む中で、その心象風景、もっと言えば精神性が比較的ダイレクトに反映されていて、特定の形を与えてしまうことが難しいからかもしれません。

 いわば、ほとばしる熱いパトスが、作品の完結をこばんでいるとでも言いますか。

 文章の端々はしばしににじみ出るそういう率直そっちょくさ、真摯しんしさ、もっと言えばある種のが、読者の琴線きんせんに触れるものなのかもしれません。




 ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。


 拙作の場合、今のままでは本格的にまずいということで色々試しまして、最近は喫茶店のすみ陣取じんどって、シャーペンでルーズリーフに書くのにハマっています。

 小説を手ずから紙に書くのは中学生以来ですが、ありし日の情熱――書かずにはいられなかった頃の感覚――を思い出せるせいか、なかなか良い具合に書けます。

 書き始めてしまえば、自宅に帰ってからでも続きを書いたり修正したりしやすくなると思います。

 もちろん、テーブルをあまり汚さないように、消しゴムのカスをあまり散らかさないようにといった配慮は必要ですが、ご近所に静かな喫茶店があるようなら、皆さんも試してみてください。

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