感謝の気持ちを思い出さねば。

2022年05月11日


 どうも、あじさいです。


 今日はなぜか予約投稿が上手くいかないようで、何度かやり直しました。

 通知が変なことになっていたらすみません。


 先日のエッセイ「自主企画『罵倒されたい作品』について」に、或る方から、カクヨムの応援コメントとは別ルートでお便りを頂きました。

 非常に真摯に考えてくださり、筆者の考えや心持ちにもきちんと配慮してくださる文章だったのですが、そのメッセージの一部をあえて大雑把に紹介させていただきますと、「さすがに自分(=あじさい)の個別的な『正義』を振りかざしすぎなんじゃないか」とのことでした。

 恥を忍んで言えば、このお便りを頂いた直後は納得しがたかったのですが、この方は筆者が小説家としても人間としても尊敬しているかたなので、筆者なりにちゃんと考えることにしまして、今になって「たしかにおっしゃる通りだ」と思えるようになりました。




 ざっくり申しますと、いくらこちらに道理があると判断したからといって、相手の意図にもメンタルにも配慮しない態度に開き直るのは善くない、感謝の気持ちを思い出さねば、と気付かされました。


 プロフィール欄や作品の紹介文でアドバイスが欲しいと言っておきながらこちらがコメントを送っても何も返事をしない人は、やっぱり苦手なので、自主企画「罵倒されたい作品」は今の方針で行かせてもらうつもりです。

 ですが、小説の様式(段落の初めを1マス空ける、文章の末尾に「。」を置くなど)云々に「おおらかな」人たちに対してまで文句を言ったり、ケンカを売ったりしたのはさすがにまずかったかもしれません。


 それでもまだしばらくは、様式やルールに厳しい自主企画を立てた後で、それに対抗するような(言葉選びや注意事項の類似性から考えて対抗してきている、あるいは少なくとも意識されているように見えるんですが)自主企画が立てられ、様式やルールのことは指摘しないでおこうと呼びかけられたことには、モヤモヤしていました。

 誤字脱字もそうですが、どうして筆者は小説の内容とは必ずしも関係のないこのような枝葉末節にここまでモヤモヤするのか、考えてみました。

 理由として思い当たることは色々あったのですが、ひとつには、不備の多い小説を読むと残念な気持ちになる、ということがあるのだと思います。


 たとえば、元気が良くて人に好かれるものの言葉遣いも書類の書き方もめちゃくちゃな職場の同僚。

 言っていることは悪くなさそうなのに要旨や論理が掴みにくいプレゼン。

 1つの問いを立てて1つの答え(主張)を述べるという形式を守らないせいで途中から科学性がなくなっているレポート。

 同じ事実でも言葉選びに注意を払わないせいで偏った印象になっている新聞記事。


 そういったものに遭遇したときと似た感覚です。


 もちろん、注意不足や見識不足によるミス(あるいは意味不明な独自の流儀)を見かけたくらいなら、どうとも思いません。

 再三言っていますが、筆者にもそういうことはあります。

 大学のゼミでは、ドヤ顔でプレゼンしたレジュメについて先生に「形式が独特だねぇ」と半笑いで言われたこともあります。

 大学でも職場でも、急いで書いたときは恥ずかしい誤字がちらほらあります。

 このエッセイにしたって、投稿した後で何度も修正を加えるのが毎度のパターンです。


 でもさ、ミスがあるからって何が悪いんだと開き直るのは違うじゃん?

 指摘されたのにシカトするのは違うじゃん?

 改善点を列挙したこっちを悪者にするのは違うじゃん?




 ……しかし、くだんかたからご指摘を受けたように、ここは小説投稿サイトです。

 大学でも会社でもありませんし、企画書や公文書や論文や新聞記事を書いている人なんていません。

 Web小説を書くときに守るべき統一的な様式は存在しませんし、運営や出版社によって推奨された作法があるわけでもありません。


 紙の小説とWeb小説では望まれる書き方やそれについての考え方は人それぞれ違う。

 小説投稿サイトは趣味の場なんだから口出しを嫌う人だっている。

 様式やルールに口出ししない自主企画が存在したって良い。

 本気でそれを出版したいと考えるような人間は公募に出したり出版社に持ち込んだりするんだから、Web小説くらい放っておいてやれ。

 そういう前提があった上で、お節介で口を出しているんだから、望んだ通りの反応を貰えなかったからって相手を悪く言うべきじゃない。

 丁寧に応じてくれる人たちに運よく出会えてきたことを、ありがたく思うべき。


 その通り。


 小説を書くからには、人に読ませるからには、筆者に時間と手間を取らせるからには、(筆者の基準で)ちゃんと整った小説であってほしい、ちゃんと楽しめる小説であってほしい、ちゃんと読む価値のある小説であってほしい――そんなのはエゴでしかないんです。

 そして、いくら理屈をこねくり回しても、他者の事情や心情を軽んじていい道理はありません。


 分かっていたはずなんですが、いつの間にか忘れていました。

 いえ、もしかすると最初から分かっていなかったのかもしれません。




 突き詰めていくとWeb小説を読むこと自体、筆者には向いていなかったのかな、という気にさえなってくるのですが、それはそれで違う気がします。

 違うはずです。

 小説家になろうやカクヨムの中で経験したこと、出会った人々や作品はかけがえのないものですし、不備が多くても楽しませていただいた作品は今までにいくつもあります。

 誤字があろうが文法が乱れていようが、良い小説はやっぱり面白いですし、筆者では敵わないものがあります。

 そういった出会いや関わりは今後も大切にさせていただきたいと思っています。


 そのためにも、リアルの生活や体調不良(鬱)に起因するイライラをWeb小説に持ち込みがちな傾向はどうにかせねばと思っています。

 揚げ足取りのような指摘に終始した感想を送りがちなのも、指摘に対して好意的な反応が貰えないのは嫌だからと乱暴な自主企画を立てるのも、おそらく、訳もなく漠然とイライラしているせいでしょう。

(筆者が根っからそういう人間だという可能性もありますが、それを言い始めると解決までの道のりが遠くなりすぎるので、今回は棚上げします。)


 小説投稿サイトには差別的な小説や下品なタイトルもあるので、時には怒ったり不満を表明したりすべきだと思いますが、そうでないときにまで八つ当たりをする癖は治さねばと思います。

 特に、紙の本と違い、Web小説の場合は(良くも悪くも)思い立ったときすぐに書き手さんにメッセージを送れてしまうので、衝動任せのコメントを書いてしまう危険があるということを、ちゃんと心に留められるようになりたいです。


 ……筆者も一応、大人と言われる年齢なので、こんな初歩的な心構えも忘れていた自分が情けないですが。




 ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。

 こうして書いたことで、頭の中がすっきりしてきた気がします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る