テンプレ小説談義(5)批判を集める要素

2021年5月23日


 どうも、あじさいです。


 話の途中にもかかわらず1ヶ月ほど間隔がいてしまいましたが、皆さんお元気でしょうか。


 ちょっと近況報告をさせていただきますと、筆者は最近、YouTubeで動画を見ることにハマっています。

 なろう系作品(このエッセイで言う「テンプレ系」)のレビュー動画、しかもサムネイルの時点で酷評されているものをこのんで見ています。

 我ながら、下品な趣味を見つけたものです。

 別に、書籍化、コミカライズ、アニメ化されているテンプレ系作品に嫉妬している訳ではないのです。

 単純に、筆者の中には、気に喰わない作品が下品で汚い罵詈雑言を浴びせられているという状況を「楽しい」と思う心があるということです。

 我ながら、自分にはこんなにもみにくい部分があったのか、と思います。

 しかし、そう思いつつ、辛口あるいは酷評のレビューをあさることをやめられずにいます。

 これらのレビュー動画は小説やマンガを多く読んできた人たちによって作られているので、筆者が小説を書くとき参考になる知見も多く見られる――ということを自分に対する言い訳にしています。


 「テンプレ小説談義」の理屈で言えば、当然、文芸に対する批判は建設的なものでなければなりません。

 どれだけ不備や矛盾が多い作品であっても、書き手や読者に対する気遣いや配慮を欠いた「批判」を声高に叫ぶことはマナー違反です。

 そして、乱暴な言葉や論法を使うことで届けるべき人が受け取らなくなるという点では、無意味でもあります。

 この理屈通りに動けないということは、筆者は自分で思っている以上にテンプレ系を嫌悪しているのかもしれません。




 さて、この「テンプレ小説談義」、ここまで読んでくださった方はお察しいただいているかもしれませんが、大枠となる抽象的な話から進めて、徐々に具体的な話を進める方式をとっています。

 前回までの話をおさらいにしておきますと、テンプレ小説を読む際の「主観的な好き嫌い」と「客観的な問題」を分けるべきという話に始まり、客観的な領域は「作品の内在的な性質」と「社会的な存在意義」に分けられるという話をして、「作品の内在的な性質」に対する批判にはどのようなものが考えられるかという話をしてきました。

 それらに関連して、「そもそも文芸に対する批判はどうあるべきか」、「そもそもテンプレ小説とはどのような文芸であるか」といった問いも視野に入れてきました。


 今回は、「テンプレ系はテンプレ要素が批判されているのか」という話をさせていただきたいと思います。

 この問いを立てる時点でお察しのことと思いますが、筆者の答えはノーです。

 テンプレ系はテンプレ要素が批判されている訳ではありません。

 では、何が批判されているのか、というのが今回お話ししたいことです。

 今回の話を終えたら、「テンプレ系に対する社会的な存在意義についての批判」を扱うことで、このシリーズをめるつもりです。

 つまり、今回を含めて2回か3回でこのシリーズを終わらせる算段でいます。

 ということで、もう少しだけお付き合いいただければと思います。




 このエッセイで「テンプレ系作品」というとき、その構成要素となりうるものは、「異世界転生・転移」、「チート・無双」、「ハーレム」、そして最近になって台頭してきた「ざまぁ(追放)」の4要素です。

 カクヨムの自主企画を見ても、これらの要素をそなえた作品を募集する企画がある一方で、これらの要素がある作品を拒否する企画も立てられているので、賛否両論があると考えて良いと思います。

 ざまぁ(追放)系は比較的新しい要素なのでアニメ化された作品はまださほど多くない印象ですが、これに該当がいとうする『回復術士のやり直し』は、感想サイトやレビュワー界隈かいわいでは多くの批判を集めているようです。

 とはいえ、先ほども申し上げたように、テンプレ系はこれらのテンプレ要素によって批判されている訳ではありません。


 たとえば、異世界転生という筋書きがかなり非現実的である、ということはわざわざ論じるまでもないと思います。

 常識的に考えて、大型自動車と衝突した日本人がファンタジーな世界の白人に生まれ変わるという筋書きにリアリティはありません。

 しかし、ほとんどの感想サイトやレビュー動画では異世界転生の非現実性にツッコミが入ることはなく、そういうものとして受容されています。

 それはちょうど、『桃太郎』においてイヌ、サル、キジがヒトの言葉をしゃべることが問題視されないことに似ています。

 転生先の異世界について「設定がガバガバでよく分からない」という苦言がていされることはありますが、それは異世界転生系に限った話ではありません。


 チート・無双にしてもハーレムにしてもそうです。

 よく言われるように、チートや無双はアメリカのアクション映画ではお決まりのパターンです。

 また、ハーレム要素(主人公が複数の異性から恋愛感情を寄せられるという筋書き)は手塚治虫の『ブラック・ジャック』やさいとうたかをの『ゴルゴ13』の他、数々の少年漫画や少女漫画、テレビドラマ、恋愛映画にも見られます。

 それが良いかどうかはまた別の話ですが、チートも無双もハーレムも、それ自体としてはそこまで厳しく批判される要素ではなさそうです。


 では、テンプレ系は何がそこまで批判を集めているのでしょうか。


 筆者の考えをズバリ言うなら、それは「論理的でないこと」です。

 レビュー動画による批判も、大半はこれで片付くように思います。

 たとえば、

「主人公は元々社会人で転生後も記憶を保持しているはずなのに、どうして転生後の身体の年齢に合わせて幼児退行しているのか。これなら異世界転生という設定がそもそも不要だった」

「主人公にはほぼ無敵のチート能力があって一人立ちもできるのに、どうして今さら学校に通う必要があるのか」

「どうしてこのヒロインはこんな簡単なことで主人公に婚約やキスをねだる気になれるのか。単に作者が主人公に自分を投影して女の子をびさせたかっただけではないのか」

「『治癒』や『デバフ(敵の弱体化)』というスキルを使える主人公はどう見ても有能な人材なのに、どうして仲間たちは難癖をつけてまで彼を追放したがるのか」

 など。

 どれも要するに、物語の作られ方が論理的でないという批判です。

 テンプレ系で多くの批判を集めている作品には、ほぼ例外なくこの種の非論理性があると思います。

 逆に言えば、テンプレ系としての要素があっても、それぞれに納得できる根拠があるなら、そこまで激しい批判を浴びることはないはずです。




 とはいえ、実はこの理屈――テンプレ系作品はテンプレ要素ではなく論理性の欠如が批判されているというロジック――では上手く説明できないこともあります。


 ひとつは、設定やキャラクターの言動が論理的に破綻はたんしていても批判が少ない作品があることです。

 この代表格は前回も名前を出した『魔王学院の不適合者』だと思います。

 作品の評判は上々で、アニメ2期の制作も決定済みですが、不可解な点がない訳ではありません。

 とはいえ、マンガ版やアニメ版を見たとき、筆者はそういった矛盾や説明不足をあまり気にしませんでしたし、実際に多くの読者や視聴者は気にしていないように思います。

 それはなぜかと言えば、おそらくですが、読者の予想を超えて敵を圧倒する主人公の姿に、作品の不備を無視させるだけの強烈な魅力があるからだと思います。

 言い換えれば、作品の魅力を作者がはっきり意識して、それを読者にも分かりやすいように打ち出しているなら、読者の多くは「この作品はそういう部分を楽しむものとして書かれているんだ」と納得してくれる、ということです。


 もうひとつは、テンプレ系の人気作においては論理性が意図的に破綻させられている節があることです。

 物語の最初に、異世界転生や非合理的な追放などの非科学的なもの、ゲーム的なもの、チープな筋書きが来ると、読者はその作品に論理的な整合性を期待しなくなると予想されます。

「あ、そういう路線の作品なのね」

「そうだね、お決まりのパターンだから当然そうなるよね」

 そんな具合に大抵の矛盾やご都合主義を許容するのでしょう。

 読者としては、腰をえて向き合うほどの作品ではないと最初から知っているからこそ、それらの作品に対して気楽に手を伸ばし、ベッドで横になりながら流し読みして、無双やハーレムで心地よくなれる……そういう仕組みなのかもしれません。




 蛇足かもしれませんが、筆者としては、テンプレを突き詰めようとする作品はダメと思います。

 というのも、前世の設定が活かされない異世界転生、努力と強敵が全く出てこないチート・無双、主人公と作者の願望を実現するために女性の人格がゆがめられたハーレム、他者をすっきり憎悪するためだけの追放とざまぁ展開は、どれをとっても「不都合あるいは不愉快な物事からの逃避」だからです。

 仮に、登場人物たちの精神的な成長や信頼関係が描かれるとか、「逃げてはみたが何もなかった、かえって虚しさが強くなった」ということを出発点として、「逃げてばかりいた主人公が困難に立ち向かう」といった具合になるなら良いのですが、「逃げた先が酒池肉林の楽園だったからそこに永住する」ということを小説でやったところで、そんなものはゴミです。

 良く言ってもそれは酒や麻薬のようなもので、読者が楽になるのは一時いっときだけです。

 中毒者が顧客になってくれれば歯車は回るかもしれませんが、筆者としては、そんな稼ぎ方は「商売」と呼ぶにも値しないように思えてなりません。




 といった話をしている内にすっかり長くなったので、今回はここまでにさせていただきます。

 お付き合いいただき、ありがとうございます。

 予告通りあと1回か2回で終われるように、頑張ります。

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