2021年

ぼちぼちエッセイを再開しようと思います。

2021年1月23日


 どうも、あじさいです。

 おひさしぶりです。


 まずは近況ノートでもお騒がせした件についておびさせてください。

 ご迷惑をおかけし、大変申し訳ありませんでした。

 皆さんのあたたかいお気遣いのおかげで、ここ1ヶ月ほどは割と良い具合で過ごすことができています。

 一時はカクヨムでの「書く」「読む」全般から遠ざかっていましたが、最近は長めの作品も読めるようになってきました。

 「調子が良い内に」というか、「この勢いに乗って」というか、ともかく、ぼちぼちエッセイの再開にチャレンジしてみようと思います。


 このエッセイを投稿するのは昨年の7月16日以来です。

 文学理論を勉強し始めて、なんだかんだ言いながらロシア・フォルマリズムについてお話しさせていただいて、「さあ次は言語行為論だ!」と高らかに宣言したところで終わっていました。

 有言実行を目指すならただちに言語行為論の話をすべきところなのですが、調子が戻りつつあるとはいえ、学者先生の主張とその問題点について抽象的な話をこねくり回すほどの体力はまだありません。

 また、このエッセイ全体の趣旨を考えるなら、言語行為論より先にお話ししておきたいトピックもあります。

 そのため、今後しばらくは、言語行為論とは違う話をさせていただきたいと思います。




 「このエッセイ全体の趣旨」とは、カクヨムをめぐる筆者の右往左往を記すことです。

 この点を考えるなら、カクヨムから遠ざかって、頂いた応援コメントに返信をすることさえ放置した時期に(本当にすみませんでした)、筆者が何を考え、何をしていたか、そしてどのような経緯を経て今の状態まで回復したか、を書いていくのが妥当なところという気はします。

 ですが、その大部分は既に近況ノートに書いたことですし、仮に筆者の主観的な状況を端的にまとめたところで、「何もかもが無価値であると同時にわずらわしく重労働に思えるような倦怠感けんたいかんさいなまれていましたが、お医者さんの指導で薬を飲んでから数週間をさかいとして徐々に改善しつつあります」という、面白くも何ともない話にしかならない気がします。


 いや、たしかに、色々やってはいました。

 たとえWeb小説から離れても何かしらの物語や活字には触れていようと思って、Twitterでマンガをあさって単行本を買ったり、某動画配信サービスの会員になって深夜アニメを見たり、小説投稿サイト関連の情報収集と宣伝のために新たにTwitterアカウントを作ったり、精神的なリハビリを兼ねてカクヨムで自主企画を開催したりしました。

 もちろん、そういったことは、きっとそれぞれに意味があったのだろうと思います。

 しかしながら、やはり、種々の因子の中から不調な人が回復するために外せないものを1つ挙げろと言われたら、「うつに効く(とされる)薬の量を増やしてもらったことです」という答えになるでしょう。


 筆者と同じような、あるいは筆者よりも深刻な、無気力・不安感・閉塞感・倦怠感・その他のネガティブな感情と闘う皆さんには、他人様ひとさまに迷惑をかけたり取り返しのつかない事態を招いたりしない内に、お医者さんのところに行って適当でも何でもそのことをうったえていただいて、薬を処方してもらうことをお勧めします。


 「適当でも何でも」と言ったのは、大きい声では言えませんが、筆者は別に、いま担当してくださっている精神科の先生を全人格的に信頼して何でも赤裸々に話している訳ではないからです。

 また、かつて精神科の受診とは別にカウンセリングを受けたこともありましたが、筆者の内にある口にできない秘密や、簡潔に話すのが面倒な事情のことは、最後まで話しませんでした。

 筆者は先生方が処方する薬に救われただけですし、筆者が先生方に求めるものは(理解や共感ではなく)薬だけです。


 確証やエビデンスはありませんが、おそらくそれでも「良い」のだと思います。

 というのも、つらい思いをする人が最優先にすべきことは、生き延びることだからです。


 鬱の傾向にある人には、時として突然に、本気で死にたくなるときが来ます(ちなみに言えば、それはおそらく朝です)。

 筆者の経験したところでは、頭がクリアになって、「この世の真理」が見えるという感覚です。

 そのとき、自分の過去の経験やその時置かれている状況、前日まで熱中していた(熱中したことのある)物事などを、おそろしく冷静に思い返し、「自分が歩んできた人生は極めて薄っぺらい」「自分が思いを傾けてきた事はどれもくだらない」という結論に至るでしょう。

 これまで生きてきたこと、これから生きることが共に意味を失い、自ら命を絶つことに対する心理的ハードルが無いも同然になって、自分は可及的速やかに命を終えるべきだと思うことでしょう。

 しかし、実はそれこそが冷静さを欠いている状態です。その証拠に、無理にでも眠れば、起きた頃には正気に戻ります。

 鬱の傾向にある人は文字通り生死の境にいる訳なので、まずは何としてもそういう危険な状態から抜け出すことが必要です。

 そのためには、医者に対する多少の不誠実さなど許されてしかるべきでしょう。


 皆さんにはぜひ、つらい気分が晴れないときは、面倒に思えても精神科あるいは心療内科から薬を勝ち取る、そうすれば以前の自分に戻らないまでも近づくことができる、ということを、頭の片隅にでも覚えておいていただきたいと思います。




 などと話している内に、2000字を超えてしまいました。

 このエッセイは1話当たり2000~3000字を目安に書いているので(守れないことも多いですが)、今回はこの辺りで幕を引かせていただきます。

 次回何を書こうか、内容はおろかテーマも考えられていませんが、いくつか候補はあります。

 新しく作ったTwitterアカウントのことや、動画配信サービスで観た深夜アニメのこと、精神的リハビリを兼ねて開催した2つの自主企画のこと、皆さんの作品に文章校正をさせていただく中で考えたこと……

 どれもそれなりの文字数にはなると思います。

 また、どのタイミングになるか分かりませんが、棚上げした言語行為論の話や、このエッセイで文学理論の話を扱うきっかけになった「文芸とは何か」という問いのことも書いていきたいと思っています。

 さらに、このエッセイや拙作を書き進めるのと並行して、皆さんの作品を読ませていただくつもりです。

 エッセイは今まで以上に軽い内容になるかもしれませんが、ともかく、(パンクしない程度に)頑張っていきたいと思います。

 寛容な心で、気長にお付き合いいただけると幸いです。

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