現代文学理論って何だろう。
2020年7月6日
どうも、あじさいです。
世の中どこも大変なことになっていますが、皆さん、ご無事でしょうか。
どんな状況にあっても、情報(とカネ)を集めることが重要です。
TV、新聞、政府・自治体のホームページ、Twitter、書籍、そしてもちろんカクヨムなどで多くの情報を入手し、早い内から必要な対策を講じるようにしましょう(自戒)。
さて、前回のあらすじです。
文学的センスの無さと教養人に対する劣等感から、文芸をめぐる専門的な話に苦手意識を持って生きてきた筆者ですが、カクヨムで書いたり読んだりする中で創作の仕方についてあれこれ考えるようになり、「そもそも文芸って何だっけ?」という問いにぶつかったので、文学理論の入門書を読んでみることにしました。
これから取り上げるのは筆者が読んだ入門書(まだ2冊しか読んでいませんが)の1冊。
亀井秀雄(監修)、
以下、「本書」と言えばこの本を指すものとします。
本書に書かれた内容の全てと筆者(あじさい)の感想を細かく書き出していくと文字数がすごいことになりそうですし、過度のネタバレや営業妨害にもなるだろうと思いますので、紹介するのは一部に
本の内容に入る前に、タイトルにも入っている「現代」「文学」「理論」という言葉について、辞書で確認しておきましょう。
「現代」および「近代」がいつ頃を指すかは、国や地域によって異なります。
日本では、「現代」と言えば主に第二次世界大戦終結(1945年)以降を指します(歴史の授業の「現代史」、芸術分野の「現代アート」など)。
一方、英語圏では(敗戦による社会的な変化を経験していないせいか)現代も近代も
本書で扱われる作品と理論が近代以降のものということを考えても、「現代文学理論」と言う場合の「現代」は欧米的な意味、つまりモダンな時代を指すようです。
(欧米の近代がいつ始まったか、そもそも近代とは何かについては文脈によって色々言われますが、この場ではその辺りの厳密な定義は重要でないので省きます。また、モダンは終わった、時代は既にポストモダンだし、何ならそれさえもう古い、というご意見もあると思いますが、その話を始めるとどう考えてもややこしくなるので割愛します。)
「文学」について辞書を引くと、第1に「感情・思想を言語・文字で表現した芸術作品。詩歌・小説・戯曲・随筆・評論など。文芸」、第2に「文芸学・史学・哲学・社会学・言語学などの総称」、第3に「学問。学芸」とあります。
当然ながら、ここでは第1の意味ですね。
「理論」についても、厳密な話を始めると一筋縄ではいきませんが、とりあえず辞書によると、「個々の事実や認識を説明するため、物事の原理・原則に基づいておし進められた考え。筋道立てて組み立てた考え」だそうです。
ちょっと分かりにくい書き方ですが、「文学理論」に引き付けて考えると、「そのままでは(理論なしの状態では)『何となく』に頼って上手く言葉にできなかったり、そもそも気付かなかったりする文学作品の魅力や違和感について、深く考え、みんなに分かりやすく説明するのに役立つ考え方」だと言えそうです。
では、いよいよ本書の内容に入っていきましょう。
本書はまず、小中高の国語で生徒たちが習う文学作品の読み方を批判するところから始まります。
批判の対象となるのは、2つの読み方です。
ひとつは、主人公に感情移入し、その心情の変化に注目する(主人公中心の)読み方。
もうひとつは、作者が作品に込めたメッセージを考える(作者中心の)読み方です。
本書は、それらの読み方の意義をある程度認めた上で、次のように述べます。
「だが、このような読み方が規範化されてしまうと、ほかのさまざまな読みの可能性を排除し、抑圧して、かえって貧しい読み方しかできなくなってしまうのではないか」(p.10)。
率直なところ、筆者はここを読んだとき、「は?」と思いました。
読書好きな(あるいは読書好きだった)受験生の皆さんも、「ふざけんな!」と抗議したくなると思います。
というのも、大学受験や模試の「小説」の問題は、本書の言う「貧しい読み方」に徹しないと得点できないように作られているからです。
それはなぜかと言うと、はっきり言って、出題者と採点者の都合です。
受験生の中には、敵を「問題」だけだと誤解して、回答欄に自分が考える精一杯の「真実」を表現すれば
言い換えれば、出題者も採点者も、受験生一人ひとりの回答から個々人の想像力や感受性を
機械的な判断ができるように問題を作り、機械的に採点していきます。
その結果として、「小説」の問題を解く際には、本文中に書かれた登場人物の心情(特にそれがポジティブかネガティブか)の変化とそのきっかけを、機械的に(余計なことは考えずに)拾うことが重要になってきます。
しかも、難関校になればなるほど、想像力豊かな学生が「言われてみればそういう読み方もできるかな」と迷うような選択肢をあえて混ぜて、誤答や時間の浪費を誘ってきます。
そのため、本好きな受験生の多くは、自分の想像力や多角的な読み方を殺す経験を強いられます。
読書好きな受験生からすれば、大学の先生方がそういう学生にしか入学を認めないとおっしゃるから、そういう読み方に適応しようと色々なものを犠牲にして努力してきたっていうのに、それが「貧しい読み方」って、どの口が言うんだ、という話でしょう。
小中高の先生方にとっても、大学受験で求められる読み方を身に着けさせるべく、学生が幼い内から「教育」を
仮に、亀井先生(本書の監修者)と蓼沼先生(本書の著者)が小中高の国語教育の見直しと文学理論に基づいた読み方の指導を本気で推奨するのであれば、大学受験のあり方に切り込むことが必要になってきます。
ですが、それは当然ながら、出題者と採点者だけでなく、受験生と指導者にも、(大学の先生方が基礎的と考える)文学理論に基づいた読み方を習得させようという話になってくるので、関係者各々の負担がかなり増えることになります。
本書の記述がそういったことをきちんと考えて書かれたものかと言われるとちょっと怪しいので、国語教育に対するこの批判は少々無責任ではないかと筆者は疑っています。
しかし、専門家の方々(および専門家寄りだと自認する方々)がこういった意味で無責任な発言をすることは別に珍しくありませんし、彼ら彼女らは「真実」に対して誠実であろうとしているだけとも考えられるので、話を続けたいと思います。
……ですが、長くなってきたので、ここでページを改めることにします。
なかなか本題に入れませんが、次のページではちゃんと文学理論の話に入ります。
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