文学理論の入門書。

2020年6月24日


 どうも、あじさいです。


 雨の日が多くなってきましたが、皆さん、いかがお過ごしでしょうか。


 筆者は最近、文学理論の入門書を読んでいます。

 某密林で「文学 入門」で検索して出てきた本の中から、読みやすそうな新書を3冊選んで購入し、2冊を読み終えました。

 近い内に最後の1冊を読むつもりなので、「読んでいる最中」と言って良いと思います。

「え、お前w 文学理論の基礎知識もないのに、小説を書いてネットにアップしてたの?www」

 とお思いになった方もいらっしゃると思います。

 そうです、筆者は文学理論を知らないのに小説を書いてます。

 ついでに言えば、TVドラマ『校閲ガール』を見た訳でもないのに、なんちゃって校閲者を名乗ってます。

(分かりやすい日本語の書き方についての本は中学・高校時代に読みました。また、なんちゃって校閲をさせていただくときはいつも辞書を引いています。)

 ……ドン引きしたり失望したりするのも分かりますが、筆者の話を聞いてください。

 「そんな奴もいるんだぁ」と思っていただくだけでも結構ですので。


 筆者は文学の専門家(文学研究者や文芸評論家)および専門家寄りと自認する人々のお話を聞くのが苦手です。

 というのも、個人的な劣等感と言われればそれまでですが、彼ら彼女らの話を聞いていると、「もっと勉強しなくちゃだめだよ、君」、「この良さが分からないなんてバカに相違そういないね」と言われているような気分になるからです。


 文学、文芸、芸術を定義することは辞書を引いて済む話ではありませんが、文芸を「文字を主要な手段とする表現」とし、“広い意味での芸術”を「身体的、物理的、あるいは経済的な実用性だけでは片付けられない何らかの(高尚な)価値の探求および表現」だと仮定すると、文芸も“広い意味での芸術”に含まれると思います。

 ここで言う“広い意味での芸術”には当然、音楽と絵画も含まれますが、少なくとも現代では、どちらも鑑賞者個々人の感性フィーリングを尊重してくれます。

 それなのに、なぜか文芸はそうなっていません。


 音楽の場合、世間的に最も芸術性を認められているジャンルはクラシックだと思いますが、いまどき、クラシックの演奏者や評論家たちが「J-POPを好きになるのは音楽の基本が分かっていないバカだけだ」とか「これ以上ヘヴィメタルの人気が高まれば音楽業界全体が退廃たいはいする」などと発言することはありません。

 仮にそんなことを言ったとしても、ほとんど支持を得られないでしょう。


 絵画の場合も、写実的なものもあれば印象派もあり、シュールレアリスムや抽象画もありますが、どれを最も好きになるかは鑑賞者に委ねられる時代に入っています。

 ある画家が超写実主義(ホキ美術館に展示されているような作品)こそ至高だと考えているにしても、それをもって浮世絵やそのファンを公然とバカにすることはありませんし、水墨画好きの評論家だからと言って安易にキュビズムをののしることはない、というのが筆者の認識です。

 当然ながら、絵画の延長線上にある漫画についても、画家や美術評論家がしゃしゃり出てきて「少女漫画の絵は人体の基本的な構造を無視しているからダメだ」とか「Twitterのせいで遠近感も分からない漫画家が多くなった。美術の今後が思いやられる」なんて言いません。


 それにもかかわらず、どういう訳か文芸の世界では、「純文学」(真の文学)なる言い方が幅を利かせ、その専門家および専門家寄りと自認する人々が、いわゆる純文学以外の小説を「読むに値しない」と切り捨てたり、それらを読む人々を「現実逃避しているだけ」と非難したりします。

 さらに、純文学作品を読んだけどよく分からなかったという読者に対しても、「当然知っておくべき教養リベラル・アーツを身に着けてきちんと作品に向き合った人なら誰でも(私と同じように)深く感動するはずなのに」という趣旨の批判をすることが許されています。

 しかも、専門家(以下略)が称賛する作品や、それらについての書評を読んでみても、筆者には意味不明なことが多いのです。


 きっと皆さんの中には好きな方もいらっしゃるでしょうから、具体的な作品名を出して文句をつけるのは筆者としても心苦しいですが、率直なところ、筆者から見て、梶井かじい基次郎もとじろうの小説『檸檬れもん』はよく分からない純文学の代表格です。

 筆者なりにあらすじを述べると、「気分の晴れない(心に「不吉なかたまり」をかかえた)青年が、八百屋やおやで買った檸檬を、ある書店の『画本の棚』に置き、『これが爆弾だったらどんなにおもしろいだろう』と妄想して立ち去る」という(だけの)話です。

 考えてもみてください。

 置き去りにされた檸檬を書棚に見つけた他の客や店員は「誰かの忘れ物かな、檸檬とは珍しいな」と思うだけですぐに忘れるでしょうし、はたからこの青年の行動を見届けた人がいたとしても「どうしたんだろう、疲れてるのかな」としか思わないでしょう。

 それを、「この檸檬は爆弾だ。これを見た誰もが驚き衝撃を受けるだろう」と考えてえつるなんて、自意識過剰もいいところです(しかもお店の人に迷惑かけてるし)。

 『檸檬』は筆者が先日読んだ文学理論の入門書でも紹介されていますが、やっぱり筆者にはよく分かりませんでした。

 解説の中で最も分かりやすそうな部分を以下に抜き出してみます。


――――

 (※引用者注:主人公は)檸檬れもんを「黄金色に輝く恐ろしい爆弾」として丸善まるぜんの美術書の棚に仕掛けたのですが、この想像力の生み出した檸檬の爆弾は、「気詰きづまりな丸善」というよりも、心のなかの「不吉な塊」をくだき飛ばすことができるのかもしれません。そして読者として、「どんなにおもしろいだろう」という言葉に重ねたくなるのは、(※引用者注:太宰治『富嶽百景』の)《富士》と《月見草》と同じく、《檸檬》と《爆弾》の並置に示されるような、イメージの喚起力を持つ言葉の関係性なのです。あらためてこの名作を思い返してみて、《檸檬》/《爆弾》の二項式の持つ詩的な対比性が「カーンとえ」、作中の空気にみごとな緊張を与えているような気がします。

(中村邦生くにお、2015、『はじめての文学講義 ――読む・書く・味わう』、岩波ジュニア新書、pp.55-56)

――――


 筆者からすると、「だから何?」という話です。

 青年がかかえるネガティブな感情である「不吉な塊」が檸檬れもんの存在によって解消されることがこの作品のポイントだとしても、「不吉な塊」の正体や原因が作品内で明かされず、それが人間に広く共通する感情とも言えない以上、読者である筆者からは「ふーん、青年の場合はそうだったんだ」としか言えません。

 よく分からない感情に対して思いがけないものが解決策になった、というだけのつかみどころがない創作物に対して、他にどんな感想をいだけというのでしょうか。

 また、中村先生(入門書の著者)はそれっぽくおっしゃっていますが、「イメージの喚起力」、「詩的」、「緊張(感)」はどれも先生の主観でしかありません。

 檸檬を爆弾に例えることって、そんなに「詩的」でしょうか。

 作中世界の空気が緊張することに、一体どんなメッセージ、あるいは美しさがあるというのでしょうか。

 結局、先生から見て梶井基次郎の感性がイケてるというだけの話であって、理論的な読解には全然なっていないのです。


 もちろん、「私という個人は『檸檬』をこんな視点から読んで面白いと感じている」というだけの話なら、筆者だって文句は言いませんよ。

 ですが、その道の専門家(以下略)に限って、「面白い」と感じる主体を曖昧あいまいにし、「純文学は面白い」「『檸檬』は面白い」という言い方をすることで、「これだけ説明されても面白いと感じない奴には文学的センスがない」というニュアンスをにじませるのです。


 文学を学ぶことの効用が、特定の感覚を麻痺まひさせ、世間とずれた「センス」をみがき、インテリ・サークルという小さな池で些末さまつな話題をさも人類の大問題のように語れるようになることに集約されるのであれば、そんな学びは遠ざけるくらいで丁度良い。

 そう考えて、筆者は文学理論の勉強をけてきました。


 ……避けてきたのですが、最初に述べた通り、ここにきて入門書を買って読んでみることにしました。

 その理由は、カクヨムを利用する中で自分と他人様ひとさまの創作物についてあれこれ考えるようになり、それをまとまった形でこのエッセイに書こうとしたとき、「そもそも文芸って何だっけ?」という問いを避けることはどうやらできそうにないと思ったからです。

 「○○とは何か」という問いはそれ自体がトラップなので注意が必要ですが、それを抜きにしても、この問いに応えることは容易ではありません。

 となれば、やはり先人たちの知恵を(ごく軽くではあるにせよ)踏まえておくに越したことはないだろうということで、「ちょっとくらい勉強しておくか」とネットで本を探してみた次第です。


 話をけずって短くする努力はしましたが、それでもごらんの通り長くなったので、今回はここまでにします。

 どの話題をどの順番で取り上げようか迷っているので、次回の内容さえまだ決めきれていませんが、今のところ、次回は文学理論の入門書(亀井秀雄(監修)、蓼沼たでぬま正美(著)、2015、『超入門!現代文学理論講座』、ちくまプリマー新書)を読んでみた感想の話になる可能性が濃厚です。

(皆さんがコメントをくだされば、梶井基次郎の『檸檬』を見つめ直す内容になるかもしれません。)

 楽しんで書くつもりですので、文学理論を勉強済みの方もそうでない方も、頑張ってお付き合いいただけると幸いです。

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