季節の話。

2020年6月9日


 どうも、あじさいです。

 今回は、とりとめのない季節の話をさせてください。

 ふとしたところでばったり出くわした友人・知人と、とりあえず天気の話から始めるような、そんなノリで書いた回です。


 筆者の生活環境で不要不急の外出をしないとなると、季節を感じる機会はかなり限られてくるのですが、それでも必要な外出をしたり窓を開けたりすれば、風と空と日差しによって季節の移ろいを知ることができます。

 こよみの上でも、もう6月。

 沖縄・九州南部・四国はもう梅雨入りしたんでしたっけ。

 ということは、もうぼちぼち、アジサイの季節……と言って良いはず。


 実は筆者、「あじさい」というペンネームでお世話になっていますが、別に草花の知識がある訳ではなく、花言葉もろくに調べないままペンネームを決めてしまいました。

 ご存じの方は調べるまでもなくご存じなのでしょうか、アジサイの花言葉は、一般的なところでは「移り気」「浮気」「無常」だそうです。

 ろくでもないですね。

 由来はどうやら、色が変わりやすいから、のようです。


 アジサイは土のpH値(酸性かアルカリ性か)によって色が変わり、色によって異なる花言葉を持ちます。

 日本でよく見られる青いアジサイの花言葉は「辛抱強い愛情」。

 白いアジサイは「寛容」、ピンクのアジサイは「元気な女性」「強い愛情」とのこと。

 ひとつの花でも、花言葉にはポジティブなものとネガティブなものが両方あるパターンが多いようですが、アジサイの場合は美しいまでに真逆という訳ですね。


 ちなみに、ここでは一口にアジサイと言っていますが、アジサイには日本の固有種ガクアジサイと、それを西洋で品種改良して大正時代に逆輸入したハイドランジアという2種類があり、現在の日本で見られるのは多くがハイドランジアだそうです。

 ネットの受け売りをもうひとつ紹介すると、花言葉という文化の発祥は17世紀のトルコで、そこからヨーロッパ、さらには世界中に広まったそうですが、花言葉の具体的な内容は各国それぞれに違っていることが多いようです。

 意外と最近ですね。

 この話が本当なら、『源氏物語』が書かれた時代には花言葉という文化はなかったことになります。

 『源氏物語』には「夕顔」という花の名前で呼ばれる女性が登場しますが(『源氏物語』の登場人物は大抵が役職や通称で呼ばれます。「光源氏」もあだ名みたいなもので、本名は明かされません)、作者の紫式部は他人が決めた花言葉に頼ることなく、この女性と光源氏の恋模様から、夕方に咲いて翌日の昼前には枯れてしまうこの花を連想した訳ですね。

 紫式部、恐るべし。

 ちなみに、ユウガオの花言葉は、おそらく『源氏物語』に由来しているのだと思いますが、「はかない恋」「夜の思い出」「魅惑の人」「罪」だそうです。

 ネット記事によると日本の固有種ではなく、原産地は「北アフリカ、インド」だそうですが、北アフリカとインドでは地理的に距離がありますし、日本に伝来した経緯も分かっていないそうなので、本当の原産地についても諸説あるのかもしれません。


 アジサイに話を戻しますと、筆者がアジサイを好きな理由は、雨に打たれても咲き続け、色褪いろあせても散らないからです。

 「往生際おうじょうぎわが悪い」、「無様ぶざまに生き恥をさらしている」、「散るこそ花なのに」とお思いの方もいらっしゃると思いますが、筆者からすれば、主君の尊厳ある死を守るという決意のもと、命が尽きてもなお立ち続けた弁慶の姿と重なって見えます。

 日本におけるアジサイの花言葉を定めたのが誰なのか、筆者には分かりませんが、どうせなら「忍耐」とか「苦難に負けない気高さ」とか「あなたを待ち続けます」とか(恵みの雨のイメージから)「天の恵み」とか、そういう花言葉にしてくれても良かったのに、と思います。




 アジサイの季節だから、という訳でもありませんが、筆者は夏が好きです。

 ラノベでもアニメでも、冬が厚い雲に覆われて切ない雰囲気なのに対し、夏は空も気分も晴れやかな楽しい季節として描かれることが多いように思います。

 学園ものなら、「夏休みだ! 海だ! 水着の美少女だ!」というのが(良くも悪くも)定番ですね。

 冬を含むそれぞれの季節に魅力があると思いますが、筆者もやはり夏の日差しを浴びたときはわくわくし、海を見れば泳ぎたくなります。

 夏ってサイコー! 真っ赤なブルーだ!


 ……なのですが、今年は気温の上がり方が急だったのでしょうか、筆者は最近、だるさを感じる日々を送っています。

 そのため、カクヨムを開いたり、拙作やエッセイの執筆を進めたり、皆さんに応援コメントをお送りしたりする余力を確保できていません。

 いつだって敵はおのれ自身。

 調子が良い内は意識せずに過ごしてしまいますが、何をするにしても基本になるのは(とりあえずの)健康だろうと思います。

 とはいえ、外気温の上昇に対抗する有効な手段として、筆者が思いつくのはクーラーをつけることくらいです。

 扇風機の方が環境にも家計にも良いとは思うのですが、風が当たって体が冷えすぎるせいか、お腹の調子が悪くなることが多いんですよね……。

 今からこんな調子で、果たして筆者は夏を乗り切れるのか、少し心配です。




 ところで、現代では夏は明るい季節のイメージだと思いますが、よく知られている通り、『枕草子』には「夏は夜(こそが良い)」と書かれています。


「夏は夜。月のころはさらなり。やみもなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。また、 ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし」


(「夏と言えば夜! 月が出ているときは言うまでもないけど、月のない真っ暗な夜に、蛍がいっぱい飛び交うのもイイ。いっぱいじゃなくても、1、2匹でぼんやり光って飛んでいるのも尊い。月も蛍も見られなくても、雨が降ればそれもまたエモい」)


 『枕草子』は1000年前の文章なので、コピーが作られる内に色々なバージョンができたそうですが(『源氏物語』も事情は同じだそうです)、ここでは筆者が個人的に耳なじみのあったものを採用しています。

 また、逐語訳ちくごやくや受験生向けの解説はその辺にあふれかえっているので、筆者なりに意訳してみました。

 もちろん、受験をひかえた皆さんは、教科書の内容をきちんと勉強してきたと採点者に分かりやすくアピールする必要があるので、「をかし」のことは「おもむきがある」と訳さなければなりませんよ。

 ですが、清少納言が当時の文化の最先端にいた女性で、『枕草子』が私的な文章であり、この部分では敬語表現さえ使われていないことを考えれば、感動をストレートにつづったツイートのように考えるくらいで丁度良いでしょう。


 それはさておき、筆者のイメージでは夏の夜は蒸し暑くて寝苦しいものでしたが、眠れないならそれはそれで、うちわ片手に月をでてみたり、雨音に耳を傾けてみたりするのも、風情があって良いかもしれませんね。

 蛍もね……、洪水のリスクを考えると河川を自然のまま放置する訳にはいきませんし、ゲリラ豪雨や台風を警戒しなければならない昨今ですから、国や自治体は蛍どころではないかもしれませんが、いつか生まれる甥っ子・姪っ子に見せられるくらいには生き残っていてほしいな、と思います。

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