長く続いているエッセイ。

2020年5月13日


 どうも、あじさいです。


 「光陰こういん矢のごとし」「去る者は日々にうとし」というカクヨム・ユーザーには嫌な言葉がありますが、皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

 筆者のことをお忘れの方もいらっしゃるかもしれませんが、そもそも気に留めるほどの内容は書いていないという点だけ思い出していただければ大丈夫です。

 ちなみに、今回の BGM は RYTHEM の「万華鏡キラキラ」です。


 前回の投稿から1ヶ月近くきましたが、筆者はそれなりににぎやかなカクヨム・ライフを送っています。

 何人かの書き手さんの作品を同時に読み進めたり、新たに出会った書き手さんの文章のすばらしさに打ちのめされたり、拙作(長編ファンタジー)の執筆と推敲に頭を悩ませたり、家庭用 Wi-Fi と接続できなくなったノートパソコンと格闘したり、新たな短編小説(異世界ファンタジー)を書き始めてみたりしました。


 そんなことの合間に他人様ひとさまの短い小説やエッセイを読ませていただいています。

 今回は「長く続いているエッセイの読み方」の話です。




 カクヨムでは長く続いているエッセイをちらほらと見かけます。

 エッセイを続けるにはそれなりの体力を使うはずですし、題材ネタも必要になってくるので、1年以上続いていれば「長く」と言って良いでしょう。

 数年続いているエッセイともなると話数もすごいことになっていて、400~600話のものを複数見かけます。

 中には1000話を超す猛者もいます。

 ただ、そうなってくると迷いどころなのが、エッセイの読み方です。


 最初にぶつかるのが、古い話から順に読むべきか、それとも最新話から読むべきか、という問題です。

 もちろん、あらすじに書かれた作品紹介を読んでみると、「どこからでも読めます」と明記されたエッセイが結構あります。

 ですが、エッセイの多くは書き手さんの価値観や生活がつづられたものですから、文脈や繰り返し出てくる題材を把握して読む方が楽しめるでしょうし、そうなると古いものから順に読んだ方が良さそうな気がしてきます。


 という訳で筆者は、例外的に興味を引かれるトピックがない限り、エッセイであっても最初から順に読むようにしています。




 これで問題解決と思いきや、そのエッセイの話数が多いだけでなく投稿が数年に渡って続いている場合、別の問題が浮上してきます。

 それは、数年前に投稿された記事にコメントをしていいのか、という問題です。


 何のこと? とお思いの方もいらっしゃるでしょうし、逆の立場で考えてみれば、その記事が数ヶ月前のものだろうが数年前のものだろうがコメントがくれば嬉しい気はします。

 ですが、引っ掛かるのは、記事を投稿した当時から既に考え方や生活が変化しているのではないか、という点です。


 たとえば、「職場でこういうことに困っているんですよ」とか「友人との間に起こったこれこれの問題に悩んでいまして」という記事を見かけて、筆者から何かコメントをしたくなったとします。

 しかし、投稿されたのが数年前ということは、既に書き手さんご自身が対処法を見つけ出されていたり、人間関係の様相が変わっていたりする可能性が高い訳です。

 筆者のように揺れ動きの激しい人間は、エッセイの中で解決済みということにした問題についても改めてアドバイスを頂ければ心強く思いますが、その書き手さんにとって数年前の問題はとっくに解決した話で、筆者のコメントをご覧になって「何を今さら」と思われるかもしれません。

 きれいに解決済みの問題ならまだ良いですが、ひょっとしたら、削除するのを忘れていただけで、今となっては思い出したくない問題ということもあるかもしれません。


「あじさいってホント面倒くせぇ奴だな、そんな心配するならコメントしないことにすりゃいいじゃん」

 という声が聞こえてきそうですが、うじうじ迷ってしまう理由は、数年経っても書き手さんの問題が解決していない可能性もまた存在するからです。

 もちろん、筆者が何かコメントをすればその問題が解決するなどとは思っていませんが、解決の糸口を見つける手がかりのひとつになるかもしれないので、どちらかと言えばコメントした方が良いような気がしてしまうのです。


 となってくると、そのエッセイの全ての記事を読んだ後で決めるのが理想ということになるのですが……。

 気が向いたときに読み進めるだけならともかく、そこから数年分の記事を読まと思うと、大変失礼ながら、やっぱりちょっと怖気づいてしまうところもあります。




 そんなこんなを思いながら、今日も今日とて、本業と位置づけたはずの執筆を棚上げして、他人様のエッセイを読ませていただいております。

 いや、それにしても、エッセイを長く書き続けている方を尊敬します。


 皆さんお察しの通り、このエッセイはすっかりネタ切れ状態です。

「それならいさぎよたためばいいじゃない。どうしてそこまでしてエッセイを書くの?」

 とかれたら、

「絆だから」

 と答えるしかありません。

「私には、(すぐに更新できそうなものは)他に何もないもの」


 このエッセイは「初心者の筆者がカクヨムという海で華麗な泳ぎを身に着けるまでのノンフィクション」なので、右往左往の一場面として小説執筆の手法について感じたこと・考えたことを語ってみても良いのかもしれません。

 ただ、そうなるといわゆる創作論に近くなってきます。

 既に多くの人が取り組んでいるだけに、難しいテーマではありますよね。


 仮に創作論を書くとしたら、名作にほどこされた仕掛けやメッセージ性にも興味はありますが、筆者は誇り高きなんちゃって校閲者ですから、日本語の話が多くなりそうです。

 皆さんのおっしゃりたいことは分かります。

 余計なお世話、ですよね。

 少なくとも、小説の内容や構成に比べればどうでもいい話です。


 つまらないことにばかり目を向けて調子に乗っていたら、先日、「事件」がありました。

 ある方の小説に「トレーニー」という語が出てきて、「ははあ、これは『トレーナー』と書こうとしたんだろうな」と思って、よく調べもせずに指摘したのですが、「トレーニー」で良いんだと教えていただきました。

 紙の辞書には載っていませんでしたが、ネットで検索したところ、つづりはtrainee、意味は「職業などの訓練を受ける人。研修生。研修員」だそうです。

 なんちゃって校閲者を気取るならせめて一般常識くらい身に着けとけ、という話ですよね。

 常識感覚がなく何としても常識人になりたいとも思わない筆者には、一般常識に精通したり新しい言葉をリアルタイムでキャッチしたりするのは無理なので、単語に違和感を抱いたらググる癖をつけることにしたいと思います。

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