こんばんは。
あじさいさんの「書かずにいられない」の感情が、はっきりと見て取れますね。文学理論にふれて、心が動いたようで。
わたしは、そういった理論を目にしたことのない、不勉強な素人です。あじさいさんのエッセイをとおして、勉強させていただきます。
(//∇//)
次の更新を楽しみにしています。
作者からの返信
こんばんは。
梶井基次郎と彼のファンを敵に回したので何が起こるか分からず、投稿が済んでから不安に駆られていましたが、今回もコメントをくださり、ありがとうございます。
このはりとさんも文学理論をご存じないとは、ちょっと意外でした。勝手なイメージですが、「花筏」を巧みに使った小説を書かれていらしたので、文学部出身の方だとばかり思っていました。
改めて考えてみると、自然科学や社会科学の理論には(物理学の相対性理論、生物学のダーウィン進化論、社会学のフェミニズムなど)割と広く知られたものがあるのに、文学や芸術に関する理論が私たちみんなにとってここまで縁遠い存在になっているのは不思議ですね。学校の国語の先生にだって文学部出身の方は少なくないはずですが、小学校から高校に至るまで、文学理論に基づいた解説はまったく扱われていません。先生方の問題というよりも、文学研究自体に、学問としてまだしっかりと確立されていない部分が多いのかもしれません。
筆者もまだ軽い本を軽く読んだだけですが、誤解のない範囲で分かりやすく解説できるよう、頑張りたいと思います。
私も、小説は難しいこと考えず、純粋に楽しみたいです。(笑)
ただ、文学はやはり学問の側面も強いですから、専門性を持つのも仕方ないのかなと思ってしまいますね。社会科学につきましては、経済学にしても、法学にしても、社会学にしても、素人は専門的な話を聞いたところで当然さっぱりですよね。それ故に「理解できないのは教養がないからだ」という指摘も、専門知識がないという意味で間違っていないと思います。
しかし、それは「学問としての面白さ」であり、我々素人の求める「お話としての面白さ」とは違うものであるはずです。「純文学が一番優れている」という方は、そこを混同しているように感じますね。あじさいさんは、その『不合理な混同』を不快に感じているのかもしれません、と私は分析します。(笑)
後は、単に他人を尊重できない人がただ嫌いなのかも? 指摘が論点からズレていたり、的外れだったら、申し訳ありません。
あと、本のそばにレモンを置くのは汚れるのでやめて欲しいですね。(笑)
長文失礼しました。次回も楽しみにしております!
姫川翡翠
作者からの返信
こんばんは。
コメントありがとうございます。
返信が遅くなってすみません。
基本的に姫川さんのおっしゃる通りです。
文学・文芸は何かしらの一筋縄ではいかないものを探求・表現しているはずなので、作品のテーマが複雑・繊細・深遠であれば、門外漢が一読しただけではよく分からないということも当然あると思います。したがって、専門的な概念や理論、注意深い読解の手法(約束事)といったものは、有意義というか、知っておくと便利でしょうし、それらを知っているからこそ特定の作品に面白さが見出されることもきっとあると思います。しかし、だからと言って、純粋に娯楽目的で書かれた作品や、平易に書かれた作品、そしてそれらを純文学よりも好む(不勉強な)読者を、バカにして良いことにはならないとも思います。なぜなら、個々人の価値観と生き方、喜びを見出すポイントは、(基本的には)人それぞれに違って良いはずだからです。となれば、どんな本にどんな魅力を見出し、そのことを(限りある読書生活において)どれだけ重視するかは、それぞれの読者に委ねられるべきでしょう。もちろん、専門家(以下略)が特定の作品について、一般に知られていない魅力を力説して作品の発掘や再評価を促すことは推奨されるべき活動だと思いますが、そのために別ジャンルの作品を感情的に貶めたり、素人読者(とその価値観や人生観)を軽んじたりすることがあってはなりません。
その意味で、文芸に見出される面白さには「学問としての面白さ」「お話としての面白さ」をはじめとして「言葉選びの面白さ」「リズムの面白さ」など色々なものがあると思いますが、筆者が問題視しているのは、専門家(以下略)がそれらの面白さを混同していることよりもむしろ、自分たちを他の読者よりも特権的な存在だと思い込み、諸々の面白さの間の優劣についての自分たちの価値観に他者を同調させようと(もっと言えば、同調できないのは恥ずかしいことだと思い込ませようと)心理的な圧力をかけていることです。まあ、早い話、筆者は「他人を尊重できない人が嫌い」ということですね(笑)
(蛇足ですが、もちろん、(カクヨムのガイドラインでも禁止されているように、)差別または反社会的言動を冗長したり、実在の個人や集団に関する悪質なデマを拡散したりすることを目的とした創作物は、忌避されてしかるべきです。とはいえ、そういった疑いのある作品に関しても、批判者はきちんと作品を読んだ上で何がどう問題なのか明らかにするべき(少なくともそうすることを目指すべき)だと思います。一部の文言やテーマの表層、あるいはごく形式的な側面しか取り上げずに「極めて劣悪」「文芸と呼ぶに値しない」と断言したとしても、それは単なる「非難」あるいは「嫌悪感の表明」にしかならないでしょう。)
その上で今一度強調しておきたいのは、専門家(以下略)の読み方だって、理論よりも感覚に頼っていることが多いのではないか、ということです。仮に理論的な話をメインに持ち出してくるなら、素人の読み方に対して「ここをこう受け取ってしまうのは、作品が書かれた時代背景を踏まえていないからだ」、「ここの言い回しが意味不明なものに思えるのは、ここの話とあそこのエピソードの連関を見落としているからだ」といった批判が筋道立ったものとして成立するはずです。しかし、もちろん全ての専門家(以下略)がそうだとは言いませんが、肝心なところで主観に頼っている(にもかかわらずその感覚を当然視している)「論評」が目立つ気がするんですよね。作品への称賛が主観的なものであればそれだけ、それを聞く人に対する価値観の押し付けという側面が強くなると思います。
最後になりましたが、応援ありがとうございます。
次回がどんな内容になるかはまだ見通しが立ちませんが、素人読者なりに自分の感覚を大切にした、分かりやすい文章を書ければと思っています。