世界はまわると言うけれど。

2020年4月7日


 どうも、あじさいです。


 このエッセイも、おかげさまで、今回で28回目にこぎつけることができました。

 皆さん、ありがとうございます。

 28と言えば、6の次に大きな完全数です。


 え? 「28が完全数だって騒ぐなら、なんで24回目のとき4の階乗であることに触れなかったんだ」って?

 だ、だって……「4の階乗」より「完全数」の方が区切りって感じがするじゃないですか。

 ……嘘です。単に忘れてただけです。


 記念すべき28回目だからという訳でもありませんが、今回は、「筆者が今までに書いたエッセイを読み返してみたら、投稿当時から変わったことが見つかった」という話です。




 さて、完全数とは全く関係ありませんが、生きていると、しんどいときってありませんか?

 別に筋トレやジョギングをした訳でもないのに、もう何もかもが億劫おっくうで仕方ない、寝返りを打つのも面倒くさい、腕を伸ばして布団ぶとんかぶるのさえ重労働に思える、というときです。

 人によっては無性むしょうに泣きたくなったり、生きるのが面倒になったりするかもしれません。

 そういうときって、まるでさとりでも開いたみたいに色々なものがクリアに見えて、人生が無意味であることに気づくんですよね。


 実は、そういった倦怠感けんたいかんあるいは悟りの境地は、精神科や心療内科を受診して薬を処方してもらえば2週間ほどでだいぶ軽くなるのですが、薬にも種類がありますし、効き方にも個人差があるので、たまにぶり返すときが出てきます。

 筆者も薬を飲んでいますが、残念ながら今でもそういう感覚におちいることがあり、そういうときはもう大人しく横になっているかそのまま眠るかしかやることがなくなります。

 当然と言うべきか、そういうときは執筆も読書もやる気が起きないので、普段ぐーたらな人間なりに「今、めっちゃもったいない時間の使い方してるなぁ」と思います。


 そんなときに思い出すのがGARNET CROWの「世界はまわると言うけれど」です。

 アニメ『名探偵コナン』のEDだったこともある曲なので、ご存じの方も多いと思います。


 まあ、寝返りを打つのも面倒になっているときは、音楽プレイヤーを起動してこの曲を再生することもできない訳ですが。




 カクヨムを始めたばかりの頃は(と言っても始めてからまだ2ヶ月ちょっとしか経っていませんが)、PVが気になって仕方なかったり、カクヨムの夢を見たり、キャッチコピーをいじりたくてうずうずしたりしていましたが、最近ではすっかりそういうことはなくなってきました。

 拙作のPVがゼロの日が続いても「まあ、何もしてないんだから順当なところだよね」と思うようになりましたし、カクヨムとにらめっこする夢は見なくなりましたし、「……したら○○だったけど××だから△△」系のタイトルを拒否している時点でキャッチコピーだけいじっても仕方ないのでもう放置しています。


 応援コメントについても散々あれやこれやと迷ってお騒がせしましたが、最近はもう、以前ほどそこにとらわれなくなってきました。

 先日、複数のはじめましての方々に立て続けに応援コメントを送ったのですが、(こう言ってはなんですが)無反応な方が結構いらっしゃって、それ以来、反応が無くてもさほどダメージを受けない自分に気づきました。

 「何としても先方に不快な思いをさせないように力を尽くさねばならない」という考えから、「基本的なマナーを踏まえることは必要だけど、先方がどう受け取るかは究極的には分からない」、「何かしらの反応を頂ければラッキー」という考えに切り替わっていきました。

 考えてみれば、拙作の執筆を進めるのも、どなたかの作品を読ませていただくのも、♡を押すのも、応援コメントを書くのも、すべては筆者の自己満足です。

 筆者の自己満足ということは、筆者が気にしなければ些末さまつな問題でしかないということです。


 すべては「窓の外」の出来事。

 今はただ、「季節が移ろうのをみていましょう」。




 ただし、そうも言っていられないことが少なくとも2点あります。


 1点目は、拙作やこのエッセイに対する反応が気になってスマホを見てしまう習慣からは、どうしても脱却できずにいることです。

 そのため、「通知がない日対策」で紹介した対策はいまだに継続中です。

 さっきまで悟ったようなことを言っていたのに、台無しです。


 もう1点は、カクヨムの夢は見なくなりましたが、その代わりのように、やたらドラマティックな夢を見るようになったことです。

 おそらく、眠っている間も執筆のことを考えている、ということなのでしょう。

 自作の長編ファンタジーでも短編小説でもない、まったくのオリジナル・ストーリーなのですが、夢を見ている間、あるいは夢を見た直後は、「この夢をそのまま書き起こすだけでも割と面白い小説になるんじゃないか」と思います。

 しかし、人間の脳とは不思議なものですね。

 強い印象を受けていたはずなのに、目覚めと共に夢の内容をどんどん忘れていって、1分つか経たないかくらいで、夢を見ていたこと自体がどうでも良くなってきます。

 しいなぁ、とは思いますが、さすがに60秒で起承転結は書けませんし……。


 有名な話ですが、画家のサルバドール・ダリは、自身の夢をアイディアとしてかすために、椅子に腰かけてスプーンを口にくわえ、その下に金属製のたらいを置いて眠ったそうです。

 眠る、あるいはまどろむと、スプーンが口から落ちて、たらいが大きな音を立てます。すると、急激に目が覚めるので、夢の内容が鮮明に頭に刻まれ、絵を描いている間も忘れずにいられる、という訳です。

 プロの画家としての執念を感じさせるエピソードで、筆者はだいぶ前にTVで見て知ったのですが、今でもダリと言えばこのイメージです。


 筆者にはダリほどの根性はありませんし、自作の長編ファンタジーの方は既に大枠が決まっているので夢のアイディアを採用する気もありませんが、もしもまた短編小説を書きたくなることがあれば、夢から着想を得て書き始めてみるのも面白そうだな、なんて思ったり思わなかったりしています。

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