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2023年10月30日 21:55
私、最近は読むときも、書くときも音楽を聞きません。音楽聞くと、集中できなくて、困ります。歳のせいか、器用に立ち回ることができなくなったのですね。ちょっとさみしい(笑)カクヨムでは、けっこう★の数を読むときの参考にします。★の数が一桁の作品って、正直言って、おもしろくないのけっこうあります。かといって、★の数が100以上だと、読者さんが多いので、コメント書きづらい。私はカクヨムを交流目的で使っているので、★10個以上、100未満の作品を狙って読みます。そうすると、たいていコメント書いても、素直に返信くれます。あまり、★の数が少なすぎる人って、けっこう返信くれません。けっこう痛い目にあいました(笑)
作者からの返信
音楽の話は実は筆者もそこまで安定しません。書き始めは音楽を聞いていても、筆が乗ってきたとき邪魔に感じて消していることも多いです。 ちなみに、数年前、読破したかも覚えていない本で、「マインドフルネス」だか「レジリエンス」だかの話を読んだのですが、筆者が解釈し今も記憶しているところでは、「音楽を聞きながら勉強する」、「テレビを見ながらご飯を食べる」のような“ながら作業”は、集中力が散漫な状態を習慣化、つまり、あらゆる場面での集中力の低下を招くので、あまり良くないそうです。音楽があると集中できないのは、不器用なのではなくて、高いレベルでの集中ができているということなのかもしれません。 ★が1桁の作品の多くが面白くないのは、残念ながら、たしかにそうだと思います。ただ、“なんちゃって校閲者”の筆者としては、そういう作品の方が読みたくなることが多いです。コミュニケーション・ツールとしての文章は、頭や身体から自然と湧くものに甘んじるのでなく、文法のルールや根拠を参照しながら論理的に組み上げられるべきものというのが筆者の基本的な考え方ですが、作者さんに情熱があるのに伸び悩んでいる作品は文章の組み方(つまり伝え方)で損をしているのかもしれないので、何か力になれないかと読んでみると言いますか……。 いや、もちろんこれは言い訳です。文章構築力とでも言いうるものに関して筆者には多少の自信があり、アドバイスという体(てい)でマウントを取れる(上から目線で物を言える)という快感があるのは事実です。 とはいえ、他の記事で書いた、ある種の文章に感じる「力」のことを引き合いに出すなら、(大変失礼ながら)下手に万人受けを狙ってそれに成功している書き手さんの文章よりも、伸び悩んで低評価に苦しんでいる書き手さんの文章の方に「力」を感じる部分もあります。それは切実さかもしれませんし、不器用さ、必死さ、誠実さ(誠意)かもしれませんが、そこにはより本来的な意味での“生身の人間の声”があるような気さえしてくるのです。 そういう場合、さすがの筆者も文章についてあれこれ指摘するようなことはできません。それで、せめて★が1桁の状態から脱することができるように★を送ってみたり、その人が書くことをやめてしまわないように♡だけでも送ってみたりします。こうして言語化すると悪趣味な気もしてきますし、実際そうかもしれませんが、でも、小説投稿サイトって(これも失礼ながら)“そういう人”や作品に出合う場というか、そういう人たちが(なけなしの)承認を得る場という気もするんです。筆者がエッセイの他の記事に書きましたが、完成度の高い文章を読みたい読者は、本屋に行くべきなのです。小説投稿サイトは必ずしもそういう場ではありません。魅力的ながら伸び悩んでいる書き手さんを見つけ出すという観点で、無責任なまでに色々手を出してみるのも、それはそれでアリなのではないかと思います。 長くなってきたのでそろそろ締めます。以上言った事情で筆者は高評価の作品以上に評価が伸び悩んでいる作品の方に興味を引かれるため、★100以上の作品はめったに読みません。とはいえ、気後れする心境は分かるつもりです。筆者が何を言ったところで結局この人にとって大きなインパクトにはなりえず、ネットに生息する面倒くさい人(の1人)として片付けられるのだろう、という思いが先に立ち、(書き手さんには非がないのに)コメントを送りづらいです。そのため、仮に読んだとしても、コメントは送りません(笑) コメントを書いても返信が貰えないのは、つらいですよね。筆者も何度か経験したので、気持ちは分かるつもりです。★が少ない人の方が返信をくれないのも、そうだと思います。小説やエッセイの更新は普通にしているので、コメントやその返信に関して、独自の価値観や哲学をお持ちなんでしょうね。上に書いたことと矛盾するかもしれませんが、魅力を感じない書き手さんに対して無理に気を回す必要はないと思います。「この人、話しかけても返事をくれなそうだな」と思ったら、たとえ作品が興味深くても無理に話しかける義理はありません。ポンポコさんに対しては釈迦に説法のような気もしますが、ネットには色々な人がいるので、あまり個々別々の事柄に囚われ過ぎないのが、楽しいカクヨムライフを送るコツの1つのように思います。
私、最近は読むときも、書くときも音楽を聞きません。
音楽聞くと、集中できなくて、困ります。
歳のせいか、器用に立ち回ることができなくなったのですね。
ちょっとさみしい(笑)
カクヨムでは、けっこう★の数を読むときの参考にします。
★の数が一桁の作品って、正直言って、おもしろくないのけっこうあります。
かといって、★の数が100以上だと、読者さんが多いので、
コメント書きづらい。
私はカクヨムを交流目的で使っているので、
★10個以上、100未満の作品を狙って読みます。
そうすると、たいていコメント書いても、素直に返信くれます。
あまり、★の数が少なすぎる人って、けっこう返信くれません。
けっこう痛い目にあいました(笑)
作者からの返信
音楽の話は実は筆者もそこまで安定しません。書き始めは音楽を聞いていても、筆が乗ってきたとき邪魔に感じて消していることも多いです。
ちなみに、数年前、読破したかも覚えていない本で、「マインドフルネス」だか「レジリエンス」だかの話を読んだのですが、筆者が解釈し今も記憶しているところでは、「音楽を聞きながら勉強する」、「テレビを見ながらご飯を食べる」のような“ながら作業”は、集中力が散漫な状態を習慣化、つまり、あらゆる場面での集中力の低下を招くので、あまり良くないそうです。音楽があると集中できないのは、不器用なのではなくて、高いレベルでの集中ができているということなのかもしれません。
★が1桁の作品の多くが面白くないのは、残念ながら、たしかにそうだと思います。ただ、“なんちゃって校閲者”の筆者としては、そういう作品の方が読みたくなることが多いです。コミュニケーション・ツールとしての文章は、頭や身体から自然と湧くものに甘んじるのでなく、文法のルールや根拠を参照しながら論理的に組み上げられるべきものというのが筆者の基本的な考え方ですが、作者さんに情熱があるのに伸び悩んでいる作品は文章の組み方(つまり伝え方)で損をしているのかもしれないので、何か力になれないかと読んでみると言いますか……。
いや、もちろんこれは言い訳です。文章構築力とでも言いうるものに関して筆者には多少の自信があり、アドバイスという体(てい)でマウントを取れる(上から目線で物を言える)という快感があるのは事実です。
とはいえ、他の記事で書いた、ある種の文章に感じる「力」のことを引き合いに出すなら、(大変失礼ながら)下手に万人受けを狙ってそれに成功している書き手さんの文章よりも、伸び悩んで低評価に苦しんでいる書き手さんの文章の方に「力」を感じる部分もあります。それは切実さかもしれませんし、不器用さ、必死さ、誠実さ(誠意)かもしれませんが、そこにはより本来的な意味での“生身の人間の声”があるような気さえしてくるのです。
そういう場合、さすがの筆者も文章についてあれこれ指摘するようなことはできません。それで、せめて★が1桁の状態から脱することができるように★を送ってみたり、その人が書くことをやめてしまわないように♡だけでも送ってみたりします。こうして言語化すると悪趣味な気もしてきますし、実際そうかもしれませんが、でも、小説投稿サイトって(これも失礼ながら)“そういう人”や作品に出合う場というか、そういう人たちが(なけなしの)承認を得る場という気もするんです。筆者がエッセイの他の記事に書きましたが、完成度の高い文章を読みたい読者は、本屋に行くべきなのです。小説投稿サイトは必ずしもそういう場ではありません。魅力的ながら伸び悩んでいる書き手さんを見つけ出すという観点で、無責任なまでに色々手を出してみるのも、それはそれでアリなのではないかと思います。
長くなってきたのでそろそろ締めます。以上言った事情で筆者は高評価の作品以上に評価が伸び悩んでいる作品の方に興味を引かれるため、★100以上の作品はめったに読みません。とはいえ、気後れする心境は分かるつもりです。筆者が何を言ったところで結局この人にとって大きなインパクトにはなりえず、ネットに生息する面倒くさい人(の1人)として片付けられるのだろう、という思いが先に立ち、(書き手さんには非がないのに)コメントを送りづらいです。そのため、仮に読んだとしても、コメントは送りません(笑)
コメントを書いても返信が貰えないのは、つらいですよね。筆者も何度か経験したので、気持ちは分かるつもりです。★が少ない人の方が返信をくれないのも、そうだと思います。小説やエッセイの更新は普通にしているので、コメントやその返信に関して、独自の価値観や哲学をお持ちなんでしょうね。上に書いたことと矛盾するかもしれませんが、魅力を感じない書き手さんに対して無理に気を回す必要はないと思います。「この人、話しかけても返事をくれなそうだな」と思ったら、たとえ作品が興味深くても無理に話しかける義理はありません。ポンポコさんに対しては釈迦に説法のような気もしますが、ネットには色々な人がいるので、あまり個々別々の事柄に囚われ過ぎないのが、楽しいカクヨムライフを送るコツの1つのように思います。