第五話 宿屋にて
宿泊客は居ないと言っていたが、それは嘘ではなく、宿内は実に静かだった。すれ違う客も居ない。店主さんは料理を振る舞ってくれるという話だったから厨房に居るのだろう。僕達の目にも耳にも、感知出来る範囲には居ないようだ。
「この部屋かな」
手渡された鍵に書かれた番号とドアに刻まれた番号を見比べる。『103』……うん、合ってるみたいだ。しかし周囲を見渡してもそれ程部屋は多くない。僕が立ってる場所より奥に一部屋。同じ数の部屋が廊下を挟んで向かい側に連なっている。
廊下の奥には階段が見えるが、あれは多分、居住スペースに繋がってるのだろう。だってこの建物は2階建てだ。2階まで宿泊スペースだったら店主さんが生活する場所がない。立地からも、部屋の数からも、それ程大儲けしてる訳ではないように思える。だから別に家を建ててるとは思えなかった。
だから2階に上がるのはご法度だろう。気を付けねば。
「早く入ろう、リューシ」
「姉さんは壁もドアもすり抜けられるでしょ?」
「まぁ出来るけど、ほら、プライバシーとか」
「そっか。気を付けないとね」
僕だったら開けるの面倒臭いからいくらでもすり抜けそうだけど。
「向こう側でお姉ちゃんが着替えててもいいの?」
「その服って脱げるの?」
「もう!」
首を傾げる。何か不機嫌だ。あぁ、さっさとドアを開けないからか。僕は握っていた鍵を差込口に挿入し、ガチャリと捻った。呆気なく施錠は解除され、続いてドアノブを捻って奥へと押し開けた。
その向こうに広がっていたのはとても素敵な……素敵な……。
「普通だね」
「普通ね」
何の変哲もない普通の部屋だった。何なら僕達が住んでた家の方がまだ快適だっただろう。まぁ、所詮こんなもんだ。
「お世話になります」
とはいえ、借りるお部屋だ。ちゃんと大事に使わせてもらおう。
部屋に入り、壁際にウェポンを立て掛け、背負っていたリュックを下ろす。そして被っていたフードを脱ぎ、一緒にローブも脱いでコート掛けに引っ掛けた。
「ふぅ……」
「ほらリューシ、ベッドがふかふかよ」
グルリと肩を回して姉さんの方を見ると、ベッドに座って体を縦揺れさせていた。
「それは良かった。久しぶりにゆっくり寝られそうだね」
「まぁ私は寝る必要ないんだけどね」
それがアンデッドだ。食べず、眠らず、休まず。不治の病で亡くなってしまったはずの姉さんが傍に居てくれるのはとても嬉しいはずなのに、心の底から喜べない原因はそれだ。
食という娯楽、睡眠という安らぎを僕だけが堪能してしまう。それがどうにも落ち着かない。
「ごめんね、姉さん」
「もう、リューシはそればっかり。アンデッドになっちゃったのはもう仕方ないからって話、旅の間に何回も話したでしょう?」
「そうだけど……」
「それに考えてみなよ。生前、飲まず食わずで寝ることさえ惜しんで錬金術の研究をして可愛い弟に怒られていたのは何処の誰?」
「……姉さんだね」
「そうでしょ?」
いっつも部屋に籠って研究ばかりしてた姉さんは僕が作った夕食を何日も掛けて食べるような生活をしていた。僕が作ったのは1食分なのに、姉さんはそれを朝昼晩と3食に分けて、それを更に3日くらいに分けていた。
「私としてはもう怒られる心配もないし、どっぷり研究に明け暮れたいところなのだけれど、リューシが完全蘇生してくれるってことだしね。一緒に頑張って、今度は二人で夕食を食べたいよ」
「そうだね。僕の本気、見せてあげるよ」
「ふふ、楽しみだ」
村で生活していた時は悩みの種の一つだった姉さんの生活態度が、これはある意味解決したことになるだろう。勿論、手放しでは喜べないが。
と、姉さんと談笑していると、ドアがコツコツと叩かれた。
「はーい」
「うわぁ!?」
「ちょ、ね……オルハ!」
その音に一早く反応した姉さんがドアを開けずに顔を突っ込んだもんだから、ドアの向こうから悲鳴が聞こえた。あの声は店主さんだ。というか、この宿には僕達以外には店主さんしか居ない。
「それやめてね……心臓に悪いから」
「あはは……ごめんなさい。出来心で……」
ドアを開けながら入ってきた店主さんが胸を撫で下ろしながら溜息を吐いた。
「すみません、うちのが……」
「慣れてないとビックリするから、他の人にやっちゃ駄目だからね……それと、夕食出来たから、食べましょう! リッチーのお嬢ちゃんは食べられないけれど、ご主人君はヒョロヒョロだからね。しっかり食べないと旅なんて続かないよ?」
「すみません……」
反射的に謝ってしまったが、店主さんはいいのいいの、と手を振る。
部屋を出た僕達は店主さんの後ろをついて歩き、食堂まで案内してもらった。其処は普通の家のリビングよろ少し広いくらいの部屋だった。中央に置かれたテーブルの上には、手の込んだ料理が並んでいる。
「久しぶりのお客さんだから張り切っちゃった」
椅子に座ると、正面に店主さんも座る。なるほど、先程の『食べましょう』は『一緒に食べましょう』という意味だったのか。他人との食事なんて何年振りだろう。
「いただきます」
「召し上がれ!」
まずは目の前のスープに手を付けることにした。具は見当たらないが、とても澄んだ色をしていて、綺麗だ。スプーンを入れ、零れない程度に掬って口の中に運ぶと、溶け込んだ旨味が口内いっぱいに広がった。
「美味しいです」
「ふふ、ありがとう」
店主さんもスープを飲み、うんうんと頷いていた。納得の出来のようだ。確かに、これは美味しい。
スープを皮切りに僕の胃もスイッチが入ったようで、並べられた料理にどんどん手を伸ばす。しっかり焼かれた肉はジューシーで柔らかく、ふかふかのパンと相性抜群だ。サラダも新鮮で瑞々しく、掛けられた甘いソースがよく合う。木のコップに注がれたワインは果実の風味が強く、これもまた肉に合っていてついつい飲み過ぎてしまった。
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